LONG LIFE DESIGN

ながくつづく雑談 5話

今回はロングライフデザインをテーマに活動をしていて出会ったこと、思ったことを書いてみようと思います。短めなのですぐに読んで頂けます。それではそれでは……。

 

1「北海道をみんなでつかう」

地名にまつわる材料を使っているという以外にも、「地名の持つイメージ」も使っている。みんなで大切にその「土地のイメージ」を守っていきたいですね。

地名にまつわる材料を使っているという以外にも、「地名の持つイメージ」も使っている。みんなで大切にその「土地のイメージ」を守っていきたいですね。

地名にまつわる材料を使っているという以外にも、「地名の持つイメージ」も使っている。みんなで大切にその「土地のイメージ」を守っていきたいですね

北海道に行くと「北海道」という地名をつかった商品がたくさんあります。北海道に行かなくてもたまにテレビCMなどで北海道の……みたいな商品が紹介されていたりします。

みんなで「北海道」ブランドを使っているわけですね。これ、そもそも考えていくと、「北海道」という地名を使うことで、例えば「大自然」とか「大きい」「広い」「気持ちがいい」「健康的」「のんびり」「おおらか」などなど、その地名にある「イメージ」を借りることができるわけで、地名なので誰かの権利が発生したりはしないにしても、みんなで「北海道」の印象を使っていることになります。なので印象が悪くなったら、その商品の印象にも関わってくる。なので商品に「北海道」と入れたい人は、やっぱり「北海道」がそんな印象で有り続けるために、なにかしらしないといけませんね。

大きな話すぎて、ピンとこないかもしれませんが、「北海道」に限らず、その地名からくる印象って、誰かによって作られたわけです。ひとりの開拓者が開墾し、大勢になり、じゃがいもなんかの気候に合う農作物を見極め、耕し、それがひろがっていく……。あるところまでいくと、それが風景となり、観光にも使われ、印象に変わっていく。だからそんな歴史ある物語によってうまれた「イメージ」は、ケアもせず、使ってばかりいると荒れ果てていく。みんなで地名を使うということは、メンテナンスも大切。長くその地名がありつづけるためにも、すばらしい「北海道」の印象がながくつづくためにも。

 

2「ネットで買って、店と付き合う」

実店舗とWebストアは、これからますます差別化が激しくなっていく。Webストアにできることを路面店でやっていては太刀打ちできなくなる。さて、頑張れ路面店!! 写真は大好きな台東区にある「SyuRo」。Webストアにはない独特な接客が楽しい。

実店舗とWebストアは、これからますます差別化が激しくなっていく。Webストアにできることを路面店でやっていては太刀打ちできなくなる。さて、頑張れ路面店!! 写真は大好きな台東区にある「SyuRo」。Webストアにはない独特な接客が楽しい

最近の買い物の大半はネットストア。欲しいものを探すのも検索などで簡単だし、価格がもっとも安いところも調べられます。配送時間も選べて好きな時間に注文。

一方で実店舗を持つ立場でもある僕は、そうも言ってられません。出来るだけ実際に構えている店に来店して頂きたいし、誰かに聞かれたら「ぜひ、店に来て楽しく接客を受けるちゃんとした買い物をしてください」と言う。矛盾がありますね。

先日、品数の豊富さと専門性の高さで親しまれているはずの東急ハンズに行った友人が「品数が多すぎて買いづらい」と言っていました。30年も前ならその品数の多さは「ワクワクする」事でした。じっくり実物を見比べ、専門的な質問にも丁寧に店員さんは答えてくれます。その友人の話で印象的だったのは「(パソコンのように)検索できない」というセリフ。もはやパソコンでの買い物に慣れてしまい、ものを選ぶのは、ワクワクする行為ではなくなってしまっていたわけです。

僕もその気持ちがわかるので、とやかく言えませんが、これはもうこの時代のスタイルとして定着していくことは間違いなく、そこは僕も変に抵抗はしません。では、路面店、実店舗はどんどんなくなっていくのでしょうか。僕は人々の「もの」との付き合い方は、もっともっと本質的になっていくと思っていて、つまり、ネットで買うなんて愛がない……くらいに言われていた時代はありましたが、買い方が変化しただけで、モノとの向き合い方はもっと濃く深くなっていく時、実際の店って、どんどん重要になっていくと思うのです。ながくそのものと向き合うための場所。同じものを買った人同士のリアルな交流場所として。ながくつづくものとの関係のためには実際の「店」ってますます重要になっていく。逆を言うと「ネットストアでできることをやっていてはダメ」ということですかね。

 

3「解体される建物の材料を使って、町をつくる」

ながくつづく雑談 5話

街に建っていた建物が解体され、ここに集まってきて、それを使ってこの街の人はリフォームをする。なんて美しい循環!!

街に建っていた建物が解体され、ここに集まってきて、それを使ってこの街の人はリフォームをする。なんて美しい循環!!

長野に「リ・ビルディングセンター・ジャパン」という気持ちのいい活動集団がいます。本拠地はアメリカのポートランド。貧困層に仕事をつくるため、解体される建物の中から、まだまだ使える建材をレスキューし、再利用してもらう仕組みで、代表の東野さんはその様子に感動し、日本で始めます。

見ていて思ったことは、町の風景として長らく建っていた建物がとりこわされるということは、町の景色が変わってしまうということ。まして、そこに新しく「全く、その町と関係ないもの」が建つことで、町の個性は薄まっていく。そう考えたとき、この東野さんたちの活動によってレスキューされた建材を「その町でもう一度使う」ということは、その町らしいリノベーションとも言えます。

僕の店「D&DEPARTMENT」の中国店は「黄山」という山奥の景観の素晴らしい村の中にありますが、その村では徐々にその古くなった家を現代風にリノベーションすることが増えています。日本の建築精度とかなり違い、断熱や防水に関して、かなりおおらか。天井を見上げると瓦が直接見え、外の光ものぞくような、雨漏りはごく普通。余談ですが、そもそもこのエリアの住居には、天井に大きな穴が開いていて、そこから降り注ぐ雨は「お金」を意味している縁起のよいことになっていたり……。

この地区は3000人程が暮らす村で、だからこそ、ひとりひとりの「自分の家のリノベーション」が、村の景観を変えていく。そんなとき、東野さんたちの活動がこの村にもあったら、「村の景色をながくつづけていく」ことになる。村の一角にリ・ビルディングセンターがあったら、「ここに集められた建材を使うと、料金も安く、しかも、自分たちの村の景色を損なわずにすみますよ」ということになる。

村も町も市も県も、その風景は、ひとりひとりの家に対する意識によって出来ている。町の景色をながくつづけていくって、わたしたちの意識次第というところもあるわけです。

https://www.d-department.com/ext/shop/huangshan.html

 

4「つづけることを伝えつづける」

我が家で応援している山形出身の武田鉄平さんの絵。

我が家で応援している山形出身の武田鉄平さんの絵

随分前のことですが、あることで知り合ったアーティストの個展で、その方の作品を買いました。その方の絵に対する思いや、その作風に惹かれ、「応援したい」という意識でそんなに安い金額ではありませんでしたが……。

それから何年も経ち、その方から全く違うふつうの職業に転身したという連絡をもらい、とても複雑な気持ちになりました。と、いうのも、思い切って購入したその絵は「その方の表現行為に一生、付き合っていく」という僕の意思のようなもので、その方が「絵描き」ではなくなることは、一体、なんなのだろうと思ったのです。

最近、毎日のように「クラウドファンディング」での支援のお願いメールが届きます。ふつうに友人だった人たちからのもので、最初は「……ちゃんも、がんばってるなぁ。よし、応援するよ」と、出来る限りの、とはいえ、ぼくにも生活があるので、お小遣いを調整して資金応援していました。それがだんだん増えていくとき、いよいよ「本当に応援したいひとに」絞る必要がでてくる。そして思うのです。「本当に応援したいと思える」とは、一体、どういうことなのか、と。

その人が昔からそうした活動をやっていること。そして、これから先も、そのひとがその活動をつづけていくことが伝わること。もちろん、そのひとの活動がすばらしいこと。こういうものがないと、変に応援しても意味がない。

先の転身してしまった絵描きさんのようにです。そこで思いました。それはぼくにも当てはまることだと。その時、自分ならなにに気を配るひつようがあるかを考えました。

「ながくつづけていくという意思と、それによる結果をしっかり伝え続ける」こと。これは資金支援して欲しいと思い、ひとに呼びかけるときの最低限のマナーじゃないかと思いました。

ながくつづけるということは、それそのものの意思もながく伝え続けることなのだな、と。

 

5[つづける・一緒にやる とは]

先ほどの「リ・ビルディングセンター」のみなさん。一緒にやるという意識を社内でしっかり共有していて、気持ちいいくらいの笑顔。社内外問わず、「一緒にやる」がちゃんとされていると、そこの空気も違ってくるんだなぁと、久しぶりに思いました。長野にて

先ほどの「リ・ビルディングセンター・ジャパン」のみなさん。一緒にやるという意識を社内でしっかり共有していて、気持ちいいくらいの笑顔。社内外問わず、「一緒にやる」がちゃんとされていると、そこの空気も違ってくるんだなぁと、久しぶりに思いました。長野にて

最近、経営交代し、会社の役員会議にも、今度の社員合宿にも出ないように引っ込みながらも、自分が何が出来るのだろうと考えていた時、立ち位置を引っ込めるのと、何もしないのとは違う、そう気づきました。そして、今の僕が今の立ち位置でできることは何か、と、考えた時、スタッフと一緒に考えることじゃないかと思いました。それは社長の経営を邪魔することなく、それでいて、まぁ、そんなことは到底、今からではできませんが、例えば店頭に立つことに匹敵するようなこと。ずっと続けていく、ずっとみんなで楽しくやり続けていく。それとは何かと考えていく時、かかわり続ける、気にし続けるということだと思いました。「気にしている」ということをずっとやる。これが関係性の継続の最低限度なんだと思いました。

長らく特別なバージョンを制作して頂いた一澤信三郎さんにもお手紙すら書けていない。店頭に立つスタッフと食事会すらしていない。店のある県に来ているのに、店にも顔を出せない……。あらゆることは、関係性の積み重ねだと思いますし、それを毎日することは無理でも、定期的にでも何か一緒に考える。「一緒にやっている」とは、そういうことじゃないとそう呼べない……。

最近、立て続けに二つのお断りをもらってしまいました。「一緒に何かやりましょう」と誘い、打ち合わせもして、途中から担当者をつけ、その方が確実に事は進む。そう思っていましたが、結局、「一緒にやるって言ったじゃないか、ナガオカさん」ということなんだと思いました。担当をつけ、進行させることが「一緒にやる」と、どこか僕は勘違いしてしまっていた、そんなこともわからなくなってしまっていた。そう思ったのでした。フランチャイズパートナーとのことも、そういうことが当てはまる。僕とオーナーが一緒にやろう!!と言い、そのあとは、店長やら担当者が実際のオープンを目指す。オープン日にはオーナーは現れるけれど、店頭に立つわけでもなく、実際にそこにはいない。これは「一緒にやる」では、ないんだと思いました。

どこかでそんなに大きくもない会社組織を、まるで大企業のごとく勘違いして、細かなミーティングは担当者に任せてしまう。少なくともdはそんな大きな会社ではないし、本当に一緒にやるという状態ができる規模や成長スピードだと思うのです。担当スタッフに任せるのではなく、担当スタッフと一緒に打ち合わせに参加する。

今、こうして書いていて、随分、そんな現場のことはやってきていませんでしたが、今一度、スタッフと「一緒にやる」をやってみようと思っています。思いの外、出張も多く、講演などに呼んで頂くこともありますが、できる限り「一緒にやる」状態を工夫しあう。

そう考えると、そんなたくさんの人や企業、商品やお客さんと出来ないと思うのです。「知らない人」とは一緒になどできません。その規模感についても、考えなくてはなりません。今度、20周年を迎える東京店も、どこか「商品部」「店長層」「経営層」の壁の中で、分離してしまっているようなそんな感じに見えて、これは僕のせいだなと思いました。一緒にできない。これでは。正直、バタバタした日々の中で、ここに書いたような事は難しいとは思うのですが、それに対する創意工夫もしないまま、なんとなくの一緒にやるでは、続かないと思いました。僕は人の評価や働き方作りなどは、全く苦手ですが、まずは対話して、少しでも一緒にやってみようと思っています。

PROFILE

ナガオカケンメイ

デザイン活動家・D&DEPARTMENTディレクター
その土地に長く続くもの、ことを紹介するストア「D&DEPARTMENT」(北海道・埼玉・東京・富山・山梨・静岡・京都・鹿児島・沖縄・韓国ソウル・中国黄山)、常に47都道府県をテーマとする日本初の日本物産MUSEUM「d47MUSEUM」(渋谷ヒカリエ8F)、その土地らしさを持つ場所だけを2ヶ月住んで取材していく文化観光誌「d design travel」など、すでに世の中に生まれ、長く愛されているものを「デザイン」と位置づけていく活動をしています。’13年毎日デザイン賞受賞。毎週火曜夜にはメールマガジン「ナガオカケンメイのメール」www.nagaokakenmei.comを配信中。

「片付けが苦手な人ほど、箱状の物に出会うとうれしい」 ナガオカケンメイが使っているロングライフデザイン

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『つづくをつくる』から4話

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