コロナ・ノート

「コロナ以前の社会」に恋しくも後戻りをしないために アーティスト・カヒミ カリィ

新型コロナウイルス感染症が広がる中、世界は重苦しい雰囲気と混乱に包まれています。そんな状況下で変わっていったライフスタイルや価値観、あるいは見つめ直したことについて、さまざまな立場の方々がつづる、&M、&w、&TRAVELの共同リレー連載「コロナ・ノート」。今回は、ニューヨーク在住のアーティスト、カヒミ カリィさんが、コロナ・パンデミックから私たちが何を学ぶべきかについて、つづります。

(写真=カヒミ カリィ)

「コロナ以前の社会」に恋しくも後戻りをしないために アーティスト・カヒミ カリィ「コロナ以前の社会」に恋しくも後戻りをしないために アーティスト・カヒミ カリィ

「コロナ以前の社会」に恋しくも後戻りをしないために アーティスト・カヒミ カリィ

カヒミ カリィ

ミュージシャン、文筆家。1991年のデビュー以降、国内外問わず数々の作品を発表している。ラジオパーソナリティー、連載コラムや映画コメント執筆、字幕監修なども手掛け幅広く活躍。2009年にタップダンサーの熊谷和徳氏と結婚し、長女を出産。12年よりNY在住。

 

あらぶるニューヨーク 恐れる人びと

「コロナ以前の社会」に恋しくも後戻りをしないために アーティスト・カヒミ カリィ

1カ月前のことがこんなに遠い昔のように感じたのは初めてかもしれない。あまりに状況が変化し続け、自分も日々いろいろなことを考えさせられているので、まだ全てが渦中で混乱しつづけている状態ですが、それでも自分の芯には静の部分があって、そこではずっと瞑想(めいそう)をしているような不思議な感覚があります。

新型コロナウイルス感染症の問題がかなり差し迫ってきたと感じたのは3月15日、ちょうど私の誕生日でした。その日は家族で外食をしようと予定していたのですが、やはり危険だろうという話になり、自宅で過ごすことにしたのです。実際にはその1カ月半ほど前から電車やバスに乗るのはなるべく控えたり、手洗いを徹底したりはしていましたが、ここまで深刻になるとはまったく予測出来ていませんでした。

2月にマスク姿のアジア系女性が地下鉄の駅構内で殴られるというニュースがあったのですが、私も3月初めに電車のせまい車内で、黒人の若い男性に差別的な言葉をかけられ、一瞬怖い思いをしました。NYに住んでいると人種差別問題について考えさせられることが多いのですが、実際に怖い思いをしたのは初めてで、似たような雰囲気の人たちとすれ違うと身体が固まってしまうことがあり、複雑な気持ちでした。

そのうちに街がロックダウンするという噂(うわさ)が出始め、買い占めをする人たちが店に殺到し、マスクやサニタイザーなどがあっという間に売り切れに。人びとの不安がどんどん募り、常に騒(ざわ)つく街中。

それでもNYはギリギリまで学校を閉鎖しないというニュースを読んだのですが、娘を通わせることに安心出来なくなってきたので担任に相談するつもりでいたところ、私の誕生日の翌朝に突然、NYの全ての学校が閉鎖になったのでした。

クオモ州知事「経済と命は天秤(てんびん)にかけない」

「コロナ以前の社会」に恋しくも後戻りをしないために アーティスト・カヒミ カリィ

その日を境に、NYの雰囲気はガラリと変わったように思います。その頃にはもう、ロックダウンは時間の問題だとニューヨーカーたちは思っていました。毎朝開かれるアンドリュー・クオモ NY州知事の会見で、どんどん悪化していくNYの状況、感染者や死亡者、ベッドや人工呼吸器の数などが包み隠さず説明されていたからです。どうみても、楽観的に考えることは出来ない数値でした。

そしてとうとう3月20日に出た、外出禁止令(実施は3月20日)。医療関係者や食料品店、薬局などで働くエッセンシャルワーカー以外は働いてはいけないと聞いたときも、クオモ氏が最初から「責任は私が取る。誰かを非難したければ、私を非難してほしい」「経済と命は天秤にかけない」とはっきり言い切っていたので、有無を言わせない雰囲気があったように思います。

NYの人口は約1900万人、大部分の企業が在宅勤務となれば経済的な打撃はさらに拡大します。けれどそう言っている間にも感染者は急増し、すでに全米最多の8300人超と突出していました。現実的に考えて、医療体制の崩壊を防ぐにはほかに道はないのだと市民も納得せざるをえない深刻な状況になっていました。

「コロナ以前の社会」に恋しくも後戻りをしないために アーティスト・カヒミ カリィ

外出禁止令が出て1カ月が経った今、街は信じられないほど静まり返っているのですが、窓からは穏やかな春らしい鳥の鳴き声と、それとは対照的な、救急車のサイレンの音が1日に何度も響き渡っています。日本でも問題になっていますが、医療崩壊を避けるために、感染してもよほど具合が悪くならないと病院へ行けない人が多すぎるのです。

近所には救急病院があるのですが、そこには感染して亡くなった方の遺体を収容するための大型冷凍トラックが横付けされていて、疲労した医療関係者の方々がコーヒーを買いに行く姿を見かけます。そこを通り過ぎると、その悲しい光景が当たり前のようになっていて本当にむなしい。

知人、友人にも感染が広がっていく

「コロナ以前の社会」に恋しくも後戻りをしないために アーティスト・カヒミ カリィ

毎日追いきれないほどのニュースがありますが、先日読んだ「New York Times」のコロナ最前線からのルポは衝撃的で、その過酷さに言葉を無くしました。医療関係者たちは何日も同じマスクとゴーグルを着け続けていることで顔にアザが出来、自身も常に感染の恐怖も感じながら、勇気を出して全力で働いているのです。それなのに、自分が住むアパートの住民から嫌がられ、出て行ってくれと差別された人も。

最前線で働いている医療関係者や患者さんのことを思うと、自分の外出自粛なんてつらいどころか贅沢(ぜいたく)なことのように感じてしまう……。けれども、まもなくして、私の周りでも感染した人が出始めました。最初は同じタウンハウスの下のフロアに住んでいるメキシコ人の男性。

ある日、彼が咳(せき)をしている音が一晩中聞こえたのですが、やはり感染していて翌日入院してしまったというのです。上のフロアに住む老夫婦も咳が止まらないのですが、熱がないために検査を受けられず、ずっと寝込んでいます。数日前には親しい友人夫婦からも感染したとの連絡が。とにかく皆の無事を願い、毎日祈るような思いで過ごしています。

私たち家族は精神的につらいときもありますが、無事に過ごすことが出来ています。特に我が娘はリモート学習にもあっという間に慣れ、クラスメートたちとも、まるで公園にでもいるかのようにZoomで集まっては楽しんでいて、さすが現代っ子。よく晴れた日には外へ連れ出し、近所にある、誰もいない大きな墓地の丘に登って、裸足で寝転んではいろいろな話をしています。

彼女はまだ幼いので、不安を感じさせないよう、「今は良い世界に向かうために必要で大切な学びのときなのだよ」と前向きにとらえられるように気を付けています。

コロナ・パンデミックが過ぎ去ったあとの社会を考える

実際に今回、外出自粛のおかげで、普段は隠れている動物たちが街に姿を現しているという話や、破壊されたオゾン層がどんどん回復しているというニュースがありました。環境問題は深刻すぎて手遅れなのではないかと絶望的に思っていましたが、本気になれば改善は可能なのだと分かり、希望を持ちました。

今、深刻な状況のNYにいることで実感しているのは、私たち一人一人が責任ある行動をすることで、世界の流れが確実に変わるということです。今の私たちが学ぶべきことはなんだろうかということを、毎日何をしていても、ずっと考えています。

今回の問題の原因にはさまざまな説がありますが、どちらにしろ、私たち人間の自己中心的で行き過ぎた行動の結果なのではないでしょうか。各国のニュースを読んでいると、感染拡大を戦時中と例えられることが多いように思いますが、この過酷な状況や閉鎖的な環境は戦時中に似ているとしても、敵はウイルスそのものではなくて、人間自身なのではないでしょうか。

この矛盾を真摯(しんし)に受け止めなければ、これからも繰り返してしまうのではないかと、特に子どもたちの未来を思うと本当に胸が詰まります。今は、私たちの人間性が試されているように感じるのです。

先日、イギリスの霊長類学者のジェーン・グドール氏がインタビューで言っていたことがとても胸に残っています。

「日々の小さな選択をするときに、その選択がもたらす結果を考えるようにすれば、誰でも毎日、影響を与えることが出来る。何を食べるか、その食べ物はどこから来たのか、その食べ物は動物を虐待してえられたものか、集約農業によって作られたものか、子どもの奴隷労働で作られたから安いのか、生産過程において環境に悪影響を及ぼしたか、どこから何マイル移動してきたのか、車ではなく徒歩で移動出来ないか。私たちが生活の中で出来ることは、一人一人少しずつ異なるが、私たち皆が変化を起こすことが出来る。誰もがだ」

この問題が収束した後、私たちは恋しくとも後戻りをせず、勇気を持って大きく舵(かじ)を切り、良い世界へと方向を変えて進むべきなのだと、そう強く思っています。

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