今読むべき名作 漫画版『風の谷のナウシカ』を赤坂憲雄、川上弘美が考察する

雑誌『アニメージュ』(徳間書店)で長期連載されていた漫画『風の谷のナウシカ』。アニメーション映画が繰り返しテレビで放送され、スタジオジブリの代表作の一つとして人気を獲得する一方、漫画版の『ナウシカ』も、全7巻で累計約1600万部を記録。漫画史に残る傑作と評されています。この作品を“思想の書”として解釈し、25年の歳月をかけて『ナウシカ考』(岩波書店)としてまとめたのが、学習院大学教授の赤坂憲雄さん。その赤坂さんと、『ナウシカ』のファンである作家の川上弘美さんが、「漫画版ナウシカ」をテーマに対談しました。2人はこの物語を、どう読み解いたのでしょうか。

「エコロジーの戦士」として語られてきたナウシカ

今読むべき名作 漫画版『風の谷のナウシカ』を赤坂憲雄、川上弘美が考察する

赤坂憲雄(以下、赤坂) 『ナウシカ考』という本を出したのですが、(漫画版『風の谷のナウシカ』は)川上さんの『大きな鳥にさらわれないよう』(講談社)や『某』(幻冬舎)などの一連の作品と、遠いようで近い、近いようで遠い、交わる世界があると感じました。そのつながりについては後ほど語らせてください。

『アニメージュ』という雑誌で連載されていた、漫画版の最終巻が出たのが1995年。阪神・淡路大震災、オウム真理教の事件と重なる時期です。そのときに、全巻通して読む機会があり、衝撃を受けたんですね。84年に公開された映画では「エコロジーの戦士」と語られたナウシカですが、宮崎さんは漫画版で、そうしたナウシカ像をどんどん壊して、疾走していきます。

さまざまな問いが盛り込まれているこの作品を、どう解きほぐして、どう読めばいいか。25年かかりましたが、手探りでようやくここにたどり着きました。一度読んだだけでは分からない作品だなと、いま改めて思います。

川上弘美(以下、川上) 私も最初に読んだのが阪神(大震災)の1年後と、近い時期です。きっかけは、子どもの通っていた幼稚園のママ友が貸してくれたから。ママたちで全巻回覧していたんですよ。おそるべきママたち(笑)。

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赤坂 ママ友で回し読みしていたのですか。感動的ですね。

川上 赤坂さんとお話しするにあたって、二十数年ぶりに読み返してみたら、当時とはまた違った印象を受けました。でもふたたび没入しすぎて、夜通しで全巻読んでしまったくらい(笑)。

赤坂 この漫画は、とりわけ後半に「母と子」というテーマが広がっていきますよね。最後は巨神兵とナウシカの不思議な関係が、暴走していく。子育て中のお母さんは、どんな点に共鳴したのか気になります。

川上 当時の私は、ミラルパ皇弟を、母親のように、ナウシカが連れていくシーンがとても心に残りました。幼い子がいる母親たちは、「無垢(むく)」にも「死」にも近いんです。作中で登場する「虚無」や「無垢」という類いの言葉に鋭くなっていたから、みんなが惹(ひ)かれたというのもあるかもしれない。

社会のできごと、身体のできごとが作品に影響するか

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赤坂 僕が論じてみたいと思ったきっかけとしては、ことに漫画版について、先行研究や専門書が少なかったから。けれど、実際にやってみると「漫画について語る」とはどういうことなのか、まず分からないんですよ。漫画を含めて、僕はそもそもあらゆる専門領域から外れた人間ですが、この作品を論じるための手がかりも見当たらなかった。

漫画を言語化するとはどういうことなのか。やり始めてはつまずいて、しばらく置いて、また、ということを繰り返し、長い年月が経ってしまいました。今年になって、追い詰められてやっと書いたのですけど、追い詰められないと、書けなかった。

かなり無理をして書いたので、第四章から終章にかけては、体の痛みと戦いながら、ようやく駆け抜けることができた感じですね。川上さんは、身体や心の状況が、作品と連動することはありますか。

川上 そのときの状況が「そのまま直截(ちょくせつ)に作品に反映される」ということはありませんが、もちろん、人間は体と心が一緒なので、体が変わると書くものは変わります。ナウシカ的にいえば、社会と自然、そして自分はつながっているので、そこが変化すると当然、変わってくるのだと思います。

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赤坂 この作品は禁欲的なまでに、男と女が交わるとか、性そのものから距離を置いていると感じました。性的なものを描いていない。

川上 それは当然だという気もします。全巻を通してほぼ戦い続けていて、そうじゃない場面のほうが少ないですから。人類が滅亡に直面し、個々人も戦乱のさなかにある。それも、豊かな戦争ではなく、「貧しい戦争」というのでしょうか。食べ物も少なく、技術もない。性欲の入り込むすきが、そもそもないと思うんです。

第2次大戦中の強制収容所での経験を描いた、フランクルの『夜と霧』(みすず書房)にも、極限状況にある収容所で最初になくなるのは性欲だと書かれています。私はむしろ、食欲と排泄(はいせつ)は描かないのかなあと思っていました。

赤坂 性的なものが、出てきてもいい描き方はされていると思うんです。たとえば、反出生主義への対抗として読むこともできますが、作中では、トリウマという動物が、ナウシカを助けて死んでいく一方、つがいが卵を産んでいる場面がありますよね。

生命が受け継がれることを、「トリウマの産卵」というかたちで提示している。宮崎さんの中には、どんな状況でも、命を生み出すことについての、絶対的な肯定があると思います。

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川上 そうですね。肯定、それも、モラルの観点からではなく、世界そのものを善悪と無関係に肯定する、という観点からなのだと思います。ただ、アニメでは生殖に関しての言及はあえて避けているのではないでしょうか。

赤坂 アニメは避けますよね、子どもに性を持ち込む必要はまったくないと思います。でも、ナウシカという少女に、そういったまなざしを向けていた大人もいる。宮崎さんは、そういう目でナウシカが眺められることに対して、抵抗があったと思いますし、漫画では抑制していった面はあると思います。

川上 アニメーションは、長くても2時間内外。その中で、ナウシカという人物のことを描ききることは、当然難しいことなのだと思います。漫画の中では、抑制、というよりも、拡大そして重層化していって、ロリコン的視線をはねとばしていったように感じられました。

女性を主人公にする意味が、大きく変わった

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川上 赤坂さんはD・H・ロレンスの言葉をひいて、作品は自分の手を離れると読者のものになり、そこでさまざまな解釈がなされると書かれています。『ナウシカ考』が出たことで変わると思いますし、また違うものが出てくれば、『ナウシカ』への解釈もさらに広がっていくに違いありません。読み込まれることによって、作品って、どんどん大きくなってゆく。

赤坂 漫画版の『ナウシカ』で、女性を主人公にする意味が、大きく変わったような気がするんです。つまり、まだ1、2巻は少女戦士のイメージで、少女が世界を救うように、描かれるんですね。でも、漫画を読み進めると、宮崎さんは「少女戦士」によって今までのヒロイン像をひっくり返そうとしたのではなく、まったく違う世界に行こうとしています。

1巻にありますが、風の谷の城の地下に、ナウシカはラボ、実験室を持っていて、そこでは少女戦士ではなく、観察や探求、知性にスポットが当たる。ヒロイン像をそっちに持っていって、その後は戦う場面をあまり描いていませんね。

川上 私はアニメを見ていても、実は少女戦士という印象はなかったんです。アニメでもラボの場面がありますが、そこが特に印象に残っていて。最初に『ナウシカ』を見たとき、理科の教師をしていましたから、余計に(笑)。

赤坂さんが冒頭におっしゃっていましたが、「エコロジーの戦士」としてイメージされていた、というのは、どういうことだったんですか?

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赤坂 映画が公開された当時は特に、ナウシカは環境破壊で追い詰められていく世界を、自己犠牲によって救済する、エコロジーの戦士として扱われていたと思いますね。宮崎さんは、それにいら立っていたと、勝手に想像しています。

川上 世に流布している「エコロジー」という言葉と、科学的に言う「エコロジー」、すなわち生態学とは、少し乖離(かいり)があるんです。「エコロジー」というと、環境保護のイメージですが、「生態系」というものは、生物と無生物全体をひっくるめた環境を理解するためのシステム解析の視点であって、そこに人間中心の正否の判断が持ち込まれることは、ない。

人間は今、とてつもない数がいて、地球上で一番の権利を持っていると思う人もいるかもしれないけれど、そうではなくて、人間やほかの動・植物、すべて含めて有機的に関係しあっているから、均衡を保っていられる。それがどう崩れて、持ち直すか、どう変わるのか、を見ていくのが生態系の視点だと思うんです。そのことが最初から最後まで、大きなテーマとして描かれていることを特に感じました。

愚かな人たちが作った自然も、あがめられるか

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赤坂 川上さんの作品世界にもつながっていくと思うのですが、(『ナウシカ』には)キツネリスやトリウマが出てきますよね。ある箇所で、「千年昔の世界には馬という動物がいて、哺乳類だったらしい」という記述が出てきます。つまり、ナウシカ世界の動物は、かつての生態系の分類で、哺乳類と呼ばれていた動物ではないのです。

生命を操る技によって、変えられているということが明らかになりますが、なぜ異種交配の生き物しかいないのでしょうね。実は人間の体も操作されて変えられているという事実も、やがて明らかになります。生態系は、腐海だけでなく、人間も動物も植物も、すべてが変えられている。

野生と文化、自然と人間という、我々の世界ではかろうじてある境界そのものが、壊れてしまった世界を宮崎さんが描いているということに、途中まで気付かなかったんです。それが大きな問いかけになると思ったのは、森の人について考えていたときですね。彼らは腐海と共存し、それを聖なる世界だとあがめている。けれど、その世界を作り出したのは千年前の「火の七日間」という戦争を引き起こした愚かな人類ですよね。それでも、腐海を聖なる森としてあがめることができるのか。彼らはすごく困るわけです。

『ナウシカ』が提示するのは、「すべてが変えられている」ところからしか、出発できないということ。手付かずの自然をめでるのは楽なんです。でも、愚かな人たちが作った自然であってもそれをめでて、聖なるものとあがめることができるのか、という深い問いが突きつけられていると感じました。

「普通」の生物たちはどこから来たのか

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川上 そもそも私たちが「手付かずの自然」と呼ぶものも、たかだかこの数千年くらいの間の「自然」です。『ナウシカ』は、そこを軽々と超えていった、まだ見ぬ明日の生態系を描いているわけで、このイマジネーションの広がりは、ほんとうにすごい。

私、『ナウシカ』の世界はどうなっているのかよく分からないんです。地図はあるけれど、あれは地球の一部ですよね。地球上全部が腐海?

赤坂 どうなっているんでしょうね。

川上 ほとんどが腐海だと仮定して、さらに図に描かれているのが地球のすべてだと仮定します。海が機能していなくて、腐海以外の植生も動物の多様性も、どうやら貧弱。つまり、地球上のほぼすべての生物は、昔の人間が作りかえたものであり、だからこそ多様性にとぼしいのでしょうか。

でも、最初は自然界に存在していた生物を用いて作りかえたのでしょうから、いくら操作されているとはいえ、自然に突然変異が起こるのを待たずに、早送りのようにして人為的に変異を起こしたと考えることもできるわけで、それも立派な生物だとすることもできるし、当の操作された生物自身にとっては、「お前たちは悪だ」と決めつけられたら、たまらない。

ナウシカでなくとも、私だってその立場になったら反抗しますよ(笑)。そういえば、ナウシカは途中、腐海が地球をきれいにしきった、究極の場所に行きましたよね。そこに生えていた「普通のもの」はどこから来たのか。あれは、シュワの庭からは離れた場所らしかったのに。

赤坂 僕も気になってきたのですが、オアシスの村で鳥が飛び立つ場面がありました。あるいは、シュワの庭にも鳥はいましたね。この庭には、古い種が保存されているという設定ですけど、どうなんでしょうね。

一つの鍵は、ナウシカが腐海で採集してきた胞子を、実験室のきれいな水と土の中で育てると、普通の植物として花を咲かせているところです。どうやら植物は腐海という環境に適応して、あのような姿になっているらしい。

川上 まだまだ秘密がありそうです。

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赤坂 最初の問題提起に戻しますが、川上さんの世界は、漫画版『ナウシカ』とは遠くない気がしているんです。

川上 光栄(笑)。

赤坂 宮崎さんは生命を操る技術がもたらした世界、とりわけ社会のあり方や、権力関係に焦点を当てていると思います。けれど、そこに生きている人たちの心の関係性といったものは、すくなくとも、その変容は描かれていない。

つまり、人間の身体も操作されて変わっているのであれば、外見は人間なんだけれど、我々とは違う精神のあり方を持っているはずだと思うんです。でも、喜怒哀楽や嫉妬、欲望のかたちが我々の延長線上に、『ナウシカ』では置かれている。川上さんの『大きな鳥にさらわれないよう』では、いわば生命を操る技術がもたらした未来の光景が鮮やかに描かれていました。

川上さんはそれを、社会的な変容や権力ではなく、変えられてしまった人間たちの心のなかをのぞき込んで、細密画のように描かれている。それは、ナウシカ的世界と遠いのではなく、背中合わせなのかもしれない。僕はそういう目で眺めてきました。

この物語では一つの声だけを聞くべきではない

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赤坂 漫画と文字表現で、できることは違いますか。

川上 まず、アニメと漫画でも大きく違うと思います。ジブリ作品は特に、自然や背景がとても美しくて、リアリティーがあります。加えて、音楽がある、声がある。すべてが合わさって、全体を表現しています。

漫画では、宮崎駿個人の表現したいことが、絵と文字で表されていて、立体的です。でも文字だけでは立体性はなかなか出せないのです。だから小説家は、「書かない」ことによって、空間を広げてゆこうとします。それで興味深いと思ったのは、『ナウシカ考』にあった、ドストエフスキーのポリフォニー(多声音楽)の話。

単一の音しかないモノフォニーではなく、小説をいかにポリフォニックに響かせるかというのは、小説家が目指すところだと思いました。一人称で書いたからといって、それがモノフォニーというわけでもない、そこも難しいところで。いわゆる、神の視点で書いたからポリフォニックになるかといわれたら、そこも違う。面白いなと思いました。

赤坂 宮崎さんには『シュナの旅』(徳間書店)という美しい絵物語がありますけれども、あれはまさに単声的で、絵を見ながら磨き抜かれた言葉を追っていくだけで、世界がくっきりと浮かび上がる。そこにはノイズがないんです。『シュナの旅』を読んでから漫画版ナウシカを読むと、多声的で、世界がさまざまな音や声で満たされている、開放的な印象に圧倒されますね。

川上 出てくる人の考えがおり重なって聞こえてきますよね。

今読むべき名作 漫画版『風の谷のナウシカ』を赤坂憲雄、川上弘美が考察する

赤坂 それで、漫画版『ナウシカ』を読むときには、一つの声だけを聞くべきではないと思うようになりました。ナウシカの声が物語の中心にありますが、それがそのまま宮崎さんの声や考えではない。ナウシカの声ですら、ほかの声によって常に相対化されている。

川上 ナウシカが絶対的な正義だと思われがちですが、そうではないんですよね。私自身には、ケチャという少女の声がとてもよく響いてきました。多様な声が重層的に出てくるところが、ものすごく面白かった。

赤坂 終章では、ミハイル・バフチンの『ドストエフスキーの詩学』(筑摩書房)に触れましたが、そこでのドストエフスキーを宮崎駿に置き換えても成り立つと思うところがたくさんあると感じています。この多声的である、ポリフォニックであるということは、漫画という表現にとっては、未来に託されるべき可能性でしょうね。

漫画版では、黙示録的な善悪の戦いが決着したわけではありませんね。とりあえず、旧人類のプログラミングした未来へのシナリオを破壊しましたが、それをはたして全否定できるのか。ナウシカの選択は、正しいのか。漫画版は我々に、改めて問いの立て直しを求めています。それをさらに考えていきたいと思います。

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(文・構成=岡本尚之 写真=山田涼香 取材協力=岩波書店)

赤坂憲雄(あかさか・のりお)
1953年、東京都生まれ。学習院大学教授。専門は民俗学・日本文化論。2007年、『岡本太郎の見た日本』(岩波書店)でドゥマゴ文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞(評論等部門)を受賞。『異人論序説』『排除の現象学』(ちくま学芸文庫)、『境界の発生』『東北学/忘れられた東北』(講談社学術文庫)、『東西/南北考』『武蔵野をよむ』『性食考』(岩波書店)など、著書多数。

 

川上弘美(かわかみ・ひろみ)
1958年、東京都生まれ。94年『神様』(中央公論社)で第1回パスカル短篇文学新人賞を受賞。96年『蛇を踏む』(文藝春秋)で芥川賞、99年『神様』でドゥマゴ文学賞、紫式部文学賞、2000年『溺レる』(文藝春秋)で伊藤整文学賞、女流文学賞、01年『センセイの鞄』(平凡社)で谷崎潤一郎賞、07年『真鶴』(文藝春秋)で芸術選奨文部科学大臣賞、15年『水声』(文藝春秋)で読売文学賞、16年『大きな鳥にさらわれないよう』(講談社)で泉鏡花文学賞を受賞。ほか、『ニシノユキヒコの恋と冒険』(新潮社)、『七夜物語』(朝日新聞出版)など、著書多数。

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