LONG LIFE DESIGN

ちゃんと商売をしようと考えたら、一番大切なのは「定期的」であることではないだろうか

新型コロナウイルスとの戦いは続いています。僕は家賃を払って店舗物件を借りて商売している一人として、みなさんと一緒で「先が見えない」というのが一番こたえます。そうですよね。今や自粛と補償の話が入り乱れ、この先どうなるかわかりませんが、商売人としての僕は、集団で結束して守るべきことは守った上で、各自できる限りの「未来予想」をしておくべきだと思っています。

と、いうことで、今回はコロナ禍が終息に向かっていく先を意識して、三つのことを書いてみました。

一つは「看板のない店」の話。闇営業ではありません(笑)。意識を持ってその場所で覚悟を決めて営業するという話です。

二つ目は「定期的」というお話。いつ営業しているか分からない店には、固定客が寄りつきません。商売って「リズムを刻む」ことでもありますよね。定休日があり、営業時間がある。今、自粛ムードでそれどころではありませんが、それでもリズムは刻んだ方がいい。Webニュースを毎週発行するなど、「リズムを刻む」ためにできることは結構あるんじゃないかと思います。

 

最後は「ロングライフデザイン時代」と、しました。今回の騒動で価値観が変わるでしょう。お金も時間も無限ではないことをかなり思い知らされましたね。では、どんな思考に変わっていくか。その一つがやはり「捨てずに長く使い続けられる」という価値観だと感じました。それでは前置きが長くなりましたが、しばしお付き合いくださいね。 

最近、ハマっている商品です。気がつくとこうした「炎のようなゆらぎ」「アウトドア用品を室内で使う」「持ち運ぶ」みたいな商品がヒットしているようですね。僕は仕事柄、話題のものには細心の注意を払い、なるべく買わないようにすらしているのですが(笑)、なんだかツボにハマってしまっていました。ちなみに、夜、これを枕元まで持っていって寝ます。夜中にトイレに行く際は、もちろん、明かりを灯(とも)してまるで電気がなかった時代のように、これを持って歩きます。なかなか活躍しています

最近、ハマっている商品です。気がつくとこうした「炎のようなゆらぎ」「アウトドア用品を室内で使う」「持ち運ぶ」みたいな商品がヒットしているようですね。僕は仕事柄、話題のものには細心の注意を払い、なるべく買わないようにすらしているのですが(笑)、これはなんだかツボにハマってしまっていました。ちなみに、夜これを枕元まで持っていって寝ます。夜中にトイレに行く際はもちろん、明かりを灯(とも)してまるで電気がなかった時代のように持って歩きます。なかなか活躍しています

看板がない店

以前、お店なのに、お店だと分からせる”看板”もなにも表示していない店に何軒か行きました。ある一軒の中国茶を販売しているであろう店を紹介してもらった時のお話です。そこは店のようでいて、わかりやすく「店」という感じではありませんでした。看板を出していないわけですから、普通に訪れることはできません。知り合いに紹介してもらって何とか場所を探しながらその店にたどり着くと、最初から最後までしっかりともてなし接客してくれました。

とにかく他の来客がないわけです。商品は棚に並んではいますが、販売する気配が全くない。ずっと中国茶をごちそうしてくれて、なにも他にないわけです。「商売っ気ないですね」と笑って言うと「商売の感覚ではやってないんです。ここは、自分が気に入った人しか呼ばないし、自分を見てもらうための場所だよ」と。

日本にも昔はこういう場所がいくつかありました。今もあるでしょう。例えば「看板のないバー」とかです。看板を出さないということは、元々通っているお客さんの紹介などがないとたどり着かないわけです。そういう店には、通りに面しているとか、人通りが多い繁華街の中とか、そういう力は借りない、という決意のようなものがありました。とにかく「何のせいにもしない」。時間のせいにも、人通りのせいにも……。商売をやっているのは「自分」。その意思を強く感じたのでした。もちろん、商品の知識は半端ありません。

その店からの帰り、ホテルに戻りながら「看板がないっていいな」と思いました。そもそも私がやっている「d」という店をこのスタイルにしてみるのもいいなとも思いました。看板を出さないことで、こちらのいろんな気持ちを込めることができるからです。また、お客の側としても、期待や紹介者との関係などから、丁寧に店や商品と向き合おうという意識が芽生えます。

別の日にこんなこともありました。3泊目に予約して頂いたのが、元は国賓用の宿。それが一般に公開され、今では誰でも泊まることができるようで、そこに泊めて頂きました。ここにも「商売っ気」はありません。逆に過去にそうした物語があるということで、商売っ気がない様子が、商売のポイントになっていました。そして、実際にそういう雰囲気を作っていました。商売っ気がないという商売……。おもしろいですね。

商売って、「商売しているぞ」と最初から分からなくてもいいんだ、とも思いました。商売っ気を感じさせる「店」というものがわかりやすくあれば、客と店員(の立場)もはっきりします。「客」は自分を「客」と思い込めるし、「店員」は「店員」として割り切れるわけです。そこには絶対的な「店」という壁(=人の役割やスタンスを決める設定)がある。“壁”があるから、そこに集まる人たちの役割がスムーズに成立している。無駄なコミュニケーションがあるのではないかとビクビクすることもありません。堂々と「客」ができるわけです。しかし、看板のない店は両者の関係がどことなく対等に思いました。

そして、そこには社会が、あるいは地球がどうなろうとも変わらぬ、店主とお客の強い関係性という絆がありました。

ちゃんと商売をしようと考えたら、一番大切なのは「定期的」であることではないだろうか

ちゃんと商売をしようと考えたら、一番大切なのは「定期的」であることではないだろうか

日本で言う普通のアパートの一番奥にその場所はありました。伝えられた通り行き止まりまで進むと、少しだけ扉が開いている部屋があり、それが目的地でした。絶対に知らない人は入ってこない場所で、紹介者だけを相手に中国茶の販売をしていました。店にいる間、連れて行ってくれた人が「おなか空きませんか?」と聞くので、ハイと答えると、おかゆの出前をとってくれて、この場所で食べました。楽しい経験でした

日本で言う普通のアパートの一番奥にその場所はありました。伝えられた通り行き止まりまで進むと、少しだけ扉が開いている部屋があり、それが目的地でした。絶対に知らない人は入ってこない場所で、紹介者だけを相手に中国茶の販売をしていました。店にいる間、連れて行ってくれた人が「おなか空きませんか?」と聞くので、ハイと答えると、おかゆの出前をとってくれて、この場所で食べました。楽しい経験でした

定期的

「d」中国店の運営がやや難航していて、その原因は「とてつもない田舎の奥地」という立地にあるのですが(笑)、 そんな時あることを考えました。

「d」は基本的に直営で店は出しません。出すべきでもないとも思っています。「d」には「その土地に長く続く素晴らしい個性をその土地の人が編集して紹介していく」という店のルールやスタイルがあるので、その土地の人が運営しないと意味がないからです。

直営店が全くないわけではありません。ただ、大阪店、福岡店という直営店を閉めたのは、「(スタッフは)僕らが東京で現地採用できるけれど、やはり離れた知らない土地のことはできない」と思ってのことです。やはり、そこに暮らしていないということは大きかったのです。

結果、何を思ったのかというと、フランチャイズ本部として、というか、そもそも店を成立させるってどういうことをしなくてはいけないのかな、と、そこから考えてしまいました。

店を運営する、継続していくということは、その店のことを考え続けないといけません。そして、本当に当たり前のことにも(今更)気づきました。それは「商品開発」と「広報」です。商品開発にあたって「商品」に形のある、なしは関係ありません。要は「定期的にお金を払って欲しくなるものを創造する」ということ。ポイントは「定期的」であることです。

雑誌を作る時、これもごく当たり前の話ですが、出版関係の方から「定期刊行物」という言葉を聞き、「ほぅ」と思ったことが30年くらい前にありました。自分のペースで作る。できたら売り場に並べる……これではお客さんはわからない(買えない)わけで、毎月25日とか発行日を決めれば、読者は作り手に持続的に関心が持てます。もちろん、不定期で「いつ開店しているかわからない店」みたいなものはありますが、それはそれでいいのですが、ちゃんと商売をしようと考えたら、やはり、「定期的」は大切です。「ほぼ日」って、そこをブランド名にすることで、(ほぼ)日刊という印象を持ってもらえています。上手です。さすがコピーライターの糸井(重里)さん。

話を戻し、僕らは今、好きな時にものを作り、自分たちのペースで情報発信しています。そうすることで、とても関心を持ってくれるファンのような方は、とにかく「『d』のことをいつもチェックする」ということが習慣になっていて、本当にうれしいのですが、もちろん、僕らのビジネスの規模だと、もう少し、そうした方々を取り込まないと成立しない。

「定期的な『d』的商品」があるならある、ないならない、と、これまた「定期的な発信」をしないと忘れられてしまうのです。「成立させる」とは、そういうことだと思いました。そして、その「定期的」ということこそ、本当に難しく、そこがしっかり出来ているって、実はすごいことだと思うのです。変なたとえですが、雑誌でたとえると「内容」よりも「定期的に出る」ことの方が大切なことなのかもしれないとさえ思います。

個人個人、それぞれの人生、生活がありますが、大きく考えると社会の“定期なリズム”の中で生きています。そのリズムを意識することで定期的なことがいかに大切かがわかると思います。もっと大きく言うと、地球や宇宙のリズムで私たち地球人は生きている。まぁ、かなりそのリズムを無視して世界中の環境に負荷を与える「地球が定期的に行ってきた様々なこと」を人間が自分勝手に崩そうとしている今、それは後に何か大きな代償を払う事態に発展するのでしょうが。

太陽が昇り、沈むという地球の大きなリズムの中、人間は時間をそれぞれに使って商売をしたりします。いろんな人たちのリズムで、いろんなものが作られ、売られ、捨てられる。なんだか大きな話になってしまいましたが、私たちはリズムを刻みながら生きていて、それはやはり意識した方がいいんだよなぁと、思うわけです。結論、ありません(笑)。でも、なんとなくぼやっと考えてみてください。何かが、見えてくると思います。

ちゃんと商売をしようと考えたら、一番大切なのは「定期的」であることではないだろうか

「d」中国店がある黄山地区碧山。最寄りの交通機関は、新幹線駅と空港。朝に東京成田を出発したら、真夜中に到着するくらいの距離にある、本当に美しい田舎の村の中にあります。こんな立地だからこそ、年に1度、3月に……とか、毎年秋に……とか、定期的なリズムが必要になってきます。発信してイベント情報を受け取ってもらうよりも、誰もが共通で持っている年間カレンダーの中に刻んでしまえばいいのです。これも一種の「定期的」でしょう。町のお祭りなんかは、その類ですね。ぜひ、「d」黄山店へ。何にもない田舎の村での体験とおいしい水と空気と静けさだけは、どこにも負けません

「d」中国店がある黄山地区碧山。現地までの交通機関は、新幹線駅と空港。朝に成田を出発したら、真夜中に到着するくらいの距離にある、本当に美しい田舎の村の中にあります。こんな立地だからこそ、年に1度、3月に……とか、毎年秋に……とか、定期的なリズムが必要になってきます。発信してイベント情報を受け取ってもらうよりも、誰もが共通で持っている年間カレンダーの中に刻んでしまえばいいのです。これも一種の「定期的」でしょう。町のお祭りなんかは、その類ですね。ぜひ、「d」黄山店へ。何にもない田舎の村での体験とおいしい水と空気と静けさだけは、どこにも負けません。
https://www.d-department.com/ext/shop/huangshan.html

ロングライフデザイン時代

さて、気がつけばロングライフデザイン時代になっているように思います。流行だからといって身の丈じゃないものを買うことはなくなっているし、壊れたら直して使うし、ワークショップも盛んです。また、みんなで情報やものをシェアして、一緒に価値観を共有しようとする様子からは、人々の実直な暮らし方が少し見えてきます。

京都が再注目されていたり、カルチャー誌も「大切」とか「一生もの」とか「丁寧」などのキーワードを定着させようとしていたりする。あと、みんな「エネルギー」に関心が湧いている。スローフードにも。農業や林業、漁業にも関心が湧いてきている。

都会暮らしだけでなく、田舎暮らし、Uターン、Iターン、リノベーションなんかも盛ん。建築家よりも地元に根ざした大工さんに関心が集まり、大量生産品ではなく、工芸などの一点物、手作り、中・少量生産、「生活工芸」(生活に根ざした物作り)なんて言葉も出てきました。都会にものを集めるのではなく、その土地に行って、旅をして、実際に生まれた場でものを「こと」とセットで手にいれる。そんな時代になっていますね。皆さんも実感あると思います。

USED市場は第二次の奪い合いの時代に入ってきているようにも思います。まず、リサイクル屋自体がどんどん無くなっています。安さを売りにして中古品を販売する店は、それ以上に安い新品や、中古品の売買アプリなど個人売買のサービスが現れ、実店舗で商売をやりづらくなってきています。

さて、僕は2000年からずっとこの「ロングライフデザイン」(ずっと長く続いている素晴らしい個性)というメッセージを発信してきました。それが一段落したと感じる今、次にどこにこの「いい流れ」を持って行ったらいいかと、考えています。

僕は「質の高い“生活”と“もの”」を次に目指すべきだと思います。ものは大量にいりません。流行をけしかけては飽きさせて、捨てさせるような流れが世の中からなくなっていく時、その状況で「ものを買わなくなった」人々は、実は、「ものの買い方がわからなかった」ということに気づくと思うのです。流行の雑音がなくなり、「しっかりとしたものを買い、使い続けたい」というスタイルになっていく時、多少高額でも、多少手に入るのに時間がかかっても、それをずっと大切に直しながら使う生活のイメージが湧き、そして環境が整ってくるのではないかと思います。

もしかしたら「高級品」という表現はなくなっていくかもしれませんね。「良いものは高い」ということが定着してきたら、そんなよくわからない言い方をしなくてもよくなります。「闇雲(やみくも)な憧れ」が「高級品」や「プレミアム」という“消費語”を産むわけで、それではちょっと恥ずかしい。もっともっと地に足のついた「文化的購入」「文化的生活」に突入していくと思うのです。

店の品数はどんどん減り、専門店が増えていく。あぁ、いいなぁ。だって、「商店街」や「百貨店」って、元々は「専門店街」「専門店」だったわけです。それが「売れるもの」「消費ブランド」を扱うようになり、それらは結局どこでも買えるから、価格競争が起こり、百貨店はブランドを誘致し、商店街は定額の賃料がちゃんと払える全国チェーンのドラッグストアをたくさん誘致しました。その結果、どこにでもある風景になっていったわけです。

”もの”も一緒。ヒット商品、売れる商品の後追いをしすぎて、結果として私たちの日常には価格差だけを争う、似たような商品がわんさかと。どこに行っても街が同じ風景になってしまったように、誰の家に遊びに行っても、同じような家具や雑貨ばかり……。それに気づいて、みんながそうではない生活を探し始めて、そして、「ロングライフデザイン」な生活にたどり着いたように思いませんか?

気がつくと、いい店は小さく、専門化してきています。次なる「ロングライフデザイン」の在り方として、“もの”はこれまでより質の高さを求められるでしょう。そして、それを使う人は、流行やコストパフォーマンスに振り回される消費者ではなく、文化的にものを使う「生活者」へと生まれ変わっていく。この先、生活者はより高い質を求めていくはずです。

ちゃんと商売をしようと考えたら、一番大切なのは「定期的」であることではないだろうか

僕の店で発行しているロングライフデザインを紹介する雑誌「d longlife design」

ちゃんと商売をしようと考えたら、一番大切なのは「定期的」であることではないだろうか

この写真は「d」で最近ロングセラーの名作家具。こういうものがベンチャー企業などの廃業でたくさん出てきます。これは「早いサイクル」ということではなく、やはり、しっかりとしたものは、ちゃんと価値があることから、簡単に廃棄されたりしないものだと考えたい。写真のYチェアはみんなの憧れる名作中の名作。ご興味がある方は、ご連絡くださいね。shop_tokyo@d-department.jp

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PROFILE

ナガオカケンメイ

デザイン活動家・D&DEPARTMENTディレクター
その土地に長く続くもの、ことを紹介するストア「D&DEPARTMENT」(北海道・埼玉・東京・富山・山梨・静岡・京都・鹿児島・沖縄・韓国ソウル・中国黄山)、常に47都道府県をテーマとする日本初の日本物産MUSEUM「d47MUSEUM」(渋谷ヒカリエ8F)、その土地らしさを持つ場所だけを2カ月住んで取材していく文化観光誌「d design travel」など、すでに世の中に生まれ、長く愛されているものを「デザイン」と位置づけていく活動をしています。’13年毎日デザイン賞受賞。毎週火曜夜にはメールマガジン「ナガオカケンメイのメール」www.nagaokakenmei.comを配信中。

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「ちゃんと手入れはできるの……?」 欲しいものを前にして消えてしまう未来への想像力 

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