インタビュー

“未踏への挑戦” 野口健親子アフリカの頂上へ。 17日、日本を出発。

人は皆、自ら選んだ山のゴールを目指すクライマー。一生のうちにそこへ辿り着けるだろうか。だが、頂点に到達後、次のゴールを目指し登り始める者がいる。さまざまなジャンルで頂点を極めたクライマーが挑む“未踏の頂”について聞く新企画「The Next Goal(ザ・ネクストゴール)~頂の先へ~」

第1回は登山家、野口健さん(後編)です。

>>前編はこちら

なぜ、山に登るのか?-記録でない挑戦-

「人はなぜ、命を懸けて山に登るのか?」

1924年、エベレスト登山中に命を落とした英国人登山家のジョージ・マロリーは、「あなたはなぜエベレストに登るのか?」と聞かれ、「そこにエベレストがあるからだ」と答えた。有名なセリフだ。

25歳で当時の七大陸最高峰登頂の世界最年少記録を達成し、その後も幾多の高峰を制してきた野口さんは45歳となった今、同じ質問に対し、こう答える。

「実はまだ、私には明確な答えは見つかってはいません。ただ、これだけは言えます。私にとって山登りという行為は『命を懸けた自己表現』なんです」

“未踏への挑戦” 野口健親子アフリカの頂上へ。 17日、日本を出発。

99年5月、七大陸最高峰登頂の最年少記録を狙う野口さんは、最後に残ったエベレストを三度目の挑戦で達成した。もちろん喜びはあったが、同時に、エベレストの頂上から目の当たりにしたある光景に、登山家としての責任と覚悟が生まれたという。

「エベレストのゴミの多さにショックを受けました。現地のシェルパたちから、日本の登山隊のゴミが特に多いと言われ、とても恥ずかしく、悔しい思いをしました」。 登頂後の記者会見で、「次の目標は何ですか?」と記者から質問されたときの様子を野口さんはこう振り返る。

「私は思わず、『ゴミ清掃をしながらのエベレスト登山です』と答えていたんです。自然と口から出ていました。新たな記録を懸けた登山という目標は、まったく浮かんでこなかったですね」

“未踏への挑戦” 野口健親子アフリカの頂上へ。 17日、日本を出発。

エベレスト清掃登山 写真提供:野口健

この言葉通り、野口さんは99年からエベレストでの清掃登山活動を開始。世界各国の登山家たちに呼びかけ、4年連続で標高5千~8千メートルでの清掃登山を実施した。

2000年からは、富士山での清掃登山活動も始めた。 「『富士山が変われば日本が変わる』をスローガンに始めましたが、来年でこの活動も20年。当初は地元の抵抗などもありましたが、理解者や協力者が増え、ゴミは激減し、ようやくゴールが見えてきました。富士山で始めた取り組みですが、今後は全国の山へも広げていきたい」と語る。

01年には、遭難死したシェルパの遺族の生活を支援する「シェルパ基金」を創設。08年にはネパールのサマ村の子供たちのために学校を建てるプロジェクト「マナスル基金」を創設し、校舎建設などに取り組んできた。

“未踏への挑戦” 野口健親子アフリカの頂上へ。 17日、日本を出発。

ヒマラヤにランドセルを届けようプロジェクト 写真提供:野口健

そして昨年からは、ネパールの山岳地帯の子供たちに、日本の小学校を卒業した子供たちのランドセルを贈る活動を始めた。

「ネパールの山岳地帯では何時間もかけて学校へ通う子供たちが大勢います。背負って荷物が運べる日本のランドセルはそんな子供たちにぴったりなんです」

昨年12月から今年5月まで、1000個のランドセルを届けた。 「エベレスト街道の小学校10校すべての子供たちにランドセルが行き届くように」と、2020年春までに、あと1000個を届けたいという。

長女、絵子さん(15)との5000メートル級登山という挑戦

清掃登山やヒマラヤで暮らす子供やシェルパたちの支援プロジェクトの他、15年、ネパールで登山中、大地震に遭遇した際は、「ヒマラヤ大震災基金」を立ち上げ、復興支援を行い、16年の熊本地震発生の際は、「熊本地震テントプロジェクト」を立ち上げ避難者のためにテント村を作る活動に尽力するなど、登山をベースにした社会奉仕のプロジェクトは多岐に渡る。

次々と新たなプロジェクトを実現してきたが、昨年、これまでとは少し趣の違うプロジェクトが始動した。

“未踏への挑戦” 野口健親子アフリカの頂上へ。 17日、日本を出発。

ヒマラヤ親子登山 ポカルデ登頂 写真提供:野口健

長女、絵子さん(15)との親子登山だ。かつて10代だった野口さんが目指したように、今度は親子で世界の高峰に次々と挑む壮大なプロジェクト。現在、親子でそのための準備を進めている。

「赤ん坊の頃は私が背負って登っていた」という富士山の清掃登山に絵子さんは4歳で参加し、大人と一緒に登っていたという。小学4年生になると、登山の上級者でも難しい、冬の八ケ岳(山梨、長野県)を一緒に登った。

絵子さんは今春、中学を卒業したが、昨年、高校進学を目前にして、野口さんにこう語ったという。 「お父さん、私はもっと世界を見て、もっと世界を感じたい。ヒマラヤへ連れて行って」。 昨年12月、野口さんは絵子さんを連れてヒマラヤの5000メートル級の山を登った。

「私が高校3年のときに果たしたヒマラヤデビューを娘は中学3年でかなえた。本当にうらやましい」と野口さんは笑った。

“未踏への挑戦” 野口健親子アフリカの頂上へ。 17日、日本を出発。

ヒマラヤ親子登山 カラパタール登頂 写真提供:野口健

ヒマラヤの山を去るとき。小型飛行機の窓から山の風景を見ていた絵子さんが突然、泣き出したという。

「よほどヒマラヤ登山がつらかったんだな、と私は思ったのですが、まったくその理由は違いました」。 後になって絵子さんから泣いた理由を打ち明けられた。

絵子さんは雄大なヒマラヤ山脈を見ながらこう思ったのだ。 「私の悩みなど、なんて小さく、何と私はちっぽけな存在なんだろう。そう思うと涙が出てきた」と。 この後、絵子さんは自らの意思でニュージーランドの高校への進学を決めたという。

「娘が通う英国の学校は中高一貫で大学まで進学できるのですが、娘はエスカレーター式に進む道を嫌い、自らの意思であえて厳しい道を選んだのです。その意思を父として尊重したい」

“未踏への挑戦” 野口健親子アフリカの頂上へ。 17日、日本を出発。

親子登山 チュクンリー登頂 写真提供:野口健

もっと世界の高峰を登りたいという絵子さんを連れて、野口さんは今月17日に出発。キリマンジャロなどアフリカ大陸の5000メートル級の三峰を1週間に1本ずつ登り、8月7日に帰国する予定だ。

娘への継承

“未踏への挑戦” 野口健親子アフリカの頂上へ。 17日、日本を出発。

ランドセルを届けようプロジェクト 写真提供:野口健

今春、ネパールの子供たちにランドセルを贈るプロジェクトにも絵子さんはついてきた。

「子供たち一人一人にランドセルを背負わせてあげるのですが、背負った後、子供はみんなうれしくて走り出すんです。その姿は可愛くて感動的です」。 野口さんと並んで子供たちにランドセルを背負わせていた絵子さんが、「お父さん、後は私に任せて」と言ったという。

「娘はネパールの子供の姿を見て何かを感じ取ったのでしょう」。野口さんはこのプロジェクトを娘に引き継ぐことを決めた。

【ルクラ村 ランドセルを届けようプロジェクト 映像提供:野口健】

野口健が挑む“未踏の頂”

“未踏への挑戦” 野口健親子アフリカの頂上へ。 17日、日本を出発。

エベレスト 写真提供:野口健

「もう記録を追うことはない」と言いながらも、清掃登山や基金創設などのために野口さんは山に登り続けている。そのモチベーションはいったいどこから生まれているのか?

そう質問すると、「実は一時期ですが、もう登山をやめようと思ったときがあるんです。3年前、雪崩に遭い頸椎(けいつい)を損傷したときです。山に登らなければ、命の危険もなくなり、家族を心配させることもなく安心した人生を送れると思いました。ところが、登山をやめたとたん、この考えが大間違いであることに気づきました」と野口さんは話し始めた。

「登山をやめたとたん、登山以外の社会貢献の活動などにも、やる気を失い始めていることに気づいたんです。登山への情熱だけでなく、生きることへの情熱も失いかけている……」。そう感じたとき、野口さんの足は、登山家を志す原点となったヒマラヤへと向かっていた。

“未踏への挑戦” 野口健親子アフリカの頂上へ。 17日、日本を出発。

エベレスト 写真提供:野口健

「ケン、次はどこを登るんだい?」 ヒマラヤには野口さんの知り合いが多い。山を登っていると、人気者の野口さんに、村のみんなが話しかけてくるという。

「やる気を失いかけていた私はヒマラヤでこう気づかされました。自分はヒマラヤを登ることによって、山を登るためのエネルギーを逆にもらっているんだと。それは社会奉仕活動など、自分が生きるすべての活動のエネルギーになっているということに。自分を見失わないために私は山に登っているのかもしれない」

以来、日本でやる気やモチベーションが落ちると、必ずヒマラヤへ向かうという。10代の頃に燃やした登山家としての覚悟、情熱を取り戻すために。

“未踏への挑戦” 野口健親子アフリカの頂上へ。 17日、日本を出発。

「私の目指す新たな頂? エベレスト清掃登山や富士山清掃登山、ランドセルプロジェクト……。振り返ると、すべて登山の活動から自然に生まれたプロジェクトなんですよ」と語り、少し考えた後、こう続けた。

「33歳で人類初のエベレスト登頂に成功したエドモンド・ヒラリーはその後、『ヒマラヤ基金』を創設し、ヒマラヤに学校を建てたり、シェルパの生活水準を上げたりする活動に人生を捧げた。亡くなる88歳近くまでヒマラヤへ登り続けた彼の生き方は私の一つの理想の姿です」

生涯冒険に情熱を注いだ植村直己と、シェルパの生活や地位向上のために尽くしたヒラリー。二人の生き方が野口さんの「新たな頂」の指針になっている。ヒラリーの精神を受け継いだ活動の一つが、ランドセルプロジェクトといえるだろうか。これは来年完結の目途がついた。そして絵子さんとともに目指すもう一つの新たな頂。親子登山は、植村の冒険家精神を継承するプロジェクトといえるだろうか。  

ヒラリーと植村、2人が目指した頂を道標(みちしるべ)にして、野口さんは娘、絵子さんとともにその頂に向かって歩み始めている。独自の“ルート”を切り開きながら。

  “未踏への挑戦” 野口健親子アフリカの頂上へ。 17日、日本を出発。

=次回はF-1を目指す女性レーサーです。=

(取材・文/溝上康基、撮影/竹田武史、編集/幸積彩)

野口健(のぐち・けん)

1973年8月21日、米国生まれ。父は日本人で元外交官、母はエジプト人。登山家。亜細亜大学国際関係学部卒業。大学生だった99年当時、25歳のときに七大陸最高峰登頂の最年少記録を更新した。現在、NPO「ピーク・エイド」代表を務める。

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