#2 壁を壊し「当たり前」を創る アディダス「スーパースター」

2020年、アディダスを代表する定番モデルであり、世界で最も有名なスニーカーのひとつ「スーパースター」が50周年を迎えた。第1回は「スーパースター」が歩んだ長い道のりの中から、その誕生とNBAを席巻するまでを振り返った。ここからは、いよいよ「スーパースター」とストリートカルチャーの関わりについて触れていこう。

80年代のストリートをダンスで彩ったニューヨークのスーパースター「B-BOY」

70年代初頭までのアディダスは、あくまでアスリートのためのスポーツメーカーとして認知されていた。しかし80年代に入ると徐々に状況が変わり始める。「マイノリティーであるにもかかわらず、国民的スーパースターになったジャバー愛用のシューズ」というイメージが広がり、とりわけジャバーの同胞であるアフリカ系や、同じくマイノリティーだったプエルトリコ系の若者が、こぞってスーパースターを買い求めるようになったのだ。

#2 壁を壊し「当たり前」を創る アディダス「スーパースター」

1980~1988年の間に発売されたSUPERSTARもフランス製。当時のシルエットとディテールを再現した復刻モデル「SUPERSTAR 80S」が人気を集めている©adidas Archive / Studio Waldeck

アスリートから一般市民の間に広がったスーパースターは、日常生活をふくむ様々なシチュエーションで“使える”汎用(はんよう)性の高いスニーカーだった。中でもつま先をフロアに激しく接触させながら、鮮やかなフットワークを繰り出すヒップホップ・ダンス「ブレイキン」を愛するB-BOY(ブレイク・ボーイ)の間で、タフなアッパーとグリップ力の高いソールを備えたスーパースターはスタンダードなアイテムになっていく。

一説によれば、ニューヨークのプエルトリコ系コミュニティーで結成された伝説的なブレイキング集団「ロックステディクルー」のメンバー、中でもとりわけ数多くのフットワークを発明したと言われているケン・スイフトが愛用していたことから、ストリートでの流行が始まったとも言われている。この時代、数多くのスニーカーがB-BOYたちに愛されたが、スーパースターは他のアイテムと一線を画す存在だったようだ。

ヒップホップとロック、黒人と白人を隔てる高い「壁」を破壊したスーパースター「Run-D.M.C.」

ひもなしのスーパースターを履くRun-D.M.C.。シューレースなしのスーパースターは事故防止のために靴ひもを取り上げられた囚人を意識していたとも言われている。©adidas Archive

ひもなしのスーパースターを履くRun-D.M.C.。シューレースなしのスーパースターは事故防止のために靴ひもを取り上げられた囚人を意識していたとも言われている©Lawrence Watson / adidas Archive

80年代はスーパースターとストリートカルチャーを語る上で、最も重要な年代といえるだろう。

70年代におけるヒップホップ・ミュージックは、ニューヨークの路上で開催されるブロックパーティー(街頭・路上で行うDIYのパーティー)やナイトクラブでのパフォーマンスなど、ライブで体験するものだった。

しかし70年代末からアナログレコードやカセットテープなどの録音物が広く販売されるようになり、ヒップホップ・ミュージックはニューヨークの外へと広がっていく。

さらに1980年代初頭には、当時のNYヒップホップ・シーンの盛り上がりや、そしてアディダスで身を固めたB-BOYたちの姿を捉えた『ワイルド・スタイル』『スタイルウォーズ』『ビート・ストリート』などの映画が次々に公開され、全世界にヒップホップ・カルチャーの衝撃と「アディダス=ヒップホップ」のイメージが、視覚的に広がっていった。

しかしグローバルにおけるスーパースターの大ブレークのきっかけを作ったのは、ニューヨーク市クイーンズ区を代表するヒップホップグループ「Run-D.M.C.」をおいて他にない。

彼らは、卓越したラップのスキルや音楽性以外でもヒップホップの世界に「革命」というべき大きな変化をもたらしている。

ひとつ目はファッションの革命だ。

Run-D.M.C.が登場するまでのラッパーと言えば、ディスコ・スター風の派手なベルボトム・スーツ、スパンコールやスタッズ(※鋲)でデコレーションされたレザージャケットや毛皮、足元はドレスシューズやブーツが定番だった。

こうした「ステージ衣装」には華やかな魅力もあったものの、ストリートの日常からかけ離れたものばかりだった。

ところがRun-D.M.C.が愛用していたのは、カンゴールのハット、アディダスのウェア、そして足元にはスーパースター。明らかにストリートのB-BOYを意識したリアルなファッションであり、なおかつモノトーンやトリコロールを多用したコーディネートからはモダンな雰囲気が感じられた。

Run-D.M.C.のブレークによって、ファンはもちろん、同業者であるラッパーたちもこぞってアディダスのトラックスーツとスーパースターを着用し始める。

当時Run-D.M.C.と同じレーベル「Def Jam」に所属していたBeastie Boysの面々もまた、先ごろ公開されたドキュメンタリー映画『Beastie Boys Story』の中で「Run-D.M.C.こそがファッションのお手本だった」と振り返っている。

1984年にリリースしたファースト・アルバムでミリオン・ヒットを飛ばし、黒人コミュニティーでは既に売れっ子だったRun-D.M.C.だが、86年に3枚目のアルバムとなる『レイジング・ヘル』でさらなる大ヒットを記録する。

同アルバムからシングル・カットされた「My Adidas」は、後のスニーカー・ビジネスに大きな影響を与える。この楽曲をきっかけとして、アディダスとRun-D.M.C.の間でスポンサー契約が締結されたのだ。

ライブで「My Adidas」のイントロが流れると、観客が履いていたスーパースターを脱いで天に掲げるのを見たRun-D.M.C.のマネージャーが、アディダスの重役をライブに招待したことがきっかけだと言われている。

アディダスとカニエ・ウェスト、ナイキとトラヴィス・スコット、リーボックとケンドリック・ラマーなど、今や当たり前となっている人気ラッパーとスニーカーブランドのスポンサー契約も、実はここから始まっている。

これがふたつ目の革命である。

アディダス ジャパンOriginals Brand Communications担当の古谷佳祐さんは当時の状況について次のように語る。

「それまでのアディダスはアスリートをターゲットにしていましたが、Run-D.M.C.からのフックアップによってカスタマーの幅が圧倒的に広がりました。ファッションアイテムとして購入する方々が増えたんです。Run-D.M.C.はスーパースターをシューレースなしで履いていましたが、アスリートには絶対に考えつかない発想。常識をいとも簡単に打ち破る自由な発想は世界中の若者に新鮮な衝撃を与えました。その後、スーパースターをシューレースなしで履くスタイルは世界中で大流行するわけですが、やはり歩きにくいという声も大きかったようですね(笑)。そこで我々アディダスは1987年に『ウルトラスター』、2020年に『スーパースター シューレースレス』というひもなしでも快適に履けるモデルを発売しています」(アディダス古谷さん)

#2 壁を壊し「当たり前」を創る アディダス「スーパースター」

Run-D.M.C.のようにひもなしで履けるよう、タンとアッパーをゴムでつないだ派生モデル「ウルトラスター」©adidas Archive / Studio Waldeck

#2 壁を壊し「当たり前」を創る アディダス「スーパースター」

2020年に発売された「スーパースター シューレースレス」。タンにあしらわれたゴールドのロゴから「金ベロ」と呼ばれた初期モデルへのリスペクトが感じられる

「My Adidas」のスマッシュヒットをきっかけに、「Raising Hell」からヒップホップ史上に残る楽曲のシングル・カットが行われる。ロックバンドのエアロスミスと共演した「Walk This Way」だ。

今となっては珍しくないラッパーとロックバンドのコラボレーションだが、これもまた当時としては画期的だった。というのも、そのころのアメリカのラジオ局やテレビ局には、現在よりもはるかにあからさまな人種差別が存在していた。

「最先端のポップカルチャーを代表する存在である」と謳(うた)うMTV(MUSIC TELEVISION)ですら、黒人アーティストの楽曲をプライムタイムに流すことはなかったという。

差別意識を隠さないリスナーも現在とは比較にならないほど多かった。「黒人の音楽」をプレーしたというだけで、ラジオ局に激しい抗議の電話がかかってくることも珍しくなかったという。

こうした背景に加え、当時のヒップホップはストリートで発祥したばかりの新興の音楽ジャンルである。黒人によるポップミュージックをようやく受け入れ始めたばかりのテレビ局が積極的に扱おうとするものではなかった。

「Walk This Way」は人種差別を乗り越えることを目的に作られた楽曲と言っていいだろう。Run-D.M.C.とエアロスミスが互いを隔てる「壁」を壊して演奏するMVの描写からも、その意気込みを感じ取ることができる。

そして、このMVこそが、Run-D.M.C.とアディダス・スーパースターの世界的なブレークを後押ししたと言っても過言ではない。

当時、白人ロックバンドの代表格だったエアロスミスとのコラボレーションである。それまでヒップホップに関心を示さなかったメディアまでもが、こぞって「Walk This Way」のMVを取り上げた結果、同曲を収録していた『Raising Hell』は300万枚という驚異的なセールスを記録する。

Run-D.M.C.、そしてスーパースターは、世界中のあらゆる人種のキッズたちに広く受け入れられた。Run-D.M.C.が引き起こした、最も大きな革命だったといえるだろう。

#2 壁を壊し「当たり前」を創る アディダス「スーパースター」

©Lawrence Watson / adidas Archive

フットボール・スタジアムのゴール裏 初期の東京クラブシーンに到達した「スーパースター」

Run-D.M.C.とヒップホップを起点とするアディダス・ブームは全世界に波及する。とはいえヨーロッパ、とりわけイングランドのストリートでは、ヒップホップが輸入される以前の70年代中ごろから、アディダスのシューズが現在のスニーカーヘッズなみの熱意で愛されていた。

起点となったのは、イングランド各地に存在した熱狂的なサッカーファンだ。

スタジアムのテラス(ゴール裏の席。かつて多くのスタジアムで立ち見だった)に集まる「カジュアルズ」と呼ばれた若者たちは、フットボール観戦と変わらない熱量で最新のスポーツシューズを愛好し、アメリカとは全く異なるオルタナティブな「トレーナー」(彼らはスニーカーをそう呼んでいた)のトレンドを形成していた。

「北米におけるアディダスの流行はバスケットボールやヒップホップが起点になっていますが、ヨーロッパでは『テラスカルチャー』からの影響も大きいです。この文化はモッズに代表されるUKの労働者階級のサブカルチャーの系譜にあり、1980年ごろには英国全体に広がっていました。それ以前の英国の若者はドクターマーチンのブーツ、ボタンダウンシャツとロールアップしたジーンズが定番でした。それがアディダスのスニーカーとトラックジャケットに置き換わりました。この流れは80年代後半から90年代、ストーン・ローゼズなどのマッドチェスターや、オアシスに代表されるブリットポップのアーティストたちがアディダスを愛する流れにもつながっていきます」(アディダス古谷さん)

英国をはじめとするヨーロッパの若者が愛していたのは、アディダスの「サンバ」に代表されるサッカー系の「トレーナー」ではあったが、80年代中ごろにヒップホップが流行すると「スーパースター」も定番に。

その結果、UKオリジナルの「テラスカルチャー」スタイルとアメリカからやって来たヒップホップのスタイルが融合し、UK独自のストリートファッションも形成されていく。

もちろん欧州全体に広がったテラスカルチャーが勢いを失ったわけではない。

周囲の影響を受けつつも、常に独自のファッショントレンドを生み出し続け、ここ数年はアメリカのラッパーやスケーターからも注目を集めるようになっている。そのアイコンと言えるのが、アディダス・スケートボーディング所属でロンドン出身のブロンディ・マッコイやフランスを代表するスケーターのルーカス・プイグなのだろう。

#2 壁を壊し「当たり前」を創る アディダス「スーパースター」

自身がデザインを手がけた「SUPERSTAR 80S X BLONDEY」を着用するロンドン出身のスケートボーダー、Blondey McCoy

ところ変わって80年代半ばの東京にもヒップホップの大波は到達していた。『ワイルドスタイル』やRun-D.M.C.の衝撃により、まだ産声を上げたばかりのクラブシーンを起点に「スーパースター」が大ブレークする。いとうせいこう、藤原ヒロシ、高木完に代表されるジャパニーズ・ヒップホップ草創期のアーティストはもちろん、日本を代表するレゲエ〜ダブバンドのミュート・ビートをはじめとする先鋭的なミュージシャンたちは、こぞってアディダスを履いていた。彼らの装いは雑誌メディアで積極的に取り上げられ、アディダスの人気はファッションやカルチャーに関心の高い層にゆっくりと広がっていった。とはいえ当時の日本においてアディダスのシューズやウェアは、ほとんど流通していなかった。スーパースターを手に入れるのは至難の業だったようだ。

#2 壁を壊し「当たり前」を創る アディダス「スーパースター」

80年代の「SUPERSTAR」は、HIPHOPの衝撃とともに全世界のストリートで熱狂的に指示された

こうしてスーパースターは、ヒップホップの世界的ブレークをきっかけに、全世界に広がっていった。だが、まだまだストーリーは続く。ヒップホップを媒介にストリートの定番となったスーパースターは、さらに幅広い層の若者に愛されていくことになる。

#3 アディダスが描く これからの「スーパースター」】に続く

PROFILE

吉田大

ライター・編集者。大学卒業後、児童書出版社勤務を経て、フリーランスに。ファッション、アート、音楽、ストリートカルチャーから、政治経済、社会問題、テクノロジー、グルメに至るまで、多岐にわたるジャンルにおいて、長年にわたり執筆活動を続けている。趣味は自転車と立ち食いそば店めぐり。お酒や煙草を嗜まないストレート・エッジな生活を送っている。

#1 アディダス「スーパースター」 神話誕生はアメリカバスケットボール界から

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#3 アディダスが描く これからの「スーパースター」

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