本を連れて行きたくなるお店

夏の終わりの切なさを感じる冷やし中華 岡田惠和『僕だけのマドンナ』

カフェや居酒屋で、ふと目にとまる、ひとり本を読んでいる人。あの人はどんな本を読んでいるんだろうか。なぜその本を選んだのだろうか……。本とお酒を愛する編集者で鰻(うなぎ)オタクの笹山美波さんは、本の中の物語が現実世界とつながるような、そんなお店に連れて行ってくれます

夏の終わりが近づくと、ちょっと寂しい気持ちになるのは私だけだろうか。他の季節の谷間には特に何も思わないのに、不思議な気分だ。花火にお祭りといったにぎやかなイベントが終わる喪失感のせいもあるし、ひと夏の恋を描くドラマや小説が、切ない思いにさせるせいかもしれない。

その寂しさは、この夏にやり残したことへの後悔を募らせる。さっきの例でいえば「海に行けなかった」とか「好きな子へ告白できなかった」などだろう。けれども、もっと小さな後悔もあるはずだ。例えば「冷やし中華を食べそびれた」だ。

通年メニュー化を求めた熱狂的なファンたちも

冷やし中華は、ほとんどの飲食店では夏季限定のメニュー。冬には食べられないので、食べそびれたら次の夏まで我慢しなければならない。冷やし中華好きにとって、それは大きな大きなストレスになる。

例えば、ジャズピアニストの山下洋輔は、冬に冷やし中華を食べられず、「何故やってないのだ。何故冬にはやらないのだ。どうして冬に食ってはいかんのだ。これはまったくいわれのない差別ではないか」と憤慨。同じ思いを共有する小説家の筒井康隆らと「全日本冷し中華愛好会(通称:全冷中)」を1975年に発足させた。後に赤塚不二夫やタモリなども集まりに参加したこともあり、芸能界でちょっとしたムーブメントになった。

冷やし中華

「全冷中」は載せる具材から思想までを、おふざけで大真面目に語る集まり。季刊誌を発行したりファンを招いたイベントも開催したりした。発足のきっかけは『へらさけ犯科帳』に、「全冷中」の活動は『空飛ぶ冷し中華』に収録されている

多くの著名人だけでなく、冷やし中華は物語の登場人物にも愛されている。NHK連続テレビ小説『ひよっこ』などで知られる人気脚本家の岡田惠和さんが手掛けた、テレビドラマ『僕だけのマドンナ』のヒロイン・片岡するみも、冷やし中華が大好物だ。

恋をする2人をつなぐ、冷やし中華

『僕だけのマドンナ』は2003年にフジテレビ系列で放送されたテレビドラマで、滝沢秀明が演じる地味で平凡な大学生の鈴木恭一(21)と、そんな彼を振り回す長谷川京子が演じる謎の美女・片岡するみ(26)の関係を描いたラブストーリー。2人の出会いは、恭一が一人暮らしをするマンションに、するみが忍び込んだのがきっかけ。恭一の向かいのマンションに住んでいる、するみが昔好きだった男の見張りをするのに最適だったからだ。ほとんど犯罪だが、自分のことをかわいく「キョン」と呼び、奔放で憎めないするみに恭一は混乱しながらも好意を抱き、合鍵さえ渡してしまう。

僕だけのマドンナ

『僕だけのマドンナ』は、向田邦子賞も受賞した岡田惠和さんが脚本家14年目にして、初めて描くラブストーリーだった

そんな奇妙な関係の中で、冷やし中華は2人をつなぐキーアイテムとして扱われる。出会ったころ、するみはおなかが減ると恭一の家の冷蔵庫の冷やし中華を勝手に食べていた。だが、心を許し始めると「冷蔵庫の中、空っぽなんだけど」「どういうこと? キョン」「冷やし中華が食べたい」とねだるようになる。

年上の美人にわがままを言われてしまったらたまらない。けれども、恭一にだってプライドはあるので、何度も強く「イヤです」と断ってはみる。だが最終的には、「楽しみにしてたのにな、キョンと一緒に食べるの」とするみの甘い言葉に乗せられて、いつもわがままに応えてしまう。その甘いやり取りはいつしか彼らのお決まりとなっていく。

するみは、好物の冷やし中華を道具にして、年下の恭一とうまく付き合っていたようにも見える。けんかした後は必ず「食べたい」と甘えて自ら仲直りをしようとするし、己の自分勝手を反省して2人分の冷やし中華を土産にしたりもする。なんてことない冷やし中華も、ひと夏の恋をする彼らにとっては大切なご飯なのだ。

環七沿いの中華料理店で、夏の終わりをしみじみ感じる

ドラマを思い出しながら『僕だけのマドンナ』のノベライズ小説を読んでいると、冷やし中華が食べたくなってくる。コンビニの冷やし中華も良いが、せっかくロマンチックな物語を読んだ後なので、昔ながらの町中華で、そろそろ販売終了になる冷やし中華のおいしさと夏の余韻に浸(ひた)りたい。

東京・野方の「十八番(おはこ)」は、環状7号線沿いにある老舗中華料理店。1963年創業で、町中華ながらもこだわり満載なのが人気の秘密。毎朝欠かさずギョーザやシューマイの皮を手作りし、麺は大きく太い「孟宗竹(もうそくちく)」を使って手打ち麺を仕込む。夏の間は、その麺を使った冷やし中華が抜群においしいと評判だ。

十八番

歴史あるお店の外観から、料理を食べずともおいしさが伝わってくる。野方駅からは徒歩12分ほどと少し距離があるが、昼時を少し避けた時間帯でもお客さんが絶えなかった

カウンターに着席し、ビール一つに「焼きぎょうざ」半分、「冷やしそば」を一つ注文する。すぐに瓶ビールの栓を抜き、お通しのザーサイとともに出してくれた。暑さで乾いた喉(のど)を潤してくれる。次いで焼きギョーザ。多めの油で揚げるように焼いてあるので、表面はカリッとしているが、皮はモチモチ。豚と白菜のジューシーなあんの味わいもたまらない。

餃子

「焼きぎょうざ」(通常は5個600円)1度ゆでてから焼き上げることで、しっかり火を通し独特な食感に仕上げている

夏の終わりの切なさを感じる冷やし中華 岡田惠和『僕だけのマドンナ』

ビール(600円)はうれしいザーサイ付き。厚くて大きめ

最後に冷やしそば。具材は千切りのキュウリ、肩ロースを使ったホロホロで厚めの焼き豚、太めのクラゲとシンプル。麺だけをすすると、ムチムチ、つるつる! 太さに少しばらつきがあるのと、独特のコシがくせになる。三つの異なる具材との食感や味のバランスもバッチリだ。タレも独自に配合しており、甘すぎず酸っぱすぎない。さっぱりした後味が夏の終わりにぴったりだった。

冷やしそば

「冷やしそば」(950円)は、派手さはないのに、手打ち麺と3種の具材のバランスが絶妙でしみじみおいしい。からしをつけるとサッパリ

夏季限定だからこそ感じられる情緒

近ごろは通年暖かくなってきたこともあり、コンビニでは冷やし中華を2月から発売しているし、飲食店では10月以降も提供するお店も見かける。長い期間楽しめるのはうれしいが、一方で、少しだけ風情がないとも感じてしまう。

なぜなら、『僕だけのマドンナ』のように好きな人と冷やし中華を食べたことがあれば、その大切な記憶は暑い夏がやってくる度によみがえるからだ。もし冷やし中華が通年のメニューになってしまったら、夏の記憶をふと思い出す瞬間は失われてしまうかもしれない。そんな寂しさを感じている。

十八番の冷やし中華は9月末まで。今しか味わえない夏を味わいに行ってみて欲しい。

十八番(おはこ)
東京都中野区大和町2-2-2
03-3338-8179
営業時間
11:00~15:00/17:00~20:30
火曜、水曜定休

PROFILE

笹山美波

「東京右半分」に生まれ育つ。編集記者を経て、外資マーケティングサービスのWebプロデューサー、マーケター。ライター。鰻オタク。東京と食に関連する歴史/文化/文学/お店を調べるのがライフワーク。

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