コロナ・ノート

「生を喜び、生を哀(かな)しみ、死を悼み、死を救済したかった」文化人類学者・今福龍太

パンデミックの収束はまだ遠く、世界は依然として重苦しい雰囲気と混乱に包まれています。コロナショックで変わっていったライフスタイルや価値観、あるいは見つめ直したことについて、さまざまな立場の方々がつづるリレー連載「コロナ・ノート」。

世界の国々を訪れながら、文化人類学者の今福龍太さんが記し続けていた日記は、各国での出来事を卓越した筆致で描き出し「新しい生活様式」に与(くみ)しない決意がつづられています。

(トップ写真=舞台〈オペラ・サウダージ〉のワンシーン。ジェロニモに扮した今福さんが遺言を読み、アラブの打楽器リックを演奏する仲野孝比古さんと掛け合った。写真ⒸAya Sugimoto )

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「生を喜び、生を哀(かな)しみ、死を悼み、死を救済したかった」文化人類学者・今福龍太

今福龍太

文化人類学者・批評家。1980年代初頭からラテンアメリカ各地でフィールドワークに従事。クレオール文化研究の第一人者。奄美・沖縄・台湾の群島を結ぶ遊動型の野外学舎〈奄美自由大学〉を2002年から主宰。著書に『ミニマ・グラシア』『ジェロニモたちの方舟』『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』『ハーフ・ブリード』ほか多数。主著『クレオール主義』『群島-世界論』を含む新旧著作のコレクション《パルティータ》全5巻(水声社)が2018年に完結。筆者近影=ⒸAtsushi Shibuya

 

この経済至上主義的な社会の作られかたそのものを問い返すべきだろう

【1月30日】
疫病による「隔離」quarantineという異様な現実が、一つの象徴的なイメージとして私に突きつけられた。

夕方のTVニュース。そこに、中国河南省のある町で、武漢市から自宅のアパートに戻ったばかりという家族にたいし、町の住民が寄ってたかって入り口のドアに外側から×印状に板を打ちつけ、外に出られないようにしている映像が映し出されたのだ。

ふと、五寸釘を打つまがまがしい音が響きわたる寺山修司の戯曲「疫病流行記」(1975年)の冒頭を思いだす。そこには「疫病患者の出た家の扉は、すべて釘づけにされた」と書かれていたはずだ。劇的想像力は、いまたしかに現実のものとなりつつある。

「隔離」とは両義的な行為だ。他者を隔離し、拘留したと思っているものが、実は自らを世界から締め出している。都市封鎖や国境封鎖はその典型だ。自己の安全のため他者を締め出すことは、自己の内向きの封鎖でもある。セキュリティーというときの “secure” とは、「安全な・危険のない」という意味の他に、「監禁された・繋(つな)がれた」という意味もあることは辞書を引けばすぐわかる。この逆説に私たちは気づいているのだろうか?

「生を喜び、生を哀(かな)しみ、死を悼み、死を救済したかった」文化人類学者・今福龍太

台北のアートスペース〈紀州庵新館〉での討議イベント「島から島へ:群島思想と世界」への参加を呼びかけるポスター

夜、台湾の友人から緊急のメール。来週参加して、台湾の仲間たちとともに編集した雑誌の出版記念シンポジウムを行う予定にしていた「台北国際ブックフェア」が5月に延期されたという。台湾は、中国でのウイルス感染拡大の状態を早くから注視し、すばやく包括的な対策をはじめていた。

残念に思った私は、フェアとは独立して、少人数での研究会やイベントを開催できないかと打診した。友人は、この重要な集まりをなんとか実現したいという私の真意を即座に理解してくれた。スピーディーに台北市内の別の会場を探しだし、研究者や作家の仲間にも呼びかけ、二つの比較的小規模のイベント開催をすぐに決めてくれた。その間わずか24時間。魔法のよう。

これで予定していた台湾行きが実現できる。5年以上かけて準備、編集してきた渾身(こんしん)の雑誌特集。その刊行は、台湾から「群島思想」を宣言することで、日本列島から奄美・沖縄、台湾、香港、フィリピン、インドネシアへと連なる東アジア島嶼(とうしょ)地域の、新しい文化的連帯を推し進めるきっかけとなりうる。

【2月6日】
台北の松山空港に降り立つ。入国審査のゲートの手前で検温され、滞在中の住所を訊(き)かれた。同じ機内に発熱者がいたらしい。慎重な対応だ。

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祈祷(きとう)に訪れる人々でいつも賑(にぎ)わう台北市民の信仰の中心「龍山寺」(筆者撮影)

外に出ると厚い雲の隙間から一瞬のまぶしい陽光。迎えてくれた友人はすぐに、滞在中必要なときに使って、と、さりげなくマスクを手渡してくれる。グレーのしゃれたデザイン。これだけで彼の繊細な配慮がわかってうれしくなる。実際には、台湾の人々の日常の振る舞いはさほど防御的でもなく、公共の場所の空気もおおらかで、マスクを着用すべき場面はそれほどない。

アカデミア・シニカ(中央研究院)と紀州庵新館で行われた研究者や作家たちとの二度のシンポジウムはどちらも活発で啓発的な討論となった。新刊の雑誌『文化研究 Router』28号は「群島思想と世界」というテーマのもとに編集したもの。

大陸中国からの政治的圧力にたいして毅然(きぜん)たる自立の道を探る台湾にとって、大陸ではなく、海へ、そして東南アジアやポリネシアの島々へと視線を開くことはおおきな意識の転換になる。それは国家間の経済関係を主体とした新自由主義的グローバリズムとは異なった(むしろ対抗する)道によって、民衆の非制度的で親密なつながりを作り直そうというビジョンだ。

局地的に発生したウイルスが一気に国境を越えて世界へと蔓延(まんえん)する直接の原因が、急速なグローバリズムによる人の激烈な移動にあるとすれば、私たちはこの経済至上主義的な社会の作られかたそのものを問い返すべきだろう

「生を喜び、生を哀(かな)しみ、死を悼み、死を救済したかった」文化人類学者・今福龍太

宜蘭の海岸で月琴を弾きながら歌う筆者(二重露光写真ⒸKOSAC)

滞在中の日曜日、台北から1時間ほど車をとばし、友人たちと宜蘭(イーラン)にドライブ。この海に面した古い町の媽祖廟(まそびょう)の前でちょうど、元宵節(げんしょうせつ)の祭りに遭遇した。竜をかついで練り歩く子供たちのなかにはマスクをつけた子もいるが、この状況下でも、祭りの中止という判断はまったくないようだ。

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祭りに参加する人々のマスクにはかわいい手製の飾りが縫いつけてあった(筆者撮影)

練り歩く人のマスクの口の部分にユーモラスな飾りを発見する。不自然なマスクを祭りの余興に逆利用してしまおうという庶民のおおらかな知恵だ。

台北では、毎晩のようににぎやかな夜市に通った。コロナ事態へのさまざまな配慮は人々の胸にあったはずだが、路地に立ち並ぶ屋台で楽しく語り合い、食事する姿には普段となんのちがいもなかった。

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台北の夜市はいつもとかわらず飲食を楽しむ庶民で活気づいていた(写真ⒸKOSAC)

【2月23日】
日本に戻ってみると、白いマスクが街を席巻していた。電車の中、マスクなしで咳(せき)でもしようものなら、それだけで白眼視されるようなぴりぴりした空気だ。池袋で、自由律の俳人・尾崎放哉と種田山頭火の無頼の句を三線とブルースギターで即興的に歌うイベントを友人の詩人と一緒に行う。

「咳をしても一人」は最晩年、放哉が小豆島の寺の庵(いおり)で一人数カ月を孤絶のなかで暮らしたときの有名な句。私はちょっと皮肉を込めた即興ブルースのつもりで、「でんしゃに乗ればー みんなーますくをつけてるー ゴホンとやったらー みんなににらまれるー それでも俺はー 咳をしてもひとりー」としゃがれ声で歌ってみた。いまの世を、ひたすら孤独を友とした放哉ならなんと評するだろうか。

昂奮(こうふん)した一人の老人は「まるで玉手箱が開いたようだ!」と私に言った

「生を喜び、生を哀(かな)しみ、死を悼み、死を救済したかった」文化人類学者・今福龍太

サンパウロの中心街パウリスタ通りで、マリオ・ジ・アンドラージに扮して金塗(ぬ)りの彫像と化す大道芸人に呼びかける筆者。マリオは産業化する20世紀前半のサンパウロの狂騒を諷刺(ふうし)的に歌った詩人(写真ⒸAtsushi Shibuya)

【3月6日】
サンパウロの大学と写真アーカイブで講演を依頼され、フランクフルト経由でブラジルへ。ブラジルでのコロナ騒動はまだ先のことで、この時期のサンパウロの街はいつもどおりの陽気な華やぎと快楽的な喧騒(けんそう)に満ちていた。

滞在中、講演の合間に街の南郊のヴィラ・カロン地区に集中して住んでいる奄美系ブラジル人たちに会いに行き、交歓しながら唄遊びをした。彼ら、彼女らは終戦直後に奄美大島のもっとも辺鄙(へんぴ)な宇検村からブラジルにわたった1世とその子孫たち。

「生を喜び、生を哀(かな)しみ、死を悼み、死を救済したかった」文化人類学者・今福龍太

ヴィラ・カロン地区の奄美系ブラジル人との唄遊びの座で、私の三線に合わせて踊りだす人々(写真ⒸAtsushi Shibuya)

高齢者も多いため、すでにコロナ禍の下にあった日本からの私の訪問を、会をアレンジしてくれた人は少し心配していた。けれど、会場となったある民家の明るいガレージで、私が奄美と自分の20年にもわたるつながりを語り、シマウタの老師匠の話をし、おもむろに三線を抱えて歌いはじめると、座が一気に打ち解けた。

懐かしさの気分がその場にあふれだし、老人たちは、小さいとき親から聞いたまま忘れていたはずの唄が体内から湧き出してきたように、私に合わせて歌いはじめた。最初は少しとつとつと、けれど1時間もすると、楽しく私と掛け合いながら……。

自分でも、忘れていた故郷の唄をいま歌っていることが信じられないという表情で、昂奮した一人の老人は私にこう言った。「まるで玉手箱が開いたようだ!」と。

そう、逆-玉手箱ですね、と私は返した。この、シマウタを媒介にした奇蹟(きせき)のような玉手箱は、人々の失ったはずの過去を、まるで若返らせるようにして「いま」に呼び戻してくれたのだから。

食べ、飲み、歌い、最後には皆で奄美の「六調」の踊りでしめくくり、さよならを言うと、人々は私を強く抱擁し、心から別れを惜しんでくれた。ブラジル流の情愛にあふれた身体的なしぐさである。私は心動かされ、このような郷愁と歓喜の場から病が発生することなどありえない、といういわれのない確信をいだいた。

この確信を、科学的に無根拠だと笑われたら、こう言い返すしかない。人間は、科学や合理だけでは生きられず、「玉手箱の奇蹟」こそがほんとうに人を人たらしめている真実なのだ、と。

1週間ほどの滞在ののち私はブラジルを発った。そしてその1週間後ぐらいから、ブラジル社会は一変する。主にイタリア渡航経験者によってもたらされたコロナウイルスの、国中への一気の拡散である。

とりわけ、劣悪な居住環境にあり、リモートワークなど不可能な肉体労働者で、無料の公共病院にしか行けず、そこが満床のため入院を断られた貧困層が、つぎつぎと感染しては亡くなっていったのだ。

「生を喜び、生を哀(かな)しみ、死を悼み、死を救済したかった」文化人類学者・今福龍太

国際女性デー(3月8日)のデモでパウリスタ通りに繰りだし「ボルソナロ大統領は辞めろ」と叫ぶ市民たち(写真ⒸAtsushi Shibuya)

経済を優先してウイルス対策に本気で踏みださず、人の命を軽視するボルソナロ大統領にたいし、サンパウロの住民は午後の一定時刻になったら一斉に皆で家の窓から鍋をたたく「パネラッソ」の抵抗運動をはじめた。大統領と対立する州知事は緊急事態宣言を出し、24日にはサンパウロ州全体に隔離政策がとられ、外出禁止となる。

だがその後も対策遅れで死者は急増し、大統領に抗議した保健相が二人も変わり、大統領は犯罪への嫌疑がかけられている自分の息子たちを守ろうと、こんなときに連邦警察の捜査を妨害することしか考えない私欲の塊と化している。われわれのよく知っているどこかの国の首相の、少し傾(かし)いだ鏡像を見るようではないか?

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3月23日夜、翌日からの全面的な外出禁止令のためゴーストタウンと化したサンパウロの旧日系人街リベルダージ(写真ⒸAtsushi Shibuya)

東京外国語大学での最終講義 〈オペラ・サウダージ〉

【3月20日】
私が15年教えてきた東京外国語大学での「最終講義」に代わるパフォーマンス、みずから〈オペラ・サウダージ〉と名づけた舞台が、500人収容の大きなホールで開催された。

「生を喜び、生を哀(かな)しみ、死を悼み、死を救済したかった」文化人類学者・今福龍太

〈オペラ・サウダージ〉のワンシーン。日蝕(にっしょく)のコロナを背景にした、作家の赤坂真理さんと私の即興ダンス+歌・朗読(写真Ⓒ倉田めば)。テーマは「エクリプス」(蝕、触れ合うこと、受胎)

大学を退官する教員による「最終講義」がほとんどすべて自主的に中止されているのは知っていた。けれど、このオペラをやらないという選択肢は私にはなかった。もちろん、たやすい決断ではなかった。だが信頼できる賛同者が何人もいて、中止を促す暗黙の力にたいし、私とともに闘ってくれた。

私には、いまなにをほんとうに怖(おそ)れるべきか、と考え抜いたとき、それは少なくとも「伝染病」ではない、という直観があった。

この病は、新型のウイルスではあっても、謎ではない。社会的出自ははっきりしている。その蔓延の原因は私たちの資本主義社会のシステムの歪(ひず)みにほかならない。自然の過剰な改変。合理主義やテクノロジーへの過信。汚染や不浄を忌避し、〈異なるもの〉にたいする主体的な免疫と共生感覚を作ってこなかった個人と社会の独善。

もしいま真に畏(おそ)れ、ひれ伏すべきものがあるとすれば、それは私たち自身の分身でもあるようなこのウイルスではなく、まさに太陽光の化身、日蝕のときにその神々しい真珠色の炎をあらわすコロナの聖なる恩寵(おんちょう)以外にはない。

そうであるなら、私は病にたいして萎縮する決断だけはしたくなかった。私たちの社会のありようを根本から問い直すためにいまこそ集い、時空間を共有しながら思考を深め、日常から飛躍して自由に心遊び、〈ここ〉と〈あそこ〉とを想像力でむすぶ可能性を発見し、自己中心的な秩序への固執を棄(す)て、ともに開かれ(=啓〈ひら〉かれ)てゆくこと。

そのような親密かつ深いコミュニケーションの場こそ、いま人間が決して失うべきではないものだと私は考えたのである。

〈オペラ・サウダージ〉は、ピアニストやダンサーや役者として活躍する私の教え子たちや、友人の学者や作家の共演も得て、予定を超える4時間半の一大スペクタクルとなった。

私は舞台に、銃弾飛び交う戦火のサラエボで地元の舞台俳優と「ゴドーを待ちながら」を上演したスーザン・ソンタグを呼びだし、メキシコ侵略戦争下に納税を拒否して獄に入ったソローに扮して法の不義を説き、ブラジルの奥地で憂鬱(ゆううつ)にさいなまれるレヴィ=ストロースの内面をショパンの「別れの曲」に託して語り、アメリカ国家に原初的抵抗を試みたアパッチ族の闘士ジェロニモの遺言にみたてた即興詩を詠んだ。

どうしてこのような無鉄砲な試みを決行したのか。私はただひたすら、それぞれの思いとともに集まってくれた200人を超える人々に感謝し、彼ら彼女らとともに考え、感じつづけたかった。生を喜び、生を哀しみ、死を悼み、死を救済したかった。

生身の身体と声を通じて、人々とともに。それだけが、この世界にはびこる幻影の価値観からきちんと距離をとり(これこそ覚醒したdistancing)、未来の淡い希望に向けて覚醒するための方法に思えた。

「生を喜び、生を哀(かな)しみ、死を悼み、死を救済したかった」文化人類学者・今福龍太

徳之島のとある素朴な闘牛場の真ん中にぽっかりと溜(た)まった〈水の瞳〉の映像をバックに踊る、ダンサーの中村達哉くん。私はそのかたわらで、牛の角にかけられた闘牛士の死を悼むガルシア=ロルカの詩を朗読した。〈オペラ・サウダージ〉のワンシーン。(写真ⒸAya Sugimoto)

【5月14日】
オペラが終わってからほとんど2カ月間。私はどこにも行かず、家族以外の誰とも会わなかった。大学のキャンパスは閉鎖され、授業は一斉にオンラインに切り替わり、すべての集まりやイベントは中止となった。私はこの事態を、やるべきことがやれないという「欠乏」(あるいはしないという「自粛」)ではなく、むしろぽっかりと生まれた空白に浮上してきた、未知の創造的な時間として受けとめることにした。

家にいて考え、本を読み、ものを書く時間はたっぷりあった。一個人や地域共同体や国家が、このようなときにいかに振る舞うのかをじっくり観察することもできた。そこから少しずつ、言葉や思いを発していこうと決める。

そのための第一歩として、私は今日、ごく限られた小さなリスナーの集団に自分の生の声を贈り届けるための、私設ラジオ局をネット上に開設することにした。“Masqueradio”(マスカレイディオ)──マスカレード(仮面舞踏会)とラジオを組み合わせた造語がふと浮かんだ。声という仮面のもとに挙行される隠された祝祭。そんな機知も込めた局名もいいかもしれない。

ネットワーク社会の砂漠の片隅にある、誰にも知られない隠された小さな泉のような発信基地。接触を忌避する総マスク化社会の「新しい生活様式」などに易々(やすやす)と与しないと心に決めた、一人の道化による小さな叛乱(はんらん)ののろしである。

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