インタビュー

47歳の朝原宣治、再び100M10秒台への挑戦。マスターズで世界の頂点へ

人は皆、自ら選んだ山のゴールを目指すクライマー。一生のうちにそこへたどり着けるだろうか。だが、頂点に到達後、次のゴールを目指し登り始める者がいる。さまざまなジャンルで頂点を極めたクライマーが挑む“未踏の頂”について聞く「The Next Goal(ザ・ネクスト・ゴール)~頂の先へ~」。第3回は、元五輪陸上競技の銀メダリスト、朝原宜治さんです。

年齢の壁に挑み続けるレジェンド

2008年、中国・北京で開催された五輪陸上男子4×100メートルリレーでアンカーを務め、銀メダルを獲得した日本陸上界のレジェンド。当時36歳のベテランの快挙に日本中が沸いた。ゴールを切った後、バトンを空高く放り投げて喜びを爆発させた姿は、多くの日本人の記憶に残っているだろう

47歳の朝原宣治、再び100M10秒台への挑戦。マスターズで世界の頂点へ

2008年北京五輪でメダルが確定しガッツポーズをする朝原宣治  撮影:岩崎央/朝日新聞社

47歳の朝原宣治、再び100M10秒台への挑戦。マスターズで世界の頂点へ

北京五輪の男子400メートルリレーで銅メダルを獲得し、喜ぶ(右から)塚原直貴、朝原宣治、末続慎吾、高平慎士の各選手=2008年  撮影:越田省吾/朝日新聞社

だが、彼はその翌月に引退を表明。年齢の壁という常識を打ち破り、自身が持つ記録を幾度も更新し続けていただけに引退を惜しむ声は多かった。

その熱烈にカムバックを求める声が彼の耳に届いたのだろうか。引退から約10年。再びレジェンドが走り始めた。世界マスターズ陸上競技選手権(35歳以上のアスリートが5歳ごとのクラスに分かれて競う隔年開催の選手権)での4×100メートルの世界記録挑戦という新たな“前人未踏の頂”に向かって……。

        ◇  

「いまの私のベストタイムですか? 先日、11秒1が出ました。でも、まだまだ調整中なので、さらに記録を伸ばしたいですね」

朝原宣治、47歳。ワイシャツのえりからのぞく太い首、半そでから見える前腕の圧倒的な筋肉の太さは全盛期を彷彿とさせる。練習の成果が目に見えてはっきりと分かるアスリートの身体に仕上がっていた。

47歳の朝原宣治、再び100M10秒台への挑戦。マスターズで世界の頂点へ

昨年9月、スペインで開催された世界マスターズの4×100メートルMクラス(45~49歳)に46歳で出場。43秒77というタイムで金メダルを獲得したが、この結果に朝原さんは満足も、納得もしていないようだった。

「もちろん優勝できてよかったですが、目標はMクラスでの世界記録更新でしたからね」。世界記録は43秒42。わずか0.35秒、足りなかったのだ。

「正直、この大会は出場できたことにほっとしていたんです。まだ練習を再開したばかりで、けがが怖かった。大会までに軽い肉離れを数回起こしていましたから。でも、その後、練習を積み、今はけがをしない身体に戻りましたよ」

47歳の朝原宣治、再び100M10秒台への挑戦。マスターズで世界の頂点へ

写真提供:朝原宣治

近年の日本の短距離競技界は、2017年に桐生祥秀選手が9秒98、今年に入ってサニブラウン・ハキーム選手が9秒99、小池祐貴選手が9秒98と、次々と10秒の壁が破られている。日本人初の10秒0台の記録を作ったレジェンドは、後輩たちの記録をどう見ているのか?

「やはり初めて10秒を切った桐生選手の功績は先人として大きいと思います。かつて私は10秒1台、10秒0台を日本人として初めて出しましたが、当時は前例のない挑戦でしたからね。

正直、現在の世界のレベルでは、たとえ10秒を切っても上位には行けません。でも、桐生、小池、サニブラウン選手は決勝で勝つことを見据えています。彼らの意識しているレベルは高いですから。来年開催の東京五輪も追い風になっていると思います」

36歳で獲得した北京オリンピックの銀メダル

朝原さんは1972年、兵庫県生まれ。小・中学校時代はハンドボール部に所属していた。高校から陸上競技を始めると、走り幅飛びの選手としてめきめきと頭角を現し、3年のときにインターハイで優勝する。

同志社大学へ進学した後は、100メートルの競技者としても脚光を浴びる。93年、21歳の朝原さんは、東四国国体で10秒19という当時の日本記録をたたき出した。同じ年のアジア選手権の走り幅跳びで自身ベストの8メートル13センチを跳んでいる。

日本人離れした爆発的な加速力から“和製カール・ルイス”とも呼ばれた朝原さんは、100メートルの日本記録を3度も更新。35歳で10秒14というタイムを叩き出し、36歳で迎えた北京五輪で銀メダルを獲得し、有終の美を飾った。

47歳の朝原宣治、再び100M10秒台への挑戦。マスターズで世界の頂点へ

引退レースを終え、スタンドに手を振る朝原  撮影:上田幸一/朝日新聞社

朝原さんの引退セレモニーには、北京オリンピック短距離3冠、9秒58を記録した当時22歳のウサイン・ボルトも駆けつけ、「私には36歳まで走りつづけるのは難しい」と称賛した。

普通の会社員が再び記録を目指した理由

引退した朝原さんは、所属していた大阪ガスに社員として残ることを決めた。現在も朝原さんは、平日の毎朝午前8時40分にスーツ姿で大阪ガス本社へ出勤する。いまの役職は、近畿圏部地域活力創造チームのマネジャー。そしてもう一つの肩書は大阪ガス陸上競技部の副部長だ。

「会議に出席したり、昼食は地下2階にある社員食堂で取りますし、普通の会社員の生活を送っていますよ」

47歳の朝原宣治、再び100M10秒台への挑戦。マスターズで世界の頂点へ

陸上選手としては、10年近いブランクが空こうとしていた昨年2月、朝原さんに転機が訪れる。陸上実業団の合宿に帯同した際、マスターズで100メートルを10秒台で走った記録を持つ日本人アスリート、譜久里武さんと出会い、こんな誘いを受けたのだ。

「世界マスターズ(4×100メートルのM45クラス)で一緒に世界記録を狙いませんか?」

4人のメンバー候補の中に、元日本陸上男子10種競技の優勝者で、現在、タレントとして活躍する武井壮さんがいた。93年、朝原さんが100メートル10秒19という当時の日本記録を打ち立てた東四国国体で、兵庫県代表のリレーメンバーとして共に走った1人が、当時大学生だった武井さんだった。

47歳の朝原宣治、再び100M10秒台への挑戦。マスターズで世界の頂点へ

写真提供:朝原宣治

朝原さんは「国体の時は、武井君とホテルで同室だったんですよ。本当に、よくしゃべる男だなと思いましたね」と笑いながら振り返った。「あれから20年以上もたった今、武井君と一緒にマスターズを走っているのですから不思議ですよね」

49歳で10秒台に挑むということ

Mクラスの世界記録を照準に定めた朝原さんは、本格的な練習を再開した。

「いまは週1回、大阪ガス所有のグラウンドでスターティング・ブロックを使ったスタート練習などをしています。また休日は自宅近くの公園で100メートルダッシュなどを繰り返すトレーニングなどで身体を鍛え直しています。自宅から公園まではクロスバイクで往復しています。これもトレーニングの一環ですよ」

47歳の朝原宣治、再び100M10秒台への挑戦。マスターズで世界の頂点へ

写真提供:朝原宣治

世界マスターズは来年、カナダのトロントで開催される。そして2021年には、約4年ごとに開催されるワールドマスターズゲームズ(夏季大会)が、日本で初めて開かれる。その舞台は朝原さんの本拠地、関西だ。

現在100メートルのベストタイムは11秒1だが、全盛期のベストは10秒02。さらにトレーニングを積み、大会までにベストタイムを10秒台まで持っていく自信があるという。

「来年は東京五輪の開催時期と重なり、スポーツ解説者などの仕事が入るかもしれないので、出場できるかどうか……。もちろん、出場できたら世界記録を狙いますよ。今の調子でタイムをあげていけば必ず記録は破れると思います。ただ、私は今47歳。これから“M45の最悪の年”に入っていくんです」

47歳の朝原宣治、再び100M10秒台への挑戦。マスターズで世界の頂点へ

次の世界マスターズで朝原さんは48歳、そして2021年のワールドマスターズゲームズでは49歳で挑むことになる。朝原さんにとっては記録への挑戦とはすなわち年齢との戦いだ。若い頃の回復力に比べ、年々、疲労対策が課題に……。疲労を克服する方法として、自然の食べ物から栄養摂取し、水素発生装置など、さまざまな最新の科学的なアプローチを試している。「自分の身体を実験台にしています」と苦笑する。

「100メートルは人間力」

朝原さんのこれまでの競技生活から、“朝原さん語録”としてこんな有名な言葉がある。その真意を聞くとこう説明してくれた。

「私が陸上を続けてきた理由の一つは、100メートルは、絶対にごまかしの利かない競技だからです。強い選手だけが勝つ世界。もちろん生まれ持った才能も必要でしょうが、それだけでは勝てない。勝つためには理由がある。そのために選手はあらゆる努力をするんです」

47歳の朝原宣治、再び100M10秒台への挑戦。マスターズで世界の頂点へ

次の頂の照準を2年後までの世界記録達成と定めた朝原さんにとっては、これからの一日一日が、年齢との厳しい戦いになると覚悟している。

だが、日本人陸上選手として世界の壁を、そして年齢の壁を突破してきたレジェンドは、次のゴールに向かって走り出している。

「100メートルはごまかしの利かない競技。だからこそ、練習すればするほど必ず成果は出る。やるからには記録は出さなければならないんです。飛び切り元気な中年を証明してみせますよ」

(取材・文/溝上康基、撮影/竹田武史)

47歳の朝原宣治、再び100M10秒台への挑戦。マスターズで世界の頂点へ

朝原宣治さんのプロフィール

あさはら・のぶはる 1972年6月21日生まれ。神戸市出身。同志社大学在学中の93年、東四国国体で当時の男子100メートル日本記録を出し優勝。大学卒業後、大阪ガスに入社。08年、北京五輪男子4×100メートルリレーでアンカーを務め銀メダリストとなる。妻は元アーティスティックスイミング銅メダリスト、奥野史子さん。

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