コロナ・ノート

疫病は眼前の景色はそのままに、人の心を不可逆に変えていく 日本文学研究者 ロバート・キャンベル

新型コロナウイルス感染症が広がる中、世界は重苦しい雰囲気と混乱に包まれています。そんな状況下で変わっていったライフスタイルや価値観、あるいは見つめ直したことについて、さまざまな立場の方々がつづる、&M、&w、&TRAVELの共同リレー連載「コロナ・ノート」。

日本文学者のロバート・キャンベルさんは、日一日と扉が閉ざされていく世界に生きる不安、そして、新型コロナウイルスが引き起こしたであろう、まだ手触りを得られぬ自分自身の変容について思いを巡らせます。

(トップ画像:自宅付近の空を眺めながら=写真は全て筆者提供)

疫病は眼前の景色はそのままに、人の心を不可逆に変えていく 日本文学研究者 ロバート・キャンベル疫病は眼前の景色はそのままに、人の心を不可逆に変えていく 日本文学研究者 ロバート・キャンベル

疫病は眼前の景色はそのままに、人の心を不可逆に変えていく 日本文学研究者 ロバート・キャンベル

ロバート・キャンベル

日本文学研究者。国文学研究資料館長。 近世・近代日本文学が専門で、とくに19世紀(江戸後期~明治前半)の漢文学と、漢文学と関連の深い文芸ジャンル、芸術、メディア、思想などに関心を寄せている。東京大学大学院総合文化研究科教授を経て、2017年4月から現職。
 

コロナが誘発する曖昧な恐怖

 職場に行くことも同僚と会うことも、ジムで汗を流すことも人と接することで覚えるストレスも、快楽までも急に跡を絶ってしまったので、何がどう変わったのかにわかに一言では言いづらい。地震は目に見えて色々な物を揺らしたり壊したりするから、被災地にいなくてもわたくしたちの感覚に直接訴えるものがある。瓦礫(がれき)と避難所の映像が流れると、そのつど心を寄せ、あるいは慄然(りつぜん)とさせられることがある。しかし、ウイルス感染で覚える恐怖は、それとはまるで違う。感染した当事者やその家族、接触者などであれば別だが、それ以外の人には、共有されにくい性質がある。

 仮定法的、とでも言おうか。罹(かか)ったらわたくしは重症化するんじゃなかろうか、とか。症状がないだけで、すでにオレも感染しているんじゃないか、とか。だったらどうしよう、という「what if」が文頭に来るような類の曖昧(あいまい)な恐怖と言えるのである。

 約一二〇年前、正岡子規は結核から脊椎(せきつい)カリエス(脊椎の結核症)を発症させ、東京にある自宅の畳の上で喘(あえ)いでいた。その時、随筆を新聞で連載することを思い立つ。『病牀(びょうしょう)六尺』と題して、五月五日から掲載が始まっている。ほぼ毎日書き継いでいて、八月二〇日にはついに百回に達する。健常者であれば、三カ月という時間はあっという間に流れてしまうけれど、子規は「それが余(=私)にとつては十年も過ぎたやうな感じがするのである」と冒頭では言っている。

 書き上げた原稿を新聞社へ送るのに封筒が要る。毎日宛名を書いて送るのが面倒で、新聞社に百枚ほどの発送用封筒を印刷してくれと掛け合った子規だが、編集長が気を回したのか、三百枚もの封筒を刷ってどっさり届けてくれたから子規は面食らったのである。重症化する身体を押して百回までは書き進められたけれど、残りの二百枚すなわち二百日分はどうしよう。ちょっと自信がない。

 封筒が一枚また一枚目減りしていくのを眺めながら、子規は封筒の山が表す半年という時間の移ろいに抗(あらが)うことができないことを痛感し、明るい表情を崩すまいとはするものの、不安を募らせるばかりであった。子規ははたして、封筒を使い切るずっと手前の九月一七日に百二十七回目となる最後の原稿を送り、翌々日には病魔に負けて息を引き取っている。連載百回目の原稿では「二百枚は二百日である。二百日は半年以上である。半年以上もすれば梅の花が咲いて来る。果たして病人の眼中に梅の花が咲くであらうか」で結ばれている。

疫病は眼前の景色はそのままに、人の心を不可逆に変えていく 日本文学研究者 ロバート・キャンベル

正岡子規の肖像写真(左)と「病牀六尺」を含む名随筆を集成した『子規随筆』

行動できる空間が一点ずつ消えていく現実

 正岡子規とはくらべものにならないほど恵まれている状況にあるわたくしだが、ウイルス感染が街を覆う日々のなかで、自らの命を時間の流れとして実感する瞬間がある。ニュースを見ながらその流れが進んだり、また堰(せ)き止められたりする不安なうねりを感覚で覚えないわけではない。

 三月上旬には出張が目白押しにあった。ワシントンDCにあるフリアー美術館とわたくしが館長を務める国文学研究資料館との間に学術交流協定を結ぶべく、調印式を計画していた。しかし出発一週間前になって美術館への入室が制限されるかもしれないという一報が入り、計画も出張も中止にした(幸い後日、調印書類の交換は郵送で済ませる算段がついた)。

 その足でイタリアへ飛び、ヴェネッツイア・カ・フォスカリ大学で講演を行う予定もあったが、ヴェネッツイア自体が都市封鎖に踏み切り、出張は取りやめになった。その直後から夥(おびただ)しい数の新型コロナ患者を出してしまったことは記憶に新しい。イタリアの仕事が終わるとパリに移り、コレージュ・ド・フランスでも講演会と学生たちとの交流イベントを計画していたけれど、大学は鉄の門を固く閉ざすことになったので、これまた無期延期となった次第である。

 苦痛はないけれど、ふだんだったら難なく行動できる空間が遠い地点から一点また一点と縮み、姿を消していった。閉まった扉が迫ってくるような観念に囚(とら)われ始め、長さ六尺の病床から世界を眺めて去っていった子規のことを思い出さずにはいられなくなった。

 ところで、それと時を同じくして、海外に住む家族や友人から神経を振るわすような声が届いた。

 アメリカ・ニュージャージー州の病院で働く妹。彼女が毎日座っているオフィスの窓の外にPCR検査のテントが張られ、重症化した患者は日増しに増え、けれど医療スタッフには依然マスクが行きわたっていない。罹患(りかん)した二人の同僚が側の病棟に運ばれ懸命の治療を受けていたけれど、つい先日、亡くなってしまったという悲報。つねに負けん気の強い彼女のメッセージからは毎日少しずつ、覇気がなくなっていくのを感じた。コロナウイルスが蔓延(まんえん)することで減るものは多い。

疫病は眼前の景色はそのままに、人の心を不可逆に変えていく 日本文学研究者 ロバート・キャンベル

コロナ禍で人と会う機会が減り、厚みが変わらぬ名刺入れ

 一方、減らなくなったものも色々とある。新しい出会いがほとんどないことを痛感するのは、名刺入れの厚みが変わらないことである。子規の封筒ではないけれど、減るようでなかなか減らなくなったのは名刺である。ふだんならひと月に一箱と下らない量の名刺を配り、ほぼそれに匹敵する量の他者(ひと)の名刺と入れ替わる名刺入れの中は、閑散としている。いつもなら四方へと散っていく私の名前と帰属先と連絡先を印刷した小さな紙札は堅く重ねられ束となり、革のマチの間で眠っている。

 同じように、外食も飲み会もなく、近所に食糧を買いに行く時くらいしかお金を使うことはないが、それも接触を避けるためにキャッシュレスに変えたので、財布の中のお札が減らない(もちろん増えもしない)。疫病は、瞬時に流れを堰き止め、壊し、世界を荒涼とした景色に激変させるものではない。その代わりに、ものごと、やがて自分の何かをも元へ戻れない形へと変質させてしまう。飛行機雲が消えた都心の空を眺めながら、いつもあるのに今日はないなということに気づき、ぼんやりとその意味を考えている。

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