この1点に会いにいこう

“ミュシャ・スタイル”を確立し、グラフィック・デザインの世界に革命を起こした商品ポスター

“ミュシャ・スタイル”を確立し、グラフィック・デザインの世界に革命を起こした商品ポスター

アルフォンス・ミュシャ《ジョブ》1896年 カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵 ©Mucha Trust 2019

せっかく展覧会に行ったのに、作品の魅力をいまいち実感できないまま美術館を後にした……という経験をしたことがあるのでは? そこで、本連載では開催中、もしくは近日開催予定のアート展を取り上げ、出品作品の中からその展覧会や作家の魅力が凝縮された1点を紹介していく。たった1点だけでも、見に行く価値がある! そんなアートの新しい鑑賞スタイル。さぁ、この1点に会いに行こう。

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19世紀末から20世紀の初めにかけてパリで活躍したグラフィック・アーティスト、アルフォンス・ミュシャ。その優美な作風は芸術運動アール・ヌーヴォーの代名詞として語られ、今もなお芸術家やクリエーターを含む多くの人を魅了している。彼の作品の数々と、ミュシャから影響を受けた後世のアート作品を紹介する展覧会「みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ ―― 線の魔術」が、Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中。出展作品のひとつである《ジョブ》について、同館主任学芸員の廣川暁生さんに話を聞いた。

日本美術からアイデアを得た特別な「線」

1860年、南モラヴィア地方(現在のチェコ共和国東部)に生まれたミュシャ。本のデザイナーや挿絵画家、雑誌のイラストレーターとして活動していた彼を一躍有名にしたのは、舞台作品のポスター《ジスモンダ》だった。それまでの宣伝ポスターとは一線を画すこの作品は1895年の元旦にパリの街頭に貼り出されるやいなや話題をさらい、ミュシャはポスター画家としての名声を確立した。

“ミュシャ・スタイル”を確立し、グラフィック・デザインの世界に革命を起こした商品ポスター

アルフォンス・ミュシャ《ジスモンダ》1894年 カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵 ©Mucha Trust 2019

センセーショナルなデビューから約1年後、数々の企業から広告デザインを任されるようになったミュシャが手がけたのが《ジョブ》である。《ジョブ》はたばこの巻紙の会社、ジョゼフ・バルドゥ社(略称「JOB社」)の宣伝ポスター。商品そのものをメインに描くのではなく、たばこを一服している女性の姿を通して商品イメージを表現するという手法は、当時非常に斬新だった。

廣川さんは、本作にはミュシャ・スタイルの特徴が詰まっていると語る。

「平面のなかに、モチーフの重なりだけで立体的な奥行きをつくっているところはおもしろいですよね。メインのモチーフである女性は一番手前に、枠からはみ出して描かれています。そのうしろに『JOB』という文字、さらにたばこの煙、フレーム、背景という順に重なっている。ちょっと見ただけではなかなか気づきにくいことだけれど、モチーフが迫ってくるような印象はこのレイヤー構造によるものです」(廣川さん)

一番うしろのレイヤーにあたる背景部分には、文様化された「JOB」の文字が配置され、装飾性を高めている。目を引くのが、太く描かれたモチーフの輪郭線だ。

「線で囲うことで一つひとつのモチーフが際立ち、たくさん配置されていてもごちゃごちゃした印象を与えません。髪の輪郭線はすごく太く描かれている一方で、細部は細い線で描かれているなど、いろんな太さの線を使い分けているのもポイントです。輪郭線は現実にはないものなので、当時の油彩画などでは目立たせて書く事ことほとんどありませんでした。そんななかでミュシャは、あえて輪郭を線で強調することで、グラフィックの世界に通用する新しいデザインをつくりだしたのです」(廣川さん)

ポスターでパステル調の優しい色づかいをすることも、当時では珍しかったという。強い色彩に頼らずとも、街頭でしっかりと人々の目を引く。廣川さんは「線の力でしっかりとモチーフを目立たせているからこそ成立すること」だと話す。

線を効果的に使う手法は、ミュシャが収集していた日本の浮世絵などからインスピレーションを受けて生まれたといわれている。「美の聖堂」と呼ばれたミュシャのアトリエは、東洋の美術工芸品や故郷モラヴィアの工芸品、聖像、ロココ(18世紀にフランスで流行した繊細で優美な美術様式)風の家具などで美しく飾られていたという。本展では、そのコレクションの一部も展示されている。

『みだれ髪』にも宿るミュシャ・スタイル

ミュシャの作品が目を引きつける秘密は、計算しつくされた構図にもある。

「ミュシャは、見る人の視線をどうやって誘導するかということを常に考えていました。《ジョブ》ではモチーフの配置や空間の取り方を工夫し、視線が女性の表情やたばこの煙にいくようにうまく誘導しています。彼はポスター画家として脚光を浴びる前に雑誌の表紙デザインを手がけていましたが、そのときにタイトルや枠組みをフォーマット化して、毎月表紙画を入れ替えるだけで成立するようなレイアウトをつくっていました。そうした経験が、ポスターでの構図づくりにも生きていると思います」(廣川さん)

ミュシャの構図の力は、《ジョブ》の2年後に手がけた装飾パネル《舞踏―連作〈四芸術〉より》にも見て取れる。

アルフォンス・ミュシャ 《舞踏―連作〈四芸術〉より》 1898年 カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵 ©Mucha Trust 2019

アルフォンス・ミュシャ 《舞踏―連作〈四芸術〉より》 1898年 カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵 ©Mucha Trust 2019

女性と円環モチーフの組み合わせはミュシャ・スタイルの代表。円環に囲まれた空間に女性を配置し、視線を女性に誘導している。金属のように硬質な円環モチーフとの対比で、女性の軽やかさや浮遊感が強調されているのもポイントだ。さらに注目したいのが、円環と女性の身体、足にまとわる衣の裾のラインで「Q」の文字を形づくっていること。ミュシャが考案したこの構図はのちに「Q型方式」と呼ばれ、後世の多くのグラフィック・アーティストたちが取り入れた。

ミュシャの作品は、線や色彩、構図、モチーフなど、あらゆる面で革新的だった。彼がポスター画家としてデビューしたのは、リトグラフ(石版画)など印刷技術の発展とともにグラフィック・デザインという分野が確立しつつあったころ。ミュシャのポスター作品もほとんどがリトグラフで刷られている。世の中では多くの広告物がつくられるようになり、商品ポスターのニーズも増していった。ミュシャの人気は、そんな時流に乗って広がっていったのだ。

「1点ものの作品ではなく複製芸術だったからこそ、ミュシャの人気はここまで広がったのだと思います」と廣川さん。

ミュシャ・スタイルはパリの美術学校に留学していた日本人学生によって日本にも伝わり、1900年代初頭の文芸誌の表紙はミュシャ風に染まったという。誰もが知る与謝野晶子の歌集『みだれ髪』の表紙もそのひとつだ。

“ミュシャ・スタイル”を確立し、グラフィック・デザインの世界に革命を起こした商品ポスター

表紙デザイン:藤島武二 『みだれ髪』(与謝野晶子) 東京新詩社と伊藤交友館により共同出版された与謝野晶子の第一歌集 (明治34年)の復刻版 (日本近代文学館、1968年) ©Mucha Trust 2019

本展には、これら文芸誌のほかにも、1960〜70年代のアメリカやイギリスのレコード・ジャケット、現代の日本のイラストやマンガなど、ミュシャにインスピレーションを受けた多くの作品が展示されている。装飾と人物の組み合わせをまとめた資料集を発表したり、アメリカの美術学校で教えたりと、自分の技術や理論を次世代に伝えようとしたミュシャ。そんな彼も、まさかここまで後世に影響を与えるとは思ってもみなかっただろう。

かつて「私は芸術のための芸術を創るよりも、大衆のための絵描きでありたい」と語ったミュシャ。その願いは、時代を超え、そして彼の想像を超えてかなえられている。

<展覧会概要>
みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ ―― 線の魔術
ミュシャが多くの人や作品に影響を与え、普段私たちが目にするデザインにも「ミュシャ・スタイル」が生きていることを、約250点の作品から体感できる展覧会。前半は、ミュシャのアイデアの源であった彼自身の蔵書や工芸品に始まり、手がけたデザイン、イラスト、ポスター、装飾パネルなどの作品を網羅。後半は、ミュシャから影響を受けた後世の国内外のグラフィック・アーティストの作品を紹介する。
*2020年にかけて国内5カ所を巡回予定

会場:Bunkamura ザ・ミュージアム
会期:2019年7月13日(土)〜9月29日(日)
開館時間:10:00〜18:00
*毎週金・土曜日は21:00まで、9月22日(日)〜26日(木)は20:00まで延長開館決定
*入館は各閉館時間の30分前まで
https://www.ntv.co.jp/mucha2019/

ほか出品作品はこちら

PROFILE

平林理奈

1984年生まれ。武蔵野美術大学出身。Web制作会社と編集プロダクションを経て、2016年よりフリーエディター&ライターに。アートやデザイン、カルチャー、ライフスタイル分野を中心に、書籍、雑誌、Web、広告物などで編集と執筆を行っている。アートとサブカルが交差したような表現が好き。

全長約280キロの真っ赤な糸で染め上げられた圧倒的な空間 塩田千春の代表作「不確かな旅」

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