パパ友がいない

「家事育児に協力的なパートナーがいること」はちっとも当たり前じゃない

連載「パパ友がいない」は、3歳と0歳の二児を育てる小説家・白岩玄さんが、新しい父親像を模索するなかで感じたことを思いのままにつづります。自分と同じように、親として悩みや葛藤を抱えるパパたちに呼びかけるように――。

#02 家事育児をする男の実情

子どもが生まれてから、一日のうちの多くの時間を家事育児に費やすようになった。うちは共働きなので、専業主婦(あるいは主夫)をしている人に比べれば少ないだろうが、それでも仕事以外のほとんどの時間を家事育児にとられている。

我が家では、家事については基本的に分業制だ。妻が料理、ぼくが掃除と片付けをし、洗濯は手の空いた方がやっている。かなり大雑把な決め方ではあるが、家事の分担で揉(も)めたことはほとんどない。もともとどちらも一人暮らしをしていて、一通りのことができる上、分担の非対称さを表すのによく持ち出される「名も無き家事(通常、ゴミ捨てはゴミ捨てだけをすればいいと思われており、ゴミ袋の張り替えや、残り枚数の管理などは家事だと認識されていない)」の存在も、互いに認識しているため、不満を持つ部分が特にないのだ。

あと、揉めない理由として意外に大きいんだろうなと思うのが、ぼくが掃除と片付けをするのが好きなことだ。ご飯のあとの洗い物、週末の大掃除、来客時の片付け、引き出しや押し入れの中などの整理整頓、ネットで注文した家庭用品の片付けとそれが入っていた段ボールの解体に至るまで、家の中をきれいにしたり元通りにしたりするのが苦にならない。それどころか、やっていると気持ちがリフレッシュされることすらある。これはもう、旅行が好きとか、映画を観(み)るのが好きなのと同じようなものなので、本当にラッキーだったと思う。

育児については、特に分業したりはせず、二人で協力してやっているが、家事のようにはうまく回らないことが多い。なにせ相手がまだ三歳と〇歳二カ月なので、やったことが無駄になったり、予想外に時間をとられたり、対処法が見つからなかったりすることがままあるからだ。ぼくはもともと小さい従兄弟(いとこ)たちの面倒をみたり、姉が子どもを産んだ際に一通りの世話(オムツ替え、ミルク、沐浴〈もくよく〉など)を経験したりしていたので、幼児や赤ん坊に苦手意識があるわけではないのだが、それでも自分が親になってする育児には、人を大きく疲弊させる何かがある。子どもたちはかわいいし、何よりも大事に思ってはいるが、心の中で面倒くせぇなとため息をつきながら相手をすることもあるし、イヤイヤ期まっさかりの息子の言うことのきかなさにいらいらすることだって少なくない。シングルだったり、自分は手伝ってほしいのにパートナーが協力的じゃなかったりして、働きながら家事育児も一人で担っている人のことは本当に尊敬する。自分がそれを妻と二人でなんとかやっているからこそ、いったいどうやって乗り切っているんだろうと不思議でならない。

いずれにしても、こうした家事育児の分担については、ぼくは男性であることでかなり得をしていると思っている。なぜなら、女性は働いていても、家事育児は当然やるものという意識の人が大半なので、やってもらえるように教えたり、話し合い(という名の喧嘩〈けんか〉)を重ねたりする必要がないからだ。特に何も言わなくても協力体制を取ってもらえるのも、仕事が立て込んでいるときに快く子どもをみてもらえるのも、もしぼくが女性だったら、なかったかもしれないことだろう。家事や育児を当然のものとしてやるだけでなく、その大変さを理解しているパートナーがすぐ側にいてくれること。これは当たり前のようで、ちっとも当たり前のことじゃない。なので、それを最低限自覚するのが、ぼくの務めなんだろうと思っている。

「家事育児に協力的なパートナーがいること」はちっとも当たり前じゃない

さて、家庭内の家事育児の分担については上記の通りだが、こういう話を他人にすると、男の人なのにちゃんと家事育児をしていて偉いねと褒められることがある。普通に返事をするならば、「いやいや、共働きなんで当たり前ですよ」と首を振って終わりなのだが、ぼくに限って言えば、実は百パーセント当然のこととして家事育児をやっているわけでもない。なんというか、もっと言いにくい、別の理由があったりもする。

たとえば、ぼくはそんなにきれいな心の持ち主ではないので、働きながら家事育児をすることで、家事育児をしていない男性に対して、心の中でマウントをとっている部分があると思う。うちは全然やってくれないと嘆く女性がいれば、心のどこかで優越感を覚えている自分がいるし、小さい人間だなと情けなくはなるが、妻と協力して家事育児をする理由の裏にはそんな気持ちがあるのも事実だ。
 
それから、もうひとつ大きいのは、これは非常に個人的なことなのだが、「これまでとは違う男性の生き方を模索する」のが、自分のここ十年くらいのテーマだからだ。女性の地位が昔よりも向上したり、生き方の選択の幅が広がったりしている現代では、男性である自分は、それを踏まえた物の見方や言動をする(これまでの社会の在り方が男性中心主義に傾きすぎていたと認める)のが、ぼくは必須だと思っている。

もちろん世の中にはいろんな考え方があって、そんな意見には反対だという人もいるだろうが、少なくとも、ぼく個人としては、家父長制を前提とする昔の男性のような生き方はしたくないと思っている。だから「今この時代に、男性である自分はどう生きるべきなのか」ということを、ずっと考えているというか、悩み続けているのだ。もっとも正解はないので、自分で納得のいく答えを見つけ出すしかないのだが、とりあえず仕事はしながらも、妻とちゃんと協力して家事育児をし、家庭にも深くコミットするというのが、ぼくの暫定的な回答だ。ベストな答えかはわからないが、そっちの方が、より自分の正解に近そうだという感じでやっている。
 
とはいえ、それはあくまでも理念であって、実際には前の時代の男性の生き方に引っ張られてしまう自分もいる。妻から生活の不満を言われた際に、自分は世の中の男性に比べてこんなに家事も育児もやっているじゃないかと言い返したり、家事や育児をしている分、仕事に時間を割けないことに不安を覚えたりすることがあるからだ。特にこのコロナ禍で、うちの旦那は子どもが家にいようが日中はずっと部屋にこもって仕事をして、ご飯ができたら部屋から出てくる、などという女性からの不満を聞くと、なんだそれはと呆(あき)れながらも、心のどこかでいくばくかの羨(うらや)ましさを感じてしまう。さらには、こうしてメディアなどで家事も育児もすると公言している以上、その自分を崩せないから、パフォーマンスで家事育児をしているんじゃないかと自分自身に疑いの目を向けることもある。でも、たとえいくらか上辺の部分があっても、やり続けることで本物になるところもあると思うのだ。迷いながらでも今の生活をこれからずっと続けていけば、何十年後かには自分が選んだ道を少しくらいは誇れるようになるかもしれない。
 
そんなわけで、家事育児をする男(ぼく)の実情は、いろいろとダサかったり、私欲にまみれていたりするのだが、現状ではまだまだそんなものだし、今後も当分はそんな感じだろうということを正直に告白しておきたい。

(イラスト・Tomomi Takashio)

★次回記事「父親の言葉」はこちら

 

【連載目次】

PROFILE

白岩玄

1983年生まれ。京都市出身。2004年、小説『野ブタ。をプロデュース』で文藝賞を受賞し、小説家デビュー。同作は芥川賞候補作になり、テレビドラマ化。70万部のベストセラーになった。著書に『空に唄う』『愛について』『未婚30』『ヒーロー!』『たてがみを捨てたライオンたち』など

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