コロナ・ノート

失われた日常を悲しむのではなく「今ある環境でどう生きるか」 写真家・三浦咲恵

新型コロナウイルス感染症が広がる中、世界は重苦しい雰囲気と混乱に包まれています。そんな状況下で変わっていったライフスタイルや価値観、あるいは見つめ直したことについて、さまざまな立場の方々がつづる、&M、&w、&TRAVELの共同リレー連載「コロナ・ノート」。オランダ・アムステルダム在住の写真家・三浦咲恵さんが、家族で過ごすロックダウン中の生活について、つづります。

(写真=三浦咲恵)

失われた日常を悲しむのではなく「今ある環境でどう生きるか」 写真家・三浦咲恵失われた日常を悲しむのではなく「今ある環境でどう生きるか」 写真家・三浦咲恵

失われた日常を悲しむのではなく「今ある環境でどう生きるか」 写真家・三浦咲恵

三浦咲恵

1988年生まれ。大分県出身の写真家。アメリカ・サンフランシスコにて写真を学び、2016年より東京でフリーランスとして活動。現在はオランダ・アムステルダムに拠点を移し、育児のかたわら写真と執筆の仕事にいそしむ。

 

もう本当に、“今すぐ”だったのだ

初夏の日差しが気持ち良い昼過ぎ、私は夫と近くの公園を散歩していた。4月に入ったアムステルダムの気温は20度近くまで上がり、暗く寒い冬を耐え抜いたオランダ人は、待ってました!と言わんばかりに、半裸で日光浴を楽しんでいた。ほほ笑ましい、例年通りの平和な光景。ただ、よく見ると人は少なく、人々の間にも距離がある。去年とは、少し違う世界だった。

失われた日常を悲しむのではなく「今ある環境でどう生きるか」 写真家・三浦咲恵
国内の新型コロナ感染者が600人を超えた3月中旬、オランダ政府は「100人以上集まる会合を禁止」「可能な限りリモートワーク」という要請を出した。それからすぐに、映画館や美術館、コンサートホールなどのありとあらゆる文化施設はあっけなく閉まり、街のテンションは一気に下がった。ゴッホ美術館の前でガイドブックを片手に途方に暮れている旅行客の横を、私はなんともいたたまれない気持ちで通り過ぎた。

失われた日常を悲しむのではなく「今ある環境でどう生きるか」 写真家・三浦咲恵

そしてその3日後、政府は追い打ちをかけるかのように「すべての教育機関と託児所を閉鎖」「飲食業施設を閉鎖」「スポーツ施設、セックスクラブ、及びコーヒーショップを閉鎖」「外出時はお互い1.5メートルの距離を確保」という要請を出した。

失われた日常を悲しむのではなく「今ある環境でどう生きるか」 写真家・三浦咲恵

その会見が17:30、閉鎖の要請はその30分後、18:00からだったことも驚いた。もう本当に、“今すぐ”だったのだ。突然のロックダウンに慌てたのはレストランだけではない。アムステルダムの一部の住人たちが会見後、コーヒーショップ(マリフアナなどのソフトドラッグを販売する小売店)に長蛇の列をなして並んでいたのは、ちょっとしたニュースになった。

人々が群がった様子を見て、「これで感染者が少し増えたな……」と苦笑したけれど、とにかくそのようにして人々の日常は唐突に失われたのだ。

が、そんな厳しい要請も、必要に応じて柔軟な微調整が入る。会見の翌日にはきっちり閉まっていた近所のコーヒーショップが、その次の日にはなぜか開いていて驚いた。

まさか内緒で?と思ったがそうではない、どうやら政府に「コーヒーショップを完全に閉鎖すると、路上での取引が確実に増えてしまう」という声が伝わり、翌日には「店内に客を滞在させないカウンター営業なら可」ということになったらしい。

失われた日常を悲しむのではなく「今ある環境でどう生きるか」 写真家・三浦咲恵

それは飲食店にも適用され、テークアウトが可能な飲食店は営業を継続できるようになった。近所にある小さなお菓子屋もその一つで、閉じられた飲食スペースと外のベンチを見ながら、若い女性のオーナーは「でも営業が続けられて助かった。稼がなきゃ生きていけないし!」と笑っていた。

「外出時のマスク着用はやめましょう」というアナウンス

失われた日常を悲しむのではなく「今ある環境でどう生きるか」 写真家・三浦咲恵

人を守るために感染予防はもちろん大事だけれど、経済も同じくらい大事だ。そうした小さな店や路上のマーケットなどでは「一方通行」「1.5メートル間隔厳守」「店内は最高◯◯人まで」というルールを独自に決め、手書きの看板を作り、床に1.5メートルを示すテープを貼り、レジを透明なシートで覆うなどして各々(おのおの)、工夫して営業を続けている。大手スーパーにいたっては、買い物カゴの使用を禁止、距離を取らせるため全員に巨大カートの使用を義務づけている。

失われた日常を悲しむのではなく「今ある環境でどう生きるか」 写真家・三浦咲恵

牛乳一本を買うのに全長1メートルもあるカートを使うのはバカバカしいが、そんなことは言っていられない。そもそも買いだめが基本になっており、客側も文句一つ言わず、必要であれば長時間列を作って順番を待っている。オランダに住み始めて1年半、観光客以外の人が並んでいる光景を見るのは初めてだった。

市内では公共交通機関の利用者がめっきり減っていて、これはオランダの自転車普及率の高さが功を奏したように思う。ガラガラのトラム(路面電車)を見るのは少しさみしいけれど、不安になるよりは良い。

失われた日常を悲しむのではなく「今ある環境でどう生きるか」 写真家・三浦咲恵

そういった光景に直面するたび、私たち全員でコロナと戦っているような一体感を覚えるようになって、不謹慎かもしれないが、少しうれしい気持ちになった。

しかし、嫌なこともある。コロナ・パンデミックにより、アジア人に対するヘイトが欧米の各地で高まっているのだ。コロナ=中国=アジア人という方程式が構築され、行き場のない不安といらだちをアジア人に向ける一部の差別的な人たちは、バックグラウンド関係なく、「顔だちがアジアっぽい」というだけでヘイトを彼らに向けている。

実際に国内でもそういった例が多発している。現地の子どもが、アジア系の子どもへの差別をしている話もよく聞く。アムステルダムの日本人学校は保護者に「子どもをほかの子どもたちのいる場所で遊ばせないようにしましょう」という趣旨の連絡をしている。

失われた日常を悲しむのではなく「今ある環境でどう生きるか」 写真家・三浦咲恵

同時に、保護者、子ども双方に向けて「外出時にはマスク着用はやめましょう」と通達したのだが、マスク文化が浸透している日本人の感覚からすると、この提案はかなり驚きだ。けれど、彼らがそう言うのには理由がある。もともとマスクを着用する文化がないオランダでは、『マスクを着ける=コロナに感染しているアジア人』という見方が、この状況下で強まっている。学校側の呼びかけは、子どもたちがそうした偏見に晒(さら)されるリスクを回避するためのものなのだろう。

私自身も以前、ベビーカーを押して外を歩いていた際に、奇妙な集団からわけの分からないことを言われたことがあるけれど、今思えばそのとき、マスクをしていた。他人への配慮のつもりだったが、あんなに人からジロジロ見られる上に、ウイルス扱いされるとさすがに心が折れる。居心地が悪すぎるという結果、我が家はマスクをつけるのをやめた。

くしゃみはひじで押さえる、他人に近づかない……などを一層、心掛ければいいのだ。オランダの知人が以前「オランダ人にとってマスク着用は、下着で歩くのと同じ感覚だ」と言っていたが、そんなこと言わずに、早くマスク着用が普通になる世界がこの国にも来てほしいと切に願う。

失われた日常を悲しむのではなく「今ある環境でどう生きるか」 写真家・三浦咲恵

つながりを強固にするSNSでの新しいコミュニケーション

ニュースや実体験から、世界が直面するさまざまなコロナ被害を目の当たりにして、このウイルスが発生して良かったとはとても言えないが、正直に言えば、私はこの1カ月のロックダウン生活を楽しんでいる。

まず、会えない友だちとは、オンライン飲み会をすればいい。以前はたまに連絡を取るだけだった日本の友だちとも、コロナがきっかけでビデオ電話をするようになった。私たち家族の、日本への一時帰国がキャンセルになり、落胆していた私の父親も「ビデオチャットがあって良かった。会えないけれど(孫の)顔が見られてうれしい」と言い、気づけば私たちは、以前よりもひんぱんにビデオ電話をするようになった。

レストランのサービスにも同じことが言える。テークアウトを提供していなかったレストランやバーが、ロックダウン開始からしばらくして、SNSを通じてテークアウトサービスを始めた。同じ宅配ピザや自炊に飽き飽きしていたアムステルダムの住民は喜び、人気レストランには注文が殺到した。

失われた日常を悲しむのではなく「今ある環境でどう生きるか」 写真家・三浦咲恵

プライドの高いレストランは料理をベストな状態で提供するため、ピザであっても受け渡しは冷凍のままであったり(=家で焼いてください)、手打ちパスタも簡単な調理メモと一緒にソースが箱詰めされていたり(=家で作ってください)と、提供の仕方が多様で面白い。

そうして用意された料理は味も見た目も文句なしで、写真に撮ってSNSで投稿するのが最近の楽しみだ。タグづけをしたレストランからは「ありがとう!」という反応があるし、同じように料理を楽しむ人たちの笑顔を見てホッコリしたりと、新しい形のコミュニケーションが生まれている。物理的に閉じ込められている中で、その環境に適応するように普段とは形を変えて、つながりを作っていく。

失われた日常を悲しむのではなく「今ある環境でどう生きるか」 写真家・三浦咲恵

結局のところ、私がロックダウン生活を楽しめている最大の理由は、家での生活が豊かだからである。リモートワークになった夫は、4カ月になる娘と24時間一緒にいられることを本当に喜んでいる。私は私で夫と毎日ベランダで食事ができることを喜んでいる。

失われた日常を悲しむのではなく「今ある環境でどう生きるか」 写真家・三浦咲恵

空いた時間があれば最近始めたオランダ語の勉強に没頭できるし、夫のほうも飽きずに何時間でもギターを弾いている。そして週末になればレストランのおいしい食事をオーダーして、友だちとビデオ電話で笑い合う。不思議なくらい、暇にもならないし、飽きもしない。

失われた日常を悲しむのではなく「今ある環境でどう生きるか」 写真家・三浦咲恵

外出時はソーシャル・ディスタンスをしっかりと取り、家族だけでピクニック。ぼんやりと空をながめながら、夫婦で、娘へおくるラブソングを考える。時間がいくらあっても足りないくらい。

突然始まったロックダウン生活。最初はびっくりしたものの、自分の生活って、いくらでもシンプルにすることができることが分かった。北山耕平さんの『自然のレッスン』という本はわが家のバイブルで、その本には「十分な食べ物」と「夜に安心して眠れる場所」があれば、人間は不幸を感じる必要など本当はないはずだと書かれている。

失われた日常を悲しむのではなく「今ある環境でどう生きるか」 写真家・三浦咲恵

“More and More”をスローガンに走り続けた社会は、この未曾有(みぞう)の災害をきっかけに“Less is More”の社会にシフトしていくのではないだろうか。失われた日常を悲しむのではなく、今ある環境でどう生きるべきか? コロナによって奪われた命に祈りを捧げつつ、今後の世界のあり方に期待をしている。

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