一眼気分

〈番外編〉スマホ写真と補正について考える もはや“リアリティー”より“アート”?

モータースポーツのシーズンインを目前に控え、新型コロナウイルスの影響がいろいろな形で現れている。僕の場合も例外ではなく、主な仕事場であるサーキットは、テストの中止や無観客での開催などの対応が始まった。例年、シーズン開幕前に撮影するスポンサーのCM撮影も延期の可能性が高まっている。状況を考えれば当然のことなので、今は冷静に状況を見つめている。

〈番外編〉スマホ写真と補正について考える もはや“リアリティー”より“アート”?

今回掲載した写真は、全てスマホで撮影

サーキット以外でもイベントの中止が相次ぎ、この季節ならでは、という写真を撮りたくても思うようにはいかない。もとより写真を撮るという行為は現場に行って初めて成立するので、今の状況では新しい写真を撮ることが難しくなっている。

〈番外編〉スマホ写真と補正について考える もはや“リアリティー”より“アート”?

仕方なく自宅でスマートフォン(以下スマホ)をいじりながら情報収集をして過ごしていた時に、ふとスマホに保存された多くの写真を見た。

あれっ? こんないい写真がある! へぇーこれもスマホか? 

すると、そう感じる写真が目につきだした。そこでライブラリーの写真全て見返すと、これが結構な驚きだった。

〈番外編〉スマホ写真と補正について考える もはや“リアリティー”より“アート”?

もちろん、あくまでもスマホの画面でしか見ておらず、大きなモニターでの確認はしていないので、画質やピントがどうかなど確認しなければならない点はある。

〈番外編〉スマホ写真と補正について考える もはや“リアリティー”より“アート”?

そこで、実際にPCに取り込んで拡大してみると、想像以上にきれいでピントも悪くない写真が多く、正直に言えば、コンパクトデジタルカメラを常時持ち歩く必要性は全くないと思った。

〈番外編〉スマホ写真と補正について考える もはや“リアリティー”より“アート”?

最近のスマホは内蔵カメラの進化が著しい。かつて携帯電話のカメラといえば記録用程度の認識だったが、今は搭載レンズも3個どころか、5個使っているものもある! 品質も高精細、高画質化が進み、ウェブ上では当然だが、印刷媒体でも十分に使用できるクオリティーになっている。

〈番外編〉スマホ写真と補正について考える もはや“リアリティー”より“アート”?

こうなるといわゆるコンパクトデジタルカメラ、通称コンデジと言われている機種の存在理由が危うくなってくる気がする。たとえコンデジとはいえ、1台余計に持てば荷物が増えるのは間違いなく、また現代においてはスマホは必需品なので、僕もどこへ行くにも肌身離さず持ち歩いている。

〈番外編〉スマホ写真と補正について考える もはや“リアリティー”より“アート”?

荷物からコンデジを取り出す+電源を入れて撮影する、というステップが、スマホなら必要ない。手に持っている可能性が高く、さらに基本的に電源もONになっているから、すぐに撮影ができる。もともと持っていた利便性にクオリティーが組み合わされば、確かに素晴らしいものになる。

〈番外編〉スマホ写真と補正について考える もはや“リアリティー”より“アート”?

では『一眼気分』の筆者としての感覚はどうかというと、やはりコンデジとスマホは微妙に立ち位置が異なる気がする。コンデジでの撮影は「カメラを構える」という一つの儀式のような行為であり、漠然と写真を撮るのではなく、「意識して被写体を狙う」という明確な目的が存在するからである。

〈番外編〉スマホ写真と補正について考える もはや“リアリティー”より“アート”?

たまたま通りかかったから、または偶然出会ったから撮る。もちろんそれも写真だし、シャッターチャンスという意味においては素晴らしいと思う。でもそれは記録であり証拠写真ではないだろうか? 目的をはっきりと持ってカメラを構える場合とは撮影者の意図が全く異なると思う。

もちろん、それはどちらが正しいという話ではなく、スタート地点が違うだけなのだが。

〈番外編〉スマホ写真と補正について考える もはや“リアリティー”より“アート”?

実際、僕も撮影現場で抑えとしてスマホのカメラを使うこともあるし、偶然出会った景色が素晴らしく、カメラを持っていなかったのでスマホで済ませたこともある。

〈番外編〉スマホ写真と補正について考える もはや“リアリティー”より“アート”?

スマホのカメラ側での画像処理も進んでいて、5レンズ、1億画素という数年前には想像できなかった機種も登場した。マルチレンズの搭載によりまるで一眼レフで撮った画像のように後から背景をボカすこともできる。

〈番外編〉スマホ写真と補正について考える もはや“リアリティー”より“アート”?

ただ、個人的な感覚ではあるが、スマホで撮影された写真は、どんなに背景がボケていても、どことなく不自然でリアリティーに欠ける気がする。それは基本的に撮影したデータをソフトウェアで後処理しているためだと思う。

〈番外編〉スマホ写真と補正について考える もはや“リアリティー”より“アート”?

いずれにしても加工の有無を問わず、僕はやはり元の写真のフレーミング、適切なシャッタースピード、絞りなどが一番大切だと思っている。だからスマホから生まれる写真は「それらしい写真」ではあるのだが、どことなく不自然に感じる部分がある。そして、こうなるともはやどこまでの補正や修整が作品としての写真に認められるのだろうかと悩む。

確かにモノクロのプリントの時代から焼き込みや覆い焼きなどの補正、修整作業は存在していた。それが現代ではラップトップやスマホの画面上で簡単に自由自在にできるようになっただけとも言えるのだが。

〈番外編〉スマホ写真と補正について考える もはや“リアリティー”より“アート”?

デジタルカメラ全盛の今、何の補正もせずに作品を出す写真家は皆無と言ってもいいだろう。それは作品の持ち味でもあり、撮影者の個性でもあるからだ。だが今は、そこに存在していた物を消したり、全く異なる色調に変換したり、言うなれば無制限にどうとでもできる。

しかし、全て撮影者の表現方法であるから何をしても構わないのだろうか? 写真はリアリティーを大切にしてきたカテゴリーだったのだが、もしかしたらこれからは全て「ART(アート)」というカテゴリーでくくられる存在に変わっていくのかもしれない。

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PROFILE

宮田正和

東京浅草生まれ。1984年のロサンゼルス・オリンピックをはじめ、NBAバスケットボール、各種世界選手権、テニスのグランドスラム大会、ゴルフの全英オープンなどスポーツを中心に世界を舞台に撮影を続ける。1987年、ブラジルF1グランプリを撮影。マシンの持つ美しさ、人間模様にひかれ、1988年よりフランスのパリ、ニースに4年間ベースを移し、以来F1グランプリ、オートバイの世界選手権、ルマン24時間耐久レースなどモータースポーツをメインテーマとして活動を続ける。AIPS(国際スポーツ記者協会会員)A.J.P.S(日本スポーツプレス協会会員)F.O.P.A(Formula One Photographers Association会員)

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