キネマの誘惑

一青窈 二つの祖国に引き裂かれた両親 映画『燕 Yan』出演で向き合った母の傷

日本人の母と台湾人の父のもとに生まれ、幼少期を台湾で過ごし、日本で育った歌手・一青窈。現在は3人の子どもを育てる母親である一青が、「子どもに本を読んであげたり、一緒に戯れたりするのは日常茶飯事なので、母親の役だったらできるかもしれない」と、俳優としてオファーを引き受けた映画『燕 Yan』が、間もなく公開される。

主人公の青年は自分自身に、青年の兄は姉に、自らが演じた母親は自身の母に重なったという本作への出演は、彼女の記憶の扉を開き、自身のルーツを見つめ直す体験でもあった。

一青窈 二つの祖国に引き裂かれた両親 映画『燕 Yan』出演で向き合った母の傷

©2019「燕 Yan」製作委員会

一青の演じた台湾人の淑恵は、日本人の夫との間に産まれた2人の息子の母親だ。幼い頃に淑恵が兄だけを連れて帰台したことから、「母に捨てられた」と苦しんできた弟の燕(つばめ イエン)は、二十数年ぶりに母の故郷であり自分が生まれた場所・高雄を訪れ、母との失われた時間を取り戻していく。

「言わない」ことに込められた親の優しさと、「言わない」ゆえに起きた親子の断絶。それはアフターコロナへ向かう今、思いを言葉にして届けることの力を、一青があらためて感じるきっかけとなった。

映画の撮影で「父母の心の傷と向き合えた」

一青の母は、日本で出会った台湾人の夫と結婚後に台湾へ渡り、台北で家族の生活をスタートさせた。

「台湾に住んでいた頃の母は、現地の文化にうまくなじめず、周りから後ろ指をさされることもあったようです。ただ、その頃の私は劇中の燕と同じ小さな子どもだったので、そんな事情はまったく知らずに無邪気に生きていました。6歳上の姉(俳優・一青妙)が当時のことをよく覚えていて、『私の箱子』『ママ、ごはんまだ?』といったエッセイにも書いているんですけど、私はそれを読んで初めて母や姉の苦労を知ったんです。“知らない”ことによって、私は幸せな幼少期を過ごせていたんですね。そのありがたさを感じることができたのは、大人になってからでした」

一青窈 二つの祖国に引き裂かれた両親 映画『燕 Yan』出演で向き合った母の傷

「この映画でも、兄は兄で苦労していたことを燕は後に知るけれど、子どものときに説明されても、やっぱりわからなかっただろうと思います。でも時を経ることによって理解することはできる」  ©2019「燕 Yan」製作委員会

今回、劇中の一青は、淑恵の故郷である高雄訛(なま)りの北京語でセリフを披露している。これは難しい挑戦だった。多言語社会の台湾では、使う言語や発音が出身や時代背景と深く結びついているため、言葉は大きな意味を持つ。完成した映画を見て、一青がとりわけ懐かしさを覚えたのも、高雄で現地の高齢男性が日本語で話しかけてくるシーンだったという。台湾では日本の統治時代に日本語教育が行われており、その世代は今でも滑らかな日本語を話すのだ。

「台湾には実際に日本語を話すおじいちゃんやおばあちゃんたちがたくさんいるし、私の父もその一人だったんだろうなと思います。父が日本で暮らしていたときに教わった日本語の歌を歌っていたことも思い出しました。台湾人の父も、日本人の母と結婚して二つの祖国を持ちながら、日本統治時代の台湾を生きました。そんな父の疎外感や孤独を理解しようと台湾の本を読んだりしたこともあります。この映画の撮影は、子どもと離れる選択をしなくては乗り越えられないほどに傷ついた親の気持ちというものと、私自身が向き合う体験でもあったんです」

母になってわかった「言わないでおく大人の優しさ」

一青が6歳のとき、母娘は父親を台湾に残して日本で暮らし始める。日台両国にルーツを持つ自分と、日本で生まれ育った子どもたちとの差異。小学生の一青はそれを、国の違いではなく、別のところで感じていたと明かす。その悩みこそが、詩の歌い手としての一青窈が生まれる原点となった。

一青窈 二つの祖国に引き裂かれた両親 映画『燕 Yan』出演で向き合った母の傷

©2019「燕 Yan」製作委員会

「6歳で父と離れ、8歳で父を亡くしたので。小学生時代は片親であるということに対して強いコンプレックスみたいなものを抱いていた気がします。父の日とか、両親が集まるようなイベントのときに、なんでうちは親戚の叔母が来るんだろう? って。その頃の『なんで私にはお父さんがいないんだろう?』という気持ちが、『なんで私は生きてるんだろう?』という問いまでたどり着いて、私は詩を書き始めました」

だが当時、「なんで?」と母親に直接聞くことはなかったという。母親もまた、父親が生前にガンを患っていたことを、一青に知らせなかった。親の死を突然に迎える痛みを経験した当事者として、告知を伏せた家族の選択は、一青にはとうてい理解しがたいものだった。

「高校生から大学生ぐらいまでは、たとえガンの告知であっても、真実は絶対に伝えるべきだと思っていたんです。でも母になってみて、自分だったら子どもたちに告知するかどうかと考えたとき、言わないでおく大人の優しさというのもあるのかもしれないなと。あとでわかることだったら、今伝えなくていいこともあるのかもしれない。そう思えるぐらいまでには“解けた”という感じです(笑)」

アフターコロナは「本当に面白いものこそが人をつなげる」

映画の公開を目前にして、世界はソーシャル・ディスタンシングを保つことがスタンダードとなる局面を迎えた。それはたとえば、劇中で何げなく映っている家族の食卓の光景が、半年前とはまるで違って見えるかもしれないということだ。一青はこの状況を、一人の母親として、できる限りポジティブに受けとめようとしている。

一青窈 二つの祖国に引き裂かれた両親 映画『燕 Yan』出演で向き合った母の傷

©2019「燕 Yan」製作委員会

「自粛生活によって、今の私は、1歳、2歳、4歳の子どもたちとかつてなく“密に濃厚接触”していて、子どもの表情や成長を目の当たりにしながら存分に味わえているんです。そのことについては本当に幸せなことだなと感じています。以前はついつい携帯を見ながら子どもをあやしていた自分が、今は時間がたっぷりあるから、じっくりホットケーキでも作ろうかなって」

コロナウイルスによる自粛中、という現実を感じさせないほど、いきいきと毎日を過ごしている一青の明るさが際立つ。

「家にいると、メイクもしないでボサッとする部分も出てくるんですけど、本当に必要なのは、大切な人と幸せな時間を過ごすための工夫を日々することで。外に出かける自分を着飾るのではなく、家の中を居心地よく変えていくことなのかなって。子どもを叱ったり、ごはんを作ったり、まさに劇中と同じような母親を実践していて、前向きにとらえるようにしています」

仕事に取り組む意識にも変化が起きた。

「これからは組織のパワーやトップダウンのような力関係よりも、フラットに『面白いから』という理由によって、人がつながっていくことが増えるような気がするんです。繕って面白く見せているものよりも、本当に面白いものこそが、広がっていくのではないかと。だからといって今までのやり方が崩壊するのではなく、たとえばどんなにストリーミングサービスが充実しても、みんなが映画館に行かなくなるわけではありませんよね。それと同じように、両者が共存していくんじゃないかなという予感がしています」

愛する人といる場所が私の“ホーム”

新型コロナウイルス対策では、台湾が早期の初動により有効な封じ込めに成功したが、日本と台湾を頻繁に行き来していた一青も渡航できない状況が続いている。「STAY HOME」期間を経て、自分たちにとって守るべき“ホーム”のあり方を問われている今、二つの祖国を持つ一青のホームはどこにあるのだろうか。

「それは今でもずっと悩んでいて、この先も悩み続けるだろうと思うんですけど、結局どこにいてもそこが故郷だという実感はないんです。大切なのは、それがどこかよりも、おいしいものをかけがえのない家族と分かち合って食べること。どこであっても、愛する人たちと一緒にいる場所が、私にとってのマイホームになるんだなと今は感じています」

一青窈 二つの祖国に引き裂かれた両親 映画『燕 Yan』出演で向き合った母の傷

「劇中で子どもたちに向けて歌った歌は、実際に子育てをしている母親の目線から、それぞれの国でつらい時期を乗り越えて母燕と子燕が再会する、という願いを込めて詞を書きました」 ©2019「燕 Yan」製作委員会

本作はアフターコロナの映画館で公開をむかえる新作の一つとなる。そこで目にする映像や耳にする音楽は、これまでとは違うまなざしで世界をとらえる体験になるはずだ。

「言おう言おうと思っていたけれど、忙しさにかまけて言えずにいたことや、いつか確かめておきたかった誰かの気持ち。そういうものを、今はいろんな人たちが、家の中で悶々(もんもん)とためている時期だと思うんですね。だからこそ、Zoomや通話では足りなくて、直接会えることになったときに相手に差し出す言葉は、すごく大切で意味があるものになると思う。この思いを伝えよう、好きな人に会いに行こう、この映画を見た人がそう思って一歩を踏み出す力になれたらうれしいです」

今回のインタビューは、時勢に応じて、リモートでのオンライン形式で行われた。途中、インターネット環境のトラブルでこちらの映像が途切れるハプニングや、一青のお子さんが来て家庭のワンシーンが垣間見えるひとときもあったが、一青の終始明るくフランクな対応がムードを和ませてくれた。そんな中で皆がお互いに手探りしながら、ディスプレー越しに顔を合わせ、相手の言葉の一つ一つに耳をすませる。こうしてつないだ時間の積み重ねが、新しい明日を作っていくと信じたい。

(文・那須千里 TOP写真撮影・幡野広志 文中敬称略)

映画『燕 Yan』

一青窈 二つの祖国に引き裂かれた両親 映画『燕 Yan』出演で向き合った母の傷

©2019「燕 Yan」製作委員会

本作が初監督作の今村圭佑は、第43回日本アカデミー賞で三冠に輝いた『新聞記者』や、米津玄師『Lemon』のミュージックビデオなどの撮影を手がけた若手撮影技師。セリフに頼りすぎない詩的な映像感覚は「画と画の隙間や余白に人の気持ちの動きが見える」と一青も称える。

2020年6月5日(金) より東京・新宿シネマカリテ、アップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開

出演:水間ロン、山中崇、一青窈
監督・撮影:今村圭佑 脚本:鷲頭紀子
企画プロデューサー:松野恵美子
コスチュームデザイン:suzuki takayuki
配給:catpower ©2019「燕 Yan」製作委員会
2019年/日本/カラー/シネスコ/5.1ch/86分
公式HP:tsubame-yan.com/

あわせて読みたい

キネマの誘惑:一覧はこちら

[ &M公式SNSアカウント ]

TwitterInstagramFacebook

「&M(アンド・エム)」はオトナの好奇心を満たすwebマガジン。編集部がカッコいいと思う人のインタビューやモノにまつわるストーリーをお届けしています。

PROFILE

「キネマの誘惑」ライター陣

那須千里、西森路代、阿部裕華、武田由紀子、石川智也

「日常と自由を手放さぬために、映画の灯を取り戻す」 想田和弘監督、ミニシアターを救う“仮設の映画館”を始動

一覧へ戻る

RECOMMENDおすすめの記事