母はシリアでカメラを回す 綿井健陽監督が観た『娘は戦場で生まれた』 誰かのための記録が、世界に届く

韓国映画『パラサイト』の作品賞受賞で盛り上がった今年のアカデミー賞。その陰でひそかに注目されたのが、長編ドキュメンタリー部門にノミネートされたシリアのドキュメンタリー映画だ。実は2017年以降、シリア内戦に関わる映画が3年連続で同部門の候補に選ばれている。今年も候補作5本のうち2本がシリア内戦が舞台だった。

その1本である『娘は戦場で生まれた』が、2月29日から全国で順次公開される。一人のシリア人女性が撮った、「強烈」としか評しようのない傑作だ。この映画の意義はどんなところにあるのか。日本人が遠いシリアや中東の情勢に思いを馳(は)せることには、どんな意味があるのか。イラク戦争などの取材経験が豊富なジャーナリスト・映画監督の綿井健陽氏に寄稿してもらった。

ジャーナリスト・映画監督の綿井健陽氏

ジャーナリスト・映画監督の綿井健陽氏

「沈黙が一番つらい。だから私は語り、撮る」

「最も個人的なことが、最もクリエーティブなこと」

尊敬するマーティン・スコセッシ監督からの教えを引用して、アカデミー賞作品賞『パラサイト』の受賞スピーチを述べた韓国のポン・ジュノ監督の言葉を聞いたとき、私がすぐに想像したのが、映画『娘は戦場に生まれた』だった。アカデミー賞の長編ドキュメンタリー部門賞にノミネートされた、この映画の原題は『FOR SAMA(サマのために)』だ。

第2次世界大戦後史上最悪の人道危機と言われるシリア内戦。現在も続く混乱の中で、一人のシリア人女性がビデオカメラを手に、戦火の日々で起きたことを5年に渡って克明に映像で記録した。「サマ(アラビア語で空を意味する)」と名付けた娘の母親として、そして一人のシリア市民として、自らの家族の日常と夫が勤務する病院の映像で世界に問いかける。

おなかの中にいる胎児のサマに話しかけるように、生まれたばかりの赤ちゃんのサマに聞かせるように、そして、娘のサマがこの映画をいつか観られるように、一人の母親はずっと撮影し続けた。サマの存在と母親の思いがカメラに全て乗り移り、シリア市民の数々の生と死を映像に刻んでいく驚愕(きょうがく)のドキュメンタリーだ。

『娘は戦場で生まれた』より© Channel 4 Television Corporation MMXIX

『娘は戦場で生まれた』より© Channel 4 Television Corporation MMXIX

この映画を撮影・監督したシリア人の女性ワアド・アルカティーブは、アカデミー賞の発表直前、ニューヨーク・タイムズに寄せた手記の中で以下を記している。

「沈黙の中で殺されることが一番つらいと思います。だから私は語り続けます。生き残った女性としてそれが私の義務であり、責任です。自分たちの話を語り、まだシリアに残る人々の話を伝えることが、脱出した私たちの運命です」

惜しくも同賞の受賞は逃したものの、戦乱でこれまで亡くなった無数のシリア人一人ひとりの届かなかった願いが、この映画を彼らの遺言のように生み出し、そして世界中に押し出したのかもしれない。あるシリア人女性が撮影し続けた最も個人的な映像は、世界中の多くの人の心を最も揺さぶり続けている。

映画『娘は戦場に生まれた』の存在を私が最初に知ったのは、昨年のカンヌ国際映画祭でのある光景の写真だった。映画祭会場のレッドカーペットを歩くワアド監督ら3人は立ち止まり、「病院への空爆を止めろ」と書かれた3枚の紙を掲げた。その後、同監督は他の映画祭会場でも同じメッセージで訴え続けている。シリアでは、アサド政権軍とそれを支援するロシア軍の空爆によって、現地の病院が度々標的とされた。医師や看護師ら多数の医療従事者が空爆で殺害されている。

母はシリアでカメラを回す 綿井健陽監督が観た『娘は戦場で生まれた』 誰かのための記録が、世界に届く

『娘は戦場で生まれた』のワアド・アルカティーブ監督(中央)=Photo: Getty images

上映中にむせび泣くシリア難民たち

『娘は戦場で生まれた』は同映画祭では最優秀ドキュメンタリー賞を受賞して、その後も世界各国の映画祭で次々と受賞を続けた。シリア内戦に関わるドキュメンタリー映画は、2015年以降次々と日本の映画館でも上映されているが、この映画は日本ではなかなか公開されず、上映される機会を私は待ち望んでいた。

私自身がシリア内戦のドキュメンタリー映画を最初に観たのは、14年にアラブ首長国連邦で開催された「ドバイ国際映画祭」だった。

11年にシリアでの民主化運動が起きてから3年後に公開された二つの作品『MASKOON(HAUNTED)』と『LETTERS FROM AL YARMOUK』は、それぞれシリア人とパレスチナ人の監督作品で、破壊されていくシリアの故郷に留まる人と、それに思いを寄せる親族や友人たちが登場する。

当時ドバイのシネコンでの上映だったが、観客の中にはシリアからの難民の姿もあった。彼らは上映中に盛んに声を上げて、そして何度も泣いていた。ずっと住んでいた祖国の姿を見ることに耐えられなくなったのか。変わり果てた故郷をスクリーンで見る彼らシリア人たちの思いに対して、その映画の物語以上に心が痛んだ。

その二つの映画を観た後、「シリア内戦のドキュメンタリーは、世界中でこれから次々と公開されていくだろう」と私は想像した。当時すでに、同年のカンヌ国際映画祭では『シリア・モナムール』が特別上映されて、日本でも16年に劇場公開された。そのほか、『ラッカは静かに虐殺されている』『ラジオ・コバニ』『それでも僕は帰る~シリア 若者たちが求め続けたふるさと~』『アレッポ 最後の男たち』などが日本で公開されている。

これらのシリア映画はどの作品も強い印象を残すが、ほかのドキュメンタリー映画を観るときとは違って、とにかく登場人物たちが死なないこと、最後まで生き抜いてくれることを祈りつつ、いつも身を固くして観ていた。この『娘は戦場で生まれた』も同様にそう願って観たが、エンドクレジット後半には、亡くなった人たちや消息不明の登場人物の名前も次々と現れる。

『娘は戦場で生まれた』より© Channel 4 Television Corporation MMXIX

『娘は戦場で生まれた』より© Channel 4 Television Corporation MMXIX

大手から個人、そして市民ジャーナリストの時代へ

かつて、戦争はメディアの記者やカメラマンによって、新聞・ラジオ・雑誌・テレビで報道された。1960年代から70年代のベトナム戦争は、従軍取材の写真や映像が社会に影響を与えた。91年の湾岸戦争では、米国CNNのバグダッドからの中継が脚光を浴びた。2000年代に入って、9.11米国同時多発テロ後のアフガン攻撃やイラク戦争では、アルジャジーラなど中東の衛星テレビが活躍した。

一方、デジタルビデオカメラが一般に普及した1990年代中盤からは、テレビの記者(ディレクター)・カメラマン・音声マンらで構成されるクルーではなく、小型ビデオカメラを使って一人で取材・撮影する「ビデオジャーナリスト(VJ)」と呼ばれる人たちもテレビメディアに登場する。特に、報道規制の厳しい独裁国家や、紛争・戦争地域からのリポートでVJが育っていった。

私が所属しているフリージャーナリスト集団「アジアプレス・インターナショナル」も、90年代からVJ方式での取材・撮影を続けているメンバーが多い。これまで、北朝鮮・パレスチナ・イラク・シリアなどでの取材映像記録を、ニュース番組やドキュメンタリー映画で多数発表してきた。

この映画のワアド・アルカティーブ監督は、アサド政権への抗議活動が始まった大学生当時から「市民ジャーナリスト」として撮影を始めたという。シリア内戦では、こうした現地市民が自ら撮影する映像が、ネットからマスメディアまで大量に流れている。以前のようなテレビの衛星回線で送られる映像ではなく、SNS等でリアルタイムに次々とシェアされて、全世界に拡散する。

『娘は戦場で生まれた』は、ワアド監督が撮影した映像を、英国のテレビ局「チャンネル4」や米国のドキュメンタリー番組がプロデュースする形でつくられている。前述の『ラッカは静かに虐殺されている』(17年)も、米国人監督がシリアの市民ジャーナリスト集団と連携して制作された。

ジャーナリスト・映画監督の綿井健陽氏

ジャーナリスト・映画監督の綿井健陽氏

メディアがいかに進化しようとも変わらぬもの

ドキュメンタリーの映像記録手段は、フィルムからテープやメモリーカード、アナログからデジタル、そしてビデオカメラからスマホにと、次々と変化してきた。映像が映し出されるメディアは、映画のスクリーンやテレビ画面から、ネット配信のスマホやタブレットが今後主流になるかもしれない。

しかし、いつの時代においても、どれほどメディアが変化しても、最後は撮る人の揺るがぬ意思と、それを世に送り出そうとする人たちの熱意によって、映像は世界中に放たれる。この映画のワアド監督とプロデューサーらの意思と熱意、そして怒りこそが、ビデオジャーナリスト(VJ)や市民ジャーナリストの起点と到達点だ。

「最も個人的なことが、最もクリエーティブなこと」とは、ポン・ジュノ監督の映画製作の原点にとどまらない。日々の報道やニュースからこぼれ落ちる、世界の様々な片隅で記録された個人的な映像や写真が、時に世界の多くの人々に届く。

2003年、イラク戦争での中継リポートをする際、テレビ局のディレクターからこう言われた。「カメラを通じて多くの人に話すというよりも、誰か特定の方を思い浮かべて、その人に話しかけるような気持ちで伝えてください」。また、アメリカンフットボール・チアリーダーのある女性は、「スタジアムの大観衆に向かって踊るのではなく、スタジアムにいる誰か一人の顔を見て、その人に届けるように振る舞います」と話していた。

映画のみならず、言葉や表情は、誰かに向けた個人的な思いこそが、より多くの人にも普遍的に届くということなのか。

『娘は戦場で生まれた』より© Channel 4 Television Corporation MMXIX

『娘は戦場で生まれた』より© Channel 4 Television Corporation MMXIX

「外」の無関心を映像の力で変える

『娘は戦場で生まれた』のような、戦争の「内」と「外」の連携によって制作されるドキュメンタリーは、今後ますます増えていくだろう。その一方で、「外」の方の無関心や暴力に馴(な)らされる事態は、映像でどうやって止められるか。シリア内戦のドキュメンタリーは次々と外で公開される一方、シリア内部で起きていることが止まらない。

「私たちは世界に叫ぶ 助けて」「数千万人が私の投稿を見ている “視聴回数6800万回” なのに誰も政権を止めない」

映画の中でワアド監督が嘆くこの言葉は、シリアで今も続く虐殺の内と外を象徴している。現在4歳のサマに物心がついた時、この映画を観た後で彼女はどんな感想を口にするだろうか。その時、彼女の生まれた祖国の状況はどうなっているだろうか。

日本での映画公開を控えたいま、シリア北西部のイドリブでは、アサド政権の攻撃激化とロシア軍の空爆によって、今年に入ってからだけでも、死者300人以上、90万人近くが避難民となっているという。

シリア情勢の図式的な解説や背景説明だけではなく、人間の叫びや苦悶(くもん)が誰かの心の内に響き、虐殺を止めさせる具体的アクションが外で起こることを、そして戦乱の内と外を結ぶような動きが、シリアの地に一刻も早く届くことを願う。

「家族や友人を重ねて」 想像力が結ぶシリアと日本

『娘は戦場で生まれた』は、予告編映像のクリックやスクロールだけではなく、映画館スクリーンの真正面でぜひ、いや絶対に観てほしい。スマホやタブレットのサイズには到底収まりきらない、極限の人間模様が豪速球で自らに迫ってくる。

映画本編の中で、空爆で弟を失ってぼうぜんとする少年と、青いビニールに包まれた息子の遺体を自ら抱いて一人で運ぶ母親が現れる。ワアド監督は、「あの少年にあなた(サマ)を重ねて、母親に私を重ねた」と、つぶやいた。

ならば、この映画を観終えた後、ネットやテレビで流れる「シリア内戦のニュース」に、映画に登場するサマの笑顔や激しい砲声や亡くなっていく人々を重ねて、私たちは再び思い起こすだろう。彼らに自分の家族や友人を重ねて、心が痛むかもしれない。

そうした個人的な想像から、シリアと日本をつなぐ、クリエーティブな何かが始まる。

プロフィール

<わたい・たけはる> 1971年大阪府生まれ。98年からアジアプレス・インターナショナルに参加。東ティモール独立紛争、米国同時多発テロ事件後のアフガニスタン、イスラエルのレバノン攻撃など、世界の紛争・戦争地域を取材、ニュースリポートやドキュメンタリー番組を制作。イラク戦争報道で「ボーン・上田記念国際記者賞」特別賞、「ギャラクシー賞」報道活動部門・優秀賞など。ドキュメンタリー映画『Little Birds イラク 戦火の家族たち』(2005年) http://www.tongpoo-films.jp/littlebirds/ 『イラク チグリスに浮かぶ平和』(2014年) http://peace-tigris.com/ を撮影・監督。著書に『リトルバーズ 戦火のバグダッドから』(晶文社)、共著に 『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)など。

作品情報

母はシリアでカメラを回す 綿井健陽監督が観た『娘は戦場で生まれた』 誰かのための記録が、世界に届く

 

『娘は戦場で生まれた』

【監督】ワアド・アルカティーブ、エドワード・ワッツ
【出演】ワアド・アルカティーブ、サマ・アルカティーブ、ハムザ・アルカティーブほか
2019年/イギリス、シリア/アラビア語/100分/英題:FOR SAMA/日本語字幕:岩辺いずみ/字幕監修:ナジーブ・エルカシュ
【配給】トランスフォーマー
2月29日よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー
HP:http://www.transformer.co.jp/m/forsama/

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