LONG LIFE DESIGN

世の中には専門的な知識がないからこそ「感動」できることがある

前回の記事から半月が経ちました。皆さん、お元気ですか。僕は意外と涼しい東京の初夏を気持ちよく過ごしていますが、やはり各地での大雨の様子はとても心配。台風もそうですが、自然災害の勢いが年々増しているような気がします。備えないといけませんね。

さて、今回も3話。僕の活動のテーマである長く続いていくこと「ロングライフデザイン」の観点から書いてみました。

まずは大好きなピアニストのフジコ・ヘミングさんのこと。専門的にはよくわからないからこそ感動できるということ、ありますよね。感動に専門知識っていらないんじゃないか、というお話。

2話目はコロナウイルスの影響でネットによるコミュニケーションが増えたことについて。僕は結構苦手な部類の古臭い人間ですが、やはり、そうも言っていられない。先日実施した「インスタライブ」の感想を書きました。

要するにミュージシャンなんかがステージ上で繰り広げるライブでの「セッション」感の必要性を痛感しました。その場でどう楽しめるか、楽しませられるか……。僕には特別な才能はありませんので、苦しかったなぁ……。

最後は「お茶を出す店」にあるお客さんと店員の「初めての出会いの距離」を埋める工夫について書きました。長く続けていくためには、やはりお客さんとの関係性を作っていきたいところです。そこから、お茶が出てくる店ってそういうことかぁと、改めて感じたことを書き留めました。

世の中には専門的な知識がないからこそ「感動」できることがある

最近、ハマりにハマっている「大人のバーベキュー」と妻がネーミングした一品ずつ、のんびり楽しむ炭火焼き。コロナの影響も多大にあり、大勢で集まれないけれど、バーベキューしたいと思っていた時に出会ったこのセットに惚(ほ)れてしまい、毎週末、旬なものを取り寄せて焼いています。ちょっと唐突でしたかね(笑)

最近、ハマりにハマっている「大人のバーベキュー」と妻がネーミングした、一品ずつのんびり楽しむ炭火焼き。コロナの影響も多大にあり、大勢で集まれないけれど、バーベキューしたいと思っていた時に出会ったこのセットに惚(ほ)れてしまい、毎週末、旬なものを取り寄せて焼いています。ちょっと唐突でしたかね(笑)

フジコ・ヘミングを聴いて

映画「フジコ・ヘミングの時間」を観(み)ました。後半だったか、オーケストラと共演するシーンがあるのですが、指揮者のマリオ・コシック(ブラティスラヴァ交響楽団)から「音のタイミングが合っていない」と何度か指摘されたフジコさんは「耳が聞こえづらい」という理由を伝え、何とか無事終了するという、なんともフジコさんを応援したくなるような一幕があります。

僕は彼女の演奏が大好きです。音楽、演奏の「専門知識」についてはわからないけれど、彼女の「人間性」が好きだから、細かいテクニックやプロから見てどうのこうのということは、ま、なんでもいいや、と、思うのです。この指揮者とは専門的なところでのやり取りが繰り広げられていたのでしょうし、「いい人であろうと、悪い人であろうと、演奏が上手じゃないとダメ」みたいな考え方もある世界でしょう。ただ、専門家ではない僕にとっては、それはどうでもいいことで(演奏している本人はそんなこと言ってはいられないでしょうけれど)、なんとなく上手で、彼女が一生懸命であればいい。そう思うのです。

僕は数年前からオーケストラ演奏に興味が湧き、友人たちと一緒に日本フィルハーモニー交響楽団を応援する会「d日本フィルの会」では、先に書いたような感覚でホールに通っています。

専門的なことを知りたいということよりも、「どうしてオーケストラって長く続いているのだろう」という素朴な専門外からの興味。しかし、わからないながらも、ものすごく感動することがあります。それは、このフジコ・ヘミングさんで感動する時と一緒だと思うのです。つまり、「人」が「感情」を持って演奏すること。何一つ、間違わなくて、正確に演奏できても、多分、「人としての感情」がないと、人は感動しないと思います。

これは何にでも当てはまる話だと思います。間違えなく、きっちりやっても、「いい仕事してるな」と思わない仕事ってあります。やっぱり、人間として何か情熱を感じないと、感動まではいかないのでしょう。

映画は彼女の私生活を追ったものでした。猫が大好きで、子どもの頃、母親に厳しくピアノの指導を受けたこと、その思い出がずっと絵日記によって記録されていて、その絵がまた素敵です(彼女のCDの盤面には、必ず彼女の絵が描かれています)。感動するためには、自分の感情を磨かなければなりません。やっぱり「素直」に聴くことができないと感動するのは難しい。「素直」に自分がなれるか。「心」を澄んだ状態にしているか。それがとても大切であり、難しくもあり、でも、これからの社会ってそれがしやすくなるような、ある種のシンプルな状態に向かっていっているように僕は思います。やらなくても良いことと、やらないといけないこともはっきりしてくるような。一生懸命なフジコさん、これからも応援したいです。

対談ってセッション!?

インスタライブ中の自宅の僕です。少しずつ「音質」や「画質」をよくしていこうと機材が増えていくのが心配です。しまいにはテレビ局のようになってしまったりして

インスタライブ中の自宅の僕です。少しずつ「音質」や「画質」をよくしていこうと機材が増えていくのが心配です。しまいにはテレビ局のようになってしまったりして

あんなに毛嫌いしていた「インスタライブ」ですが、場所を用意せずとも意識を共有している皆さんと話したりできるって凄(すご)いなぁと、何度か(4回くらいやったかな)やってみて思いました。

僕が発行人を務める、47都道府県の日本の“らしさ”だけを抽出して編集する旅行誌「d design travel」の28冊目となる「岡山県」の号の制作費を先日までクラウドファンディングで集めていたのですが、そのことを編集長とライブ配信で呼びかけてみたのでした。それがかなりちぐはぐで、難しいなぁと思いました。それはまさにミュージシャンの「セッション」なのでした。もちろん僕は楽器など弾けないし、ステージで観客を前にライブ演奏などしたことはありませんが、そう思ったのです。多分、「セッション」って、こんな感じなんだろうと。

静岡にいた僕と岡山にいた編集長。同じステージに一緒に立っているわけではないので意思疎通も難しい。そして、お互いのテンションも思いの深さも、人間としての性格の違いもある。ミュージシャンはそれを「楽器」を通して表現するけれど、このインスタライブでは、言葉や用意したボードに書いた文字なんかで表現し合う。

実際にやってみて思ったのは、この意思疎通の、つまりセッションしていく中で見えてくる二人の間合いこそ、プロジェクトに向かう「意思疎通」であって、その心地よさが、クラウドファンディングでの一票につながっていくんだと思ったのでした。

そして、もう一つ感じたのは、不特定多数の人への呼びかけのセンスや質。勢いや品です。いろんな人が「ライブ」を経験していく中で、みんな思うところだと思います。急に慣れないまま、大勢を相手にライブをするって、やっぱり上手(うま)い下手が出ますよね。スタジオで緻密(ちみつ)に編集して一枚のアルバムを仕上げるのが上手なアーティストと、とにかくライブ主義のアーティストがいますが、これからはやっぱり「ライブ配信」で何かしらを感じてもらうためのテクニックがクリエーターには必要で、「ライブ」という伝達表現って避けられないなぁと、思うのでした。

先日の「d design travel」のインスタライブ。携帯のインカメラを使うと視聴者には左右が反転した状態で見えることを経験者の助言で知っていましたので、あらかじめそれに対応するよう準備していたのですが、勘違いで全てを逆にしてしまい大汗をかきました。それをライブ配信中に一つ一つ直してのトーク、それも「ライブ」には変わりなく、「あーあ」と思いつつも、そんなことを今、言っていても何にもならない。

今はライブ配信中なのだと開き直るその様子もライブの一部。いやはや、僕の時代にあった「マスメディア」の感覚とは全然違うメディアの登場で、まさか自分が“テレビ局”になるとは予想していなかったのです。コロナウイルスがZoomの株価を引き上げ、ライブ配信が一般化している今、一人一人のメディア感って、まだ昭和バブル世代の僕にはピンときませんが、お勉強しないといけない「科目」になってしまうんでしょうね。懲りずにまた、挑んでみます。そして、もはや「挑む」とか「勉強する」とか言ってられないほどに「ふつう」になっているんだとも思います(汗)。

 
世の中には専門的な知識がないからこそ「感動」できることがある

「d design travel」とはこんな本です。現在27都道府県分が出ていて、残り20県。同じルールで平等に作っています。「d design travel」のサイトはこちら

お茶を出す店

台東区にある若者に人気のとある生活用品店では、いつもお茶が出てきます。お茶を出してもらうと、急に「お客」と「店」の関係が変化します。特にわかりやすいのは「時間の共有」でしょう。「ゆっくり見ていってください」という気持ちを可視化した行為だからです。

葉巻やタバコもそうですね。「いっぷく、いかがですか?」「タバコ吸ってもいいですか?」という言葉に潜む意味とは、「タバコを吸っている時間、もう少し、一緒にいてくれますか?」ってことですものね。飲み物を「もう一杯、飲みませんか?」なんていうのも、それですね。

買い物に行って、お茶を差し出される。椅子に座ってそれを頂くということは、目的である買い物をいったんやめて、少し休憩しながらその場所に身を委ねる。そこで例えば、店員と会話する。商品を手に持って「どうしようかな」とか思っている時にスタッフに声をかけられる、わかりやすい「接客」と違って、お茶を飲みながらなので、ちょっと商品から距離を置ける。

お茶を飲むお客も、差し出した店員も、その時間だけ、店から少し離れた感覚でおしゃべりができる。すると商品以外のもの、例えば店内の照明器具や、ほのかに香るポプリにも気づく。リラックスできたことで、気軽に質問したくなったりもする。「あの時計って、商品なんですか?」「その服、ここで販売しているんですか?」「引き出物って、やってもらえるんですか?」……。

そういうのって、素敵ですよね。もちろんお茶を選んだり、お客さんとのタイミングをみたり、お茶わんを整えたり出したり、下げたり洗ったりと手間がかかりますが、それも含めて、そういうことができる店って素敵です。

もし、あなたが、お茶は出せないけれど、そういう時間や意識は作りたいと思ったとしたら、何をしますか? 以前にも書きましたが、落語家の柳家花緑師匠と一緒に「d47落語会」という会を開いているのですが、始める前に「スタンプショー」といってお客さん一人一人に参加証のようなスタンプを押す時間を設けていて、そこで話したり、記念写真を撮ったり、握手したり。師匠が「聞きにきてくれる人、一人一人と最初に距離を縮められるから、こちらもリラックスできます」と言っていたことを思い出しました。

スタンプを押すという手間によって、お客さんとの距離を縮める。高座に上がった時も、「さっき、握手した人たち」という大勢のお客さんと、和やかな時間と場所を作れる。Webストアにはない、実際の場所だからこそできることです。

ネットでのコミュニケーションもどんどん進化して実際に会いたい人と会っているような、着てみたい服を着ているような感覚を目指すのでしょうけれど、実店舗派の僕は、やっぱり「お茶を出す」ようなリアルな関係を残して、維持し続けたいなぁと思います。

PROFILE

ナガオカケンメイ

デザイン活動家・D&DEPARTMENTディレクター
その土地に長く続くもの、ことを紹介するストア「D&DEPARTMENT」(北海道・埼玉・東京・富山・山梨・静岡・京都・鹿児島・沖縄・韓国ソウル・中国黄山)、常に47都道府県をテーマとする日本初の日本物産MUSEUM「d47MUSEUM」(渋谷ヒカリエ8F)、その土地らしさを持つ場所だけを2カ月住んで取材していく文化観光誌「d design travel」など、すでに世の中に生まれ、長く愛されているものを「デザイン」と位置づけていく活動をしています。’13年毎日デザイン賞受賞。毎週火曜夜にはメールマガジン「ナガオカケンメイのメール」www.nagaokakenmei.comを配信中。

「人生を意義深く過ごす」とは、先人から受け継いだものを次代に手渡すことではないか

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