LONG LIFE DESIGN

空間に「か弱い」ものを取り入れる抜群のセンス 心地よい時間を演出する上質なもてなし方

気がつくと僕の住む東京は夕方から涼しい風が吹くようになってきています。もしかして大好きな秋!!かな。季節の変わり目は風邪をひきがち、皆さん気をつけてくださいね。コロナウイルスにも。

さて、今回も3話書いてみました。

最初は中国の友人に「中国茶」でもてなされたときの話。「か弱さ」を感じるもので、中国茶の長い歴史を表現しているような、日本で言う「見立て」の世界です。

2話目は最近関心の深い「民藝(みんげい)」に通じる「無心で創作した、出来上がる美」のお話。タイトルは「祈りのようなデザイン」としました。

そしておしまいは「本当の自分」について書きました。誰かのせいにしがちな僕ですが、誰もいなくなった地球では、本当の自分が現れるのか……。

ではでは、しばしの間、ナガオカワールド、お楽しみください。

D&DEPARTMENT富山店で開催された「蚤(のみ)の市」。富山は意外と知られていませんが、民藝の聖地。棟方志功が疎開していたのも富山。なので歴史的な建造物の取り壊しなどがあると、いろんなお宝がいっぱい出てきます。今回も民藝運動の中心メンバーの一人、陶芸家の濱田庄司の焼き物がざくざく出ていました。もちろんそれを知って開場前から多くの人が集まっていました

D&DEPARTMENT富山店で開催された「蚤(のみ)の市」。富山は意外と知られていませんが、民藝の聖地。棟方志功が疎開していたのも富山。なので歴史的な建造物の取り壊しなどがあると、いろんなお宝がいっぱい出てきます。今回も民藝運動の中心メンバーの一人、陶芸家の濱田庄司の焼き物がざくざく出ていました。もちろんそれを知って開場前から多くの人が集まっていました

「か弱いプロダクト」が作る良質な時間

中国茶が好きな友人から面白いものを見せてもらいました。ガラス製の板のような、これでお皿だと言うのです。もう一種類、違う作家のものも見せてもらいました。これは小皿に見えます。しかし、ふちの仕上げや装飾性がないことから、なんとなく「か弱さ」を僕は感じました。その友人にとっては、この「か弱さ」こそ、中国茶を楽しむ時間に欠かせないもののようです。

それにしても最初に見た板のようなものは、もちろん羊羹(ようかん)を切って置く小皿として使えますが、ガラスの板をカットしただけのようにも見えて、これもこれで「か弱さ」を持っていました。驚いたのは、この板のような皿のようなものを作っているのが、富山の人気ガラス作家だと言うのです。そして、これが5千円以上することにも驚きました。

中国茶で使う道具は、注ぐものと飲むもの以外はなんでもありだと思いました。それは利休の「見立て」と同じでなんでもいいわけです。最終的に飲むための小さな器や、注ぐ片口のようなもの、急須のようなものは、お茶の味や色に関わるので、その素材や注ぐ機能性などが問われ、大体決まってきます。しかし、それ以外は存分にこの世にあるものから見立てていいのです。そこが面白いところです。そして、そこに登場するものに「か弱さ」という感覚はとても相性がいいと感じています。そしてその感覚は利休や岡倉天心のいた日本だけの感覚と思っていましたが、どうやらやはり、お茶の日本にとっての源流、中国の人にもその感覚はもちろんあったのです。

ちょっと中国茶の話からそれますが、私たちは「もの」が持っている存在感で「時間」を作っていると言えます。雰囲気ですね。バカラの高級なカットグラスでウイスキーを飲むと、その時間の上質さが増すような気持ちになります。それと同じように、敷かれたテーブルクロスや飾ってある花などで、空間や過ごす時間の質が作られていく。その中国茶をごちそうしてくれた友人といると、そんな感覚、時間の作り方、こだわりの面白さをとても感じ、中国人の時間に対して質を求める考えに本当にうっとりしました。

有名ブランドのカップとソーサーで頂くコーヒーもいいのですが、何か自分とお客さんの関係の中に「見立てによるもてなし」を添える。そして、そのモノに対して「物語」をつけていく感じで「素材」を選ぶ。うーん、すごいなぁ。昔の日本人が好きそうな世界ですが、今の若い日本人にはこの感性があるのだろうか。人にうまく説明のできない「か弱い」ものを、時間の質に使う見立てのセンス。素敵です。

空間に「か弱い」ものを取り入れる抜群のセンス 心地よい時間を演出する上質なもてなし方

空間に「か弱い」ものを取り入れる抜群のセンス 心地よい時間を演出する上質なもてなし方

二つの並べた写真のうち、上の一枚は装飾のないお皿。しかし、その仕上げから感じられるのは、完成直前の「素材」感に漂う「か弱さ」。下の写真は板皿と言われたらそうですが、僕にはお皿に見えませんでした。そこにもある種の「か弱さ」を感じました

祈りのようなデザイン

民藝に興味が湧いて、それが「宗教美学」であることを知り、長らく「民藝」というものを勘違いしていたことに、我ながらびっくりなのですが、それよりも祈りのデザインにとても関心があったので、今ものすごくしっくりときています。

「一つ一つ丁寧に」という世界ではなく、中量産の産地のものづくりにおいて、分業しながらひたすら流れ作業で絵を描く。その中に、美を見いだすといった世界だったわけです。「いい形をつくってやる」という作為的なものの産み方ではなく、とにかく急いで、でもちゃんと描く。“慣れ”というか、“勘”というか、“技”というか……。それはまさに「心の状態」であって、運動神経のようにパッと何も考えずに描けるわけで、それが「美しい」というんだから、柳宗悦って人はすごいなぁと思うのです。

雑念がなくなったときの澄んだ心の状態が無意識に描いた美しいもの、形……。それが、僕が興味あった「祈るようなデザイン」であり、それが「民藝」だと。

先日、稚アユを食べるためだけに富山に行ってきました。もちろん、僕の企画ではありません。妻が稚アユが大好物で、いつもSNSにおいしそうなものばかりを上げているデザインプロデューサーの恩師の投稿を見て、おいしそーとか、ずるいーとか書き込んでいたところ、「では、今年は一緒に行こう」となったようで、恩師のお誘いは妻へのものであれ、僕もお供した次第です。

いつもの富山県井波(南砺市)の「BED AND CRAFT(ベッドアンドクラフト)」(*)のメンバーが二次会に集まって(くれて、と、書こうと思ったのですが、僕のために集まったわけではなく、みんなでワイワイ飲みたかっただけの様子)、その時、僕が随分前ですが、井波で彫刻師の前川大地さんの太子像を購入した話になって、翌日、それを見ようとみんなで工房兼ショップに行きました。

そこで改めて思ったのは、ものの形もそうですが、彫刻刀で1本線を彫った太子像のシンプルな目や口元の表情などに、民藝の運動神経を生かした美しいものづくりと近いものを感じました。大地さんに聞くと、やはり無心で一気に表情を彫刻刀で彫るそうで、直径にして3センチくらいの頭の大きさですから、目や鼻がどれほど小さいことか。その表情を彫ることこそ、祈りのデザインだなぁと、思ったわけです。

僕はどんな職業の人にも、この「祈りのデザイン」ってあると思います。無心でできた美しささえ感じられるもの。いかがですか?

*地元の職人の工房でものづくりを体験できる宿泊施設や旅のプラン

富山県井波で買ってきた太子像の素朴な美しさ。一つひとつ表情が違うところもいいです

富山県井波で買ってきた太子像の素朴な美しさ。一つひとつ表情が違うところもいいです

「自分」とは何か

最近、柳宗悦の本を読んでいるせいなのか、よく「自分」について考えます。僕は特にミーハーなので「有名な人」にとても影響されてきました。ちなみに、その影響とは、「ああいう人になりたいから、勉強する」のではなく「ああいう人はすごい。でもあんな人にはなれないから、独自の道を開拓する」です。これも影響でしょう。ここでもやはり「自分」についての葛藤があります。「あの人と違う自分」です。

柳宗悦は著書の中で「自我(自分)があると、本当に美しいものは作れない」と書いています。美しいものを見たり、作ったり、感じたりするためには、「自我」を捨てて「直感」で接しなければいけないと。これもかなりむちゃで、結果「(民藝運動は)仏教の修行に似ている」といったことまで言っている……。

ふとした判断や、日常の中で、自分がやっていることだから、当然、自分の意思決定のもと、そうしていると思っていることも、実は、「あの人がやっているから」「こういうものが流行(はや)っているから」と、他人の影響で自分の行動が決まっていることもあるでしょう。

そんな時思うんです。「自分」ってなんなんだろう、と。もちろん、それも「自分」ですが、本当の「自分」って、いつ、現れるんでしょうね。よく「本性を現したな……」なんて、使われますが。

民藝運動の中心人物の一人である棟方志功という画家は、柳に「自然人」と呼ばれていたそうです。つまり「自分をそのまま常にあらわしている人間」という。それもまためんどくさい感じはしますが(笑) 社会に適応しながらも、自分がしっかりとある大人っていますね。「自分」でしっかり決めて、「自分」らしく生きるって、大変ですが、魅力あることですね。何かと人のせいにしない生き方。

僕は何かと「人のせい」にしがちなところがありますが、いちいち、「本当に自分で心の底から思ったか?」と、問うようにしています。「今の答えって、本当に自分か?」とか。これ、面倒かもしれませんが、やってみてください。意外と、面白いです。

僕の富山県の定宿「ベッドアンドクラフト」は、彫刻師が200人も住む町「井波」の空き家をゲストハウスにして泊まり、彫刻師に一日弟子入りして木彫体験をする宿。もちろん普通にも泊まれます。ここにある町全体から感じられる「健やかさ」に、どうしてか惹(ひ)かれて予定は市内にあるのにもかかわらず、車で40分程も離れたこの町に「帰ってくる」感覚でお邪魔しています

僕の富山県の定宿「ベッドアンドクラフト」は、彫刻師が200人も住む町「井波」の空き家をゲストハウスにして泊まり、彫刻師に一日弟子入りして木彫体験をする宿。もちろん普通にも泊まれます。ここにある町全体から感じられる「健やかさ」に、どうしてか惹(ひ)かれて予定は市内にあるのにもかかわらず、車で40分程も離れたこの町に「帰ってくる」感覚でお邪魔しています

PROFILE

ナガオカケンメイ

デザイン活動家・D&DEPARTMENTディレクター
その土地に長く続くもの、ことを紹介するストア「D&DEPARTMENT」(北海道・埼玉・東京・富山・山梨・静岡・京都・鹿児島・沖縄・韓国ソウル・中国黄山)、常に47都道府県をテーマとする日本初の日本物産MUSEUM「d47MUSEUM」(渋谷ヒカリエ8F)、その土地らしさを持つ場所だけを2カ月住んで取材していく文化観光誌「d design travel」など、すでに世の中に生まれ、長く愛されているものを「デザイン」と位置づけていく活動をしています。’13年毎日デザイン賞受賞。毎週火曜夜にはメールマガジン「ナガオカケンメイのメール」www.nagaokakenmei.comを配信中。

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