哲学の教室

〈最終回〉自分に個性が無いと悩む必要は、まったくありません 

アイドルグループを卒業後、タレント・俳優・YouTuberなど、幅広いフィールドで活躍を続ける市川美織さん。ただ、自由奔放に見える本人は「どんなキャラでこれから仕事をしていけばいいか」悩んでいると言います。哲学者・岡本裕一朗教授はその悩みにどう答えるのでしょう。

まとめの最終回では、改めて岡本教授が「個性」をどう捉え、そして「自分」とどう向き合うべきかをテーマに講義します。

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「十人十色」は自由なあり方なのか?

〈最終回〉自分に個性が無いと悩む必要は、まったくありません 

今回、「個性」というテーマで、市川さんからさまざまなお悩み相談を受けました。一限目では「タレントとしての自分と、本当の自分とのギャップが気になる」というお話がありましたね。その後も「本当の自分が分からない」や「努力を見られたくない自分がいる」など、常に「本当の自分」に関わる悩みが出てきました。

そこで「本当の自分って、なんですか? 本当の自分は存在するのでしょうか?」という問いを投げかけてみます。 さて、みなさんは、どう考えるでしょうか。 まずは「個性」というものが今までどう扱われてきて、現代でどのように変化してきているのか、ということを見ていきましょう。

(このテーマについては、拙著『哲学の世界にようこそ。』のレッスン2で詳細に論じています)

「個性」はどのようにして受け入れられてきたか

戦前や戦中の日本までさかのぼると、全員が坊主頭で同じ制服を着て、「個人」よりも「お国のため」を強要された時代がありました。その反動か、戦後からは「ひとりひとりの個性を大切にしよう」という思想が強まります。

よく個性を尊重する表現として、「十人十色」という言葉が使われますね。「みんなちがって、みんないい」。これは金子みすゞさんの「私と小鳥と鈴と」という詩にある、有名なフレーズです。

各人の個性が違うことを十人十色と呼ぶなら、全員が坊主頭で同じ制服を着ていた戦時中は「十人一色」と表現することができます。一見、時代の変化によって個性に対する見方が大きく変わったように感じますが、ここでまず問いたいのは、果たして十人十色十人一色って、本当にまったく違うものなのか、ということ。

実は、十人十色も十人一色も、ひとりの単位で考えれば、「一人一色」となるという点で共通しているのです。その人の個性はひとつだけであり、どこにいても、誰といてもその個性は変わらない、ということになる。

個性は「アイデンティティー」という言葉で表現されることがよくありますが、アイデンティティーの意味は「同一性」といって、ずっと変わらないもの・ことを指します。

〈最終回〉自分に個性が無いと悩む必要は、まったくありません 

しかし、いつでもどこでも、同じ行動や考え方をしているでしょうか。たとえば、仕事をしているとき、あるいは友人とご飯を食べているとき、さらには親と話すとき、あなたは本当に、同じようなしゃべり方をしているでしょうか。

おそらく、同じようにしゃべろうとすると、違和感を抱くでしょう。私たちは、いろいろな場面に応じて、話し方や態度が柔軟に変わっていくはずです。

もしそこで「私はこういう自分じゃなきゃいけない」という個性の捉え方をしているなら、きっとそのせいで窮屈に感じているはず。もしくは、場面に応じて変わってしまう自分に戸惑い、「本当の私ってなんだろう」と思い悩んでしまうかもしれない。

そこで、個性に対する捉え方を、いま一度考え直してみてほしいのです。それは、 十人一色でもなく、十人十色でもなく、「一人十色」という考え方です。

私たちは常に演技をしていることを忘れずに

〈最終回〉自分に個性が無いと悩む必要は、まったくありません 

そう考える場合、一人はさまざまな色を持っていて、場所や時間、相手によってその色を変えていくことになります。電車に乗っているとき、友人と遊んでいるとき、実家で両親と話しているとき・・・・・・すべてが本当の私です。そして、この考え方のほうが、基本的に私たちの生き方や行動に近い。

もしかしたら、「演技をしている」と言う人がいるかもしれません。たしかに、相手によって態度を変えることは、世間ではあまりよく思われないほうが多い。

でも、果たして私たちの中に、演技を一切せずに生きている人がいるでしょうか。 きっと、友人と遊んでいるときは「友人と遊ぶ自分」を、仕事をしているときは「仕事をしている自分」を、仲がいい人と話すときは「仲がいい人と話す自分」を、嫌いな人と話すときは「嫌いな人と話す自分」を、無意識に演じているはずなんです。

私たちは演技抜きには生きられない。では、なぜ悪口を言われてしまうのか。その原因はふたつ考えられます。ひとつは、ニーチェが提唱した「ルサンチマン」という考え方。

本当は自分もやりたいけど、同じようにできない。ほかの人が上手くいっているように見えると引きずり下ろしたくなる。つまり、逆恨みです。

もうひとつは、「演技が下手」な場合です。演技にも上手い演技と下手な演技があるわけです。下手な演技をすることで、「演技をしていること」が分かってしまう。

それは演技をしていることではなく、下手なことが嫌がられているわけです。逆に何年間も続けているような板についた演技には、誰も文句を言わない。

演技をしない「本当の私」は存在するのか

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ここで、「演技をしていない自分」は存在しているのか、という疑問が出てきます。それこそが本来の自分であり個性だ、と考える人もいる。しかし、分けて考えられるものではありません。分けられるとしたら、上手い演技か、下手な演技か、ただそれだけです。

私たちは対人関係がある以上、「演技をする自分」から逃れることはできない。 それは、部屋に一人でいるときの自分だって同じです。たとえ誰の目も気にせず一人でいたとしても、「他人との関係性をシャットアウトした」という前提があるだけです。そこではやはり、ひとりでいる自分をどこかで演じているのです。

個性を他人抜きには語れないとき、「他人が評価する自分と、本来の自分は乖離(かいり)している」というジレンマを抱く人もいるかもしれません。今回の市川さんのお悩みはまさにそういうものでした。

しかし、それは単純に戦略がうまくいっていないだけ、と考えられます。評価されたい自分を演じることができていない、ということです。 そもそも自分自身のことは自分が一番分かっている、という前提から見直した方がいいかもしれませんね。他人が自分を誤解するように、自分が自分を誤解することもある。

「自分のことは自分が一番わかっている」と自己理解を特権化することは、結果的に「本当の自分って結局なんなんだろう?」という堂々巡りにつながってしまいます。 本当の自分は、自分にも他人にも判断がつくものではありません。

「変わっている人」はほんの少しずれているだけ

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大切なのは、他人が自分を理解するあり方と、自分が自分を理解するあり方、そのふたつを同じような水準で考える必要がある、ということです。その中で自分の個性を調整していくといいのではないでしょうか。

個性は、他人との関係の中で作り上げられていくものです。自我が芽生えるよりもずっと前、赤ん坊の頃だって、親にあやされたら笑いますよね。生まれたときから他人との関係は始まっているのです。「本当の自分」は必ずしも自分が見つけなければいけないものではない。他人が理解する自分こそが、自分の姿と考えることだってできるのです

そして、よく「ほかの人とは違う個性的な人間になりたい」という願望もありますが、このとき「他人に理解される」という前提に立って考えると、個性というのは「他人からかけ離れたもの」ではないとも言えます。あまりにも他人と違う個性は、誰からも理解されることがありませんから。

よく「あの人、個性的だよね」という言い方をしますが、私からすれば、ほとんどは、ほかのみんなと同じで、ほんの少しだけずれている、というのが適切な理解かと思います。ですから、自分に個性がないということや、誰かと似ていることについて思い悩む必要はまったくないと思います。 

今お話ししている「個性」については、あくまで「今の時代」の使われ方と、それに呼応した私たちのあり方についてです。

デジタルテクノロジーと分人の時代

さて、今までのお話では、人というのはさまざまな色を持っていて、場面に応じて柔軟に変わっていくものだ、ということを語ってきました。個性は、たった一色ではないのです。

この考え方は「分人(dividual)」と呼ばれます。 これまでの時代の社会では身分証明書によって、個人を一人の分割できない単位として取り扱ってきました。「個人(in-dividual)」という言葉自体が、「分割不可能」という意味なんです。

しかし、のちにデジタルテクノロジーによって、人々の行動の幅が広がります。クレジットカードで買い物をしたらカード会社に登録され、Twitterでつぶやいたら発言が記録され、ネットショッピングをすれば購入履歴が残るようになります。

そうやって個人の情報が分割されていくようになりました。 そうすると、どれが「本当のこの人ですか」といっても、ひとつに定められるものではなくなります。そして、今まで分割できないものとして考えられていた個人は、さまざまなかたちで分割された情報の束で捉えられていくようになる。

デジタルテクノロジーの影響を受けた20世紀から21世紀にかけて、ひとりの人間に対する捉え方は大きな変化を迎えています。 そういう時代においては、「私はこういう人間です」とひとつに限定するのではなく、YouTubeやTwitter、Instagram、Tumblrなど、さまざまなかたちのSNSで発信していくほうが、その人が何者かということを他者が認識しやすくなり、個性の理解へとつながっていきます。

それが今の時代における「個性」の適切な捉え方と考えるべきではないでしょうか。みなさんは、どう考えますか?

〈最終回〉自分に個性が無いと悩む必要は、まったくありません 

(文・園田もなか 写真・持田薫)

プロフィール

岡本裕一朗(おかもと・ゆういちろう)
1954年福岡県生まれ。玉川大学文学部名誉教授。九州大学大学院文学研究科哲学・倫理学専攻修了。博士(文学)。九州大学助手、玉川大学文学部教授を経て、2019年より現職。西洋の近現代哲学を専門とするが興味関心は幅広く、哲学とテクノロジーの領域横断的な研究をしている。『哲学の世界にようこそ。』(ポプラ社)、『世界を知るための哲学的思考実験』(朝日新聞出版)など、著書多数。

市川美織(いちかわ・みおり)
2010年にAKB48のメンバーとして活動開始。2014年にNMB48へ移籍。 2018年5月1日NMB48を卒業し48グループとしての活動を終了。 女優、バラエティ番組への出演、モデルをはじめアパレルとのコラボやYouTuberなど クリエーター方面でも活動中。 代表作に舞台「放課後戦記」(主演)、「こと〜築地寿司物語〜」、映画『放課後戦記』(2018年4月公開、初主演)など。 2014年3月「広島レモン大使」、2017年11月「久喜市くき親善大使」就任。PHOTOBOOK『なりたいの、わたし。』(ぶんか社)、ファースト写真集『PRIVATE』(玄光社)が発売中。 主演舞台「路地裏の優しい猫」(4月1日~5日東京芸術劇場シアターウエスト/5月9日~10日近鉄アート館)に出演。

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