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ドラマ『セックス・エデュケーション』 誰もが悩む、セックスの「正しさ」とは

今月から小説家・エッセイストの小野美由紀さんが、映像作品をテーマにジェンダーやセクシュアリティを考察していく連載が始まります。映画やドラマに込められた社会に対する「メッセージ」を読み解いていきながら、話題作や、面白い作品を紹介。第一回はNetflixの人気ドラマ『セックス・エデュケーション』です。

ドラマ『セックス・エデュケーション』 誰もが悩む、セックスの「正しさ」とは

同じ人生が一つとしてあり得ないように、性についても、人の数だけ悩みがある

「セックスの正解が分からないです」とその年下の女友達は言った。
「私は旦那さんしか知らないから、自分がしているのが果たして正しいセックスなのかどうか分からないんですよ。もっと多くの男の人としたら、正解が分かるんですかね?」

正解も何も、初めてのマスターベーション(4歳)は絵本の『かちかち山』で(無能なタヌキが正義ぶるウサギにいじめられるさまにたまらないエロスを感じた)、思春期から長らくの間は「美少女戦士セーラームーン」の戦士たちが敵の怪人に犯されるシーンを妄想することでしか興奮できなかった女に、そんなことが分かるわけもない。

さすがに最近はもう少し現実的なところに落ち着いてはいるけれど、いまだに自分がしているセックスはこれでいいのか、ほかの人がしているセックスと比べて、何か劣ったところがあるのではないか、と自信がない。

「性」をテーマにさまざまな社会事象を描いているドラマ

ドラマ『セックス・エデュケーション』 誰もが悩む、セックスの「正しさ」とは

『セックス・エデュケーション』シーズン1

Netflixオリジナルの人気ドラマ『セックス・エデュケーション』にも、様々な性の悩みを抱える人物たちが登場する。イケない、性器の形が変、パートナーと気持ちよくなれない、自分の体が好きになれない、あるいはやり方がわからない、童貞・処女は恥ずかしい……などなど、そのバリエーションは豊かだ。

そんな彼らの悩みを、自身も性に悩みを抱える高校生のオーティスが、母親譲りのカウンセリング・テクニックによって解決してゆく。

公開直後から人気を博し、異例の早さでシーズン2の製作が決定した。人気の秘訣(ひけつ)は何か。それは本作が、単なる性の問題にとどまらず、それを切り口にして家族とのつながり、さらには彼らが直面する社会問題までを真っ向から描き出していることだ。

未熟な主人公が他人の性の悩みに徒手空拳で立ち向かう

ドラマ『セックス・エデュケーション』 誰もが悩む、セックスの「正しさ」とは

『セックス・エデュケーション』シーズン1

主人公のオーティスは、学年一の目立たない“陰キャ”。セックスセラピストである母親との濃すぎる関係から、性的な抑圧を抱え、自身も童貞であることを気にしている。そんな彼がひょんなことからコワモテの女生徒・メイヴとタッグを組んで、クラスメートの性の悩みを解決するカウンセリング業を始める。

人は自分の課題が未解決にもかかわらず、他人の抱える課題を解決しなければならない時が往往にしてある。未熟なセラピスト、未熟な教師、未熟な上司や先輩……。子育てなんかもまさにその一例である。当然、混乱する。

「俺だって大変なのにどうしろっつーんだよ」……課題を抱えた方も、当然、頼ってばかりはいられないから、必死に成長せざるを得なくなる。双方必死だ。けど、そんな状態で徒手空拳で戦うからこそ、期待もしていなかったような大きな成長や成果が得られることもある。

オーティスは一見ナヨナヨしていて、強すぎる母親に押され気味で、全くヒーローらしくない。そんな彼が、自分の抱える問題が未解決のまま、他人のヘビーでディープな悩みに立ち向かわざるを得なくなる。無様にもがくし、的外れなアドバイスをしてひんしゅくを買ったりもする。

けれども彼のいいところは、それを恥ずかしがったり、プライドを守るために開き直ったりしないところだ。彼自身が完璧ではないからこそ、悩みを抱える登場人物たちに寄り添い、理解し、一緒に問題を解決しようとする。

腕力やリーダーシップによってではなく、相手の話に耳を傾け、対話によって敵役をも救おうとする彼の姿はとても魅力的でつい応援したくなるし、まるで「強くなくてもいいんだよ」と言われているようでこちらも勇気付けられる。

「男らしくあれ」という社会の呪縛

ドラマ『セックス・エデュケーション』 誰もが悩む、セックスの「正しさ」とは

『セックス・エデュケーション』シーズン1

また、このドラマではオーティスのみならず、各キャラクター、とりわけ男性キャラクターの抱えるプレッシャーや、男であることの生きづらさをもしっかりと描き出している。これまでのハイスクールもので描かれてきた、ステレオタイプな男性の脇役像とは一味違う。一人一人にスポットライトが当てられ、立場は違えど彼らが抱える共通の「弱さやもろさ」をも丁寧に描き出す。

一見、何も考えていなさそうなマッチョな不良のアダムは、校長である父親からの厳格なしつけに並ならぬ不平を抱えている。学校の人気者で生徒会長のジャクソンは、何も悩みなどなさそうな「リア充」キャラだが、実は両親(白人と黒人のレズビアン・カップル)から言外に掛けられる “成功せよ” プレッシャーに苦しみ、抗不安薬が手放せない。オーティスの親友エリックは女性装が好きなゲイだが、キリスト教徒の父親からの「男らしくしろ」という圧力と戦っている。

皆それぞれ「こうでなければならない」という規範に縛られているが、その思い込みの根っこは家族から植えつけられた価値観だ。そのことを、彼らは仲間同士、あるいはオーティスとの対話によって発見し、乗り越えようとする。

現代社会が男性に課す「男らしくあれ」というプレッシャー、それにまつわるしんどさや、男性が抱える弱さや繊細さが、セックスや恋愛の悩みを通じてきちんと描かれている。それらの問題を、彼らはちゃかすことなく、対話し、信頼できる相手と共有することで少しずつ受け入れ、ありのままの自分の姿を肯定してゆく。

とりわけ、エリックが、自分らしい服装で人前に出ることを決意する回のワンシーン、「なぜそんな風にしなければいけない? お前に傷ついてほしくない」と心配する父親に対し、「いずれにせよ傷つく。だったら自分らしくいた方が良い」と毅然(きぜん)と答えるシーンはとても美しい。

「いびつ」でないものなど、あるのだろうか?

どのキャラクターも、表面からは分からない、複雑な家族模様を抱えている。ままならない環境に苦しみながらも、それぞれが自分らしく生きたいと望み、社会や家族から課せられていた抑圧と対峙(たいじ)し、破り、自立しようと奮闘する。その様は彼らと同世代の人間にとどまらず、大人でも十分に感情移入が可能だ。

そう、このドラマには悪役然とした悪役も、ヒーロー然としたヒーローもいない(登場人物たちを苦境に追い込む、ラスボス的役どころの校長も、チャーミングな一面を持つ悩めるオジサンだし)。

未熟な人物たちが混乱しながら、それでも互いの問題を解決しようとして人間らしくジタバタする。それを楽しむドラマである。ヒーローがかっこよく課題を解決するわけではなく、おのおのが “未熟・かつ、やばい様” をありのままに見せているからこそ、それぞれに自分と似通った面を見つけて好きになれる。

自身の性のあり方を肯定するということは、生い立ちや、家族のいびつさを受け入れ、乗り越えることにつながっている。どんな家族もいびつだし、いびつでない性のあり方など存在しない。

ドラマ『セックス・エデュケーション』 誰もが悩む、セックスの「正しさ」とは

『セックス・エデュケーション』シーズン1

最初から「自分は自分だ」と言える人間なんてそう多くはない。最初からそう思えたらラッキーだけど、他人と比較して、私なんかダメ、と落ち込んで、それでもなんとか自信を持ちたくて、克服しようともがく。あがく。「一人一人、みんな違ってみんないい」というけれど、そういう意味では人と比べることだって、悪いことではないかもしれない。

「正解」を探す中で、本作で描かれているようないびつさを受け入れる営みこそ、単なる生殖行為以上のセックスのだいご味なのではないだろうか。「セックス・エデュケーション」は、脇役も含めた登場人物たちが「私は私」と胸を張って言えるようになるまでの道のりを丁寧に描く。彼らの奮闘する姿を見るうち、自分までもが少しだけ、自信を持てる気になるのが不思議だ。

Netflix『セックス・エデュケーション』予告編

 

Netflixオリジナルシリーズ
『セックス・エデュケーション』独占配信中
https://www.netflix.com/jp/title/80197526

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