いしわたり淳治のWORD HUNT

あえて日本語に? NiziUの親しみに満ちた素晴らしい歌詞

音楽バラエティー番組『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日系)で披露するロジカルな歌詞解説が話題の作詞家いしわたり淳治。この連載では、いしわたりが歌詞、本、テレビ番組、映画、広告コピーなどから気になるフレーズを毎月ピックアップし、論評していく。今月は次の4本。

 1 “あ〜もう! 笑ってほしい”(NiziU『Make you happy』歌詞/作詞:J.Y. Park’The Asiansoul’・Yuka Matsumoto)
 2 “はい、出たー。好きな子いじめるタイプー。”(ぼる塾 田辺智加)
 3 “あざとくて何が悪いの?”(テレビ朝日・バラエティー番組のタイトル)
 4 “人はなぜ歌うのか?”(日本テレビ『THE MUSIC DAY』第8回のテーマ)

最後に日々の雑感をつづったコラムも。そちらもぜひ楽しんでいただきたい。

いしわたり淳治 今気になる四つのフレーズ

あえて日本語に? NiziUの親しみに満ちた素晴らしい歌詞

9月12日放送の『マツコ会議』に出演したJ.Y.Parkさん(パク・ジニョン:韓国のシンガー・ソングライター、音楽プロデューサー)が、マツコさんに自身のMVがふざけていることを指摘された時に「僕が一番怖いのは、周りの人たちが僕に近づけないことです。僕はいつもすべての人に身近に感じてほしいです。そのためにいつも面白く、親しみやすく感じてほしいです。それは大事なことです。僕にとって」と答えていた。とても誠実で、親しみのある、あの声のトーンで。すてきだった。

NiziU(ソニーミュージックとJ.Y.Parkの合同オーディションで1万人から選出された9人によるガールズグループ)のデビュー曲『Make you happy』を聞いた時、サビの2行目の「あ〜もう! 笑ってほしい」が特にすばらしいと思った。オーディション番組の中で自分たちのすべてを視聴者に見せてきた彼女たちに対して、多くの人はすでに「親しみ」のような感情を持っていたけれど、この「あ〜もう! 笑ってほしい」はそれを象徴するような言葉だと思った。

メロディーの流れからして、「あ〜もう!」の部分は、普通なら「OK」や「Alright」のような、言葉の意味よりも音としてきれいに流れる“英語”を入れがちな部分だと思う。でも、そこに「あ〜もう!」という人間味と親しみにあふれた一言が入っていることで、彼女たちならではのスペシャルな仕上がりが実現している気がする。これは「すべての人に親しみを感じてほしい」という、J.Y.Parkイズムのあらわれなのかもしれない、と思った。

あえて日本語に? NiziUの親しみに満ちた素晴らしい歌詞

今の若い世代は親と友達のような関係を築いてきた家庭も多く、親にも先生にも叱られたことがないという人がいるのだという。そういったことも影響しているのかわからないけれど、若者世代には、テレビなどで過激な毒舌を見た時、びっくりするばかりで全然笑えないという意見も多いのだそうだ。事実、お笑い第七世代と呼ばれる若手芸人の冠番組を見ていると、これまでのお笑い番組にありがちな芸人同士のヒリつくような売れたい感みたいなものはあまり感じられず、どちらかというとほんわかとした印象を受ける。

私自身は昭和生まれで、親や先生に叱られるどころか叩(たた)かれるのも普通だった世代だけれど、そんな私ですらたしかに最近はドッキリ番組やキツい毒舌を見ると内心で嫌悪感みたいなものが湧いてくる。ゆっくりと、そして確実に時代は変わってきているということなのだろう。

それでも女性芸人に対するいじりはゼロになったわけではない。しかし、そこにはちゃんと今の時代ならではのゆるい返し方も存在する。ぼる塾の田辺さんは誰かに容姿やキャラをいじられた時、即座にいじった相手を指さして、「はい、出たー。好きな子いじめるタイプー」と言う。これは、すごい発明だと思う。今までたくさんの女性芸人がいじられているシーンを見てきたけれど、このセリフは旧世代のお笑いに対する新世代からの回答というか、今の時代ならではのポジティブさがある、リアクションの“決定版”と言ってもいいのではないかと思う。

こんなにすてきなセリフを私たちも日々の暮らしに取り入れない手はない。自分が日頃周りからいじられるキャラなら大いに使うべきだし、あるいはこれを第三者が使ってもいい。後輩が先輩に説教されている時など、ちょっと言い過ぎじゃないかと思ったら、「はい、出たー。好きな子いじめるタイプー」と、誰かが笑顔で言ってあげたらいい。今は皆でそんなことを言い合いながら、身の回りで起こる色々をチームプレーで丸く収めていく時代なのではないかと思う。

あえて日本語に? NiziUの親しみに満ちた素晴らしい歌詞

テレビ朝日の新番組『あざとくて何が悪いの?』。これまでにも何回か特番で放送された恋愛における男女の「あざとさ」について語るバラエティー番組である。あらためて冷静にタイトルを読むと、たしかになぜあざといことは悪いことなのだろうと思う。

たしかに、女性の中には同性のあざとい仕草を快く思わない人が少なからずいるような気がする。周りにあざとい女性がいた時に「本当はそんな子じゃないのに、男の前で態度を変えて、だまして、自分だけ気に入られようとして、性格悪い、ムカつく!」と感じるのかなと思う。いや、私は男なのでよく分からないけれど、たぶん。

でも、多くの男性はあざとい女性のことをそんなに嫌いじゃないのだ。むしろそういう女子が好きな人の方が多いだろうと思う。考えてみてほしい。好きな男性の前でも、これが私の素だからとばかりにだらしない普段着を着て、がははと笑って何でもかんでもあけすけに話すような女性を、好きになる人の方が少ないのだ。多少あざとかったとしても、女性が自分に対して気をつかってくれて、会話を合わせたり、可愛い仕草(しぐさ)をしてくれたり、メールの文章ひとつとってもあれこれ考えてくれる方が、好意的に思うのは自然なことだろう。

それでもあざといことは悪いことなのだという。もしかしたら、「あざとい」のが悪いのではなく、「だましている」のがいけないのかしらとも思ったが、男性は女性に恋をした後にあざといやり口に気づいても、「だまされた!」などとは思わない。だまされるかもしれないことくらい、ある程度覚悟した上で恋をしている男性がほとんどだ。なのに、女子はあざとい女子を許さない。常に目の奥を光らせて「あざとさ」を厳しく取り締まっている印象を受ける。

以前、あるテレビ番組で「これを学校で習いたかった」というテーマで街頭インタビューをしているのを見かけて、その中である女性が大口を開けて笑いながら「ぶりっ子!」と答えていたのを思い出した。今さらぶりっこをしたくても出来ないから、もっと早く誰かに教えてほしかった、と。

たしかに、あざとい仕草を学校の授業で教えるのはいいと思う。「あざと部」みたいに部活でやるのもいい。きっと「あざと部」の発表は文化祭で爆笑の目玉の出し物になるだろう。「あざとい」ってこういうことですと授業で教えたら、だましてる、だまされてる、なんて話にもならないはずだ。

最近では「あざとかわいい」なんて言葉もあるくらいだから、あざとさに新しい価値観が生まれ始めているようにも感じる。この番組が世の中の「あざといの教科書」みたいになったら、世の中の恋愛模様はもっと面白いことになるのだろうなと思う。

あえて日本語に? NiziUの親しみに満ちた素晴らしい歌詞

9月12日に日本テレビで8時間にわたって放送された生放送音楽番組『THE MUSIC DAY』。今年のテーマは「人はなぜ歌うのか?」だった。

たしかに、作詞家をしている私にとって「人はなぜ言葉をメロディーに乗せるのか?」は永遠のテーマと言ってもいい。何か言いたいことがあったとして、なぜそれをしゃべったり文章に著したりするのではなく、わざわざメロディーに乗せるのだろう、という疑問が湧いてくるのである。もちろん、音楽に乗せた方がたくさんの人に届く感じは何となくするけれど、考え出すときりがない。

日本人でいわゆる「サル ゴリラ チンパンジー」の歌を口ずさんだことのない人はいないだろうと思う。この曲はケネス・ジョゼフ・アルフォードという音楽家が1914年に作った『ボギー大佐』という曲で、日本語歌詞も存在するのだが、この曲はなぜかいつ誰が歌い始めたのかも分からない「サル ゴリラ チンパンジー」という意味のない替え歌の方が圧倒的に有名である。

この替え歌はすごい。聴いた瞬間にこのメロディーにはこの言葉しかないと思わせる完璧な語呂のフィット感と、霊長類三連発という縦軸のしっかりした脱力ワードのキャッチーさ。誰もが一度聴いたら頭から離れず、聴いてしまったら最後、絶対に口ずさんでしまう。私は「人はなぜ歌うのか?」の答えは、実はこういう歌の中にあるのではないかと思っている。

おそらく、人は元来、「歌を歌いたい生き物」なのではないかと思うのだ。祖先たちの暮らしをどんなにさかのぼっても、そこには必ず儀式や祭りがあって、歌がある。歌を歌う時、歌詞があった方がメロディーを覚えやすいし、皆で歌いやすい。ならば、その歌詞にメッセージや意味があったらなおさらいい。本来の順序はそういうことだったのではないかと思う。

でも、いま私たちが歌を作ろうとすると、当然のように “何を歌うか”みたいなことを最初に考えてしまう。過去の名曲にはメッセージ性のある曲が多いから、そういう歌詞でないとたくさんの人に聴いてもらえないと思い込んでいるのかもしれない。でも、「サル ゴリラ チンパンジー」のように、まったく意味がなくてもメロディーと言葉がキャッチーにはまってさえいれば、たぶん人はそれを覚えて、歌うのだ。

もし「サル ゴリラ チンパンジー」の歌詞が「ゾウ ウサギ チンパンジー」だったら、誰も歌わなかっただろう。動物という縦軸だけでは弱すぎる。「もう きみは いーなーいー」みたいな歌詞でも、誰も歌わなかっただろう。失恋という要素がそもそもこの軽やかなメロディーを邪魔している。

ひねりすぎると覚えてもらえない、ひねらなすぎても聴いてもらえない。そんな難しい温度感の中でミュージシャンたちは今日ももがいている。

<<mini column>>
なくすのではなく、目立たなくする。

夏の終わりのある日。以前から気になっていたピノガールという品種のスイカを食べた。ぶどうでも柿でも果物は何でも種がない方が食べやすい。それはスイカも同じで、事実スイカが苦手な人のいちばんの理由は「種が邪魔」なのだという。しかし、スイカはタネなしで作ろうとするとなぜか栽培途中で実が割れてしまうことが多いそうで、それが生産者の長年の悩みだったそうだ。

このピノガールという品種は種をなくすのではなく、いわゆるマイクロシード、種を小さくしたものである。スイカをかじって、口の中で咀嚼(そしゃく)しても、種が気にならずに、そのまま飲み込めるのだという。

実際に食べてみると、たしかに種が気にならないと言われれば気にならない。でも、さすがに私たちはもう長年スイカを食べているので、いくら小さいとはいえ無意識に口の中で種を探し当ててしまって、そうなるとすでに舌が見つけてしまった種を気づかなかったことにして、さらに嚙(か)み続けて、実と一緒に飲み込む、というのは、なかなか慣れないなと思った。

まだスイカに慣れていない5歳の長男は「種があるのに、種がない!」なんて哲学的なことを大声で言いながらバクバクと食べまくっていた。一方の3歳の次男は、彼のやけに几帳面(きちょうめん)な性格が災いして、種も食べられるんだよといくら教えても、種は取るものと思い込んでいるために、小さくて取りにくいマイクロシードを頑(かたく)なに指でほじくっては、実の奥に押しやって、腕もテーブルも果汁でビシャビシャにして、食べる部分が激減したスイカをちびちび食べていた。それなら、普通のスイカの方が種を取りやすいだろうに。

それでも「弱点をなくすのではなく、目立たなくする」という発想はすてきなことだなと思った。子育てもダメな部分をなくすのではなく良い部分の方が目立つようにしてあげたいものである。スイカをあきらめて、持っているミニカーを黙々と部屋の端からきれいに一列に並べ出した次男を見ながら、その謎の几帳面さが良い方向へ転がりますようにと願った。

 

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PROFILE

いしわたり淳治

1997年、ロックバンドSUPERCARのメンバーとしてデビュー。全曲の作詞とギターを担当。2005年のバンド解散後は、作詞家としてSuperfly、SMAP、関ジャニ∞、布袋寅泰、今井美樹、JUJU、少女時代、私立恵比寿中学などに歌詞を提供するほか、チャットモンチー、9mm Parabellum Bullet、flumpool、ねごと、NICO Touches the Walls、GLIM SPANKYなどをプロデュース。現在オンエア中のコカ・コーラCM曲「世界はあなたに笑いかけている」(Little Glee Monster)や、情報番組『スッキリ』(日本テレビ系)のエンディングテーマ曲「Electric Kiss」(EXO)の作詞も担当するなど、さまざまな音楽ジャンルを横断しながら通算600曲以上の楽曲を手掛ける。

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