ニューノーマル白書

「優勝を狙うよりスポーツ文化の伝道師たれ」 プロバスケリーグ「さいたまブロンコス」オーナー池田純

モノの集約を妨げ経済の効率と成長に打撃を与えた新型コロナウイルスは、世界のあり様を一変させました。「ポスト・コロナ」ならぬ「withコロナ」時代には、経済も社会生活も、新しい価値を見いだすことが求められています。私たちがこれから迎える「新たなる日常」を生きるヒントを各界のパイオニアたちに聞く「ニューノーマル白書」。今回は、Bリーグ(プロバスケットボール)3部「さいたまブロンコス」のオーナーに就任し、スポーツビジネス界に新風を吹き込む池田純さんに、withコロナのスポーツビジネスとスポーツ選手のあり方を聞きます。

プロ野球チーム元社長が「弱小バスケットチーム」オーナーに転身

新型コロナウイルスの感染拡大により日本中がその恐怖と向き合い始めた3月6日。大手スポーツ紙でとあるニュースが報じられた。

「横浜DeNAベイスターズの元社長、池田純氏がBリーグ3部、埼玉ブロンコスの運営会社を救済買収してオーナーに就任」

 
 
 
 
 
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Bリーグは2月末にリーグ戦を中断、無観客で再開したもののすぐに再中断し、そのまま全試合を中止してシーズンを終えた。来シーズンもどうなるか不透明だ。このタイミングでなぜ、かつてプロ球団を率いた男が、そもそも経営が厳しいと言われる3部チームのオーナーとなるのか? 池田はこう語る。

「この時期での発表は、まずはスポーツを通して世間に明るいニュースを提供したかったのが私の第一の思いでした。もちろんスポーツ興行は苦境ですが、このタイミングは私にとってはよかった」

「リーグ戦中断でチームを新体制に移行する時間的な余裕ができ、選手とリモート面接ができて私の経営の考え方や新体制で運営するチームの方針も伝えることができました。選手個々の考えも聞き、チームの経営に協力してくれるかどうかの確認ができたことは収穫でした」

池田がオーナーとなった「さいたまブロンコス」は、「埼玉のお荷物チーム」と言われていた。そもそもその歩みは日本のスポーツ界の盛衰と軌を一にしている。 誕生は1982年、大手企業が抱える「マツダオート東京バスケットボール部」(翌年、米大学チームのニックネーム・ブロンコスを襲名)だった。その後バブル崩壊を経てマツダは撤退し、96年からは市民資本のクラブチームとして日本リーグでは2002年と03年に連続優勝を飾っている。

「優勝を狙うよりスポーツ文化の伝道師たれ」 プロバスケリーグ「さいたまブロンコス」オーナー池田純

日本リーグ時代には二度の優勝を経験した古豪だが、いまや「埼玉のお荷物」と呼ばれるほどの弱小チームに。ユニフォームはグリーンだったが、20年7月からは野生の情熱を意味する「SAVAGE RED」に変更した=撮影:金子智彦

ところが05年から加盟したbjリーグでは05-06年と06-07年シーズンでの6位が最高成績。16年にプロ化を前提に発足したBリーグではチームも弱体化、経営不振もあって3部に所属。クラブの運営会社は数億円の累積債務を抱え、21年度はチームの存続も危ぶまれた。

「なぜ赤字経営が続くのか」 古い慣習を次々と打破

そこに「プロ野球経営で大きな実績を上げたやり手経営者」がやってきたのだ。池田の言葉通り、それは地元と全国のバスケットファンに希望を抱かせるニュースとなった。だがそこで池田が手を着けたことは……?

「明るいニュースとはいっても、オーナーとしてはチームの目標を掲げることよりも現状をつぶさに見ることと埼玉県人の県民性を調べることが先でした。埼玉の人の心にバスケという火をつけないといけない。なぜブロンコスの試合に観客が集まってくれないのか? なぜ地域の人がチームに関心を持たないのか? なぜ赤字経営が続くのか? 私はマーケッターなので、そこから調べることにしました」

ある意味でそれは、池田が11年に35才で社長に就任した「横浜DeNAベイスターズ」時代の状況に似ていた。それまでベイスターズは、成績は下位でスタンドにも閑古鳥が鳴く「セリーグのお荷物球団」だった。

「優勝を狙うよりスポーツ文化の伝道師たれ」 プロバスケリーグ「さいたまブロンコス」オーナー池田純

15年、DeNAベイスターズ・ラミレス新監督就任会見での池田氏(左)=撮影:古田寛也

しかも池田はプレイヤーとしてもビジネスパーソンとしても野球は未経験だ。ところが、就任早々からよそ者の強みを利用して、池田は球界の古いしきたりや慣習を次々と打破して結果を出した。

例えば球場には赤ちゃんと観戦できるボックスシートなど、52種類ものスペシャルシートをつくった。早朝にグラウンドを開放して出勤前のファンがキャッチボールできるようにした。15年には約1.8億円をかけて県内の子供たちに72万個のベイスターズの帽子を配った。もちろんマーケッターとして、ファンを獲得するための短期的なコスト(CPA:Cost per Acquisition)と、そのファンが長期にわたって球団にもたらす利益(LTV:Life Time Value)は計算済みだった。野球好きだけでなく、広く浅くファンを獲得することを狙ったのだ。

その結果、就任前の11年のシーズンに110万2千人だった年間入場者数は翌年から右肩上がりとなり、退任する16年には193万9千人を記録した。ファンクラブ会員数も10倍以上となった。16年には横浜スタジアムの株式を取得し念願の「球団球場一体経営」を実現し、19年12月決算では純利益15億2500万円を出すまでになった。

チーム存続のカギは勝ち負けではない

注目すべきは、池田が在籍した5年間のベイスターズのリーグ成績は6、5、5、6、3位と、決して強くなったわけではないことだ。池田はスポーツビジネスの常識だった「勝利こそ人気(売上げ)」という考え方を、「勝負に左右されない経営」への転換に成功したのだ。

ブロンコスでもベイスターズと同じような奇跡の経営手腕を見せてくれるに違いない。そのファンの期待に対して、だが池田が取ったのは意外な手法だった。

「Bリーグ1部は無観客でもネット配信権料が入るから経営は成立するけれど、3部チームは無観客では経営できません。ならばクラブのポートフォリオ(収益構造)をドラスティックに変えないといけない。しかもベイスターズの時のように、改革のための資金力があるわけでもない。あるのはチームが存続できるかという危機感のみです」

「そこで考えたのは選手には『二足の草鞋(わらじ)』を履いてもらうこと。つまり戦力としてだけでなくもう一つの仕事を通してチームの経営に参画してもらえる選手と契約することでした。リーグが再開するまで、また再開してからも、勝ち負け以前に地域にバスケット文化を広める『エバンジェリスト』(伝道師)になってくれる選手と契約することにしたのです」

言うまでもなくチームには練習試合を想定して最低でも10名の選手が必要だ。ところが池田は、この段階で試合のことは全く考えていない。勝ち負けよりも街中でバスケットをしたりバスケットに触れる文化を広めたりすることを優先した。そのために当初契約したのは6選手のみだった。

選手の「兼業」でチームにも相乗効果

「その6人はチームの方針を理解してくれて、クラブ内での兼業を担ってくれる選手です。子供や大人たちにバスケットボールを教える教室のコーチの田中良拓選手、コーチ補佐の吉川治耀選手と山口力也選手。モーガン・ヒカル・エイケン選手はアパレルブランドを手がけてきたのでチームのTシャツやグッズなどのデザイナーとしても契約。さらに実業家でもあり経営がわかる宇野善昭選手と、コーチも営業もやる埼玉出身の泉秀岳選手と契約しました」

「吉川選手は子供のころに、かつて強かったブロンコスに憧れた記憶をもっていて地元にバスケ文化を根付かせたいと強く思っている。そういう選手たちと契約して、彼らがスポンサーを獲得してくれたら成功報酬も出すことにしました」 (YouTubeの公式チャンネルでは、選手がレッスンのための動画を公開。第1回は吉川選手)

スポーツ選手が「二足の草鞋」を履くというとネガティブに捉えられがちだが、企業の多くが撤退してクラブチームが主流になった今、この生き方は広まっている。同じ埼玉県に本拠地を置く、バレーボールVリーグ2部に所属する市民クラブチーム「埼玉アザレア」も、10年前のチーム設立時から全選手がもう一つの仕事を持ち、むしろ生活の糧はそこから得ている。スポーツを愛して長く現役で活躍しようとしたら二足の草鞋は必然なのだ。

だが他チームの場合、それは経済的な理由から選手個人の判断だった。ブロンコスはチームとしてそれを戦略化し、チームと選手双方のメリットを狙っている。池田はこう語る。

「これからはどのスポーツでもコロナの影響でチーム経営は厳しくなります。経営が磐石な親会社があるプロ野球や大リーグ、Jリーグのトップ中のトップ選手は別ですが、2部3部のチームでは契約できる選手数は減っていく」

「チームとしても経営に参画してくれる『二足の草鞋』選手が必要だし、プレーヤー以外の仕事に報酬を出すことで選手たちもスポーツと生活を両立できる。もちろん、そのバランスの取り方は問われますが、コロナ危機をスポーツ界が乗り越えるにはそこがポイントだと思っています」

ベイスターズ社長時代には、球場に新たなファンを呼び込むために、全米のボールパーク(野球場)をつぶさに観察してその長所を取り入れた。球場を一流アーティストのコンサート会場とするため、本場の音響設備を学びに海外の超一流アーティストのコンサートにも出かけた。常に「自分で体験すること」が池田の流儀でもある。

地域の活力の源泉になるというロールモデル

ブロンコスとしては手始めに、夏休み期間には小学生を対象としたバスケットスクールを所沢で開講する予定だ(コロナの状況次第で開催の是非を判断する)。9月からは大人のビギナーを対象に、さいたま市でスクールを準備中だ。そこでは田中選手、吉川選手、山口選手らが一流のプレーを伝授し、エイケン選手が1メートル近いジャンプ力を駆使してダンクシュートを披露する。「8月半ばまでには詳細も発表できるはず」と池田は言う。

Bリーグ3部の再開は21年の1月からとなった。20年の夏から冬にかけて、ブロンコスは選手もスタッフも、チームの強化よりも前にバスケを地域に根付かせるための活動を展開する。その文化が浸透すれば、リーグ再開後に観客は集まり支援者も増えるはずだ。それがコロナ下でのスポーツチームと選手のあり方だと池田は信じている。

「ブロンコスの選手には、将来スポーツ選手を目指す子供たちに『こうやってスポーツ選手として生きていくんだよ』というロールモデルになってほしいと思います。世界で活躍する大谷選手や田中選手のような超一流プレーヤーになれるのは一握り。みなでその狭き頂点を目指すのではなく、チーム経営や地域を盛り上げることも考えていくのが、これからの時代のスポーツ選手のあり方。ブロンコスの選手にはそのモデルを追求してほしいんです」

その作業を続ける中で、池田にも徐々に未来のブロンコスのイメージができつつあるようだ。こうも言う。

「もはやブロンコスがBリーグ1部で優勝するよりも、いままではサッカーで有名だった埼玉で『最近はバスケットのファンが増えました』と言われた方が嬉しいとすら思います。バスケットが地域の活力の源泉になったと言われたい。オーナーとしての仕事もそういう価値観で評価される時代だと思っています」

コロナという逆境の中で、ブロンコスの進むべき道は決まった。それはまさに草の根でありスポンサー集めを含めて課題山積であることは間違いない。はたして池田とブロンコスの動きが逆風の中でのスポーツ界のモデルとなるか。再び風雲児の真価が問われている。

                             (敬称略) 「優勝を狙うよりスポーツ文化の伝道師たれ」 プロバスケリーグ「さいたまブロンコス」オーナー池田純   

池田純 プロフィール

1976年生まれ、横浜出身。早稲田大学商学部卒業後、住友商事、博報堂を経て、有限会社プラスJを設立し独立。2007年に株式会社ディー・エヌ・エーに入社し執行役員としてマーケティングを統括。2011年、株式会社横浜DeNAベイスターズ初代球団社長に就任。退任した2016年までで、球団は単体での売り上げが52億円から110億円超へ倍増し、黒字化を実現した。さいたまスポーツコミッション会長。2020年3月よりB3リーグ埼玉ブロンコス(現「さいたまブロンコス」)オーナー兼取締役。

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PROFILE

神山典士(こうやま・のりお)

1960年埼玉県生まれ。信州大学人文学部卒業。96年『ライオンの夢 コンデ・コマ=前田光世伝』(現在は『不敗の格闘王 前田光世伝』祥伝社黄金文庫)にて小学館ノンフィクション大賞優秀賞受賞。2011年『ピアノはともだち 奇跡のピアニスト辻井伸行の秘密』(講談社青い鳥文庫)が全国読書感想文コンクール課題図書選定。14年「佐村河内事件報道」により第45回大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)、雑誌ジャーナリズム賞大賞。「異文化」「表現者」「アウトロー」をテーマに様々なジャンルの主人公を追い続ける。近著に『知られざる北斎』(幻冬舎)。主な著書に『もう恥をかかない文章術』(ポプラ社)『成功する里山ビジネス~ダウンシフトという選択』(角川新書)『ペテン師と天才~佐村河内事件の全貌』(文藝春秋)等。

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