LONG LIFE DESIGN

デザインはデザイン業界側から見ない方が健やかである。

デザイン活動家・D&DEPARTMENTディレクターのナガオカケンメイさんのコラムです。「健やかさ」が、今回のキーワードの一つになっています。

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さて、前回前々回と僕らD&DEPARTMENTの商品選定の基準である「ロングライフデザインの10か条」をご紹介してきました。前回書きましたが、今はこの10か条は使っていません。もちろん一つ一つは間違ってはいないので、基本として意識の根底にはあるのですが、前提となる時代が変わったのです。

《田舎らしいメディア》町の空き家を活用した栃木県益子町の「ひじのわ」。東京で活動するメディアの方々などが集まり、田舎の町らしいメディアとして「集まりが見える場」をつくっている。活動の様子、使用の予約など、ネットで行える

《田舎らしいメディア》町の空き家を活用した栃木県益子町の「ひじのわ」。東京で活動するメディアの方々などが集まり、田舎の町らしいメディアとして「集まりが見える場」をつくっている。活動の様子、使用の予約など、ネットで行える。写真はナガオカケンメイさん提供

例えば、私たちは昔に比べてモノを作っている人に会える機会が増えました。また、作り手から直接買うことも昔よりできます。あと、支援したいと思う人や社会問題を前にしたときに、クラウドファンディングなど、具体的に応援する方法も整ってきました。マスメディアが崩壊しつつある中、そうしたものが作り出す人工的、作為的な”憧れ”が弱くなり、逆に身近で活動している人の影響が強まっているかもしれません。自分らしいペースでの生き方を考えたとき、それを実行するだけのテクノロジー、例えば、田舎で暮らしても都会的なビジネスが展開できる様々なアプリなども整ってきました。

10か条は2000年に考えたものです。意識としては日本が戦後の模倣品対策で始めたグッドデザイン賞の基準のような、デザインはあくまで業界内・専門家たちの考えることのような、そうした20年以上前の前提からの10か条でした。今は、モノにまつわる前提や環境が変わったことに伴い、10か条は4か条に進化しています。

店側から見た20年の変遷

ちょっとお店の側、私たちD&DEPARTMENT側から、おさらいしてみましょう。私たちD&DEPARTMENT PROJECTが「ロングライフデザイン」を活動のテーマにしてもうすぐ20年が経ちます。

ショップのスタイルで活動を始めたのが2000年。大量生産、バブルを経て「モノだけでは豊かになれない」ことを思い知り、「ロハス」など健やかさのベクトルが現れ始めた頃です。製造されて30~40年以上経っているものを中心にその「支持されつづけている物語」を伝える店は当時珍しかったこともあり、多くのお客さんで賑(にぎ)わいました。普通に身の回りにあるものばかりを集めた店ですから、なんなのだろう? となったと思います。そして、「あぁ、こういういつの時代も変わらないものの方が、流行ばかりを追うよりもいいかもしれない」となっていきました。

その流れも2010年頃には変わりました。例えば、長い歴史のある漆のお椀(わん)で言うと、これまではその「長く作り続けられる物語」「職人の手わざ」を伝えれば人々は反応して購入してくれました。しかし、多くの人は暮らしの根底にそうしたものを使う基本が足りなかったので使いこなせず、うまくいかなかったと察します。

それまではそうした分かりやすく説明できたり、作り手の様子を感じられる、つまり、情報がはっきりしていればものは買われていきました。購入者の多くは「このお椀を買えば、私も変われる」と思ったのです。

正確に調査したわけではないのでなんとも言えませんが、少なくとも2000年ごろに買われたモノたちは、2020年を控えた今、リサイクル市場に出回ってきています。もちろん、その後、本当に使いこなしている生活者もいると思います。

デザインはデザイン業界側から見ない方が健やかである。

《消費されたあふれ出る道具》古物商の免許を持ち、リサイクル業としても店をやっていると、20年周期でモノが一周するように、20年前にとても価値のあったモノたちが不要になったように古物市場に出てくる。2020年を前に、2000年当時ヒットしたモノたちが出てきている

《消費されたあふれ出る道具》古物商の免許を持ち、リサイクル業としても店をやっていると、20年周期でモノが一周するように、20年前にとても価値のあったモノたちが不要になったように古物市場に出てくる。2020年を前に、2000年当時ヒットしたモノたちが出てきている

話を少し戻します。「モノ」を消費していった私たちは、やがて「モノでは本当に豊かな暮らしは手に入らない」ことに気づき、「コトの時代」と呼ばれるものがやってきます。まずは「モノ」の前に「コト」がある。それがなければ「モノ」の意味がない。私たちはここまでくるのにかなりの時間と経験を経て、いよいよ「コト消費」と呼ばれる時代に突入していくわけです。

渋谷ヒカリエ8階で企画運営している「d47 MUSEUM」で今年3月まで、47都道府県のロングライフデザインを集めた「ロングライフデザイン展」を開きました。開催にあたり、いろいろと考えを整理してきたメモをもとに、いま思い返しているわけですが、展覧会のサブタイトルを「健やかなデザイン」としました。

《「ロングライフデザイン展」の様子》日本のロングライフデザインをジャンルに関係なく集めてみた展覧会。デザインと言うと、デザイナーの有名性やエッジの効いた個性的なものを言いがちだけれど、時間軸で捉える、つまり、昔から存在していたもの、という観点でみると面白くみえてくる

《「ロングライフデザイン展」の様子》日本のロングライフデザインをジャンルに関係なく集めてみた展覧会。デザインと言うと、デザイナーの有名性やエッジの効いた個性的なものを言いがちだけれど、時間軸で捉える、つまり、昔から存在していたもの、という観点でみると面白くみえてくる

おそらく20年前にこの展覧会を企画したら、サブタイトルは完全に「デザイナー側」からの発想になったと思うのです。多少の使いにくさ、環境への配慮などは二の次。とにかく造形的に美しく、話題性を感じる際立ったもの。デザイナーがはっきり存在し、そのプロフィルが販売において必要不可欠。長く愛され使い続けられている理由を問うと、真っ先にデザイナーの名前や造形美の話になることでしょう。

しかし、地球規模の環境問題やエネルギー問題に直面し、持続可能な循環型社会に向かうこれからは、『健やか』がキーワードになるのではないでしょうか。

つまり、デザインはデザイナーの元から、売り場を経て、生活者にわたり、今度は「宇宙」に戻っていくような、そんな感覚になっていくと思うのです。人間が「動物」として居心地のよさを感じ、不安から逃れ、子孫の継承のために発想した結果としてのデザインが、ロングライフデザインになっていくと思うのです。

デザインはデザイン業界側から見ない方が健やかである。

デザインはデザイン業界側から見ない方が健やかである。

デザインはデザイン業界側から見ない方が健やかである。

民藝運動は、その時代ごとの最先端デザイン運動であったわけですが、あまりにも「民藝スタイル」に惚(ほ)れ込みすぎた創作者たちによって、運動から「あるスタイル」の名前となり、結果、民藝調の土産がたくさん生まれました。ロングライフデザインも、デザイナーがそこに固執し過ぎると、ロングライフデザイン風なものがどんどん生まれる。しかし、時代はデザイナーの手からデザインを解き放ち、生活者の側に。結果としてロングライフデザインは土に還(かえ)るように、環境に配慮し、生活に根ざしたものを追求する。20年前に必要とされたような造形美は求められなくなっていく。それが「デザイン」と言われるようになっていくと思うのです。

デザイン業界と一般生活者の両方の中に「ロングライフデザイン」はあり、今、そして、これからは、ますます生活者側に移行していくと思います。もちろん、デザイン側もそれを育むわけですが、先ほどの「民藝」のように、民藝協会が考えるそれと、一般生活者が考えるそれとは、ますます考え方に差が出てくると思います。大胆に言うと、よき生活者からでしか良いデザインは生まれない。

最近、人々から評価されているクリエーターのほとんどが、昔のような都会の洗練された絵に描いたような整った生活をしている風にいつわるデザイナーではなく、本当に豊かな生活をしているデザイナーが現れ始めています。彼らは都会を離れ、ローカル独特な時間の流れで生活をして、ものを考え、作り出しています。岐阜の陶作家・安藤雅信さんや、三重の陶作家・内田鋼一さん、奈良の「くるみの木」の石村由起子さんや、沖縄のデザイナー・真喜志奈美さんたちのようにです。

《民藝運動の進化版「生活工芸」の牽引(けんいん)者》左から2番目が三重県の陶作家・内田鋼一さん、その右隣は奈良県の工芸店「くるみの木」の石村由起子さん。以前にも写真を使いましたが、あらためて。生活雑器の中に美を見いだした民藝を意識しつつ、より生活に根ざした工芸を提案している。それがデザインと呼ばれるようになっていくのではと、考えている

《民藝運動の進化版「生活工芸」の牽引(けんいん)者》左から2番目が三重県の陶作家・内田鋼一さん、その右隣は奈良県の工芸店「くるみの木」の石村由起子さん。以前にも写真を使いましたが、あらためて。生活雑器の中に美を見いだした民藝を意識しつつ、より生活に根ざした工芸を提案している。それがデザインと呼ばれるようになっていくのではと、考えている

その「健やかさ」は、メディアを通じて高速に流れてくるものではなく、電車に乗って会いに行ける。そのデザイナーにも会える。そして、対話できる。そういうデザインが本当の「デザイン」なんだと言うことになってきたとそろそろ言えるでしょう。

そうした考えのもとで10か条を見直していきました。
以下の四つが、これからのデザインに必要なことではないかと思うのです。

1.根付く その土地に根を下ろせるか

人の手を借りず、放っておいても育っていく樹木や花などは、その土地に根付いていると言える。その土地の風土が育てているとも言えて、こればかりは人間の自由にはならないところが面白い。まさに、人間を超えたデザイン。そして、ロングライフデザインでもある

人の手を借りず、放っておいても育っていく樹木や花などは、その土地に根付いていると言える。その土地の風土が育てているとも言えて、こればかりは人間の自由にはならないところが面白い。まさに、人間を超えたデザイン。そして、ロングライフデザインでもある

植物と同じで、デザインにも生態系が意識され始めると思います。つまり、その土地だからこそ生まれたもの。必然性があるもの。南国の植物に感動してその苗木を譲ってもらってきても、植える場所が寒い北国なら育たないようにです。

情報や流通の速度は日に日に増し、その土地らしいことが最大の価値になっていくと考えた時、無理なく自然にその土地でうまれた、ほかの土地ではできない、育たない現象こそ、その土地の創作価値となるでしょう。自分の土地らしさをしっかり意識、運用できることが、新しいデザインでの開発のカギになっていくでしょう。

異国に憧れていた時代は、その異国っぽいデザインが有効でしたが、いまや異国への憧れは、そこに行けばよくなりました。もう読めない英文を格好つけてパッケージデザインなどに使うことは、相当格好悪い時代になっています。

2.健やか 全てにおいて健康的

エネルギーや食料をローカルで作り都市に集中させる時代から、人間的にも環境的にも無理なく創造をしていく時代になっていくとき、価値の基準が「お金」から様々なものに移行していくと考えられます。

「正しい健康的なことをやっている、けれどなかなか儲(もう)からない」という状況があるとして、その価値基準が「儲け」から「健やかさ」に変わっていく。デザインも「健やかなデザイン」が生まれ、ビジネスも「健やかなビジネス」が生まれる。他にも観光なども「健やかさ」を求められ、様々なことと共存しながら、適度な収益を生み出し、労働としても、健やかな生活を実現し続けられること。デザインは「お金を儲ける」ということから解放されていくとき、どんなデザインが健やかなのか、ということを考えなくてはならなくなるでしょう。「無理」がないものをデザインがどう表現していくのか、です。

デザインはデザイン業界側から見ない方が健やかである。

デザインはデザイン業界側から見ない方が健やかである。

今、一番よく聞かれる質問。「ナガオカさんは、なぜ、急にデザインの中に健やかさを意識しているのか」と。これはぼくも正直、まだはっきりと答えられません。最近、中国に通っていると、20代半ばのクリエーターが事務所によくこうした風景をつくっていることに気づき、また、そこに居心地のよさを感じることが多くなった。風化した岩や水、植物に、流木……。無理のない造形に、美を感じるのだろう。そこに健やかさも

今、一番よく聞かれる質問。「ナガオカさんは、なぜ、急にデザインの中に健やかさを意識しているのか」と。これはぼくも正直、まだはっきりと答えられません。最近、中国に通っていると、20代半ばのクリエーターが事務所によくこうした風景をつくっていることに気づき、また、そこに居心地を感じるのよさことが多くなった。風化した岩や水、植物に、流木……。無理のない造形に、美を感じるのだろう。そこに健やかさも

3.仲間 誰が仲間なのかを明確に知っている

とにかく規模を広げたり、たくさん販売をしないといけないと考えると、とにかくたくさんの人に伝え、多くの人たちと関わるためのリスク回避や、システムが必要となり、大切に作られたものも、結果として誰だか分からないひとが買っていくような状況を維持しなくてはなりません。その関係性は人間味をおおよそ感じられない表面的なことになっていきます。

誰だか分からない多くの人に向かうのではなく、しっかりと関係性を継続して作れる相互理解による仲間となら、デザインの意味合いも、ショップのあり方も違ってくるでしょう。やるべきことに集中でき、やる必要のないことが明確に見えてくるでしょう。関係性を表すことがデザインの役割になっていくでしょう。その商品を手に入れることが、それを作った作り手と繋(つな)がり続けられること。そういう関係性が豊かさのベースになっていくと考えられます。

ぼくが主宰する日本フィルハーモニー交響楽団の応援団「d日本フィルの会」が福岡県大牟田市の同じような仲間を応援しに行った時の様子。仲間がいると、そこに集うテーマに深みが増す。そして、楽しさが生まれる。仲間が集まらないようなコトやモノには、やはりどこか不自然さがある

ぼくが主宰する日本フィルハーモニー交響楽団の応援団「d日本フィルの会」が福岡県大牟田市の同じような仲間を応援しに行った時の様子。仲間がいると、そこに集うテーマに深みが増す。そして、楽しさが生まれる。仲間が集まらないようなコトやモノには、やはりどこか不自然さがある

4.歴史 過去とつながり自分を向上させてくれる

なぜ人はお茶を習い、能を観にいくのか。オーケストラの演奏を聴き、老舗に通うのか。多くの「新しい」と言われるものたちは、突然出てくるのではなく、脈々と続いてきた文化的行為の積み重ねから生まれています。意識高く人生を生きようと思う時、人はこうした歴史の繋がりや流れのレールにいたいと思うのです。

本当の新しさは積み重ねてきたものの上にしか生まれず、過去を知ることで今がわかり、未来がみえる。いいデザインも建築もファッションも、これと同じだと考えます。過去とつながれることで、いまを実感することがあります。今を生きるとは、過去を意識しながら、今への答えを探すということだとも思います。ロングライフデザインは、新しいものを生み出すためのデザインなのです。短命な消費されるデザインとは、つまり何とも繋がっていないと言えます。

長く続いていると、いろいろなことが起こる。いろいろなことが積み重なり、深みがます。そこに腰を据えて生活する時の安定感や、そこに集う仲間との対話は、時間が作り上げた土台のようで、どっしりと安定している。ひとりの人生の時間だけではつくれない歴史に、人は惹(ひ)かれる

長く続いていると、いろいろなことが起こる。いろいろなことが積み重なり、深みがます。そこに腰を据えて生活する時の安定感や、そこに集う仲間との対話は、時間が作り上げた土台のようで、どっしりと安定している。ひとりの人生の時間だけではつくれない歴史に、人は惹(ひ)かれる

さてさて、いかがでしたか。今回もちょっと理屈っぽくなりましたが、なるべく分かりやすく書いたつもりです。なんだか毎回、言っているような気もしますが、ロングライフデザインの基本的背景の話は、これくらいにしようかな。ということで、次回は休憩も兼ねて、最近撮ったロングライフデザイン的写真を見ながら、お茶でも飲む感じで、雑談しましょう。それでは次回もお楽しみに。

《無理のない健やかな手土産》1日に数十個しか作れないので、朝一番に並ばないと買えない。体によくない、日持ちさせるための添加物などが入っていないので、早く食べないといけない。だからこそ、そんなものをもらうと、ものやおいしさ以上のもてなす心をもらった気持ちになる

《無理のない健やかな手土産》1日に数十個しか作れないので、朝一番に並ばないと買えない。体によくない、日持ちさせるための添加物などが入っていないので、早く食べないといけない。だからこそ、そんなものをもらうと、ものやおいしさ以上のもてなす心をもらった気持ちになる

PROFILE

ナガオカケンメイ

デザイン活動家・D&DEPARTMENTディレクター
その土地に長く続くもの、ことを紹介するストア「D&DEPARTMENT」(北海道・埼玉・東京・富山・山梨・静岡・京都・鹿児島・沖縄・韓国ソウル・中国黄山)、常に47都道府県をテーマとする日本初の日本物産MUSEUM「d47MUSEUM」(渋谷ヒカリエ8F)、その土地らしさを持つ場所だけを2ヶ月住んで取材していく文化観光誌「d design travel」など、すでに世の中に生まれ、長く愛されているものを「デザイン」と位置づけていく活動をしています。’13年毎日デザイン賞受賞。毎週火曜夜にはメールマガジン「ナガオカケンメイのメール」www.nagaokakenmei.comを配信中。

ロングライフデザインの10か条(後編) ファンになりたいと思えるメーカー

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