国境なき衣食住

空き缶で作ったツリー、年越しカップ麺 年の瀬の紛争地、仲間がくれたつかの間の癒やし

紅葉の時期が終わったと思ったら、途端にクリスマスソングが聞こえ始める。「えっ、もうそんな時期?」と1年の流れの速さに驚くのは私だけではないだろう。そうこうしているうちに街中がどんどん輝き始め、あちこちから溢(あふ)れ出てくるクリスマスソングを気づいたら鼻歌で追っかけている。

クリスマスは当日そのものよりも、プランを考える準備期間が一番楽しいかも知れない。大切な人へのプレゼントを選んだり、お店やメニューなどを考えたりしながらつい心が弾む。家族を含め、大切な人がいることにあらためて感謝と幸せを感じる時期でもある。

(TOP写真=2016年12月、派遣先のイエメンで食事のひととき© MSF)

国境なき衣食住」は、国際NGO「国境なき医師団」の看護師として世界17カ所の紛争地や危険地に赴任してきた白川優子さんが、医療・人道支援活動の傍(かたわ)らで出会った人々、触れ合った動植物、味わった苦労や喜びについて、哀感を込めてつづるエッセイ連載です。

派遣先の文化での年末年始を楽しめる特典

医療機関で勤務をしているとクリスマスやお正月に夜勤や当直が入ることは多々あり、そんな時はがっかりしつつも、それでも日本にいる限りは世間が浮足立っている雰囲気は十分に味わえる。

国境なき医師団(MSF)の海外派遣に行くと、その雰囲気が楽しめなくなってしまうことが正直に残念ではある。クリスマスとは本来はイエス・キリストの降誕を祝う日。派遣先の宗教や文化によっては、クリスマスを祝う、または日本のようにイベントとして楽しむ風習がないところも多くある。新年だって国や文化によっては1月1日とは限らない。ただ、逆に現地では日本人には馴染みのないお祝い行事やイベントを楽しむという貴重な体験ができ、それは私たち海外派遣スタッフの特典でもある。

MSFの海外派遣スタッフチームは、場所にもよるがだいたい一つのプロジェクトで10~20人。スタッフは世界各国からやってくるためバックグラウンドが様々だが、各プロジェクトの目標を共有しながら任務に取り組む仕事仲間でもあり、一つの家で共同生活を送る家族でもある。

空き缶で作ったツリー、年越しカップ麺 年の瀬の紛争地、仲間がくれたつかの間の癒やし

イエメンに派遣されたMSFの外科チーム=2012年8月© MSF

各国それぞれの方法で楽しませる「イベント担当」

さて、これだけの人数が集まると、自然発生的に「イベント担当」なる者が出てくる。仕事に没頭するだけが派遣のすべてではなく、我々がいかに楽しく過ごせるかを考えてくれる欠かせない存在だ。よくあるのは、ムービーナイト。たとえばよく伝言板に「次のムービーナイトは○日。お勧めDVD募集中」などと書いてあったりする。そうすると希望者は当日リビングルームなどに集まり、スナックを片手に寝転がりながら誰かが提案した映画をみんなで観る。眠くなったら部屋に戻ってもよし、興味がなければそもそも参加しなくてよし、というゆるいものだ。

バーベキューを含め食べ物に絡んだイベントも多い。週末は料理担当が休むので、どちらにしろスタッフの誰かが作るか、出前を頼むか(と言ってもだいたいケバブかチキンライス)、何かしらの手配をしなくてはならない。そこで例えば「イタリアンナイト」「ケニアンナイト」「ジャパニーズナイト」などと名付けて、順番でスタッフの出身国の料理をみんなにふるまったり、または「パンケーキデー」「パスタデー」などを楽しむこともある。

空き缶で作ったツリー、年越しカップ麺 年の瀬の紛争地、仲間がくれたつかの間の癒やし

2015年、イエメンでのラザニアデー。外科医と麻酔科医と一緒に© MSF

緊急手術で参加できず、でも心憎い計らいが……

このようなイベントがあると生活がとても楽しくなるのは間違いないが、仕事が忙しいと中々参加できない現実もある。特に緊急案件が多い救急医、外科医、麻酔科医、そして手術室看護師(私)は、他のチームメンバーが楽しそうにイベントの準備をしているなか、手伝いどころかイベントそのものへの参加が難しい。恨めしく思う時もあるが、例えばイベントがとっくに終わった夜中に戻り、「Dear 外科チーム」などというメモと共に食べ物が残されているのを見ると、私たちを忘れていないチームメンバーたちの優しさに癒やされることもある。

激務で忘れていたクリスマス、壁に浮かんだ光は

あれは2016年のイエメンだった。3ヵ月派遣の依頼を受け、私は11月に到着した。2012年に初めて足を踏みいれたのを皮切りに、その時はすでに4回目の入国だった。相変わらず罪のない市民が血を流して運ばれてくる。オペ室で治療にあたりながらこの国の紛争のひどさを目の当たりにしていた。

連日、減らない手術室の患者リストとにらめっこをしながら手術室で奮闘していると、その日が何月何日で、到着してからいったいどれくらいの時が過ぎたかなど気にもとめなくなる。その日その日を過ごすだけだ。そんなある夜、仕事を終えて外科チームのみんなで宿舎に戻ると、真っ暗な空間の中にふんわりとした光が目に飛び込んできた。それはリビングルームから放たれていて、入ってみると壁の一面から浮き出ていたその光は、ツリーの形をしていた。

よく見ると、サイダーの空き缶をセロハンテープで壁に貼り付けてツリーを象(かたど)ったものだった。そのツリーの周囲に電飾が張り付けられてあり、ちかちかと点灯する光が空き缶のアルミに反射し、部屋全体を優しく包んでいた。チーム内の誰かが作ってくれたのだろう。

「そうか、クリスマスの時期なのか!」

心が一気にときめいた。どこからともなくクリスマスソングが聞こえてきそうだ。

空き缶で作ったツリー、年越しカップ麺 年の瀬の紛争地、仲間がくれたつかの間の癒やし

空き缶を並べて、クリスマスツリーが象られていた© MSF

その日から、私たちは空き缶ツリーに見送られながら出勤し、仕事から戻るとこのツリーの光に癒やされた。イエメンではクリスマスを祝う風習はなく、また特にこの地域の市民の生活はひっ迫していてイベントを大々的に祝う余裕はない。この時の私たちのイエメン派遣にはクリスマスが存在しないまま時が過ぎ、気づいたら新しい年を迎えていたという可能性もあった。人道支援の使命を背負って来ているのだからそれは自国を出発した時から覚悟の上ではある。でもこの時、空き缶で作ったたった一つのツリーがそんな私たちにクリスマスのウキウキ感を与えてくれていた。

クリスマスの23時、屋上に駆け上がると……

クリスマス当日、宿舎内の雰囲気は華やいでいた。屋上でパーティーを開くことになったようだ。外科チームは相変わらず朝も昼間も夜中も働いていた。果たして参加できるだろうか。クリスマスはやはり特別な高揚感を醸(かも)し出す。患者さんの治療をおろそかにするわけにはいかないが、その日は心の中で「早く終わりますように」と祈りながら仕事をした。

ところが、いや、いつものごとく、予定手術患者のリストに加え、銃弾で撃たれた患者や、爆撃に巻き込まれた患者、そして緊急帝王切開が必要な患者たちを受け入れながら、全ての手術が終わった時には23時を回っていた。パーティーの準備が整ったという知らせは携帯のテキストで何時間も前に受け取っていた。まだやっているだろうか。

空き缶で作ったツリー、年越しカップ麺 年の瀬の紛争地、仲間がくれたつかの間の癒やし

紛争地ゆえに、外科チームは特に忙しい=2016年12月、イエメン© MSF

病院を後にして、外科医と共に宿舎の屋上に駆け上がる。麻酔科医はまだ病院に残っていた。チームの仲間たちが、夜が更けたイエメンの空の下で質素なプラスチックテーブルを囲みながらおしゃべりを楽しんでいた。誰かのスマートフォンからは音楽が流れている。私たちの姿を見た彼らは、「ご苦労様!」と言わんばかりにてんやわんやと椅子を用意してくれたり残しておいてくれた食べ物を差し出したりと、手厚く労(いたわ)ってくれた。

「どっこいしょ」という音が聞こえてくるかのような勢いで椅子に体を預け、さてみんなが用意してくれたご馳走を頂こうか、という時だった。銃弾でおなかを撃たれた患者が運ばれてきているという一報が入った。天を仰いだ。

「僕、先に見てくるからYUKOはまだ残ってていいよ」と席を立つ外科医を、そうはいかないと追いかけて2人で屋上を後にした。そんなこんなで、この時のご馳走がどんなものだったのかは記憶からすっぽりと抜けてしまっている。写真を撮る暇もなかった。

宿舎の階段を、クリスマス会場を背に駆け降りてくる外科医と私の姿を見た麻酔科医は、全てを悟り、ついさっきまでいた病院へと身体を方向変換させた。

悲しき紛争地の外科チーム。

でも今回ばかりはクリスマスの雰囲気だけでも十分に事前に味わえたからよしとしようか。クリスマスパーティーが待っていることを励みに手術室で頑張ったことも良い思い出にしよう。

カップ麺で年越ししていた「隣人」

クリスマスが終わると、その寂しさに浸る間もなく新年がやってくる。外科チームの一員である以上、この新年だって十分に味わえるかは分からない。

そして案の定、大晦日も新年も容赦なく紛争は続き、外科チームに休みはなかった。6時間の時差がある日本ではとっくに紅白歌合戦が終わっているころ、先ほどまで手術室で立ちっぱなしだった足をベッドに投げだし、スマートフォンを手にした。家族から新年のメッセージが入っていたが疲れていてすぐに返信する気が起きない。SNSではみんなのそれぞれの大晦日や新年が飛び交っている。羨ましいし、恨めしいし、未練がましかった。画面の向こう側の楽しそうな日本の年越しをスクロールし続けていると、突然「どん兵衛」の画像が目に飛び込んできた。

なんと隣の部屋にいる外科医(偶然にも彼も日本人だった)の、たった今あがったFacebook投稿だ。

「イエメンはまだ12月31日、どこで年を越そうとも、日本人として譲れないものがある」というコメント付き。彼はいま私の隣の部屋でどん兵衛を食べている! 年越しセレモニーをしているのだ。今日のために、スーツケースの隙間にねじ込んできたのだろう。

空き缶で作ったツリー、年越しカップ麺 年の瀬の紛争地、仲間がくれたつかの間の癒やし

隣の部屋で「どん兵衛」を食べていたのが彼。緊急帝王切開で無事に生まれた子と記念撮影。これもイエメンでの一枚

私がこの投稿を目にしているのを知っているのか知らないのかは分からないが、壁ひとつ隣にいる彼が、このイエメンで年越しどん兵衛を食べているのだと思うと、先ほどまで悲嘆に暮れていた気持ちが吹き飛び何だか楽しくなってきた。

コロナ感染拡大の影響で、今年は実家への帰省を断念した。せっかく日本にいるのにクリスマスもお正月もフルで楽しめず、都内のマンションで一人で過ごすことを考えると、イエメンでのクリスマスやお正月はなんて素敵で楽しかったのだろうと思える。

空き缶で作ったツリー、年越しカップ麺 年の瀬の紛争地、仲間がくれたつかの間の癒やし

こちらは2017年の白川家のクリスマスパーティー

 

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PROFILE

白川優子

国境なき医師団(MSF)手術室看護師。1973年埼玉県出身。高校卒業後、坂戸鶴ヶ島医師会立看護専門学校に入学、卒業後は埼玉県内の病院で外科、手術室、産婦人科を中心に約7年間看護師として勤務。2006年にオーストラリアン・カソリック大学看護学部を卒業。その後約4年間、メルボルンの医療機関で外科や手術室を中心に看護師として勤務。2010年よりMSF に参加し、スリランカ、パキスタン、シリア、イエメンなど9か国で17回の活動に参加してきた。現在はMSF日本事務局にて海外派遣スタッフの採用を担当。著書に『紛争地の看護師』(小学館)。

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