パパ友がいない

「歯を食いしばれ」涙と疎遠になった言葉に縛られて

連載「パパ友がいない」は、3歳と0歳の二児を育てる小説家・白岩玄さんが、新しい父親像を模索するなかで感じたことを思いのままにつづります。自分と同じように、親として悩みや葛藤を抱えるパパたちに呼びかけるように――。

#03 父親の言葉

6歳のときに亡くなった父の言葉で、ぼくが今でも記憶しているのはひとつだけだ。歯をくいしばれ。父はぼくが泣くと、いつもそれをとがめるように「歯を食いしばれ」としきりに言った。記憶の中の父は、もはや写真でそのイメージを補わなければ、はっきりとは思い出せないほどおぼろげになってしまっているのだが、その言葉だけは、言い方や声の感じも含めてよく覚えている。

実際にやってもらえればわかるが、泣いているときに強く歯をくいしばると、のどにふたがされるような感じがあって、泣き声を上げることができなくなる。父はぼくが泣くことを好ましく思っていなかったのだろう。そしてそれはたぶん、ぼくが男の子だったからだと思う。なぜならぼくには姉が二人いるが、彼女たちに歯をくいしばれと言っているのを見たことがないからだ。

もっとも、父に泣くのをとがめられていたからといって、泣かなかったわけではない。父の前では言われた通り、歯を食いしばったりもしていたが、母の前では甘えたい気持ちが勝ったのだろう、そのくらいの年の子がするように、抱きつきながら声を上げて泣いていた。

でもそんなぼくも、中学生に上がる頃には、あまり泣かない男の子になっていたように思う。それは、大きくなってから父の言葉を守ろうとしたのではなく(しつこく言われていたので多少はあったのかもしれないが)、周りの友達の影響が大きくて、やはり男の子というのは、中学生にもなると、めそめそ泣くような子がいなくなる。まぁ中には繊細な子もいるし、たとえ普段は泣かなくても、部活の試合で負けたりすると悔し涙を流す子はけっこういたが、基本的には人前で泣かなくなるのが普通というか、女の子から子どもっぽいとは言われながらも、小学生のときのような「柔さ」がなくなるのが、この頃なのかなと思う。

ただ、それも仕方がないような気がしていて、たとえば泣いている子がいたら、女の子のようになぐさめたり、一緒に泣いたりするのではなく、泣いていることを笑ったり、バカにしたりするのが男の子というものなのだ(少なくとも、ぼくが子どもの頃はそうだった)。なので、ぼくは、そういう男の子の暗黙のルールに従って、涙を見せるのを避けてきたのだと思う。悲しいことやつらいことは当然のようにあったのだが、そのときに泣くという形で感情表現をしてこなかったのだ。

そうしてぼくは、自分でも気がつかないうちに、あまり泣かない人間になった。特に大人になってからは、映画や本などに感動して目が潤むことはあっても、自分のことで泣いたのは、数えるほどしかないと思う。というかその頃には、泣くのを避けているというよりも、泣き方がわからないような状態になっていた。長年泣くのを避けているうちに、自分の身にふりかかる苦しみを受け流す技術が身についてしまって、正面から悲しみやつらさに向き合うことができなくなっていたのだ。

いつからか、涙と疎遠になっている。ぼくがそういう自分を自覚したのは、結婚してしばらく経ってからだった。妻がたまたま「男は仕事、女は家庭」というような性役割を重視しないタイプの人で、ぼくらはいつからか、性別にとらわれることなく、お互いが得意なことをして、苦手なことはやらない生活をするようになったのだが、そうして男や女であることを以前よりも客観的に見られるようになったことで、自分がこれまで男性であることに縛られて(あるいは性格もあるのかもしれないが)、全然泣いてきていないのに気がついたのだ。

特に人生の中の、死別や失恋といった泣くべきところで泣いていない。そのことを自覚してから、ぼくは本当に悲しいときやつらいときに大声で泣かなかったのは良くないことだったんだと思うようになった。なぜならそのせいで、本当は傷ついていた自分を満足にケアすることができず、結果それが自分自身にふたをすることにつながり、他人に対して心を開きにくくしていたからだ。

そんなこともあって、ぼくは今、3歳の息子が泣いた際には、いっぱい抱きしめて好きなだけ泣かせるようにしている。男の子なんだから泣いちゃダメだというようなことは言わない。感情にふたをするような「らしさ」を押しつけるのではなく、「痛かったね、嫌だったね」と単に共感の言葉をかけている。ときには無意識に「男の子なんだから」という言葉が出そうになってしまうときもあるのだが、それはいずれ息子を泣けない人間にしてしまうかもしれないので、意識して呑(の)み込んでいる。

「歯を食いしばれ」涙と疎遠になった言葉に縛られて

もっとも、そうして育てた結果がどうなるかはわからない。泣きたいときは泣いていいよ、と繰り返し伝えたところで、成長に伴い、周りの友達の影響を受けるようになったら、やっぱり男の子がしょっちゅう泣くのは格好悪いと思うようになるかもしれない。あるいは逆に、ぼくのメッセージがうまく伝わって、悲しいときやつらいときに泣きたいだけ泣ける男の子になったとしても、それはそれで他の子たちから奇異の目で見られて、陰口を言われたり、いじめられたりするかもしれない。さらにもっとひどい場合には、ある程度以上の年齢になっても声を上げて泣いている息子を見て、ぼく自身が「そんなふうに泣くのはおかしい」と思ってしまうかもしれないのだ。泣けないのは良くないと言っておきながら、自分が縛られてきた「らしさ」にとらわれ、父がぼくに対してやったのと同じように「男の子は泣いてはいけない」という性規範を、再び息子に植え付けてしまう可能性がないとは言えない。

でも、たとえそうだとしても、やはり大切な感情表現のひとつを奪うような言葉を、父親であるぼくがかけるべきではないと思うのだ。物の善しあしがわからないうちから繰り返し言って聞かせたことは、子どもにとって呪いになるかもしれないわけだし、その呪いが人生の在り様を歪(ゆが)めてしまうことは十分にありえる。実際「男の子は泣くな」というメッセージに関して言えば、悲しいときやつらいときに泣けなかったことは、ぼくを必要以上に独りにしたのだ。涙を流さなければ、誰かが自分をなぐさめてくれる機会も得にくくなるわけだし、何より自分自身が、本当は泣いている自分に気づいてあげることができなくなる。

他人と群れずに一人でいられる人の方が人間的には好きだけど、悲しいことやつらいことまで一人ですべて抱え込むと、人生は本当に苦しいものになってしまう。ぼく自身もまだまだ泣くのがあまりうまくないので、泣くべきときにきちんと泣けるように練習しながら、新しい時代を生きる息子を、少しでも涙と仲のいい男の子に育てられたらいいなと思っている。

(イラスト・Tomomi Takashio)

★次回記事「二人目を持つのを迷った理由」はこちら

【連載目次】

PROFILE

白岩玄

1983年生まれ。京都市出身。2004年、小説『野ブタ。をプロデュース』で文藝賞を受賞し、小説家デビュー。同作は芥川賞候補作になり、テレビドラマ化。70万部のベストセラーになった。著書に『空に唄う』『愛について』『未婚30』『ヒーロー!』『たてがみを捨てたライオンたち』など

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