『夫のちんぽが入らない』の覆面作家・こだま  「おしまいの地」で気付いた幸福のかたち

「いきなりだが、夫のちんぽが入らない。本気で言っている」

そんな書き出しから始まる私小説『夫のちんぽが入らない』(2017年、扶桑社)で鮮烈なデビューを果たした覆面作家/主婦・こだま。

累計20万部を超える売り上げを記録したこの“問題作”の翌年には、エッセイ集『ここは、おしまいの地』(太田出版)を刊行する。辺鄙(へんぴ)な田舎町で自身や家族に起きた不幸な出来事を軽妙な筆致で綴(つづ)り、第34回講談社エッセイ賞を受賞。押しも押されもせぬ人気作家となった。

あれから2年。その続編となる『いまだ、おしまいの地』が今月、発売された。

タイトルの通り、こだまは、今も「おしまいの地」(おそらく東京から遠く離れた地)で暮らし、家族に伏せて作家活動を続けている。彼女が作家であることを知っているのは、ネットで出会った友人たちや、仕事で付き合いのある東京の編集者など、ごく一部の人たちだけだ。

これまでと変わらず素性を隠し、おしまいの地に暮らしながら、今作ではこだまの内面にある変化が訪れる。それはどのようなものなのだろうか。(敬称略)

(取材・文=岡本尚之 トップ写真=大橋祐希)

体験し、人とかかわることで世界は変わる

哲学者のバートランド・ラッセルは自著『幸福論』の中で、「自分の関心を外部に向け、あらゆる物事に興味・関心を抱くこと」が幸福の条件であると説く。今作『いまだ、おしまいの地』から読み取れるのは、ラッセルの言葉通り、作家・こだまの世界が外に開かれ、少しだけ前向きになり、受け身ではなくなった点だ。前作『ここは』ではほとんど見ることのできない、ポジティブになったこだまの姿が目に浮かぶ。

「そのことが伝わって嬉(うれ)しいです。なんで今まで外に出なかったんだろうと、やっと気が付きました。前作を出した頃だったと思うのですが、担当編集者から『エッセイとしてアウトプットするだけでなく、さまざまなものに触れてインプットしていったほうが良い』とアドバイスされました。歌舞伎やオペラ、演劇といった、田舎ではなかなか体験できない芸術の世界に足を運んだり、『初めてのこと』に挑戦したりする案など、いろんな候補を挙げてもらいました」

「ある程度、過去の体験を書き切り、これからどんな題材で書けばいいんだろうと悩み始めた時期だったので、新たに取り込んでいく『インプット』という行為は、私にとって新鮮でした。例として挙げてもらった歌舞伎やオペラは尻込みしてしまい、結局ひとりでポケモンの映画を見に行くことからスタートしました」

「ポケモンが何なのか分からない人間が、ポケモンについて知る。私の最初の『インプット』はピカチュウでした。その映画で特に何かを学んだわけではないのですが、知らない世界にあえて足を運んでみるのって楽しいものだなあと、その行為自体に強く惹(ひ)かれ、習い事を始めたり、サウナに行ったり、ポケモンを機に外に出て活動するようになりました」

『夫のちんぽが入らない』の覆面作家・こだま  「おしまいの地」で気付いた幸福のかたち

写真=大橋祐希

今作に収録されている「小さな教会」というエッセイには、これまで避けてきたサウナに通うようになり、“サウナ狂”の父がなぜそこまでサウナにハマっていたかを少しだけ、理解するようになったという話が描かれる。こうして自分の目に見える世界が広がると、理解の範囲もおのずと広がる。関心を持ち、そこに行動が加わってこそ理解は進むのかもしれない。

「生まれ育った集落や異動によって移り住んだ数々の過疎地を『おしまいの地』と勝手に名付けて書いてきました。カーテンを開けると、そこはいつも荒野。長い間、自然の美しさよりも、何もないことの不便さや恥ずかしさのほうが私の中ではまさっていました。それをそのまま書いてみようと思い立ったのが前作でした」

「『おしまいの地』の奇妙な文化、自分自身の過去や周辺の人々の身に起こったおかしな出来事を中心に書き、講談社エッセイ賞をいただきました。その受賞で、書くことへの意識も変わりました。『面白おかしい』出来事ばかりを見つけて書くのはワンパターンだし、テンションの高い文章を書いているときの自分は、少し無理をしている。もう少し静かな文体で落ち着いて書いていきたい。そう思うようになりました」

「奇抜な事件ばかりに目が行きがちだったのですが、もっと日常を掘り下げてみようと思い立ったのが今作です。サウナの話もそのひとつです。数年前の自分なら、父が自宅にサウナを作ろうとして大失敗した話で完結したはず。そこから一歩踏み込んで、偏見だらけだったサウナに実際通ってみました。すると、水風呂の温度にこだわるようになり、果ては店に理不尽なクレームを入れようとする利用者に敵意を燃やすくらい『サウナ側』に立っていました」

「過去の思い出だけで終わらず、実際に外に出て体験したり、人と関わったりすることで、確実に世界が広がりました。何かにハマるとそのことだけで頭がいっぱいになる性格なんですけど、そんな小さな冒険を積み重ねて書くようになりましたね」

不幸を不幸のままで終わらせないことが、ささやかな幸福の保ち方

『夫のちんぽが入らない』の覆面作家・こだま  「おしまいの地」で気付いた幸福のかたち

カバー・作中の写真はいずれも、山口県祝島で自家焙煎珈琲店を営む堀田圭介の作品

こだまのこれまでの人生は、他者から見ると寓話(ぐうわ)の世界のような出来事ばかりで、現実的なものとして想像できないほど波瀾(はらん)万丈だ。その中での幸福のあり方も、だんだんと変わってきた。日々の生活で、彼女が見つけた幸福とは?

「幸福、あまり考えたことがなかったです。昔から、与えられたもので満足する子供でした。今振り返れば、閉鎖的な集落のおかしな家族だったわけですが、『不満を口にしたところで変わらない、この環境下で一番いい状態を目指そう』と子供ながらに考えていました。向上心があるようで、ない。ネガティブなようでポジティブ。両極端のどちらの感情も存在していました」

「自分で世界を切り開くような発想はないのですが、どうにかして今いる場所で面白いことを見つけたい。その考え方は大人になっても変わらず、結果的に『おしまいの地』という閉じた環境でできる、一番面白そうなことを探し、『書く』ことに行き着いた感じです」

「不幸に見える出来事も書いてしまえば私の中で『マシな思い出』くらいには変わる。そうなると、特に嫌なことってなくなっていくんです。できないこと、苦手なことはたくさんありますが、それも書く材料になりますし。不幸を不幸のままで終わらせない、というのがささやかな幸福の保ち方です」

実はたくさんの友人や仲間が周りにいた

『夫のちんぽが入らない』の覆面作家・こだま  「おしまいの地」で気付いた幸福のかたち

写真=堀田圭介

前作、今作と読むと、こだまの周りの人たちが自分なりの幸せを手にしていく一方で、彼女には運がなく、家庭環境も決して良いとはいえない中で日々を過ごし、病に蝕(むしば)まれて不幸になってゆく。「なぜ自分だけが」とも思う。しかし、要所要所で、こだまは仲間たちに勇気付けられる。

「創作活動を通じて知り合った人たちから良い影響をもらっています。『ネット大喜利』の投稿サイトは、現在の自分につながる場所だったと思います(収録作「ネット大喜利という救い」)。20代後半、教職を退いて引きこもっていた時期に『投稿』の面白さにハマり、10数年近く入り浸っていました」

「短い文章の中に印象的な言葉や風景を詰め込んだり、多くを語らないことで強く伝わることがあったり、数百人の見ず知らずの投稿者の面白さに触れたことは私の財産になりました。後に、そこで知り合った人たちと同人誌を作ったり、飲みに行ったり、実際に会わなくても画面越しに応援していただいたり、という交流が続いています」

「実生活で親しい友人がひとりもいなかったので、勝手に同窓生のように思っています。本の感想をもらえるようになってからは、私にも昔からの『友達』がたくさんいたんだ、と気付きました。また、それぞれの連載や書籍の担当編集とのつながりも私の中でとても大きいです」

「遠いところに住んでいるけれど、いつもメールで励ましてくれる。それが彼らの仕事なのかもしれませんが、いや仕事だからこそ、『いいものを作るぞ』という強い気持ちでつながれる。一冊の本を出すためにデザイナーさんや営業の方、書店員さんが動いて、読者に届く。そのリレーのようなつながりに私はものすごく勇気付けられています」

嬉しいことも、つらいこともすべてそのまま書いていけばいい

エッセイ1作目の文庫版(2020年)に収録されたあとがきには、「外に向けて書くこと」のおかげで、自由に動けるようになった自分が「かわいそうなわけがない」ことに気付くという、印象的なテキストがある。書くことによって「かわいそう」の呪縛から解き放たれ、結果として「書くことの面白さ」にたどり着く。そこでの心境の変化は、人生の捉え方に少なからぬ影響を与えた。

「自分はどうして人とちゃんと向き合えないんだろうと長い間悩んでいました。仕事も長続きしない、困ったことがあっても相談できない。ひとりで考え込んで、おかしな方向に走り出してしまう。その結果、よくない出来事が起こる。けれど、書くことで自分の行動パターンが分かってきました」

「偶然おかしな出来事に巻き込まれていたわけではなく、たいてい自分が火元だったんですよね。ようやく気付きました。どうして私は小さなことが気になって前に進めなくなるんだろう。そんな自分を恥ずかしく思って生きてきたけれど、身の回りで『おかしな事件』を引き起こす思考回路をたどっていくと、それが題材になって『むしろ、ねじ曲がった性格に育ってありがたい』とすら感じるようになりました」

「嬉しいことも、つらいこともすべてそのまま書いていけばいい。そう考えるようになってから、身に降りかかるすべてが面白くなってきました。だから、私には『かわいそう』な部分などない。他の人から憐(あわ)れみの目で見られたとしても、もう揺るがない。相変わらず悪いことは起こり続けていますが、そんなに落ち込まず生きていられるようになりました」

「『私は生粋の田舎者。おしまいの地ど真ん中の人間』。そう自覚してから、自然と地域に溶け込んでいくようになりました。とは言っても人付き合いは昔から苦手なので、習い事を始めて地域のおばあさんたちと仲良くなるとか、店員さんと言葉を交わしてみるとか、そんな些細な変化です。人と関われば関わるほど、書きたいことも増える。『おしまいの地』を眺めるだけでなく、一歩踏み込めたことが大きな進歩でした」

やがて去りゆく「おしまいの地」

本作で特に目を引くのが、前作を覆(おお)っていた暗いムードがなくなったことだ。かつては「何事もうまくいかない」からスタートしたこだまだが、今ではそれなりに楽しみを見つけながら生きている。ネガティブな自分を残しつつも、少しだけポジティブになった彼女にとって、「おしまいの地」を描くことは、もしかすると今回で最後になるのではないか。

「住む場所ではなく、心の持ち方で変わるんですよね。今作は、前作よりも全体的に明るいと思います。『つらいことをできるだけ面白く書く』という姿勢から『つらい現実ごと変えていく』へと自分自身が変わりつつあります」

「もしかしたら多くの人はそういった対処を子供の頃から当たり前にできていたのかもしれませんが、私はようやく今です。『嫌なことは断っていいんだ』と、分かった。収録作『郷愁の回収』の中で、小学校低学年のときに近所の男子中学生や従兄から身体を触られていたことを書きました」

「この話は数年前にもどこかに書いたことがあったのですが、当時は面白おかしく書いて『その経験ごとなかったことにしよう』としていました。でも同じ出来事を書いているのに、今は面白く扱おうとは思わなかった。数年で自分の意識が変わっていたことに驚きました。自分にちゃんと向き合えるようになってきたと思います」

「『ここは、おしまいの地』『いまだ、おしまいの地』2作出してきたけれど、次にもう1冊出せるとしたら『おしまいの地』との決別、もしくは共存になるのかもしれません」

作者の綱渡り生活まで含めて「ショー」になっているのかもしれない

映画『トゥルーマン・ショー』の世界と「おしまいの地」は存外、テーマが正反対とはいえ、重なり合う部分がある。『トゥルーマン・ショー』では、主人公が生まれてから24時間ずっと、監視カメラで撮影され、リアリィティー番組として世界各国で放送される。主人公は作中の、ある時点まで、自分が「出演者」であることに気付かない。

「おしまいの地」でのこだまは、誰からも大きな注目を浴びることなく、家族にすら作家活動を伏せたまま、自分の住む土地の人々を、リアリティーを持ってテキストに落とし込んで紹介する。こだまは知っているが、そこに住んでいる人たちは、自らの世界が観察され、アウトプットされていることに気付かない。今も彼女の周囲では、誰にも知られていない(と思っている)人たちの生活が続く。

「人と話すことがとても苦手だったので、小学生の頃から自分だけの日記帳にすべてを書いてきました。クラスの人が何をしていたとか、信じられないくらい明るい口調で一日の出来事をかなり細かく記入していました。それがすべての原点で、大人になってブログを始めたときも、商業誌に掲載されるようになってからもずっと、身の回りの小さな世界の話ばかり題材にしています」

「つまらない日常からの逃避が、自分や身の回りの人について書くこと。何もない集落や狭(せま)い人間関係でも、目を凝(こ)らせば必ず面白い部分がある。それを探して書いていくのが昔からの習慣だったので、今もその延長にいるだけですね。そして、それを当の本人たちには伏せている。やっていることは子供の頃からほぼ変わってないです。書く場所が変わっただけ」

「でも、個人の日記帳で繰り広げてることと、それを全世界の人が閲覧可能な場に載せるのは、全然意味が変わってきますよね。だから本が多くの人に読まれれば読まれるほど『勝手に書いてすみません』という周囲への罪悪感が強くなっていく。そしてますます打ち明けられなくなる。でも、やめることができない」

「この状態が何年もリアルタイムで続いている。集落の人々を描いているけれど、実際は『集落の人々をこっそり描いている作者の綱渡り生活』まで含めて『ショー』になっているのかもしれません」

最後に、今後も覆面作家としての活動を続けるであろうこだまに、この本を絶対に届けたくない人は誰かと尋ねた。

『夫のちんぽが入らない』の覆面作家・こだま  「おしまいの地」で気付いた幸福のかたち

写真=堀田圭介

「家族や同級生には読んでもらいたくないですね。単純にその人たちにとって『悪口』と思われても仕方ないことだらけだから。自分からは進んで打ち明けないです。だけど、明らかになったとしても周囲には『想定内』かもしれません。実際には私の本だと分かっていながら、こっそり読んでくれている人もいるのかもしれない」

「身元を明かさずに書くことに対して『卑怯だ』と言われたことは多々あります。でも、私は『誰にも言わずに書く』という形しかできそうにない。周囲の誰にも言えないようなことしか書きたくない。それが飾りのない本心だからです。人の目を気にした途端、相手のことを実際より良く書いたり、自分の気持ちを偽ったりしてしまいそう。私の性格上、良いことしか書かなくなる」

「でも、デビュー当時は『絶対に素性を言いたくない、知られたくない』と死守することでいっぱいだったけれど、最近は『発覚したらそこから新たなステージの始まりだ』と何かに挑むような気持ちになりました」

プロフィール

『夫のちんぽが入らない』の覆面作家・こだま  「おしまいの地」で気付いた幸福のかたち

こだま
作家・主婦。2017年、『夫のちんぽが入らない』でデビュー。翌年にはコミカライズ、次いで「Netflix」にてドラマ化。18年、エッセイ集『ここは、おしまいの地』で第34回講談社エッセイ賞を受賞。20年9月2日に『いまだ、おしまいの地』を刊行。現在、雑誌『Quick Japan』(太田出版)にて連載中。

『夫のちんぽが入らない』の覆面作家・こだま  「おしまいの地」で気付いた幸福のかたち

作品名:『いまだ、おしまいの地』(太田出版)
著者:こだま
価格:1,300円+税

特設サイト:https://www.ohtabooks.com/sp/oshimai2/

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