キネマの誘惑

無の境地で演じる。草彅剛、トランスジェンダー役への挑戦

男性の肉体を持ちながら、自認する性は女性。そんなトランスジェンダーに対する世間の目は冷たい。教師も勤め人も通行人も、そして小さな男の子さえ、その姿に偏見のまなざしを投げかける。
「私は怖い? 私気持ち悪い? あなたなんかに一生わからない。……なんで私だけ、なんで私が、なんで私だけ、なんでこんな体に……」

ホルモン剤の影響か汗にまみれ、鼻水を垂らしたまましゃくりあげる凪沙が「なんで私が」と繰り返すたびに、胸がうずいた。

生きていれば多かれ少なかれ誰だって理不尽な目に遭うことはある。なんで私が――。そう嘆いた過去の自分が凪沙に重なって、涙があふれた。

草彅(くさなぎ)剛がトランスジェンダーの凪沙を演じた映画「ミッドナイトスワン」は、孤独に生きる凪沙と、母親からの愛を知らずに生きてきた少女一果が心を通わせていく物語だ。

なぜだか、涙があふれて

草彅自身、初めて脚本を読んで「めちゃめちゃ涙があふれてきた」と振り返る。

「果たして僕はなんで泣いているんだろう、この涙は何なんだろうと思ったんです。なぜ泣いているのかわからないけど、温かい涙でした。でも、人間ってそういうことはあるんじゃないかなと思ったんですね。僕が揺さぶられたその感情を観客のみなさんにお伝えできれば、どれだけ素晴らしい作品になるんだろうと思いました。

無の境地で演じる。草彅剛、トランスジェンダー役への挑戦

ただ一方で、本を読みながら「この役は難しい。果たして僕が思い描いたように演じられるのか。そう考えだしたら、ドキドキしてきちゃって、『ちょっと待て。これはいったん台本を閉じよう』と本を閉じたんです。そんなことが何日も続いたんですが、まだ一果役のキャスティングもわかっていませんでしたので、最初に読んで感じた温かい涙がすべてなんだと思い、出演を決めました」

無の境地で演じる。草彅剛、トランスジェンダー役への挑戦

©2020 Midnight Swan Film Partners

考えなかったゆえに、役が降りてきた

撮影前に内田英治監督からトランスジェンダーに関する資料をもらったり、実際にトランスジェンダーの女性とミーティングをしたり。そんな準備はある程度したが、いくら考えてもわからない。草彅は「凪沙は考えてできる役ではないのだから、考えるのはやめよう。僕はそのほうが(凪沙として)動ける!」と腹をくくった。

「一果を演じることになった服部樹咲(みさき)ちゃんに会って、何も考えなかったゆえに、だんだん役が降りてきたんですよ。考えれば考えるほど動けなくなる役というのがあります。凪沙ならここは女らしくしないといけないとか、そういうことを考えちゃうとダメになる。樹咲ちゃんは今回演技が初めてだったので、僕は最低限、セリフだけは覚えて彼女の目だけを見て演技しようと思いました。凪沙は小さな小さな奇跡が積み重なって演じ切れた。今やれと言われても考えちゃってできないと思います」

無の境地で演じる。草彅剛、トランスジェンダー役への挑戦

©2020 Midnight Swan Film Partners

芝居をしていることを意識しない。役そのものとして生きる――。そんな「無の境地」が俳優・草彅剛が目指すところという。

「人は泣こうと思って泣いているわけではないし、笑おうと思って笑っているわけでもない。だけど、演技は段取りの中で進んでいくので、正反対のことをしているわけです。だからこそ、本当に無意識の中で(その役に)なれたらなぁと憧れみたいなものがある。これまでも無の境地で出てきた芝居というのはあるんですが、凪沙はこれまでで一番、無意識の中で演じられたのかなと思っています」 

凪沙は、確かに母になった

特に今回、「役は一人で作るものではない」と改めて強く思ったそうだ。メイク、衣装、照明、カメラワーク……。あらゆるスタッフの力があっての凪沙だったと言う。

「スタッフが凪沙を愛してくれて、シーンごとに愛情をかけてくれたからこそ、気持ちを乗せることができました。みんなが同じ方向を向いて、凪沙像を作り上げたというのかな。

僕が演じてはいましたが、実は知らないことがたくさんあったんです。ここでこんな赤い服を着ていたんだとか、赤い口紅をつけていたんだとか映画を見て気づいた。撮影は朝早くてちょっと大変だったりするので、衣装を着せていただいたりネイルをしてもらったり、なされるがまま。まるで王様ですよね(笑)。

無の境地で演じる。草彅剛、トランスジェンダー役への挑戦

©2020 Midnight Swan Film Partners

スタッフ皆さんの愛情が凪沙という人間を考えて作ってくださった。僕は自分の格好も見ないで演じていたから、それがリアルだったのかもしれません」

そう草彅が話すように、凪沙は本当に街なかで出会えそうなほどリアルだ。孤独な凪沙が、やはり愛情に恵まれずに育った一果に次第に愛情を注ぎ、一果に希望を見出していく。そんな凪沙の姿や、二人が心通わせていく様子は見る者の心を捉えて離さない。一果に教えてもらいながら外で一緒にバレエのレッスンをしたり、バレエの先生に「お母さん」と呼びかけられ、うれしそうにはにかんだり。バレエから引き離されて暴れる一果を抱きしめながら、「うちらみたいなんは、ずっと一人で生きていかんといけんのじゃ。強うならんといかんで」と優しく声をかけたり。ついには、自分のアイデンティティーを捨ててまでも金を稼いでバレエを続けさせてあげようとしたり……。

一果の夢をどうにかして叶えようとする凪沙の思いはまさに「母」のそれだ。トランスジェンダーの凪沙は、確かに母になったのだ。

無の境地で演じる。草彅剛、トランスジェンダー役への挑戦

©2020 Midnight Swan Film Partners

年を重ねて気づいた、人のために尽くすことの幸せ

今回の撮影は基本的に脚本の順番通りに進む、いわゆる順撮りだったという。その効果を草彅は、「重要なポイントだった」と話す。

「順撮りは演じる者にとってはありがたい。特にこの作品は凪沙と一果の関係が肝。演技が初めての樹咲ちゃんが、シーンが進むにつれてみるみる成長していったんです。樹咲ちゃんがあまりにも一果だったので、僕は今までやってきた芝居や経験は無意味なんじゃないかと思ったほど。でも、いまインタビューを受けていて初めて気がつきましたが、経験がなければシーンのつながりを想像して演じることは難しい。順撮りにした監督の手腕です。やっぱり経験は演技に重要なんですね(笑)」

自分を犠牲にするほどの「母性」で凪沙を演じきった草彅だが、撮影しながらまず思い出したのは、母親や祖母がかけてくれた愛情だった。

無の境地で演じる。草彅剛、トランスジェンダー役への挑戦

「母性に何が正解とか、これが母性だというのはないとは思うんですが、例えば相手を思い続ける強さ。そういったことに気づけました」

草彅自身、年を重ねて思うようになったことがある。

「人のために何かを尽くすということは、自分がとても幸せになる。前よりも少しそんな気持ちが強くなったと思います。凪沙ほど一果に尽くす、ということはなかなか難しいかもしれないけど、助け合って、僕の力で誰かが少しでも幸せになってくれたり、社会がよくなっていったりというのは大事なこと。僕もいい社会人ですので(笑)、人のために役に立ちたいというのは年々思っています。

僕は今も十分幸せですが、だれかを助けることによってでしか得られない幸せ、幸福感みたいなものがあることに、年を重ねて気づくようになりました。といっても偉そうなことではなくて、自分がこうしてやってきた演技で元気を出してもらえたらな、ということだけなんですが。僕はこれしかできないし、これが僕の仕事だとますます強く思っています。そんな僕の演技が悩んでいる方に少しでも届けばうれしいです」

無の境地で演じる。草彅剛、トランスジェンダー役への挑戦

凪沙の心の痛みを体現し、新機軸を打ち立てた演技者・草彅剛。今後の活動を聞くと、「こんな性格だから何も考えてなくて」と笑った。とりあえずは今決まっている2021年の大河ドラマ『青天を衝け』の徳川慶喜役に全力を傾ける。

「乗馬を習い、初めての監督やスタッフ、そしてすばらしいキャスト。新しい場所である大河ドラマにドキドキワクワクしています。見てくださる視聴者の方々に本当に愛していただける慶喜を演じたいと思います」

草彅が演じる最後の将軍もまた、新しい驚きを届けてくれるに違いない。

(文・坂口さゆり 撮影・花田龍之介)

映画『ミッドナイトスワン』

9月25日(金)より全国公開中

キャスト:草彅剛 服部樹咲 水川あさみ 田口トモロヲ 真飛聖
監督・脚本:内田英治
音楽:渋谷慶一郎
製作:CULEN
配給:キノフィルムズ
(c)2020 Midnight Swan Filmpartners
公式HP:midnightswan-movie.com/

PROFILE

「キネマの誘惑」ライター陣

那須千里、西森路代、阿部裕華、武田由紀子、石川智也

三吉彩花×阿部純子 映画『Daughters』で見せた、令和を生きる20代の女性像

一覧へ戻る

RECOMMENDおすすめの記事