今日からランナー

厚底シューズ“禁止”のロジックは? 世界陸連による五輪前の不可解な規則変更

先週来、国際陸上競技連盟(世界陸連)が“ナイキの厚底”シューズの使用を禁止しようとしているというニュースが流れている。1月15日にイギリスの新聞「テレグラフ」「タイムズ」「デイリー・メール」などが一斉に報じたことがきっかけだった。週末には日本のテレビ各局のワイドショーでも取り上げられ、あたかも“禁止”が既定事実のような雰囲気になっている。

だが、私は最初にこの報道を見た時から何かうさん臭さを感じていた。なぜなら、どの記事もソース(情報源)があいまいで、何より世界陸連が“厚底”を禁じるロジックが思いつかなかったからだ。“厚底”を禁じる理由は何なのか? なぜ、オリンピック直前のこの時期なのか? 以後の報道を見ても、“禁止”サイドに立つ記事は、上記3紙の報道を根拠にするものばかりだった。

“厚底禁止”はナンセンス

世界陸連の規則では〈競技に使用されるシューズは、すべてのランナーが合理的に利用可能でなければならず、不公平なサポートや利益を提供するものであってはいけない〉となっているらしい。

“ナイキの厚底”の最新モデル「ナイキ ズームX ヴェイパーフライ ネクスト%」は、ご存じのように量産市販品で誰でも買える。だから、今年の箱根駅伝ではグリーン、ピンク、ツートンカラーが入り交じり、ナイキのサポートを受けている選手も受けていない選手も、誰でも履くことができた。価格が約3万円と少々高いという指摘もあるが、かつて水泳競技で禁止された水着「レーザー・レーサー」が約7万円だったことと比べると、“誰でも利用可能”の範疇(はんちゅう)と言ってもいいだろう。

“ナイキの厚底”はソールにカーボンプレートを入れて反発性を高めていることが「不公平なサポートや利益」に当たるのではないかと解説する記事もある。果たしてそうだろうか。

ナイキに限らず、シューズメーカー各社はどこも、走る際の運動効率(ランニングエコノミー)を高めるためにしのぎを削ってきた。要は、アスリートの持つ能力をどこまで損失なく競技に反映できるかということだ。ランナーは走る時に外からエネルギーをもらうことはない。カーボンプレートの反発力が問題だと言っても、反発を発生させるのはランナーの筋力に他ならない。反発力はあくまでも「エネルギーリターン」であって「ギブ」ではない。

ドーピングやパワードスーツなどと違って、どこまでいってもアスリートの潜在的な能力を引き出しているに過ぎないのだ。

もし、本当に世界陸連が“厚底”を禁止しようとしているとしたら、ナンセンスな話としか言いようがない。「厚底」や「カーボン」はもはやナイキの専売特許ではなく、トレンドになっていると言ってもいいからだ。

ホカオネオネの「EVOカーボンロケット」やニューバランスの「フューエルセル5280」など、カーボンと高反発のソール素材を組み合わせたシューズは他社からも発売されている。今年の箱根駅伝10区で区間新記録を出した創価大の選手が履いていたのは“ミズノの厚底”の試作品だと言われているし、アシックスは2月7日にレース用“厚底”の「エボライド」を発売する。アディダスなど他のメーカーも今年は打倒ナイキを虎視眈々(こしたんたん)と狙っている。

安易な規制はメーカー各社のイノベーション意欲をそぐことになりかねない。いまはナイキが圧勝だが、未来永劫(えいごう)続くわけでもない。

記録は道具ではなく選手がつくるもの

2017年のデビュー以来、“ナイキの厚底”は世界の長距離記録を塗り替え続けてきた。男子も女子もマラソンの世界記録は“ナイキの厚底”がたたき出したものだ。だが、それらの記録はシューズのせいだけなのだろうか。

私は、2018年に朝日新聞デジタルの連載「今日からランナー」で“ナイキの厚底”についての記事を初めて書いて以来、本当にシューズの力だけで記録が伸びるのかを取材テーマのひとつにしてきた。トップアスリートに取材をする機会があるたび、そのことを質問してきた。

彼、彼女らが異口同音に語っていたのは、「もちろん選手の努力が必要だ」という言葉だった。マラソン男子世界記録保持者のエリウド・キプチョゲ選手も、前出テレグラフの取材に対して「私は懸命に練習した。テクノロジーが進化していることは否定しない。自分たちはテクノロジーとともに前進しなければならない」とコメントしている。

厚底シューズ“禁止”のロジックは? 世界陸連による五輪前の不可解な規則変更

1時間59分40秒で走り終え、前人未到の「サブ2」を達成したキプチョゲ=The INEOS 1:59 Challenge(2019年10月12日)Photo: Thomas Lovelock for The INEOS 1:59 Challenge

当たり前だが、記録は道具ではなく選手がつくるものだ。レーザー・レーサーが禁止になってからも水泳の世界記録更新が続いているのが、何よりの証拠である。

“ナイキの厚底”は実は、そうしたアスリートたちの声を集めて開発されたものだ。もともとは、キプチョゲ選手らケニア勢から選手生命を長く維持するためにクッション性の高いシューズが欲しいと言われたことがきっかけだった。それまでの長距離用シューズは軽さを重視するため、クッション性が犠牲になり脚への負担が大きかった。

しかし、クッション性を高くするとソールが厚くなるので不安定で重くなったり、反発力がなくなったりの課題があった。それを解決するために、航空宇宙産業で使われていた特殊素材を探し出し、超軽量のフォーム(ソール素材)をつくり上げた。

カーボンプレートを入れるなどの工夫で反発性と安定性も確保した。速く走るというよりも、脚への負担を減らしアスリートを保護することが重要なテーマだった。“速さ”は結果としてついてきたものなのだ。

この靴を履くと「疲れが少ない」「リカバリーが早い」という選手の声はたくさん聞いた。設楽悠太選手(Honda)が日本新記録を出した直後に「僕の中では毎週、ハーフマラソンを走れるくらいのシューズ。ダメージが少ないので、結果に結びついている」と語っていたのは有名だ。

練習後、疲れがとれるのが早いため「より強度の強い練習ができるようになった」と話す選手もいた。「レース後半の粘りが強くなった」「フォームに無駄な動きがなくなった」という話も聞いた。つまり、シューズの反発力があれば誰でも速くなるという単純な話ではないのである。

こうした選手本位の開発を否定する理由が私には思いつかない。現行の“厚底”は禁止にならず、より高度のテクノロジーを盛り込んだ次世代シューズが規制の対象になるという情報もあるが、さだかではない。いずれにせよ、オリンピック直前のこの時期に世界陸連がシューズに関するレギュレーションを変えるというのは正気の沙汰とは思えない。

もしどうしてもやるというなら、世界中のどの選手にも不利益のないようアスリートファーストであることを大前提に、なぜレギュレーション変更が必要なのか誰もが納得できるロジックがなければならないだろう。報道によると、世界陸連は今月中にも結論を出すといわれている。

(トップ画像:ナイキの厚底シューズ「ナイキ ズームX ヴェイパーフライ ネクスト%」/NIKE)

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PROFILE

山口一臣

1961年東京生まれ。ゴルフダイジェスト社を経て89年に朝日新聞社入社。週刊誌歴3誌27年。2005年11月から11年3月まで『週刊朝日』編集長。この間、テレビやラジオのコメンテーターなども務める。16年11月30日に朝日新聞社を退社。株式会社POWER NEWSを設立し、代表取締役。2010年のJALホノルルマラソン以来、フルマラソン20回完走! 自己ベストは3時間41分19秒(ネット)。

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