LONG LIFE DESIGN

ながくつづく雑談 デザインのカタカナへの回帰とそれでも「d」を使う理由

今回も、「ながくつづく」にまつわる話を書きました。一つ目は、最近、みんなが日本語のカタカナを使う話。もはや、読めない英文が書かれたパッケージデザインなどは消滅していっています。日本人はやっと素直に「日本語でいいじゃん、変に格好つけなくてもさ」と、思いはじめたのです。二つ目は、イメージって大切だよね、という話。そして最後は「前提」がないと、成立しないことって多いなぁという話です。ではでは、お付き合いください。

読めない外国語の格好よさから、読める母国語の格好よさへ

自分の会社のマークの話です。世の中が若い人によって塗り替えられていく。特に関心があるのは、若い人を中心に「カタカナの日本語」の名前が多用されていることです。例えば、会社名や商品名などによく使われています。

僕ら世代の時代である1960年くらいから2000年くらいは、まだアメリカとヨーロッパの影響を受けて、会社やブランドにつける名前は英語でした。まさに僕の会社「D&DEPARTMENT PROJECT」のようにです。やがて、グローバル化の反動で、日本人も母国語に関心が湧くようになり、結果、多くの企業にはカタカナ日本語が採用され始めます。その傾向に秘められた気持ちは本当にわかります。

僕らも、2006年あたりから、「d」の一文字にブランディング修正というか、進化させました。まぁ、簡単にいうと、読めもしない英語を使わなくても、自分たちの国の言葉でいった方がいいんじゃないか。そして、そっちの方が格好いいのではないか、ということです。

つまり、英語名の格好よさを母国語が超えたのです。なので僕らも「d」という一文字に進化させ、現在に至っています。Appleもりんごのシンボルへ。ナイキも随分前ですが「NIKE」からスウッシュマークになりましたね。世の中は「感覚的」「シンプル」「日本語化」してきたわけです。読めないけれどなんとなく格好いい世界から、読める格好よさ、そして、感覚的なビジュアル表現へ、です。

読めない憧れの異国の言葉よりも、読めることがいいとされてきた。その流れで行くと、僕らdは「ナガクツヅク」なんて感じに変更すべきですが、ここはまた違う理屈で、あくまで「d」を貫くわけです。ある時代の空気感を背負って誕生したわけですから、古臭いと思われても、微調整しながら若い動きに必死についていく、というか、僕らしかできない表現をしていく所存です。

もしかしたら、最後の外国かぶれした世代、ブランドになりそうですが、それなりに突っぱってやっていこうと思っています。ますます「d」が「長く続く素晴らしいこと」を表した記号になることを目指して。

ながくつづく雑談 デザインのカタカナへの回帰とそれでも「d」を使う理由

沖縄で開発されたブランド「琉Q」の塩のパッケージデザイン。日本語と絡めながら「読めるネーミング」がユニークでヒットしています。デザインは沖縄と東京のクリエーターとの合作。そんなバランスの良さが「沖縄らしさ」を感じさせる工夫となっていると思います。

イメージときっちり

人の会社にお邪魔したり、店に行ったりすると、そこにあるいろんなものを見てしまう。生けた花のセンスとかスリッパの並べ方とか、お茶の出し方とか……。

ブランドって、こういう一つ一つでできていると思う。製品や広告だけが良くても、それはいくらでも人工的に作り出せるし、特にWebなんかの写真は、本当にきれいすぎる。何でもかんでも「イメージ」を作り出して、その「イメージ」に自分をまず語らせて伝えてしまうのが、今という時代です。

たまに街で見かけるのですが、マッサージ屋さんの看板の多くは、外人女性がうつぶせで気持ち良さそうにマッサージされている写真が使われています。実際には、外国人女性が利用することは滅多にないでしょうけれど、そんなイメージをみんなが疑うことなく、吸い寄せられていく。食品のパッケージの写真のほとんどには、下に小さく「写真はイメージです」と書かれている。なんなのかなぁと思うわけですが、これが実は必要なのです。

実際にそこの社員がどうにかしなくてはどうにもならないことも、ブランドづくりの大切な要素。「いらっしゃいませ」の言い方や、通された会議室の机の上の整頓のされ方、担当者の持っているノートに挟まったボールペンの様子、借りたトイレの洗面台の上の清潔加減……。そういう日常の小さな一つ一つにこそ、ブランドの正体がある。広告代理店に依頼して整った印象をお金で作っても、それはあくまで「イメージ」なのです。有名スポーツ選手を使い企業広告を打っても、その会社でその選手が働いているわけではありません。イメージなのです。

まずはイメージが大切ということでしょう。つまり、口コミで広がるような小さくて「きっちり」したこととマスメディアを使って広げていくようなイメージ。このどちらもが、ある程度必要という話です。

社内で起こっているいろんな現実を正直に伝えたり、広告を打たずに実店舗の中でお客様を集めてトークショーをしたりする超リアルなブランドもあります。しかし、逆にこうしたブランドが「あまりにもイメージがなく、現実的」であると、一種の宗教感が増して、普通の人が近寄ってこなくなります。こうなってしまうと、ブランドは一種の孤立した状態となって、それがイメージとなって漂ってしまう。

あまりイメージに依存するのも問題ですが、まったくイメージがないことも、とても危険なのです。実は、人は「イメージ」を欲しています。そして、大抵のことは「イメージ」するものを前提として判断されています。自分の会社の規模を考えながら、その二つのバランスを上手に保っていく。伝えたい商品やサービスの規模感を考えて。

「きっちり」すると自宅でも気持ちいい。脱衣所のバスマットがピシッと敷かれていると気持ちいい。もちろん自分の家だから自分でそうするしかないのですが、そうやっていくうちに、自分の性格や日々の荒々しい雑務の中での精神的安定も作れるような気がします。一つ一つ、物を出したらしまう、四隅を整える、アイロンをかける、流しに洗い物をためないとか、小まめに「きっちり」をやっている(つもり)です。

「きっちり」は大変だけど、そんな自分のスケールを見てから、大企業や有名ブランドのことを見たとき、イメージに大小はあっても、「きっちり」を意識することは大切なことだと思いました。
お店をやっていると、まず「売っている商品の置き方」が「きっちり」している、いないでその店がわかるなぁと思います。一つ一つの「きっちり」と、目指していく夢に近い「イメージ」。この二つのバランスがとてもロングライフデザインには大切なんだと感じます。このバランスをうまく保つことは難しいけれど、やった方がいい。そう思います。

ながくつづく雑談 デザインのカタカナへの回帰とそれでも「d」を使う理由

もし、この商品写真がなかったら……。そこそこの「美味(おい)しそう」というイメージが写真によって与えられることで、人々は買うわけですね。逆に中身が写真と大きく違っているなら、そのまま見せたら買ってもらえなくなるでしょう。「中身の写真ではありませんが、まぁ、こんな写真のようなものが入っていますよ」というのが「写真はイメージです」という言葉の意味なんでしょう。ないと困るし、正直に透明な袋に入っていたら、それはそれで味気ない。そのさじ加減ですね

前提があるか、ないか

僕は急に「はい、やってみなよ」と、言われることが大の苦手です(笑)。例えば飲みの席で急に「カラオケ行こう」とか言われるそれです。例えば講演会に参加して、「まずはみんなの緊張をほぐすために5分間だけ隣の人と話しましょう」といういわゆる「アイスブレイク」というアレです。本当に嫌です。

これらは断ると「ノリが悪いなぁ」とかチクッと言われるヤツです。しかし、「ドリカムだけで、カラオケ練習会、来週しない??」と言われると、参加します(笑)。

要するに「前置き」が必要で、僕のような人って結構いると思います。僕のようにカラオケ参加を断ったからといって、それは「カラオケが嫌い」とイコールではないのです。人にはそれぞれ「前提」あるいは「準備」のようなものが必要で、そこに対して「なんだよ」とか言われても困るし、それはちょっと違うように思います。

何の予備知識もなく、急に深いところまでの参加を強要されて困惑している人がいたとして、もし前提をしっかり説明していれば、自分から望んでそこに参加するかもしれません。

「アイスブレイク」は、いきなり前提もなくやってくる本当に気持ちの悪い強制コミュニケーションで、僕はそんなことをやるコミュニティーデザイナーと遭遇すると、本当にマイナスの印象を持ってしまいます。僕はそうした自分の経験から、例えば講演会のスライドでは、最初に「今日のメニュー」を載せることにしています。「今から、こういうお話を1時間します」と。すると「なるほど、では聞いてやろう」とこれからの1時間のことへの前提がその人の中にできる。途中で僕の話が脱線しても「前提」があるから多少はおおらかに聞いてくれます。

ちょっと大げさな話かもしれませんが、世の中はすべて「前提」で動いている。そして、日々、関係性という名の「前提」を積み上げているとも言えるんじゃないかと思うのです。好きな人が出来たとして、その人には「あなた」という前提がないとしたら……。何をやってもダメでしょうし、いきなりインパクトのあることをしたら、びっくりしてしまうでしょうね。また、大好きなお笑い芸人がテレビ画面に登場した瞬間、あなたは大笑いするでしょう。それはあなたに「この芸人は超おもしろい」という「前提」があるからです。

恋愛でも、「私、この人、好きかも」という前提をまず作らないと、いきなり「好きです」と伝えてもなんともならず、びっくりして引いてしまうかもしれません。コツコツと「好きかも」という前提を作っていった先に告白があるといいんじゃないですかね。

私たちは日々、いろんな前提づくりをしているとも言えます。泊まったビジネスホテルから、急に「環境のことを考えて、トイレットペーパーは大切に」とか言われても、そのホテルがそうした環境問題に熱心な会社であるという前提が作られていなかったら、単なるケチか、流行りに乗っかる薄っぺらいホテルか、くらいに思ってしまう。そんなことって、ないですか?(笑)。

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PROFILE

ナガオカケンメイ

デザイン活動家・D&DEPARTMENTディレクター
その土地に長く続くもの、ことを紹介するストア「D&DEPARTMENT」(北海道・埼玉・東京・富山・山梨・静岡・京都・鹿児島・沖縄・韓国ソウル・中国黄山)、常に47都道府県をテーマとする日本初の日本物産MUSEUM「d47MUSEUM」(渋谷ヒカリエ8F)、その土地らしさを持つ場所だけを2ヶ月住んで取材していく文化観光誌「d design travel」など、すでに世の中に生まれ、長く愛されているものを「デザイン」と位置づけていく活動をしています。’13年毎日デザイン賞受賞。毎週火曜夜にはメールマガジン「ナガオカケンメイのメール」www.nagaokakenmei.comを配信中。

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