20代ミュージシャンが語る“譲れない価値観”

John Natsuki(Tempalay)は『脱皮』でようやく「今」にたどり着いた

世界から注目を集めるバンド、TempalayのドラマーJohn Natsukiがソロアルバム『脱皮』をリリースした。Tempalayといえば、ゆらゆら帝国やフィッシュマンズの系譜にあるモダンなロックバンド。フレッシュなワーディングとサイケデリックなサウンド、さらにダンスミュージックのグルーブが絡み合う。

ドラマーとしてバンドを支える屋台骨のJohn Natsukiが、ソロプロジェクトでどのような音楽を制作するかは業界の内外で注目を集めた。だが『脱皮』は多くの人にとって予想外の内容だったはずだ。

作品のベースになっているのは、ジョイ・ディビジョンや初期ザ・キュアーのようなゴシック・ロック(ゴス)の世界観とアイデンティティー、そしてhideやSOFT BALLETといった90年代に活躍した日本のアーティストたちの音だった。

John Natsukiのドラマーとしてのスタート地点は、X JAPANのコピーバンドに誘われた中学3年生の頃にまでさかのぼる。3歳からピアノを習っていたので「YOSHIKIみたいにピアノが弾けるからドラムやって」と勧誘された。X JAPANに代表されるビジュアル系はゴスを再解釈した日本独自のカルチャー。ロングヘアを逆立て、化粧をし、耽美(たんび)的に着飾っているにもかかわらず、音楽は破壊的。そんな両極端の世界を成立させていたX JAPANに魅了された。その中でもJohn Natsukiに多大な影響を与えたのがhideである。

hideはビジュアル系のトップアーティストでありながら、同時に常に最先端の音楽を貪欲(どんよく)に取り入れるオルタナティブな存在だった。中でも特に話題になったのはCorneliusの「HEAVY METAL THUNDER」をリミックスしたこと。当時、異なるジャンル同士を結びつける「コラボレーション」という概念はほとんどなく、hideとCORNELIUSの共演は日本の音楽シーンを大いに驚かせた。

自分と同郷であり、洋服ブランドの立ち上げや海外の様々な音楽を柔軟に取り入れるhideを特別に尊敬しているというJohn Natsuki。

「曲単位ではなく、存在自体に影響を受けています。hideさんをきっかけにナイン・インチ・ネイルズを知って、そこからバウハウスやジョイ・ディビジョンみたいな80年代のバンドも聴くようになりました。そういう自分の色をTempalayではあまり見せていなかった……というか隠していた。だけど僕の中にはポストパンクやゴスが根っこにある。バンドとしても徐々に名前が知られてきたし、そろそろ僕自身の表現をしようと思い、なんとか形にしたのが『脱皮』というアルバムです」

John Natsuki(Tempalay)は『脱皮』でようやく「今」にたどり着いた

音楽だけで生きていけるわけねーじゃん

John Natsukiは現在28歳。だが『脱皮』はまるで10代の少年が作ったかのようなフラストレーションに満ち溢(あふ)れている。後悔、怒り、諦観(ていかん)、焦り……。このアルバムはなんなのか? 半生を振り返ってもらい、John Natsukiのパーソナリティーを探った。

小学生の頃のJohn Natsukiは勉強ができ、ピアノも弾ける「クラスの人気者」。だが当時5年生の彼を取り巻く環境は少し荒れており、担任とも軋轢(あつれき)が。そして起こった学級崩壊。

「僕自身が非行に走ったこともないけど、そういう状況を目の当たりにして学校に行くのがバカバカしく思えてきた。勉強なら塾でもできるしって」

優等生から一転して問題児へ。たびたび校長室に呼び出され、次第に学校に行く必要を感じられなくなり、6年生になるとほとんど通わなくなった。

中高時代もあまりいい思い出がない。高2の受験シーズンになると、進学校だったということもあり、かつてのバンド仲間でさえ、「音楽だけで生きていけるわけがない」「野垂れ死ぬよ」と急に現実的なことを言い始めた。自分の夢を否定されたようで悔しかった。この時期からは本格的に学校をサボるようになったという。

John Natsuki(Tempalay)は『脱皮』でようやく「今」にたどり着いた

家族の強い勧めもあり、音楽とは関係ない大学に入学した。学生をしながらバンド活動をするつもりでいた。だが、大きな事件が起こる。

両親が離婚し、直後に母が癌(がん)に。入院費用を工面するために家を売り、彼と兄は祖父の家に引き取られた。「金を稼がねば」との思いから、彼は大学を無断でやめた。高い学費を払ってもらってまで興味のない勉強をするより、今の自分に必要なのはプロのミュージシャンたちがいる現場で経験を積むことだと思ったからだ。母は絶句し、学歴を重視する祖父も激怒したという。

今も自分の選択は間違ってないと信じている。しかし彼の胸の奥には何かが引っかかっていた。

音楽でお金が稼げるようになったのは本当にここ1〜2年

John NatsukiがTempalayのメンバーである小原綾斗と、元メンバーの竹内祐也に出会ったのは23歳の頃。彼らはサポートで参加していたバンドが出演するイベントの競演者だった。イベント後の打ち上げで意気投合したが、自分のバンドを作りたいという思いもあった彼は、サポートメンバーとしてTempalayへの加入を決意。Tempalay は2015年に「FUJI ROCK FESTIVAL」の一般公募枠「ROOKIE A GO-GO」に受かり、気づけばJohn Natsukiも正式メンバーになっていた。とはいえ、音楽でお金が稼げるようになったのはここ1〜2年で、それまではライブバーや飲食店でバイトをしていたという。

妻の妊娠と育児の過程で気づいた、心の違和感の健全な発散方法

Tempalayの活動は楽しく、彼はバンドが評価されたことも、知名度があがったことにも喜びを感じた。それまでは小原を全力でサポートしようと思っていた。だが、彼には彼の個性と音楽性がある。気がつくと自分も20代後半。ソロを始めるにはちょうどいい時期だと思うと同時に、自分の表現を形にすることへの恐怖にかられた。

John Natsuki(Tempalay)は『脱皮』でようやく「今」にたどり着いた

自分が表に立つよりも誰かをサポートするサブ的な役割が性に合っているという固定観念があったからだ。

そんな彼を変えたのが、妻の存在や妊娠、そして育児だ。

実は最初妻の妊娠を知った時、自分が子供を育てられるのか不安になったという。妻は妊娠に伴い、精神的にも、肉体的にも不安定になった。大好きだったカレーを「臭くて食べられない」と言った時には驚き、戸惑った。でも少し調べるとそれはごく自然なことだと知った。

「知識がないと男性は『妊娠して妻が変わってしまった』と驚いてしまうかもしれないけど、知ってさえいれば協力できることは本当にたくさんあるんです」

John Natsuki(Tempalay)は『脱皮』でようやく「今」にたどり着いた

John Natsukiはスマホのアプリを駆使し、出産予定日から赤ちゃんの状態、妊娠している妻の状態を知り、夫婦それぞれへのアドバイスを参考にしているという。

「そういうちょっとした知識を男性目線から発信したくて、YouTubeで『KIKI PAPAチャンネル』を始めました。育児に関して、自分が思っていることを素直に口にできる場所を持ちたかったんです。日本には『男が働いて女が産み育てるもの』という同調圧力がある。そのせいで育児をしたくてもできない、モヤモヤしてる男性も少なからずいる。僕自身、これまで自分の意見を言えずに後悔することが多かったから、育児をしたくてもできない男性の気持ちはひとごとに思えなかった。ソロアルバムを作り始めたのはちょうど娘が産まれた頃です。自分の中にある違和感を健全に発散させたいという気持ちが作品に反映されていると思います」

歪(いびつ)なバランスも僕の過去。きれいにまとめる必要はない

小5で学級崩壊を経験した時、同級生に「バンドマンなんてきっと野垂れ死ぬよ」と言われた時、両親がお金を出してくれた大学を勝手にやめた時、両親が離婚した時、彼の心には常に形容できない感情が渦巻いていた。今振り返るとその時々に誰かと話して、自分の気持ちを整理しておけば良かったが、それができなかった。そして散らかった感情は澱(おり)のように溜(た)まっていった。『脱皮』ではそんな過去の感情と向き合った。

John Natsuki(Tempalay)は『脱皮』でようやく「今」にたどり着いた

海外の音楽ばかり聴いてきたJohn Natsukiにとって作詞は難航した。これまでほとんど歌詞を意識したことがなく、どう書いていいかがわからない。一番身近な(小原)綾斗(Tempalay)の歌詞を読んでみたが、あれほど面白い言葉遣いで、かつしっかりと構築された歌詞は付け焼き刃では書くことができないと悟った。

「今回の作品はあくまで僕の中にある言葉と音を詰め込みたかった。だからすべてにおいて、背伸びしたり、中途半端にカッコつけたりしたくなかったんです。恥ずかしかったけど、今まで隠してきた過去のあらゆる感情をそのままストレートに言葉にしました」

アルバム収録曲「赤い目」は父が亡くなる直前のエピソードがベースになっているという。

「母は癌から回復したんですが、今度は父が癌になってしまったんです。僕は両親が離婚してから一度も父と会ってなかったのですが、いよいよ余命二週間という状況になって、母と兄と一緒に病院に行きました。あの日のことはよく覚えているんだけど、どういう感情だったかはうまく説明できない。父がいた病室の光景と、両親の離婚に伴ういろんなネガティブな感情がつながってしまい、自分の中でぐちゃぐちゃになってしまっていたんです。だからそれを音楽にすることで吐き出したかった。

『脱皮』にはそういう曲がいっぱいある。だから本当に個人的なアルバムです。なんだかんだ言って、僕は過去を美化していたんだと思う。そこに浸って今という現実からも目を背けていた。僕はもう過去に囚(とら)われたくない。だからトラックに関しても意図的に心地よさを排除しました。自分を鼓舞する作品でもあるから。歪なバランスの曲も多い。でもそれが僕の過去だから綺麗(きれい)にまとめる必要もないと思った。

僕にとってはこのアルバムを完成させることが重要だった。Tempalayとしての活動も楽しいけど、僕には僕の表現がある。この作品を発表したことで、ようやく胸を張ってそう言えるようになりました」

John Natsukiは自分の気持ちと逃げずに向き合うことで、過去の自分と決別することができた。だからこそこれほど声を荒(あら)げた音楽を作ることはもうないと感じるという。これからはもっと自然な、今の自分の生活に寄り添った内容になっていくだろうと彼は語る。妻がいて、娘がいて、Tempalayのメンバーや全国各地に仲間がいる。そんな今、目の前の日常が音楽になる。

「もう過去は十分。僕は『今』に興味がある。実は『今』が一番めんどくさい。目の前にある現実そのものだから。過去のように都合よく美化できないし、未来のような曖昧(あいまい)さもない。でもそこと向き合って、問題があれば、その都度解決していくことが大事だと思っています」

John Natsuki(Tempalay)は『脱皮』でようやく「今」にたどり着いた

これまでJohn Natsukiは良くも悪くも「Tempalayのメンバー」だった。だが『脱皮』を制作したことで、言いたくないことや忘れたい過去と向き合う苦行を経て、自身の個性を明確に意識できるようになった。だからこそ「僕は『今』に興味がある」という発言は力強い。もうJohn Natsukiはどこにも逃げ込まない。妻と、娘と、Tempalayのメンバーと。目の前の現実と戦っていくだろう。

(文・宮崎敬太 写真・林紗記)

プロフィール

John Natsuki

1991年神奈川県横須賀市生まれのミュージシャン。2014年に小原綾斗(Vo/G)と、元メンバーの竹内祐也(B)と出会ってTempalayに加入。15年には「FUJI ROCK FESTIVAL」の一般公募枠「ROOKIE A GO-GO」に出演した。また16年には1stアルバム「from JAPAN」を発表し、アメリカの音楽フェス「SXSW」への参加も果たした。18年8月に水墨画家のCHiNPANと入籍、5月には第一子が誕生した。20年に1stアルバム『脱皮』をリリースした。

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PROFILE

  • 「20代ミュージシャンが語る“譲れない価値観”」ライター陣

    宮崎敬太、阿部裕華、張江浩司

  • 宮崎敬太

    1977年神奈川県生まれ。音楽ライター。ウェブサイト「音楽ナタリー」「BARKS」「MySpace Japan」で編集と執筆を担当。2013年に巻紗葉名義でインタビュー集『街のものがたり 新世代ラッパーたちの証言 (ele-king books) 』を発表した。2015年12月よりフリーランスに。柴犬を愛している。

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