小川フミオのモーターカー

グランプリマシンの“末裔”が荷物運搬車に ミニバンの元祖 DKW「F800/3」シュネルラスター

現代のミニバンの元祖はこれ、と謳(うた)われているのが、独DKWが1949年に発表した「F800/3」だ。ドイツ語で快速便のような意味のシュネルラスター(Schnellaster)なるサブネームも持っていた。

(TOP写真:ミニバスも作られた)

DKWは1916年設立と歴史の古い二輪と四輪のメーカーで、20年代は二輪では世界最大規模の生産量を誇っていた。レースにも熱心で、当時の好成績ぶりが記録されている。

北欧や中南米でもライセンス生産された

北欧や中南米でもライセンス生産された

四輪の世界でのDKWは小型車を得意として独自の市場を築いていた。20年代にドイツを襲った大不況の影響で、30年代初頭にアウディ、ホルヒ、ワンダラーとともにアウトウニオンを結成した。

第2次大戦前のアウトウニオンは、自動車史に残る存在へと成長した。もっとも有名なのは、レース活動と、速度記録への飽くなき挑戦だ。

ポルシェ博士の設計になる16気筒ミドシップの四輪駆動レーシングカーを作り、メルセデス・ベンツとともに、グランプリレースで圧倒的な速さを見せつけた。

北米でも売られこんなふうに地域に溶け込んだ使い方をされていたようだ

北米でも売られこんなふうに地域に溶け込んだ使い方をされていたようだ

同時に、空力シェイプという新しい概念を自動車界に持ちこんだ、“科学的”なスタイルのレコードブレイカーを製造。時速400キロ超えという速度記録を達成している。

あいにく、そこまで技術力を誇ったメーカーでも、敗戦により、大幅に規模を縮小することに。向かうところ敵なしのグランプリマシンの“末裔(まつえい)”のひとつが、見た目にかわいい荷物運搬車のシュネルラスターとなったのだ。

エンジンは横から見ると三角のおにぎりのように見えるフロントのスペースに収まる

エンジンは横から見ると三角のおにぎりのように見えるフロントのスペースに収まる

シュネルラスターの役割は戦後復興に励む産業界と市場を支えることだった。約4メートルのボディーに、当初は700ccの2気筒2ストロークエンジンという組み合わせだった。

それでも、新しい時代にふさわしいクルマを作りたい、という技術者の夢はあったようだ。シュネルラスターは、エンジン横置きの前輪駆動。そしてフロアをほぼ平らにすることで、荷物運搬車などさまざまな用途に対応できるようにしたのである。

車体のバリエーションのなかにはバンも含まれる。ポルシェ博士が原案を作ったフォルクスワーゲンにもバンや荷台つきのトラックがあった。

ベースのビートルが、エンジンをリアに搭載した後輪駆動だったので、DKWとは正反対のメカニカルレイアウトだが、どちらの車も疲弊した社会を自動車で豊かにしようという目的を担った点は共通している。

DKWのエンブレムは右のウィンドシールド下に、中央にはアウトウニオンのものがつく

DKWのエンブレムは右のウィンドシールド下に、中央にはアウトウニオンのものがつく

それにシュネルラスターは愉快な顔をしている。フロントマスクを決めた人は職業的なデザイナーではなかっただろうが(当時そういう人はほぼ存在しなかった)、ユーモラスなフロントマスクで、クルマが社会に溶け込むことを狙ったのではないか。

誰も寄せ付けない技術力を誇示するために時速400キロのクルマを作るより、私は、こっちのほうが好きである。

(写真=Audi AG提供)

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PROFILE

小川フミオ

クルマ雑誌の編集長を経て、フリーランスとして活躍中。新車の試乗記をはじめ、クルマの世界をいろいろな角度から取り上げた記事を、専門誌、一般誌、そしてウェブに寄稿中。趣味としては、どちらかというとクラシックなクルマが好み。1年に1台買い替えても、生きている間に好きなクルマすべてに乗れない……のが悩み(笑)。

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