インタビュー

「コロナ下の世界こそ不条理劇そのもの」 坂手洋二と燐光群、別役実作品で再始動

長い我慢の時を経て、今月から各地で演劇公演が再開し始めている。

先陣を切った劇団のひとつが「燐光群」だ。3カ月ものあいだ静まりかえっていた「演劇の街」下北沢で、3日から別役実の「天神さまのほそみち」を上演している。今年3月に亡くなった別役を追悼し様々な劇団が参加する〈別役実メモリアル〉企画の第一弾でもある。別役は不条理劇の第一人者とされるが、この間の「緊急事態」下の社会のありようと重ね合わせて観る人も多いかもしれない。

劇団主宰で演出を手掛けた坂手洋二は、再始動までの道のりを「演劇は演劇であって、他のジャンルのものではあり得ないことを再認識した。人が集まり、劇場があるということのありがたさと、それを維持し続けることの困難さと重要性もかみしめました」と振り返る。

(文・写真=石川智也)

演劇人は劇場を中心とした「生活者」だ

東京都から不要不急の外出とイベント参加の自粛要請が出された3月25日、燐光群は前作(タイと共同制作した「安らかな眠りを、あなたに YASUKUNI」)の公演のただ中だった。もともと座席数を絞り、観客の検温やアルコール消毒など対策を徹底したうえでの上演でもあり、29日の千秋楽まで乗り切ったが、以降は空白の2カ月間だった。

この間、坂手は「損失補償はしない」という政府の方針に対し、10年間会長を務めた日本劇作家協会などの演劇団体や、映画、ライブハウス関係者とともに、文化芸術への緊急支援や基金の創設を訴える活動に奔走した。そして6月に入り、そろりと稽古を再開した。

自粛要請が解除されても、すぐに公演を打てるわけではない。稽古場の確保もままならぬなか、全員マスクを着用し接触を避け、梅雨空の下で開け放した窓に扇風機を向けるという、想像もできなかった環境での手探りのリスタートだった。そんな「新しい日常」の下、「生まれて初めて稽古場に来ているような気持ちになったこともあった」という。

「稽古場に通う日々をなんとか取り戻したことで、自分たちは劇場を中心とした『生活者』なんだということと、やはりオンラインは生の芝居の代わりにはならないという、当たり前のことを実感しました。そうした新鮮な『自覚』が、今回の上演にとっても意味があるように感じています。それは、まず挑んだのが別役作品だったからこそ、余計に強く感じられている面もあるかもしれません」

最も「不条理」な作品? 緻密な同時多発会話の妙

1979年に初演された「天神さまのほそみち」は、別役の戯曲のなかで「最も不条理」「最大の難関」とも評される。

1本の電信柱と1脚のベンチ。別役作品おなじみの舞台空間で、テキ屋が入れ代わり立ち代わりやってきて、「ここは自分の場所だ」と言い争う。たまたま居合わせた青年が仲介しようとするが、諍(いさか)いに巻き込まれ、さらには道化的な役回りの男も参入し、最後には――。

「天神さまのほそみち」より(撮影:姫田蘭)

「天神さまのほそみち」より(撮影:姫田蘭)

一見喜劇的な対話劇であり群像劇でもあるが、最初から行き場のない閉塞的な状況下で、登場人物たちの会話は常にずれ、かみ合わず、それでいてその「ずれ」が、奇妙なダイナミズムをもたらす。

舞台上の2カ所あるいは3カ所で、会話や口論が同時にかまびすしく展開する。何年も後に平田オリザが理論化した「同時多発会話」がすでにここまで自覚的に実践されていたことに驚くが、決して無秩序に進むわけではなく、バラバラに見えてそれぞれのセリフが有機的に別の集団の会話に絡み、全体として乱反射するように客席に届く。

この多重奏は、やはりオンラインや配信では再現不可能で、空間と時間を共有していない限り堪能できないだろう。もちろん、それを発する人間の肉体という生身の「装置」の存在も、(感染対策のため2メートル以上離れているとはいえ)客席にいればこそひしひしと感じるのだ。

別役作品は過去に「マッチ売りの少女」と「象」を演出した坂手だが、今回の「天神さまのほそみち」も40年前に戯曲を初めて読んで以来、いつか上演したいと思っていたという。「言葉と論理へのこだわりという意味では、別役さんの作品の頂点と言えるかもしれません。今回あらためて読み込んでみて、その設計図としての緻密さに驚きました。見事としか言いようがない」

「天神さまのほそみち」より(撮影:姫田蘭)

「天神さまのほそみち」より(撮影:姫田蘭)

閉塞的な状況と闖入(ちんにゅう)者の理不尽をブラックユーモア的に描いたという意味では、安部公房の傑作『友達』が思い浮かぶ。役名に固有名詞を与えず、心理や人情のリアリズムを通してではなく、生を一度解体し、再構成することでわれわれの生の構造そのものを突きつける手法は、別役と共通しているようにも見える。ただ、安部はそれを寓話的・抽象的にやったが、別役は論理と、時に生々しい情念によって構築した。不条理どころか、別役の芝居はどこまでも条理にかなっている。

現実とシンクロ 上演は図らずも必然だった

「あれ」「それ」「そこ」「あの」といった指示代名詞を多用し怒濤(どとう)の対話劇を作り上げる手練はまさに見事だが、その別役作品の言語的強度をあえて強調した坂手の演出は、今作が描くコミュニケーションのずれや衝突をより鮮明に浮き立たせる。昨今各国内で起きている「分断」や「排他」の動き、あるいはSNS上の言論状況、さらにはコロナ禍での国際情勢と、重ね合わさずにはいられない。

今回、坂手が上演作品を決めたのは別役の逝去とも新型コロナとも関係のない時期だったが、「結果的には、この時期にこの作品をやるのは必然だったような気もします」とシンクロニシティーを語る。

「ただ、だれかの主張や確信が、別の者からみれば勘違いや思い込みでしかないという状況は、一方にとっては理不尽でも、決して『不条理』の一言では片付けられない。そんなことを言うなら、もっと不条理なことが起きています」

「この数カ月も、ソーシャルディスタンスや次亜塩素酸水の噴霧など、何が正しくて何が間違っているのかよく分からない情報が飛び交いました。『○○人以上の会合はダメ』というルールもいつの間にか一人歩きし、多くの人が振り回された。『緊急事態』が日常化した社会で、国や都の方針や発表が検証もされず流布し、多くの人が状況をただ受け入れ、判断能力を失っています。どちらが不条理でしょうか」

不条理劇は「状況演劇」(J-P・サルトル)の一種とも言えるが、自分が選んだけわけでもない状況下であっても人間は自由に自己を選択する者であることを示すべし、というその考えに立てば、緊急事態宣言下の日本社会のありようは、まさに不条理劇的だった。

「天神さまのほそみち」より(撮影:姫田蘭)

「天神さまのほそみち」より(撮影:姫田蘭)

日本的情緒を強く拒否、満州体験が原点

別役実の世界は、言葉を発しなくても分かり合えるはずだという無根拠な幻想と、肌にまとわりつくような湿度の高い日本的共同性への、強い拒絶の意思を秘めているように思える。旧満州から母子で引き揚げた凄絶(せいぜつ)な体験は終生、心に根を張り、「ずっと満州を引きずっている。外から日本を見続けたから変わった芝居が書けたのでしょう」と語っていた。

本人は草葉の陰で否定するだろうが、私には、やはり茫漠たる満州の地で育ち日本的情緒や風土を否定し続けた安部公房との近親性を思わずにはいられない。

ひたすら空気を読むことを求め、自粛警察という言葉まで登場したこの社会のこの数カ月の状況を、別役ならどう戯作化しただろうか。

「『天神さま……』は40年も前に書かれた作品ですが、その時代時代の人間が求める姿で常に立ち上がってくるものがある。書かれていることを丹念に追って作ることで、おのずと見えてくるものがありました。答えは作品の中にあるのかもしれないし、私たちの中にあるのかもしれません」

坂手は、謎かけのような言葉で私を煙に巻いた。……不条理だ……。

(敬称略)

&Mでは近々、坂手さんが文化や社会など森羅万象を切り取るコラム連載を始めます。

坂手洋二プロフィール

〈さかて・ようじ〉 劇作家・演出家。1962年岡山生まれ。慶應義塾大学卒業。1983年に〈燐光群〉を旗揚げ。国内外で公演を重ねる。1993年、劇作家協会創設に参加。2006〜2016年、同会長。日本演出者協会常務理事。岸田國生戯曲賞、鶴屋南北賞、紀伊國屋演劇賞、読売文学賞、読売演劇大賞最優秀演出家賞、朝日舞台芸術賞等を受賞。主な作品に『屋根裏』『天皇と接吻』『だるまさんがころんだ』『くじらの墓標』『ブラインドタッチ』『最後の一人までが全体である』、著書に『私たちはこうして二十世紀を越えた』(新宿書房)等がある。

公演情報

「コロナ下の世界こそ不条理劇そのもの」 坂手洋二と燐光群、別役実作品で再始動

「天神さまのほそみち」
東京・下北沢のザ・スズナリで7月19日まで上演
http://rinkogun.com/
燐光群/(有)グッドフェローズ(電話03-3426-6294)

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PROFILE

石川智也

1998年、朝日新聞社入社。岐阜総局などを経て2005年から社会部でメディアや教育、原発など担当した後、2018年から特別報道部記者、2020年4月から朝日新聞デジタル&副編集長。慶応義塾大学SFC研究所上席所員を経て明治大学感染症情報分析センターIDIA客員研究員。著書に『それでも日本人は原発を選んだ』(朝日新聞出版、共著)等。オピニオンサイト「論座」等にも論考や記事を多数執筆している。

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