インタビュー

「アムロ父子の確執は創作ではなかった」 40周年『ガンダム』富野由悠季監督が語る戦争のリアル

「燃え上がぁれ」の連呼で始まる主題歌を聴くとつい奮い立ってしまう「第一世代」は、もう50代だろう。アニメ史にその名を刻む『機動戦士ガンダム』の放映から、今年で40年。

宇宙移民による独立戦争を舞台に、人型量産兵器「モビルスーツ」同士の戦いが繰り広げられるという画期的な設定で、ロボットアニメに革新をもたらした――などという説明はファンにはもはや不要だろう。リアルな未来社会の描写と血肉の通ったキャラクター造形、政治論や環境論、さらには「人の革新」といった哲学的な要素まで詰め込まれたその世界観のほぼすべては、総監督・富野由悠季の頭脳から生み出された。

いまや古典とも言える作品だが、40周年の締めくくりとして、生みの親である富野監督に、あらためて『ガンダム』に込めた思いを聞いた。誕生史や制作秘話はすでにファンにはよく知られているし、他メディアでも紹介されている。ここでは微に入る作品解説は求めず、あえて「周辺」の話題を振り向けた。

78歳とは思えないエネルギッシュな語りは、作品の公共性、技術者の倫理、新自由主義、日本の過去の戦争、そして肉親の思い出へと、止めどなく広がって……。

(取材・文=石川智也  写真=野呂美帆)

単なる玩具の宣伝で終わらせるべきではない

――最初のテレビシリーズ制作時の環境は、かなり不自由なものだったらしいですね。

富野 『宇宙戦艦ヤマト』に比べれば相当に貧弱な態勢でしたし、制作会社の立場も弱かったですからね。オモチャを売りたいというスポンサーの理屈も向こうからしたら当たり前で、理解できないものではなかったです。作品というものは制約の中でなんとか作っていくしかないという程度のことは十分に分かっている大人でしたしね(笑)。

でも一方で、こちらとしても、従来とは違うロボットアニメを作ろうという意欲で集まっているわけです。ロボットアニメだから荒唐無稽なオモチャ屋のコマーシャルでいいんだ、なんて考えにひとたび寄りかかり、目先の商売のことしか考えない「大人」の言うがままに作っていては、どこにでもいる作り手と同じになってしまう、という危機感は強くありました。

「アムロ父子の確執は創作ではなかった」 40周年『ガンダム』富野由悠季監督が語る戦争のリアル

続編やスピンオフ作品でいまなお新たなファンを獲得し続けている『ガンダム』だが、放映当時は視聴率が低迷し、予定話数を大幅に削る打ち切りの憂き目に遭った作品だった。スポンサーの玩具メーカーは放映中、従来の巨大ロボットアニメのような「やられメカ」や「必殺技」が登場しないことにたびたび不満を漏らしたという。

企画の原案はそもそも、宇宙ステーションに閉じ込められた少年少女が知恵を絞って生き抜く「宇宙版 十五少年漂流記」のようなストーリーだったが、やはりスポンサーの意向でロボットものに変わった経緯がある。

富野 それともうひとつ。戦いや戦争を語るのであれば、リアリズムでなければならないという強い思いもありました。

ロボットが登場するのはいいけど、全長80メートルとか100メートルなんてあり得ない。戦闘機と同じ20メートル程度ならいいだろう。でも地球の重力で人型兵器を扱うのは難しいから、宇宙を舞台にしよう、と。でも個人で製造し使えるものではあり得ない。それなら国家が兵器としてつくるしかない。そうすると宇宙移民vs.地球の対立構造だ――といった設定が必然的に生まれてくるわけです。

そこに、肉親を敵と味方に分けて並置したり(注:シャアとセイラの兄妹)、復讐劇を挟み込んだり(シャアとザビ家の因縁)といったドラマツルギーを埋め込んで物語性を高めていけば、宇宙人だのやられロボだのが出てくる幕なんてないんですよ。

富野由悠季監督

――富野さんは自虐的に「くだらない巨大ロボットものの作家」と自称していますが、一方で、リアルロボットものの作品を作ってきたことへの強烈な自負も感じます。

富野 僕には、恋愛ものとか青春もの、私小説的なものを作る能力がなかったという敗北感があるんです(笑)。同時に、巨大ロボットものであっても、それなりの質量を抱えた映画を作れることを示したいという思いもありました。

『機動戦士ガンダム』はテレビシリーズで始まりましたが、当初から映画化を意識していました。映画というものは、恋愛劇や私小説的な狭い世界だけに収めてしまうにはもったいない、もっと大きな広がりと力をもった器です。

そういう性能をもった映画という様式を使うなら当然、単なる玩具の宣伝で終わらせるべきではないし、不特定多数の人に発信する以上は、それが必然的に公共性を抱えてしまうことに自覚的でなければならない。それが作り手の倫理だと思うんですよ。

『ガンダム』を作るときに、そういうことをはっきり意識していたことは確かです。

――ただのヒーローロボットものにせず、戦争のリアルを描こうと努めたということですか?

富野 もちろん本当の戦争はこんなに生やさしいものではありません。しょせんアニメですから、演出に限界もある。そもそも、若い世代に向けて物語を贈るのに、絶望を与える話をしてはいけないという思いもあります。

『ガンダム』にも、いわゆる「戦記物」の要素が色濃くあります。戦記物は、史実に材を取りながらも架空の設定や創作を織り交ぜた、血湧き肉躍る物語です。それは、日常のフラストレーションを解消し読者にカタルシスを与えるために存在するものです。

でも一方で、それだけでいいのかという思いもあった。『ヤマト』のように「滅びの美学」で終わらせるのはちょっと違うんじゃないか、と。

富野由悠季監督

富野 『ガンダム』では、月の軌道上にあるスペースコロニーに移住した人類社会を描きましたが、そこまで生活圏を広げた人間たちを誰がどう統治しているのか、なぜ戦争が始まるのか、という設定に非常に頭を悩ませました。そこに安易な発想は持ち込みたくなかったし、無いアタマを絞って一生懸命考え、必死に勉強して、きっちり描いたつもりです。

領土、生活圏、資源、真の独立……そういう戦争の口実や原因、そして結果についての『ガンダム』の描写は、ある意味で第二次大戦の引き写しなんです。

僕にとっては、日本の過去の戦争を意識的に、あるいは無意識に投影した部分がある。そこには、屈折したものも含まれているかもしれませんが。

反面教師の父 感謝ふたつ

――富野さんのお父さんは戦時中、小田原の軍事工場で働いていたそうですね。

富野 僕にとって父は反面教師でした。こういう人にはなりたくない、とずっと思ってきましたから。

父は戦前、化学の高等専門学校を出た後に日本大学法学部に潜り込んだんですが、戦局が悪化してくると、専門学校時代の先輩の引きで、ゴム引き布を作る工場で働き始めました。

そこでやっていたのは、陸軍のために防毒マスクや戦闘機の防水布を開発する仕事です。後にアメリカで死者も出した風船爆弾の材料開発にも関わっていたようです。

それだけじゃない。僕は中学生の頃、父の当時の開発スケッチを見つけたんですが、そこには「潜水用空気袋」という記述が残っていました。聞くと「試作を命じられたものだ」って。米軍上陸を想定し、波打ち際に少年兵を潜ませて捨て身の突撃をさせるためのものでした。僕にとって「特攻」は神風のことじゃなく、もっと身近にあったものだった。

戦争で身内を亡くした友だちには絶対に話せない父の過去でした。そもそも父が工場に入ったのも、文系の大学にいるのはまずい、軍の作戦に直結する仕事なら安全だ、という計算から。要は徴兵逃れです。人殺しの片棒担ぎをしていたことも含めて、僕には決して受け入れられなかった。

富野由悠季監督

富野 戦後は中学の理科の教師になったけど、「教員に落ちぶれた」と平気で言う。教え子に失礼だと腹が立ったし、現実から常に半歩退いた、まるで余生を送るかのような人生への態度は何なんだろうと、子どもながらに思っていました。

父の生家は東京・大島(江東区)の大資産家でした。兄8人姉8人の末っ子で、腹違いの兄に育てられたそうです。家族の情愛を知らない生い立ちや、半端者としての自意識、国に裏切られたという思いが、ない交ぜになっていたのかもしれない。身内としていまから思えば、そう理解できます。でも、やはり肯定はできなかった。

和解もできないまま、96歳で逝きました。

――ガンダムのパイロット、アムロ・レイの父親も兵器開発者でした。それ以降のシリーズでも、軍事技術者の親との確執やディスコミュニケーションを抱えた主人公が登場していますね。

富野 アムロと父親との噛(か)み合わない会話や相互無理解の関係は、僕にとってはまったく創作ではありませんでした。

それでも、父に感謝していることが二つだけあります。育英会に借りた大学の学費を卒業後、知らぬ間に全額返してくれていた。実家から工面したようですが。

もうひとつ。父は焼却命令に反して、2冊だけ設計ファイルを残していました。その中に、与圧服の写真があったんです。高高度の気圧からパイロットを守るためのもので、宇宙服の原型です。

おかげでガガーリン登場前から、子どもの僕にとって宇宙旅行は夢でなく「現実」だった。身近にあった科学、宇宙が僕のアニメの原点になったのは間違いない。でも、影響はそれだけです。

GAFAにひれ伏す世界の不気味さ

――富野さんは著書で、ジェットエンジン開発者・永野治の「技術は行動であるから、その結果するものについては責任を問われる。技術者は技術自体の持つ論理性だけでなく、文明の担い手としての正負の効果についての見識を持たなければならない」という言葉に強く共感していますね。

富野 技術者は、技術が社会の末端にまでどういう影響を及ぼすのか可能な限り想像を尽くさなければならない、という考えは、まったくその通りだと思いますよ。技術の倫理性まで考えてこその知性です。

でも、そこまで想像力を働かせる技術者は極めて少ないですね。

「アムロ父子の確執は創作ではなかった」 40周年『ガンダム』富野由悠季監督が語る戦争のリアル

富野 最新作『Gのレコンギスタ』の企画時に、取材も兼ねて宇宙エレベーター協会に通ったのですが、そこで聞いた先生たちの話は技術やスペックや計算の話ばかりで、そもそも「なぜ宇宙に行く必要があるのか」という動機がすっぽり抜けているんです。資源が枯渇するであろう未来で人間が生存していくためのインフラ技術であるはずなのに、そういうリアリティーがなぜか欠けている。それはやはり、ちょっと危ういのではないか。

ちょっと次元が違うけど、僕は、リニアモーターカーにも似たものを感じる。リニア中央新幹線は、色々と必要性が説明されていますが、本当に必要なものなんでしょうかね。僕にはよく分からない。一方でリニア技術は宇宙エレベーターと違い、もはや夢の技術ではない。21世紀になって夢と希望を失ったのに、惰性で続いている事業としか思えないんです。

――アムロの父は、結局は酸素欠乏症にかかって不幸な最期を迎えるという設定ですね。

富野 技術と社会との関係、特に武器と社会との関係を真剣に考えなかった技術者の末路は、ああいう結果になるということですよね。

だから、零戦設計者の堀越二郎を取り上げた宮崎駿さんの『風立ちぬ』には、全面的に賛同します。あの作品は決して堀越を美化しているわけではない。戦闘機に取り憑かれた男の悲惨を描いていると思います。

それと、技術ということで言えば、最近最も不気味に感じているのは、GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)のことですよ。これだけ巨大な多国籍企業群のプラットフォームが出現し、世界中がひれ伏してしまっている。利便性と効率性という名の下でマーケット至上主義が拡大し、なんだか、民主主義を成立させる精神土壌とは根本的に違うものが世を覆い、中世のような寡頭支配が地球規模で広がったような感すらあります。

そして、こうした状況を問題だと感じている人が多いのに、それをコントロールするノウハウを誰も持っておらず、国家ですら新たな規範を作り上げることができないでいる。米国、英国、日本、中国の国家運営を見ても、到底政治家になってはいけない資質の人間が、ふつうに政治家をやっている。「貧すれば鈍する」というところまで来てしまっていると感じます。

こんな年寄りにまだなにか望むの?

――そういうなかで、『ガンダム』に新たに触れる世代に、どのような「人類の未来」を提示していけばよいのでしょうか。

富野 さっきも言ったように、子どもに対しては「せめて君たちが生きている間くらいは希望を持ってもらいたい」と思っているんです。そういう意味では、いくら過去論や技術論や政治論を持ち込んで作品にリアリティーを求めても、最終的には「地球の再生」やそれに向けた世直しといったテーマに収斂(しゅうれん)する作品を僕は作ってきた。

このままでは、環境問題は行き着くところまで行きますよ。次の世代が過去を学んだうえで、どんな手段であれ地球の資源と環境を持続的に残していく賢い人類になっていけるのか。そんなメッセージを少しだけ込めて、考える材料をエンターテインメントのなかで提示していくしかないんです。そうやって未来を担う子どもたちに託すしかない。それが大人の責任です。

――次はどんな作品を企画しますか。

富野 こんな年寄りにまだなにか望むの? もう「次」なんてないんだよ(笑)。と言いつつ、もう考えているけどね。でもまだナイショです。

「アムロ父子の確執は創作ではなかった」 40周年『ガンダム』富野由悠季監督が語る戦争のリアル

プロフィール

〈とみの・よしゆき〉1941年、神奈川県小田原市生まれ。日大芸術学部卒業後の64年、虫プロダクションに入社し『鉄腕アトム』などの演出を担当。フリー転進後、テレビアニメ『無敵超人ザンボット3』『無敵鋼人ダイターン3』などの総監督を経て、79年放送の『機動戦士ガンダム』で社会現象と言われるほどのブームを巻き起こす。ガンダムシリーズ以外の代表作に『伝説巨神イデオン』『聖戦士ダンバイン』など。小説家としても作品の原作などを多数執筆している。劇場版『Gのレコンギスタ』第2部が2020年2月21日から2週間限定で公開される。

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