LONG LIFE DESIGN

注目すべきは技法やデザインより「エネルギー」の質? これからのモノ選びで大切な視点

新型コロナウイルスは、現代人の私たちにいろんな影響を与えていますね。みんなで協力して拡散を防ぎ、無事に収まることを祈りながら、これからの社会について考えるきっかけにしましょう。

ということで、今回は普段の僕のテーマ「ロングライフデザイン」をずっと考えてきて思う「サステナビリティー」との合流について書きました。

環境から見た「サステナビリティー」と、生活デザインから見た「ロングライフデザイン」は、実は同じことを言っています。その流れから「生活」について考えたことを少し。そして最後は「情熱」のお話です。それではしばしお付き合い下さい。

サステナビリティーとロングライフデザイン

最近、よく聞く「サステナビリティー(人間、社会、地球環境の持続可能な発展)」、もっとよく聞く「SDGs(持続可能な開発目標)」。これまで僕はデザイナーの立ち位置で「使う」「作る」「売る」という三者間のことをずっと言ってきました。まぁ、店をやっているので、取引先や生活者の「使い勝手から考えるデザイン」のことが、とても気になります。

もちろん「環境」についてもデザイナーの立ち位置からの答えがあって、「捨てずに長く修理しながら使い続けよう」「長く使い続けられるものを売ろう」「修理できることや、使い手、売り手のこともしっかり視野に入れたものづくりをしてね」みたいに考えてきました。そして、この「SDGs」の広がりについても、そろそろ合流しなくてはならないなと、時代的に感じています。

簡単に言うと、デザイン側からは「長く使い続けよう」というロングライフデザイン、環境側からは「地球に負荷を与えず、不要になったらしっかり素材別に再利用しやすいものを」というサステナビリティー。この二つのお話です。

サステナビリティーを重視する“先進国”であるスウェーデンやコスタリカ、デンマークやドイツなどは、「エネルギー」に対する考えと実践の中に、「モノ」がある。そこから日本を見ると、まだまだ感覚が遅れているように思います。エネルギー調達の方法からそのブランドを判断する国もあるのに、私たちはまだ、日本の企業をそんなふうには見ることができていません。まだまだ「モノのデザイン」に気が回っている。せいぜい、伝統技術の継承や、産地の衰退などにやっと関心がわき始めているくらいでしょう。

かく言う僕もそうです。今や問題のある発電方法からのエネルギーではなく、自然の力に由来したエネルギーを私たちは選べます。積極的に地域循環をさせるものづくりもあります。映画『おだやかな革命』などを手がけ、最近「d」でもトークショーや勉強会などでご縁のある渡辺智史監督は、こうしたメッセージを映画などで積極的に伝えていますが、その作品を観(み)てもまだまだピンとこない人が多いと思います。

それは、まだ私たちが「ものづくりの環境」の前に「モノ」に目が行くからでしょう。どんな環境、技、伝統で作り出されたかには関心が湧きますが、「その制作にどんなエネルギーを使っているか」ということには、まだまだ関心が向かない。

僕は「IKEA」というブランドが好きではありませんが、6割以上の商品で再生可能な素材を使っているなど、世界を代表するサスティナブル企業と言われています。彼らは「サーキュラーエコノミー」(資源を循環させる)を提唱していますが、書いていて矛盾するのですが、なんか好きになれません。

要するに「一生大切に使い続けられる家具」ではなく、「飽きて、また壊れて捨てる時は、単に廃棄するのではなく、効率的にパーツを次の商品に循環できること」が良しとされているわけです。

あえて大雑把に書くと、日本では「魂が宿る」的なモノと自分との関係性が好まれるから、ドイツ車のように、廃車になってもパーツの素材が一目瞭然でリサイクルしやすい……みたいな発想になかなか進めないと思うのです。世界的に言えば「のんき」なのかもしれません。

そんな日本もこれからどんどん「SDGsが……」みたいな企業がわんさか増えてくる。そんな時に、これまでの志向に合った「日本的な持続性」を、ロングライフデザインとしても考えていかなくてはならないことは明らかです。そんなことを考えながらやってみたのが、先日金沢で開いた展覧会「PLASTICS」展で、「プラスチックも経年変化が楽しめて、一生モノとして使い続けられる」ということを伝えました。

家庭で使う電気や給湯を、二酸化炭素(CO₂)を出さないクリーンなエネルギー由来のものに変えることが、今、一番CO₂削減に効果がある。つまり、エアコンの温度を下げたり、省エネ家電に買い替えたりするよりも、そもそも「その電力がどう作られているか」を調べ、「健やかに作っている電力会社からエネルギーを買う」ことからしなくては、先が明るくないのです。

このことを考えていると、15年くらい前の「オーガニック野菜」の状況とダブります。あの頃は、どこか流行(はや)りのようで、少なくない人が「そんなの無理だって……」と思ったでしょう。しかし、みんなで多少高くても応援した。歯をくいしばるように支援しながら「農薬」を排除していった。それと同じように、「いい電気」は存在し、これまでの電気料金と変わらずに解約、そして契約ができるようです。

世界的にも「リサイクルされることよりも、利用そのものを減らす」という考えがスマート。地球のことを考えて、ものを作る、売る、使う時代にどんどんなっていくとき、ひとつの美学として「ロングライフデザイン」は再び輝くのではないかと思っています。利用を減らすという価値観の中には、「捨てずに長く使う」ということが、やはりあるようです。

金沢市のギャラリーで開催した僕の展覧会。テーマは、「長く使われているプラスチック製品は、本当に昨今言われているように環境を汚すモノなのだろうか」ということ。捨てずに使い続けることで、ジーンズや革製品のような「経年変化」が生まれ一生モノになる、という考え方です

金沢市のギャラリーで開催した僕の展覧会。テーマは、「長く使われているプラスチック製品は、本当に昨今言われているように環境を汚すモノなのだろうか」ということ。捨てずに使い続けることで、ジーンズや革製品のような「経年変化」が生まれ一生モノになる、という考え方です

“生活”よりも“モノ”

僕はこれまで「生活」よりも「モノ」が多かったのだと、この年越しの掃除で思い知りました。何を言っているのかわからない人もいるかもしれませんが、「モノ」があれば「生活」していると勘違いしていたとも言えます。

と言うのも、ではモノがなかったら生活できなくなるのか、と考えていった時、かえってその方がモノを大切に無駄なく、修理しながら使うかも、と思ったわけです。そしてこうも思うのです。どうしてこの年になって急に「モノ」に対する意識が変わってきたのだろうか、と。ここにはもちろん、自分がしっかり生活できていないことをモノのせいにしているところがあります。それにしても、です。

モノが極力ない生活。そういうと、沖縄在住のデザイナー、真喜志奈美さんのお宅を思い出します。とにかく服も家具も最低限度。だからこそ、生活をちゃんとしている様子が際立ちます。仕事、食事、睡眠。たまにお酒ですが、とても整頓され、モノがない分、本当にちゃんと生活をしていることが感じられる。

こう書いていたら、また、思いつきました。この文章です。そうか、書きたいことが多すぎて散漫な様子は、まさに僕の部屋のよう。書くことを絞り込んでいけば、シンプルなものたちと暮らすのと一緒で、集中できるかも……。まぁ、そう簡単にスッとはなりませんが、今年はとにかく生活をシンプルにしたいです。

ホテルに泊まると、現実の生活との比較からの開放感が感じられる。自宅のようにいろんなモノが無いからだと思う。自宅でホテルのように住むことは出来なくはない。私たちはモノがたくさんあることが、幸せだと勘違いしがちだと思う。モノがホテルのように無いと、気持ちがシンプルになるのだと思う

ホテルに泊まると、現実の生活との比較からの解放感が感じられる。自宅のようにいろんなモノが無いからだと思う。自宅でホテルのように住むことは出来なくはない。私たちはモノがたくさんあることが、幸せだと勘違いしがちだと思う。モノがホテルのように無いと、気持ちがシンプルになるのだと思う

無垢な情熱

自分が年をとっているなぁと感じる時があって、若い人の元気な様子を見てそう思うんだなぁと、最近、思いました。彼らの元気の源って何かなぁと考えていたら、それは「無垢(むく)な情熱」なんだと思いました。できるかできないか、わからない。なんだったら失敗を繰り返しているかもしれない。しかし、前に向かい、熱弁をふるって周りに訴えかけながら、自らも体を動かしている。なんだかわからないけれど、動いている。叫んでいる……。

それは間違いなく「情熱」、つまり「熱」だ。そして、それがあるからできること、出てくる言葉がある。例えば、若かりし日に書いた企画書は、後々読むと顔から火が出るほど恥ずかしいけれど、そこには「勢い」がある。

先日、書斎をゴソゴソと掃除もかねて整理していたら、「d」を作った当時、働くスタッフに向けて書いた決意書が出てきた。「こんなの、書いたんだなぁ」というのが第一印象。そして、読んでいくうちに我ながら感動してしまった。そして思う。「こんなもの、今、書けるだろうか」……。

おそらく、いま、まさに20周年を迎える「d」という自分の会社には、こういう「熱」が必要だと思う。いや、「d」に限らず、創業者には常にこれがなくてはならない。それがあることで、会社やチームは「熱」を持ち、いつ何時も若々しく動ける。考えられる。

以前「d」の日記に、ワクワクさせてくれる金沢のおすし屋さんの話を書きましたが、それと今回の話は根っこは一緒である。主人に感じた「元気さ」「若々しさ」は、そこにあるチームから漂ってきていた。新鮮なネタと丁寧で経験豊かな仕込み仕事。そして、味に対する創意工夫。ここに「熱」が加わって「おいしい」を「本当においしい」「おいしく感じずにはいられない」状況を作り出していた。これは会社やチーム、店などにも参考になる。

さて、掃除中に出てきた20年前の「自分」と「熱」を前に、少しだけ初心は思い出せた。しかし、ではこんな文章を、これから先の未来のプロジェクトのチームのみんなに向けて書けるだろうか。そこには絶対に必要な「情熱」がないと書けない。大人になりすぎた僕は、きっと器用にそれっぽくは書けてしまう。しかし、そこには「熱」は多分、感じられないだろう。

「情熱」ってすごいと思う。『情熱大陸』に出たのも10年以上前になったし、さて、自分に情熱は残っているのだろうか、と、掃除中の今、ふとその気持ちだけでもこうして書き残している。そして、最近親しくなった友人にメールをした。「複雑に考えすぎるようになってしまった」と。

経営者はこの「情熱」がなくなったら引退すべきだと思う。経営者やリーダーとは、この「情熱」を集め整理して、そこにいるみんなに与え、それを各自が滾(たぎ)らせる。それをやりたいとみんなに感じさせる。そこにもまた、「熱」はいる。しかも、とっておきの「無垢」な。

お恥ずかしいのですが、これがその決意書の一部。はっきりと強い決意で書かれていて、自分が書いたものとは思えない迫力すらありました。恥ずかしい反面、こんな無垢な情熱は、今はあるのだろうか、と考えてしまいました。人目を気にせず、思ったことをはっきり言えた若き時代って、誰にでもあるものですね

お恥ずかしいのですが、これがその決意書の一部。はっきりと強い決意で書かれていて、自分が書いたものとは思えない迫力すらありました。恥ずかしい反面、こんな無垢な情熱は、今はあるのだろうか、と考えてしまいました。人目を気にせず、思ったことをはっきり言えた若き時代って、誰にでもあるものですね

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PROFILE

ナガオカケンメイ

デザイン活動家・D&DEPARTMENTディレクター
その土地に長く続くもの、ことを紹介するストア「D&DEPARTMENT」(北海道・埼玉・東京・富山・山梨・静岡・京都・鹿児島・沖縄・韓国ソウル・中国黄山)、常に47都道府県をテーマとする日本初の日本物産MUSEUM「d47MUSEUM」(渋谷ヒカリエ8F)、その土地らしさを持つ場所だけを2カ月住んで取材していく文化観光誌「d design travel」など、すでに世の中に生まれ、長く愛されているものを「デザイン」と位置づけていく活動をしています。’13年毎日デザイン賞受賞。毎週火曜夜にはメールマガジン「ナガオカケンメイのメール」www.nagaokakenmei.comを配信中。

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