スペシャリストたちの美意識

「誰しも、昨日の言葉で今日は語れない」 “時代の鏡”を磨き続ける辞書編纂者・飯間浩明の美意識

日本の芸道の世界における修業段階を表す言葉「守破離」。師から型を学ぶ「守」、他派にも学び心技を磨く「破」、独り立ちして自己流を確立させる「離」――以上のステップを修業者の行動様式と位置付けたものだが、これは現代を生きる我々の仕事にも当てはまるであろう。

新連載「スペシャリストたちの美意識」は、「離」の局面に入り業界や文化を発展させるプロフェッショナルたちの、卓越した仕事ぶりを支える美意識に迫る。

初回に登場するのは辞書編纂(へんさん)者・飯間浩明。日常の中で生まれては消えていく無数の言葉たちをすくい取り、短く表現された語釈(言葉の説明)を添え、片手で持てる辞書の中に収めていく。「時代を映す鏡」ともいえる辞書を編纂する上での、飯間の美意識とは――。(敬称略)

 

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「誰しも、昨日の言葉で今日は語れない」 “時代の鏡”を磨き続ける辞書編纂者・飯間浩明の美意識

飯間浩明(いいま・ひろあき)

国語辞典編纂者。 1967年、香川県高松市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院文学研究科博士後期課程単位取得。2005年に 『三省堂国語辞典』編集委員に就任し、第六版以降の編纂に携わる。 主な著書に『辞書を編む』(光文社新書)、『ことばハンター』(ポプラ社ノンフィクション)、『日本語をつかまえろ』(毎日新聞出版)、『知っておくと役立つ街の変な日本語』(朝日新書)など。

 

「改訂」は数年に一度の一大プロジェクト

「『萌え袖』という言葉、ご存じですか? 丈が手の甲まである長い袖。こういう服を着ている人に、萌える人が多いんですってね。『てぇてぇ』は聞いたことあります? Twitterで『てぇてぇすぎて妄想が止まりません』と書かれた投稿を見かけたのですが、これは『尊い』のことらしいです」

パソコン上のテキストファイルには、膨大な言葉の数々が、用例(その言葉が実際に用いられた例)とともに並んでいる。それらを見ながら最近“収穫”した言葉を紹介する姿は、さながら珍しい昆虫に喜々とする少年のようだ。

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採集した言葉がまとめてある飯間のPC。見つけた場所や日付、用例などを記して、一つのファイルで管理している

街中の看板や貼り紙、人々の会話、テレビや新聞、インターネット――日々どんな言葉が生まれ、どう使われているのかをつぶさに観察し、気になる言葉に出合ったらすかさず撮影ないしメモを取る。そして用例とともにテキストファイルに記録する。これが、辞書編纂者・飯間浩明の日常だ。

国語辞典は収録語数によって、大型、小型に大別され、飯間が編集委員を務める『三省堂国語辞典』(以下、三国)は小型にあたる。比較的改訂スパンが短く時代性を反映しやすいことが特長の一つで、それに向けた下準備として飯間は至るところで言葉の用例を採集している。

「辞書によってさまざまですが、『三国』の場合は7~10年ほどで改訂されます。現在の第7版が出たのが2013年。それから今日までの間にも多くの言葉が生まれています。それらの新語を、編集会議で精査し、追加していきます」

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辞書ができた後、次の改訂までの数年間に飯間が採集する新語は、およそ1万語。他の数人の編集委員が集めた言葉と合わせた上で、厳選された3千~4千語が、改訂版に収録される。

新語の追加だけではない。すでに収められている8万語の言葉にもすべて目を通し、言葉の説明や用例が「いま」にフィットしているかどうか確認する。その結果、1万語以上もの言葉に、記述を書き換えるなどの手入れを行う。

「たとえば『イタい』という言葉。『あのファッションはイタいね』みたいに、従来の『痛い』の意味ではうまく説明できない用例が出てきます。そこで、『痛い』の項目に、新たに<ぶざまで痛々しいようすだ>などと、語釈を追加します」

この言葉はいま、どういう場面でどう使われているのか。その「いま」のフィルターに8万の言葉を通し、メンテナンスする。辞書の改訂とは、約10年に1回、一つの辞書を新たに生まれ変わらせる一大プロジェクトなのだ。

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『三国』の改訂用に採集しながら、選考で漏れる言葉は数多い。そうした「不採用語」から面白いものを選りすぐった本も出版するなど、さまざまな方法で言葉にスポットを当てている

植物学者のように「言葉の観察者」に徹する

そもそも辞書の役割とは何なのだろうか。一般的には「正しい日本語の意味や用法を示すこと」と考えられているだろう。だが、200冊以上の辞書のコレクションがあるという日本語学者のサンキュータツオは、自著『学校では教えてくれない!国語辞典の遊び方』(角川学芸出版)に次のようなことを記述している。

「言葉は時代にあわせて姿を変えていくものであり、正しい日本語というものは存在しない。これは日本語学者、国語学者が共有しているスタンスである」

言葉の意味とは常に一時的なものであり、社会で揉(も)まれるなかで揺らぎが生じる。したがって、「正しい日本語」「間違った日本語」という言い方も、ある時代の臨時的な規範をもとにした指摘にすぎないというわけだ。

言葉に対する統一的な“正解”がないことは、辞書の世界に多様性を生み出す一因になっている。収録する言葉の選択や語釈の付け方などに編集方針の違いが生まれ、そこに各辞書の「美意識」が見て取れる。

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自身が編集委員として編纂に携わる『三国』をはじめ、飯間の仕事場には多様な国語辞典が並ぶ

たとえば、日本語に対して極めて保守的な態度で接することで知られる『岩波国語辞典 』(岩波書店)――通称“岩国”。

2009年発売の第七版では「この辞書が視野に収めるのは(一時的流行ではない)過去百年の言葉の群れである」とステートメントを示し、2019年発売の第八版の序文でも、「新しい語、新しい意味・用法については、他の辞書に比べて若干慎重な姿勢をとり、十分に定着したと判断されるものを掲載するようにしている」と記すなど、収録語の目新しさよりは用法の丁寧な解説に力を注ぐ姿勢を鮮明にしている。

他方、飯間が携わる『三国』は、「今の日本語」の全体像を捉えた辞書に仕立てるべく、比較的柔軟なスタンスを取っている。2013年発売の第七版の序文には、「昔から変わらないことばはもとより、新しく生まれたことば、意味や形が変わってきたことば、誤解されていることばなどもありのままに記述」することを基本方針とし、俗用とされる「ら抜きことば」もそれとわかるように示している旨などが書かれている。

岩波が「規範主義」であれば、三国は「実例主義」。飯間個人の価値観も『三国』のそれと合致しているという。

「たとえば『1ミリも揺らがない』と言う場合の『1ミリ』という言葉。昨今では程度を表すときによく使われる表現ですが、規範主義の立場からみると『伝統的な言葉でない』『使い方が誤っている』となるかもしれません。しかし、この『1ミリも~』という用例があるのは、厳然とした事実です。そこで、『三国』では前回の改訂で<②〔多く打ち消しの形で〕ほんのわずか>という語釈を追加しました」

 

「誰しも、昨日の言葉で今日は語れない」 “時代の鏡”を磨き続ける辞書編纂者・飯間浩明の美意識

「1ミリ」の他にも、『三国』では「ガチ」「ぬるつく」「イノベーター」など、一定数の用例が認められた言葉については、先入観を挟まず積極的に掲載する。規範主義に立つと、誤用を認めず否定しようとする力が強くはたらくが、実例主義を貫く飯間は「言葉にいいも悪いもない。あるのは、仲間内の俗語、一般的な話し言葉、文章語……といった区別だけです。その区別を辞書に記せば十分なのです」と断言する。

「『この言葉は間違っているから直してください』という意見も、私のもとにたくさん寄せられます。でも、私に言えるのは『そういう言葉がある』ということだけです。植物学者がその辺に生えている草を観察するときに『これは雑草だから要らない』『これは大事な草だ』と選別しませんよね」

どの言葉に対しても、フラットなまなざしを向け、「観察者」に徹する。それが飯間にとっての美学の一つであり、「言葉の変化や発展を、なるべく阻害せずに見守りたい」という思いがある。

「『ポチる』(ネット通販で買う)などは、用例をみつけた当初はまだ“知る人ぞ知る”言葉で、消えていく可能性もありました。しかし、今はeコマースの普及とともに一定の勢力を持つようになりました。次の改訂では収録されるかもしれませんね」

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先入観を持たずいろいろな本から言葉を探すことを日課にしている飯間。こちらは最近、用例を採集する資料にした小説やエッセー

「似顔絵」のように言葉のイメージを伝える

飯間の実例主義の姿勢は、言葉の説明を記す「語釈」にも表れる。「たとえば、この『安山岩』という言葉ですが」と、飯間はある辞書を開いて見せてくれた。

<安山岩 火山岩の一。斜長石・輝石・角閃(かくせん)石などの鉱物からなり、黒雲母を含むこともある。灰色ないし暗色。硬くて耐火力が強い。建築用石材や墓石に使う。根府川石・鉄平石などが有名。>(『大辞林 第三版』)

「誰しも、昨日の言葉で今日は語れない」 “時代の鏡”を磨き続ける辞書編纂者・飯間浩明の美意識

『大辞林 第三版』で「安山岩」の項を調べる

国語辞典の中には百科事典のような性格を持つものもあり、科学的な正確性を重視した語釈が記載されることもある。一方、実例主義に立つ『三国』での「安山岩」はどうか。飯間は「人を食ってるのか、と思うような説明ですよ」と笑いながらページを指さす。

<火山岩の一種。黒っぽい点々がある。墓石等に使う。>(『三省堂国語辞典 第七版』)

「ぜんぜん科学的じゃないですよね(笑)。でも、これは意図的に書いているんです。小説などを読んでいて『安山岩でできた……』という言葉に出合ったときに、この語釈を見れば『お墓に使うあの石のことか!』とすぐイメージしてもらえるはずです」

新語の語釈を書くときは、資料のみに頼らずできるだけ自身で体験してみる。ハーブの一種「カルダモン」は、実物を取り寄せ、大きさや色を見たり、カレーに入れてみたり、直接かじって苦さを味わったりした。その結果、飯間の手によって「カルダモン」の語釈はこう書かれた。

<ハーブの一種。実は干しぶどうほどの大きさで、緑などの色。たねは強いにがみがある。香辛料に使う。>(『三省堂国語辞典』第七版)

「ポイントは『干しぶどうほどの大きさ』。大きさがイメージできるとスーパーなどでカルダモンを探すときの目安になるでしょう。色も、状態によって緑色もあれば黄色もありますが、『だいたい緑色』と言ってるわけです」

『三国』のような小型の辞書には、一つの言葉に多くの行数を与える余裕はない。いかに端的な表現で言葉のイメージを届けるか。語釈にも、実用性を重視する飯間や『三国』のこだわりが垣間見える。

「私たちの辞書の説明というのは『似顔絵』なんです。百科事典的な詳しさを求めなくても、似顔絵のようにポイントさえ捉えていれば、『要するにこういうこと』と誰もがイメージできます。『三国』の編集委員は、ずらずら説明するのが嫌な人が多いんです(笑)」

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「なんでもググれる時代」に、辞書ができること

シンプルな語釈は、理解しやすい半面、説明不足と表裏一体だが、飯間は「詳しい科学的知識を知りたければネットで調べればいい」と言う。意外な発言に聞こえるが、辞書編纂者として、ネットを敵視してはいないのだろうか。

「そんなつもりはありません。情報の量と新しさにおいて、辞書はネットには敵(かな)いっこありません。今日、情報収集の主流がネットに移っていることは認めなければなりません。一方で、ネットは情報量が膨大なぶん、その情報が正しいのか見極めにくい側面があります」

そう言って、飯間は「くだらない」という言葉を例に挙げた。

「『くだらない』の語源について『京都から関東へ下る上等な酒に対し、関東の酒を『下らない酒』と言ったから』という説がネットでは散見されます。でも、江戸時代の文献をどんなに調べてもそういう用例が出てこないんです」

「くだらない」は、古くは「筋が通らない、すっと下らない」の意味で使われており、そこから「なんだかよくわからないことをやっている」「価値がなくつまらない」様子を指すようになったと考えられる。『三国』の「くだらない」にはその説明が記された。

「他にも、2000年に最初の用例が観察された新しい言葉が、なぜか幕末を舞台にしたドラマのセリフで用いられていたことがありました。そこで、前回の改訂では、その言葉の語釈に<2000年以降に広まった言葉。>という記述を追加しました」

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日ごろから多くの用例に触れている「言葉の観察者」だからこそ、その言葉がどの時点で生まれ、どう変化していったのかという「言葉の履歴」を、エビデンスをもって示すことができる。それが、「なんでもググれる時代」における辞書の存在意義の一つだと飯間は言う。

多様な視点で言葉の「いま」を捉え、辞書に反映する

言葉の履歴という「過去」だけでなく、言葉の「未来」にも、辞書は一定の方向を指し示すことができるのではないかと飯間は言う。

「他人の配偶者をどう呼べばいいか、悩んでいる人は少なからずいますよね。「お連れ合い」「相方」なども一案ですが、別の言葉を探したい人もいる。そこで、辞書の「夫」「妻」の項目に、配偶者の呼称として最近どんなものが使われるようになってきているか、編集委員の観察結果を報告するのもいいかもしれません。“こう呼ぶべきだ”と押しつけるのではなく、参考にしてもらう。これからの辞書にはそういう役割があっていいと思っています」

こうした提案が生まれるのも時代の変化に敏感であってこそ。誰もが当たり前に使ってきた言葉であっても、現代的な感覚が抜け落ちていないか目を光らせる。たとえば、恋愛を表す「恋」「愛」という言葉について。

「2013年の改訂では、ある編集委員から『恋愛というのは、もはや男女の間だけの感情ではないのではありませんか?』という疑問が投げかけられました」

改訂前の「愛」の語釈は、<〔男女の間で〕好きで、たいせつに思う気持ち。>というもの。これでは、性的マイノリティーの恋愛を説明できない。編集会議で議論を重ねた結果、「愛」の語釈は「恋」とともに、次のように改められた。

<恋 人を好きになって、会いたい、いつまでもそばにいたいと思う、満たされない気持ち(を持つこと)。>

<愛 恋を感じた相手を、たいせつに思う気持ち。>(『三省堂国語辞典 第七版』)

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この「恋愛」の例に象徴されるように、価値観が多様化している今日では、辞書編纂にも「老若男女さまざまな立場の視点を入れるべきだ」と飯間は言う。

「これまでの辞書は、権威となる1人の編集主幹を中心に作られてきたところがあります。しかし、これからはさまざまな立場の人が集まり、話し合いながら辞書を作っていくスタイルが望ましいですね」

「言葉は本質的に変化するもの」と語る飯間。「愛」のように普遍性がありそうな言葉でさえ、時代とともにその意味は変わっていく。多様な視点が入ることで、その変化を見逃さず「いま」に即した言葉としてアップデートすることができるのだ。

「誰しも、昨日の言葉で今日は語れません。その言葉をどういう気持ちで、どういう場面で使う人が多くなっているのか。それをいち早く察知して、辞書に反映していく。その意味で辞書は、現代日本語を映し出す『鏡』ともいえますね」

次の改訂版の刊行時期は未定だが、いつか、生まれ変わった『三国』が「いま」を鮮やかに映し出し、書店に並ぶ日が来るだろう。その日のために、飯間は今日も、「いま」の言葉たちを黙々と採集し続ける。

 
「誰しも、昨日の言葉で今日は語れない」 “時代の鏡”を磨き続ける辞書編纂者・飯間浩明の美意識

「他の辞書にはない語釈を載せられたときは気分がいい(笑)」と話す飯間。他に先んじて、「保留」という言葉に「電話を人につなぐまでの間、音楽を流したりして通話をとめた状態」の意を追加したのは、してやったりの事例の一つだという

(文・堀尾大悟 写真・野呂美帆)

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