“世界一美しい自動車競技” 伊ヒストリックカー・ラリー「ミッレミリア」

(TOP写真:10月24日、シエナ旧市街のカンポ広場に到着したミッレミリア参加車たち)

強風、大雨、強い日差し――見ているだけではわからない過酷さ

10月22日から25日にかけて、イタリアでヒストリックカー・ラリー「ミッレミリア」が開催された。Mille Migliaとはイタリア語で1000マイル。1927年に遡(さかのぼ)るこの公道自動車競技の伝統的な走行距離に由来する。

イタリア北部ブレシアから半島東のアドリア海側に出て首都ローマまで南下。続いて中部トスカーナを通って北上し、ブレシアまで戻るのが定番コースである。歴史に彩られた旧市街や、緑あふれる郊外を多数通過することから、長年“世界一美しい自動車競技”と称されてきた。

【動画】音も魅力! イタリア・シエナの街を走るヒストリックカー

当初は純粋にスピードを競うレースだったが、自動車の性能向上に伴いあまりに危険となったことから1957年をもって取りやめとなった。一方、1977年から今日まで続く“復活版”は、区間速度の正確さを競うラリー形式が採られている。今日参加可能な車両は、速度競技時代に参戦した車か、もしくはその同型車だ。毎年主催者によって約四百数十台が選ばれる。

通常は沿道にポピーが咲き乱れる5月の開催だが、2020年は新型コロナ感染症対策の影響で5カ月遅れとなった。事前審査を通過した410台中54台が欠場という異例の事態となったが、それでも356台がイタリア縦断に挑んだ。

水しぶきを上げながら走る1929年アルファロメオ 6C 1500スーパースポーツ。乗員たちのかがみ方が雨の強さを感じさせる

水しぶきを上げながら走る1929年アルファロメオ 6C 1500スーパースポーツ。乗員たちのかがみ方が雨の強さを感じさせる【もっと写真を見る】

参考までに筆者も、このミッレミリアにナビゲーターとして参加したことがあった。2004年のことである。車はスパイダーつまりオープンで、かつ幌(ほろ)も装着できないタイプだった。そうした車上での約1700kmは、観戦しているだけでは絶対わからない過酷さがあった。頭に被(かぶ)ったキャップは、ブレシアを発って数分もしないうち強風に飛ばされ、後方の夜闇に消えていった。フロントウィンドーが低い車だったため、向かい風がもろに顔に当たった。何をしていなくても、目からは涙が、口からはよだれが斜めに流れ出ていく。

航空機を想起させる1947年フィアット アーラ・ドーロ(金の翼) 508 C “ハードトップ”

航空機を想起させる1947年フィアット アーラ・ドーロ(金の翼) 508 C “ハードトップ”【もっと写真を見る】

アドリア海側では大雨と強い日差しを交互に浴びることになった。自分が洗濯機と乾燥機の中に交互に入る、洗剤のない洗濯物になったような感覚だった。エミリア街道で正面から当たる巨大な夕日は、サングラスをしていても、まともに目を開けていられなかった。

それでも、チェックポイントでスタンプを押してもらうカードを紛失しては失格・再発行不可なのでがむしゃらに握り締めていた。あまりに必死に掴(つか)んでいたものだから、ゴール時には古文書のごとくぼろぼろになっていたのを記憶している。

香ばしいにおいを漂わす焼き栗屋台の脇で。1955年オースティン・ヒーレー100/4 BN2

香ばしいにおいを漂わす焼き栗屋台の脇で。1955年オースティン・ヒーレー100/4 BN2【もっと写真を見る】

“世界一美しい広場”も 往年のドライバーたちが眺めた風景

筆者が住むシエナ県は、木曜日から日曜日まで4日間の会期中、毎年土曜日に通過する。数日前になると、主催者によって街のあちこちにルートを示す赤い矢のステッカーが貼られて、「ああ、今年もこの季節か」ということを実感する。

当日は、近所の人たちが沿道に家の中から椅子を持ち出して、ローマから車がやって来るのを待つ。地元自動車クラブのボランティアたちは、蛍光色のベストを着て交通整理にあたる。参加車の通過中は、路線バスのドライバーも乗客もじっと待つ。

1955年アルファロメオ 1900 SSZ

1955年アルファロメオ 1900 SSZ【もっと写真を見る】

今回、シエナ区間はあいにくの大雨に祟(たた)られた。それでも傘を差してレジャー用簡易椅子に座りながら、もしくはバス停の屋根に隠れながら楽しむ人が数々みられた。同時に、雨に濡(ぬ)れた石畳にヘッドライトの灯が落ちる光景は、普段のミッレミリアとは異なる趣を醸し出していた。

昼、カンポ広場は参加車たちで埋まった

昼、カンポ広場は参加車たちで埋まった【もっと写真を見る】

伝統競馬「パリオ」の舞台であるカンポ広場は、人々からは“世界一美しい広場”と讃(たた)えられてきたものの、ミッレミリアでは長年単なる通過時間のチェックポイントだった。ところが2019年からは、そこでランチタイムが設けられるようになった。おかげで広場の煉瓦(れんが)の上には、一面の花畑のごとく参加車が並ぶ光景が見られるようになった。

憲兵(カラビニエリ)も警備がてら、スマートフォンに参加車の写真を収めている。聞き耳をたてれば、同僚と「おっ、イソッタIsotta(フラスキーニ)だ」「違う。あれはイセッタIsettaっていうんだぜ」といった会話を繰り広げていた。

2020年の参加者中、最年少ペアであるニコロ&フィリッポ組。いずれも1995年生まれである

2020年の参加者中、最年少ペアであるニコロ&フィリッポ組。いずれも1995年生まれである【もっと写真を見る】

その広場の片隅で、緑のレーシングスーツ姿の若者2人を見つけた。年配の参加者たちの多くが、広場の高級カフェで休憩しているのに対して、彼らは持参したランチを頬張っている。よく見ると、DRIVERのパスを提げていた。

フィリッポ&ニコロ組は、いずれも1995年生まれ。今年25歳である。「ドライバーとナビゲーターの年齢を足すと、今年いちばん若いチームさ」と自己紹介してくれた。2人はミッレミリアのスタート&ゴール地点であるブレシア出身。

創業初期におけるフェラーリの1台、1948年166インテル・スパイダー・コルサ・アンサローニ。ドライバー&ナビゲーターはメキシコからの参加だった

創業初期におけるフェラーリの1台、1948年166インテル・スパイダー・コルサ・アンサローニ。ドライバー&ナビゲーターはメキシコからの参加だった【もっと写真を見る】

「毎年ミッレミリアを見ながら育ったんだ」と語る。2019年秋に参加を申請。審査を通過し、念願かなって初出場を果たした。車両は、参加資格を有する年式で最も新しい1957年の「トライアンフTR3」である。

2人とも「僕たちの車は、幌は被せられるものの、サイドウィンドーが無い。だから今日は雨で、さすがにハードだった」と話す。前述のような経験がある筆者だけに、その心境は痛いほどわかる。

それでもニコロさんはこう続けた。「古い車のフロントガラスを通して、さまざまな歴史的旧市街を走り抜ける。そのたび、往年のドライバーが見たのと同じ風景かと思うと感動に包まれたよ」

1956年ジャガー XK 140 OTS SEが、中世の巡礼ルート「フランチージェナ街道」で華麗なカーブをきめる

1956年ジャガー XK 140 OTS SEが、中世の巡礼ルート「フランチージェナ街道」で華麗なカーブをきめる【もっと写真を見る】

ミッレミリアは前述の厳密な規定により、筆者としては参加車のバリエーションに近年やや限界を感じていたのも事実だ。ヒストリックカー市場の高騰により、あまりにも浮世離れした伝説の車ばかりがリストに並んだ年もあった。また、イベントを盛り上げるためのスポンサーによる、ゲスト参加車が目立ちすぎる回もあった。だが、フィリッポ&ニコロ組のような新鮮な感覚で挑む若者たちのエントリーを主催者が受け入れることによって、この歴史的イベントは、まだまだ輝き続ける可能性がある。

シエナ郊外にて。旧市街に向けて一路疾走する1923年ベントレー3リッター・ツアラー

シエナ郊外にて。旧市街に向けて一路疾走する1923年ベントレー3リッター・ツアラー【もっと写真を見る】

今回はシエナで繰り広げられた光景を動画でも撮影した。煉瓦色の中世都市に響く、車両ごとに異なるエンジン音・排気音、そして人々の歓声をぜひお楽しみいただきたい。

(写真/Akio Lorenzo OYA 動画/Mari OYA)

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PROFILE

大矢アキオ Akio Lorenzo OYA

コラムニスト。音大でヴァイオリンを専攻、大学院で比較芸術学を修める。イタリア・シエナ在住。NHK『ラジオ深夜便』レポーター。訳書に『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、著書に『イタリア発シアワセの秘密−笑って!愛して!トスカーナの平日』(二玄社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など

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