LONG LIFE DESIGN

ながくつづく雑談 金子みすゞの詩から、あの世とこの世の分かれ目まで

「ながくつづく」をテーマに今回も色々と書いてみました。テクノロジーの進化が激しく、目まぐるしく変化する現代を生きるうえで、やっぱり「長く続いている」ものって、何かしらのヒント、癒やし、振り返りになりますね。と、いうことで、しばしお付き合い下さい。

詩ってロングライフデザインですね

2019年春、渋谷ヒカリエ8階にある僕の運営する「d47museum」で「LONG LIFE DESIGN 1」展を開催。第一回として、47都道府県からジャンルを問わず47の「その土地に長くつづくもの」を選定し、展示しました。

ちょっと話は変わりますが、民藝運動を父である創設者の柳宗悦から継いだ柳宗理は「電車の駅のアナウンスも民藝だ」と言っています(笑)。公共へ向けた声と個人の声には、確かに違いがあります。バスガイドさんや百貨店の案内放送で使われる妙なイントネーションのことですね。
そこから発想した訳ではありませんが、「LONG LIFE DESIGN 1」の展示の一つに、ロングライフデザインとして金子みすゞの「詩」を選びました。ながくつづく様々なことに意識を向けるきっかけ。生きていくために必要なもの……。「詩」とはそういうものなんじゃないかなと思ったわけです。

またもや違う話です。日本フィルを私的に応援する仲間たちとの会「d日本フィルの会」をつくり、毎年活動しています。毎回、みんなでホールに聴きに行って、その後、みんなで近くの居酒屋でお酒を飲み、食事をしながら感想を言い合う会で、参加するたびスタンプを押し、1年に3度以上の出席で年末にバッジを授与しています。これも今年で5年目となり、毎年「今年は何色にしようかなぁ」とバッジの色を考えていますが、なぜか今年、「四つもこれまで作れてこられたなぁ」としみじみしました。

静岡の実家に帰るたびに、両親と会えます。棟続きなので、「元気?」くらいの挨拶をして、自分の部屋へ。妻を東京に残し、ひとりでのびのび……と思うのは最初の半日くらいで、ここに妙な寂しさが漂ってきます。いつも二人か大人数で食事をすることが多いので、一人で食事をするのはやはり寂しいもの。これが老後を迎え、となりの両親のどちらかが先にいなくなった時、残された親のことを思うと、どうなっちゃうんだろうなぁと、考えてしまいます。たくさんの友達と一緒の自分。パートナーと一緒の自分。人は一人だけれど、誰かがいてくれるから楽しく思ったり、悲しくなったりする。金子みすゞの詩にこんなのがあります。

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ふうせん

ふうせん持った子がそばにいて、
わたしが持っているようでした。
ぴぃ、とどこぞでふえがなる、
まつりのあとのうらどおり、
あかいふうせん、昼の月、
春のお空にありました。
ふうせん持った子が行っちゃって、
すこしさみしくなりました。
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ロングライフデザインって、こんなようなものじゃないかと僕は思いました。
バッジの色を、参加してくれるみんなの顔を思いながら選ぶ。両親と過ごす時間が無限に続かないと思った時の気持ち。一緒に暮らしている人がいなくなった時の寂しさ。

一人一人のつながりが感じられた時に芽生える、この詩のような、感情。結局、人生って自分のものではなくて、“人と過ごした時間”のことなんだなぁと、思うわけです。一人でいることが好きな人もいるでしょう(僕も一人の時がどちらかというと好き)。けれど、それも、他人があって、人がいて、一人になるという意識が出来る。誰もいない一人ではなくて、誰かしらがいる状態の一人。

小さな人とのつながりがあるから、作られたものは細々とだけれど、続いていく。続いていける。プロダクトとしてのデザインではなく、そうした、か細い人とのつながりを感じずにいられない。そういうものがロングライフデザインというのだとした時、私たちの日々の細くて長い人間関係からも、そういうものが生まれる可能性がたくさんあると思います。

「LONG LIFE DESIGN 1」展の図録より

大好きな金子みすゞ。渋谷ヒカリエ8階のd47museumで開催した「LONG LIFE DESIGN 1」展の図録より

金子みすゞの詩を載せました。僕もたまに血迷って詩を書きます(笑)。ちょっと聞いてもいいですか? 金子みすゞの詩を読んで、何か感じませんでしたか? 僕は詩というのは、デザインだと思っています。表現です。それは書くことはもちろん、読むこともそうだと思います。

詩を読むなんて恥ずかしい。わかります。もちろん。でも、心の中に何か言いしれぬものが、ちらっと芽生えませんでしたか? 日常にない、穏やかな感情の粒のような。そしてオーケストラ演奏にも、それは通じていると思います。演奏することはなかなかできませんが、聴いて感じることもありますし、ホールにいるだけで感じるそうした気持ちって、あると思います。

普段、生きていくために、普通に恥ずかしくない最低限度のコミュニケーションをしている私たち。そこに壁を感じた人が、もっと表現をしたくなり、バンドを組んだり、サークルで何かを表現する。お花でも手芸でもいいのです。表現するって、本当に素敵なことだと思います。それにはどうしても「心」がなくてはなりませんね。

自分ができていないので、ここに書くのは自分への戒めも込めてのことですが、「心」を磨こうと意識することって、大切だと思います。僕はそれが下手くそなので、そうした人たちの仲間に混ぜてもらって、いつの間にか、磨かれているって感じの生き方をしています。これはいいですよ(笑)。「d日本フィルの会」も、そんな感じだと思っています。よかったらいかがですか?(笑)。

ある日の飲み会

当たり前のようで、意識したことがないかもしれませんが、飲み会で、場を盛り上げようと騒ぐ人がいます。場をわきまえられず「飲み会=騒ぐ・盛り上げる」ということしか頭にない人です。

「お酒を飲む」ということには、何種類もスタイルがあります。例えば「一気飲み」にも品のある知性のあるものと、ただ飲む量に執着したものがあります。何も考えないで飲むか、色々考えて飲むか。
今日参加した飲み会はそんなことを思い出させるものでした。広い心で騒ぐ一部の人を受け入れ、一時の集いが楽しく滞りなく終わればいいなぁとは思います。子供ならそういう種類の騒ぐ飲み会は楽しいでしょう。しかし、飲み会はそういうものだけではないことも知ってほしいです。「今日の飲み会はどういうことか」と、考えて楽しく飲みたいものです。

前にも書きましたが、中国で参加する仕事上の飲み会には本当に文化を感じます。僕が会った方々が偏っている可能性はあるとは思いますが、基本的に、乾杯して飲む。自分のペースで飲むのではなく、人の話を聞き終わった節目ごとに乾杯をして飲み干す。

ながくつづく雑談 金子みすゞの詩から、あの世とこの世の分かれ目まで

ながくつづく雑談 金子みすゞの詩から、あの世とこの世の分かれ目まで

どうせお酒を飲むなら、意義ある時間にしたいと思っていました。中国や韓国のお酒の飲み方には、それがあります。意見を言い合い、それに「乾杯」する。だから、酔っぱらうころには、とてもその方、みんなの意見が体に滲(し)みる。日本人は自分のペースで飲み過ぎていると思うなぁ

それと比べると、一気飲みを無謀に連発する飲み会は、そこにいる人たちのセンスを疑います。「まぁ、無礼講で楽しく飲みましょう」とスタートしながら、途中で飲みすぎて暴言を吐きだしたり、人に迷惑をかけるくらい酒に飲まれたりしてしまうのは、本当に残念。酒の席のことを真面目にグダグダ言っている僕は、相当野暮ですが、飲み会ってメンバーを見たらどんな飲み方が「楽しい」ことになるか、わかるはずですし、それを考えての飲み会って、豊かな充実した時間になると思うのです。

よくわからないまま、直感で生きる

鈴木大拙の著書『仏教の大意』は「あの世とこの世をわけて考えるのは違う」ということを述べて始まります。そして、歳をとっていくと、この二つが一つに見えてくる、とも。
民藝運動の父、柳宗悦は、「美しい心がないと、美しいものは作れないし、見えない」と言っています。最近、文化人と呼ばれる人たちは、どうして、あそことか、こことか、決まって何か申し合わせたかのように、同じところで、同じことをするのだろうと思っていました。最近、それが「心の浄化」からきているように思いました。

ながくつづく雑談 金子みすゞの詩から、あの世とこの世の分かれ目まで

半分以上、何を言っているのかわからないのですが、頑張って読み通すと、頭の中にモヤモヤとしたはっきりはしない霧のような輪郭の鮮明にない形が現れる。そんなことで「感じ取る」のが僕は大好きです。このタイトルにもある「大意」とは、そういうことです

先日行った沖縄首里城へのdツアーには、定員を大きく上回る参加者が集まりました。その半分以上が県外からの参加でした。首里城をガイドしてくれた賀数さんによると、首里城はやはり、風水的であり、心の浄化に大きく作用すると言われているらしいのです。
何度も「気」という言葉が出てきたりして、それを僕らは、「いやいや、ユタ(霊媒師)とかいるっていうけれど、それは違う世界の話でしょ」と、つい聞き流そう、自分には関係ないとしようとする。そこです。鈴木大拙が言っているのは。
こういうことを書くと、なんか、宗教っぽい……と言われそうですが、ま、僕も初心者。これから学んでいこうと思っています。その「心が澄んだ状態になると、どうなるか」ということを。

最近、「どうでもいいこと」と「大切なこと」が見えてきました。仕事とはいえ、全く書く気にならない原稿について、こんなの書いて何になるんだ……とかすら思うことなく、とにかく書けない。書きたいと思わない。それが最近、あまりにも心のストレスとなって、「なんだろう」と思っていた矢先、前から予定していた沖縄行きがあり、首里城にみんなで集まり、なんだかそう感じたのでした。「そうか、やらなくてもいいことってあるんだな」と。最近話題のユヴァル・ノア・ハラリの新著『21 Lessons』がとても売れているのは、これが僕も感じている、現代人の心がくじけそうになっている「なんなのかわからない二日酔いのような状態」に対しての、まさに答えが書いてあるからじゃないかと思うのです。自分の心が、なんだかFacebookでいつもいつまでも永遠に流れてくる様々な情報によって、濁りまくっている。それをなんとかしなくては、と、思っているのかもしれません。

なんだかよくわからない内容ですみません。最近、「動物的に生きたい」とよく考えます。それは「よくわからないまま、直感で生きる」ということです。人間は賢く考え過ぎですし、わかりやすく、説明できることを良しとし過ぎだと思います。わかりにくいことを、そのまま飲み込んで、感覚で答える。そんな生き方を、沖縄に行くたびに意識してしまうのは、どうしてでしょうね、と、疑問に思いながら、答えを出さない。

買う気になる、売る気になる

実店舗を構えてやっているといろんなことを考えます。例えば家具の売り方。普通の床にポンと椅子を置く。テーブルの上にものを並べる……。特殊な什器を使わずに商品を床に並べた店に行くと、いつも思います。買う気にさせてくれる店とそうではない店があるなぁと。
ものを売るには、売る気が必要です。ただ平らな場所にものを置くというのは、経験上、一番手間のかかる高度なことだとおもいます。なにが高度か。それは「水平垂直をつねに直し、商品が凛としている状態を店員が整え続ける」こと。つまり、お客さんが触って動いた商品を整え続けないといけないからです。小さな専用の什器なんかに収まると、それだけで少し、それの手間がはぶけますが、「売る気」は弱くなります。

自分の店に行くと、家具をよく整えます。これは店をやるものの最低限の行為、つまり、売る気の基本的なこととしてやります。出社するワイシャツにアイロンをかけるような、使ったお皿を洗って丁寧に拭くような行為。いえ、「私は、お客さんにこれを見てほしい、買ってほしい」と、伝える行為だと思います。だから店が乱れていると、それだけで「売る気がない」と思ってしまいます。ただ、平らな天板のうえにものを置いてるだけでは「ものは売れない」と思うのです。これは店の姿勢そのものでしょう。服屋さんに行って服が乱れていると、なんか前のお客さんの気配を感じる以前に、店に「売る気」のなさを感じてしまうように……。

先日、売り場で、ある商品がそういう状態だったので、慌てて直しました。直しながら、「売る気があるのか?」と思いました。たくさんの商品がありますから、ひとつひとつ整えていくのは大変なこと。しかし、「お客さんにものを売る」なら、それは最低限の姿勢。それができなければ、どこかの店のように、きっちり専用什器をつくり、お客さんがいくら触っても、乱れた感じのないようにしなければいけない……。店の「売る気」をただ、水平、垂直を整えるだけで表現することは、シンプルですが、大変ですね。

お店を経営するときの姿勢をお客さんに表す方法はたくさんあります。そのひとつが「売り物を整える」ということで、僕は基本中の基本だと思っています。

お店を経営するときの姿勢をお客さんに表す方法はたくさんあります。そのひとつが「売り物を整える」ということで、僕は基本中の基本だと思っています(写真のは少し揃っていませんが……笑)。揃(そろ)え続けることはとても手間のかかること。でも「初心」を表す事でもあります

ロングライフデザインを学べる本

安藤雅信著『どっちつかずのものつくり』(河出書房新社)
僕の中では前職場の上司、原研哉さんと安藤雅信さんはとてもよく似ています。まず、経済や歴史などをきっちり抑えているところです。なのでお話や原稿の中に、もちろん、この本の中にも「年号」や「参考文献」「歴史的出来事」「社会情勢」が順番に語られ、「だから、そうなっている」という論調でものすごく説得力と、分かりやすさがあります。原さんはデザイン、特にグラフィックデザイン(最近はトイレの便器など水回り器具のデザインもしていますが……)という専門分野を持ち、安藤さんは「陶芸」(本人は陶芸家とは名乗らず“陶作家”と名乗っています)というジャンルを徹底的に追求していて、縦に深く掘りながら、横への様々な異ジャンルと比較したり、組み合わせたりするセンスがあり、そこも原さんとそっくりです。

安藤さんは、この本で「歴史」についてとてもこだわっている、もっというと執着している。さらにいうと「どうしたら歴史に名を残せるか」と考えている。本人に聞くと「バカ言え、そんなこと、考えてないよ」とはぐらかしそう(笑)ですが。
とにかく○○論というのが大好きで、いろんな側面から、いろんな知識にひもづけて語ることができます。そして、その横軸には「音楽」「アート」(もともとは彫刻など立体陶器作品を制作する現代美術家でもあった)などがあり、縦横無尽な感覚で、「民藝運動」や「古道具坂田」さんなどの眼に憧れ、「生活工芸」というジャンルに行き着いたわけです。

この縦横無尽な様子を、「どっちつかず」と著書のタイトルにしたことからもわかるように、安藤さんが自身のスタイルについて考え抜き、ついに、一冊にまとめてしまった本です。坂田さんや、柳宗悦、工芸と工業、日根野作三、そして、自身の主宰するギャラリー(ギャルリももぐさ)への考えなど、楽しくわかりやすく、そして、ワクワクしながら読めます。先日、都内の森岡書店というスペースでこの本について、僕と安藤さんとのトークショーがありました。深掘りも横展開も興味のない僕との対談。果たしてうまくいくったのか。

あ、なんだか肝心の「この本のロングライフデザインポイント」を書いてない気がしてきました。陶芸界、工芸界などから「ものづくり」に関しての環境の変化や将来について、あるジャンルから眺めた理屈から、ロングライフデザインを考えるには、面白い本だと思います。おすすめします。

ながくつづく雑談 金子みすゞの詩から、あの世とこの世の分かれ目まで

尊敬する安藤雅信さんの近著。作陶家としての専門領域がありながら、音楽、ファッション、アート、建築、中国茶などのカルチャーにも造詣(ぞうけい)が深く、その自由でフレンドリーなスタンスに特に若い共感が集まっている。僕としては理想のおじさんです

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PROFILE

ナガオカケンメイ

デザイン活動家・D&DEPARTMENTディレクター
その土地に長く続くもの、ことを紹介するストア「D&DEPARTMENT」(北海道・埼玉・東京・富山・山梨・静岡・京都・鹿児島・沖縄・韓国ソウル・中国黄山)、常に47都道府県をテーマとする日本初の日本物産MUSEUM「d47MUSEUM」(渋谷ヒカリエ8F)、その土地らしさを持つ場所だけを2カ月住んで取材していく文化観光誌「d design travel」など、すでに世の中に生まれ、長く愛されているものを「デザイン」と位置づけていく活動をしています。’13年毎日デザイン賞受賞。毎週火曜夜にはメールマガジン「ナガオカケンメイのメール」www.nagaokakenmei.comを配信中。

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