マッキー牧元 うまいはエロい

<85>初キスにも似た、戸惑いと恥じらい、はかなさ…… そば店「つきじ 文化人」の磯雪そば

そばに色気を感じたことはない。しなやかな細い体は華奢(きゃしゃ)であり、色気を含む趣向があるが、引き寄せるとそうではない。

ずるるるるっ。向こう三軒両隣に聞こえるような威勢のいい音を立て、一気に引き寄せる。するとそばのそばたる、草の香りが立ち上り、その向こうにほのかな甘みがたなびく。そこには、粗野の良さといった情趣があるが、色気は感じない。それが種物と呼ばれる、天ぷらやキツネ、山かけ、おかめ、カレーとなっても、色気は存在しない。

だが唯一、これは色気があるぞと思ったそばがあった。「池の端藪蕎麦(やぶそば)」の「いそゆきそば」である。

あわ立てた全卵を冷たいそばとあえたものであって、そのふわふわとした食感がどうにも色っぽい。命名がまたよく、説明にはこうあった。

「全卵を泡立て、冷たい蕎麦(そば)にからめ、 もり汁でいただきます。 泡立てた卵が、磯の雪に似ていることから、 この名がつきました」

しかし悲しいことに、「池の端藪蕎麦」は店を閉めてしまったのである。以来僕は「いそゆきロス」となった。様々な店で、「いそゆき」を探すがない。こうして月日は経っていった。そしてついに先日見つけたのである。

そば店「つきじ 文化人」のメニュー表

そば店「つきじ 文化人」のメニュー表

築地「つきじ 文化人」に入って、メニューを見れば、「磯雪そば」とあるではないか。聞けば、卵の白身をあわ立ててそばとからめ、もり汁につけてたべるのだという。もう一も二もなく注文した。

泡立った、ふわふわの地の中で、そばが泳いでいる。泡をスプーンですくい、もり汁に入れてから、泡ごとそばを持ち上げ、引き寄せた。

ああ。ふんわりと唇に泡が触れ、その中をそばが通過していく。その触れるか触れないかの、不確かな切なさがたまらない。そこには、初キスにも似た、戸惑いと恥じらい、はかなさがある。そばも泡の中にいて、たおやかな表情を見せるではないか。

これはエロい。もう無我夢中となり、脇目も振らず一気に食べ終えてしまった。

「磯雪そば」

「磯雪そば」

実はこの店には季節限定だが、もう一つ色気のあるそばがある。それが「雲丹(うに)の冷やかけ」である。冷たいかけそばに、ウニと紫蘇、細ねぎとすだちの輪切りが乗せられている。

ウニとそばを一緒にして引き寄せる。これまた食感がいけません。ウニの優しい食感が唇に触れ、舌に乗る。ウニの甘みが広がっていく中で、そばが通り過ぎていく。そして濃密と粗野の情交が、気持ちを高ぶらせるのである。

前菜に「磯雪そば」を食べ、主菜に「雲丹の冷やかけ」をいただく。そば屋でそんな、色気たっぷりの過ごし方をするのもいいなあ。

雲丹の冷やかけ

雲丹の冷やかけ

「つきじ 文化人」

産地を変えながら、毎日十割そばを打つ、そばの名店の一つ。「磯雪そば」920円 「雲丹の冷やかけ」1540円 「鮑淡雪(鮑ととろろ)」1540円もおすすめ

【店舗情報】
東京都中央区築地1-12-16 1F
日比谷線、浅草線「東銀座」駅5番出口より徒歩3分、日比谷線「築地」駅2番出口より徒歩3分、有楽町線「新富町」駅1番出口より徒歩5分
03-6228-4293
営業時間:11:30~13:30 / 17:30~21:30
定休日:日曜・祝日(月曜は不定休)
公式サイト:http://www.bizserver1.com/bunkajin/

<85>初キスにも似た、戸惑いと恥じらい、はかなさ…… そば店「つきじ 文化人」の磯雪そば

PROFILE

マッキー牧元

1955年東京生まれ。立教大学卒。年間幅広く、全国および世界中で600食近くを食べ歩き、数多くの雑誌、ウェブに連載、テレビ、ラジオに出演。日々食の向こう側にいる職人と生産者を見据える。著書に『東京・食のお作法』(文藝春秋)『間違いだらけの鍋奉行』(講談社)。市民講座も多数。鍋奉行協会顧問でもある。

<84>暑い日に無性に食べたくなるタイ料理 幸福な辛さを味わえる「ソムタムダー東京」(代々木)

トップへ戻る

<86>初キスのような高揚を感じる絶品 「僕はこの店以外のは、ウニ丼とは呼ばない」(ぬいどう食堂)

RECOMMENDおすすめの記事