ニューノーマル白書

ゴーストライター騒動から7年 新垣隆「疲弊した音楽界を盛り上げるために、できることは何でもやります」

「このままいけば早晩クラシック音楽界はなくなりますよ」

とある場で、作曲家の三枝成彰が真顔でそう語ったのを聞いた。コロナの猛威が到来して以降、舞台表現系のジャンルはどこも厳しい状態が続く。その中でもクラシック音楽界は、日本では元々の基盤が脆弱だっただけに、関係者は途方に暮れているのが現状だ。

そんななかで作曲家の新垣隆が「オンライン、サブスクリプション(※現在はトライアルで無料提供中)、大衆対象」の音楽大学を開き、学長に就任した。文科省の認可を受けた正式な学校(学校法人)ではない。「3歳からのオンライン音楽大学」をうたい、試験を受けずに誰でも好きな講座を受けられるシステムだという。それにしても7年前に「ゴーストライター騒動」を起こして世間とクラシック音楽界を騒がせたあの新垣隆が、音楽教育の最前線に立つというのだ。その真意はどこにあるのか? 何を狙っているのか? そこには音楽界のニューノーマルがあるのだろうか?

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ベートーベンイヤーの仕事が激減、収入3分の1に

――コロナ禍が拡大する中で、新垣さんの音楽活動はどんな制約を受けましたか?

「大きなコンサートから言えば、5月にオーケストラとやるはずだったピアノコンチェルトの公演がなくなりました。バンド活動(ジェニーハイ)ではロック・イン・ジャパンとか大きなフェスティバルが3本なくなりました。作曲や編曲については、2020年はベートーベンイヤーだったのでいくつかオファーがきていたのがなくなって、コンサート用の編曲の仕事もなくなりました。もちろん自分が出演するコンサートも伴奏するコンサートもなくなって、収入は3分の1程度です」

ゴーストライター騒動から7年 新垣隆「疲弊した音楽界を盛り上げるために、できることは何でもやります」

学長を務めるオンライン講義「シブヤ音楽大学」で

――今年の仕事はどんなものがありましたか?

「たとえば高校の吹奏楽部のOBの方から作曲の依頼や、警察の防犯キャンペーンのための曲の依頼がありました。高校の吹奏楽コンテストがなくなったので、それでは現役生が可哀相だということで、OB・OGたちがお金を出し合って曲を依頼してくれたんです。それからコロナが収まっていた間に行われた演劇公演に生演奏で出演するという仕事もありました。でも通常やっていた小さな演奏会などは全てなくなったので、収入面だけでなくこの状態がいつまで続くのか、音楽家として非常に危機感を覚えています」

経済力や演奏力を問わず、誰でも入れるクラシックの学舎を

――その危機感がオンラインで安価に誰でも学べる「シブヤ音楽大学」の設立に繋がったのでしょうか? ネット上で、文科省の認可を受けない音楽教育の場を選んだ理由はどこにありますか?

「学長を務めることになったシブヤ音楽大学は、文科省の認可を受けないかわりに試験を受けなくても誰でも入れるネット授業でとても安価です。これをつくろうと思ったのは、コロナだけが理由ではありません」

「そもそもクラシック音楽界はコロナ以前から脆弱な業界でした。少子化の影響もあって私たちが学んできた音楽大学や専門学校も入学生が少なく、経営が揺らいでいます。そんな中で私たち音楽家や演奏家に業界を守るために何ができるか、何をすべきかと、事務所の社長と考えて、ステージでの演奏に代わる場としてオンラインで音楽教育の場をつくろうと考えました。そうすることで私たち音楽家も音楽ファンと触れ合えるし、クラシックファンを増やすことにも繋がるんじゃないか、と考えたのです」

「元々文科省の認可を受けた音楽大学に入れるのは、子供のころから正規の音楽教育を受けた子で、かなりの経済力と優れた演奏能力や作曲能力が必要です。だから音楽が好きで音大に憧れていても入れない人がほとんどでした。その音楽教育が手軽に気軽に受けられたら、音楽ファンもふえるはず。私たち音楽家は音楽の喜びをステージを変えてここで提供できる。この講座を受けた人がその延長でリアルな音大を受けることは年齢的に難しいとは思いますが、ここで音楽の喜びに触れた人の子供が音大を受けることはありえると思います。そういう音楽のきっかけになればいいと思っています」

富裕層だけのものだった音楽のすそ野を広げたい

――音楽大学への志願者はそんなに減っていますか?

「たとえば多くの音大のピアノ科は募集定員割れだと聞きます。いくつかの音大では数年前から新入生を集めるためにオープンキャンパスを始めました。私たちが現役のころには信じられないことです。なぜなら音大を受験するには子供のころから音楽教育を受けることが大前提で、『誰でも大学に来てください』というオープンキャンパスなんてとても成立しなかった。ところが私が講師を務める桐朋音大でもオープンキャンパスをやるようになって、こういう時代になってしまったのかとショックを受けたのです。生徒が集まらないと大学の経営が成立せず、無闇に集めたら音大の教育レベルが下がる。悪循環です。これをなんとか食い止めないといけないと思いました」

ゴーストライター騒動から7年 新垣隆「疲弊した音楽界を盛り上げるために、できることは何でもやります」

シブヤ音大の講義風景

――少子化とコロナの影響はわかりますが、クラシック音楽界の問題はそれだけが原因でしょうか?

「いえ、もともとクラシック音楽界は富裕層しか相手にしてこなかったという歴史がありました。もちろん奨学金を貰って音大に行って音楽家になった人もいないわけではありませんが、音大に入ろうと思ったら楽器も買わないといけないし個人レッスンも高額です。コンサートに行こうにもチケットも高い」

「それでいて、現実的にはプロの演奏家でも演奏会の収入だけで食べている人は国内にはごくわずかです。プロといっても国内に数個の有名オーケストラに所属しなければ演奏活動だけでは経済が成立しない。でも有名オーケストラにはなかなか演奏家の空きは出ない。演奏家の募集が少ないんです。かといってソロで演奏会をやっても、たとえ客席は満員になっても経済的にはトントンか持ち出しというのが現状です。多くは日常的に生徒をとって演奏を教えたり別の仕事で生計を立てています」

「もっとファンのすそ野を広げるべきです。そうでないとコンサートも成立しないし演奏家も自立できない。そのためにどうするかを考え、コンサートができなくなったコロナ禍をチャンスに変えるために、教育活動を考えたのです」

「音楽界から消える」から7年、被災地での演奏や出会いが私を変えた

――それにしても7年前に佐村河内守事件が発覚したときに出会った新垣さんは、演奏家としては常に主役の影に隠れた伴奏家で、人に頼まれたら断れない、自分の意志をはっきり言えない、とても受け身の人という印象でした。しかもあの時は「私は佐村河内と一緒に音楽界から消える」ともいいました。それが音楽業界全体のことを考えて行動するなんて、ずいぶん変化しましたね。何が新垣さんを変えたのでしょうか?

「それは事件後の7年間で、それまで経験したことのない人たちと出会ったり仕事をしたりして、異なる経験をしたことが大きいと思います。音楽の喜びそのものは事件以前も以後も変わらないのですが、音楽を通じて多くの人たちと様々な場を共有できた。自分が知らなかった世界に触れた。多くの人に出会ったという経験が大きいと思います」

ゴーストライター騒動から7年 新垣隆「疲弊した音楽界を盛り上げるために、できることは何でもやります」

2014年、川崎市スポーツクラブSELF が開いたチャリティー演奏会で。大久保美来、舞美姉妹と(提供:東北女川御前支援リボン)

「たとえば東北の被災地に行って演奏ツアーをやりました。避難所のプレハブや保育園でも演奏して、多くの人にとても温かい拍手をいただきました。それまでは誰かの裏方で伴奏することが一番得意でした。いまもそうなんですが、自分が人前に出て演奏していただく拍手の有り難さも味わいました」

「事件以前にもいろいろ世の中を見ていたつもりだし、狭い社会にいたとしてもそれはそれで幸福だったのですが、事件以降知らない社会がたくさんあるんだということを知りました。知っているつもりだったのですが、世界はもっと広かった。もちろん露出が派手すぎてバッシングを受けたり批判されたりもしましたが、それでもたくさんの幸せな経験ができました」

「そしていまコロナという事態になってクラシック音楽界がピンチになって、自分がやるべきことがあると思うようになりました。音楽家の一人として、自分がいるかぎりやらないといけないことがある。そしてそれができるという自負もある。自分は音楽家として音楽でみなさんとコンタクトできる。そういう気持ちが強くあって、その力を最大限使わないといけないと思うのです」

――その心境の変化はいつごろからでしたか?

「事件後1、2年間は元に戻りたいと思っていました。それまで自分が築いてきたコミュニティがあったので、そこに戻りたかった。でも5年6年とやってきて、徐々に変化していたときにコロナがやってきたんです。それで覚悟が決まりました。私は音楽界のためにできることをやるべきだ。やっていいんだ。かなり大それた言い方ですが、『私はやらせていただきます』。いまはそういう気持ちです」

ゴーストライター騒動から7年 新垣隆「疲弊した音楽界を盛り上げるために、できることは何でもやります」

2015年、東日本大震災被災地の宮城県石巻市内の幼稚園で(提供:東北女川御前支援リボン)

9月に開校(ローンチ)したシブヤ音楽大学は、登録会員1万人を目指して当面の間は無料で講義を提供する(その後は月額980円で提供される予定)。初心者向けの総合講座「アソブ学部」、声楽を主体にしたヴォイストレーニング&独唱、合唱の総合講座「ウタウ学部」、作曲技法や音楽史を学ぶ「ツクル学部」、主に吹奏楽部の学生対象の「カナデル学部」、ミュージカル俳優やオペラ歌手に向けた「トドケル学部」の5学部があり、講師を務めるのは国内と世界の音楽大学を卒業したプロのアーティストたちだ。もちろん新垣隆も「ピアノ即興演奏講座」等の講座を持つ。

振り返ればクラシック音楽は、14世紀以降ヨーロッパを中心に蔓延したペストもきっかけとなったルネッサンス後に勃興した歴史を持っている。ヨーロッパは大航海時代やその後の資本主義誕生で活気づき、ベートーベン以降の音楽家はその活況の中で育ったという見方もある。つまり世界を襲った感染症は、新しい価値を生むきっかけにもなったのだ。いま私たちはコロナとどう立ち向かい、何を生み出すのか? 新垣だけでなく多くのクリエイターたちの取り組みとニューノーマルの行方に、コロナ時代の人類の未来がかかっている。

新垣隆プロフィール

〈にいがき・たかし〉作曲家、ピアニスト、「シブヤ音楽大学」学長。1970年東京生まれ。桐朋学園大学作曲科卒。作曲を南聡、中川俊郎、三善晃の各氏に師事。2000年代に結成された声楽のグループ「アンサンブル・プラス」では、ピアニスト、作曲家として関わり、松平頼暁をはじめとする委嘱作曲家の作品の初演、音楽評論家の鈴木淳史とのコンビによる自身の作品発表などを行う。2014年、ゴーストライター騒動により、桐朋学園の講師を依願退職。2018年に桐朋学園大学講師に復職、2019年からは富山桐朋学園大学院大学特任教授を兼任、2020年には大阪音楽大学客員教授に就任。川谷絵音プロデュースによるポップスバンド「ジェニーハイ」にキーボードとしても参加している。日本現代音楽協会、日本演奏連盟会員。

PROFILE

神山典士(こうやま・のりお)

1960年埼玉県生まれ。信州大学人文学部卒業。96年『ライオンの夢 コンデ・コマ=前田光世伝』(現在は『不敗の格闘王 前田光世伝』祥伝社黄金文庫)にて小学館ノンフィクション大賞優秀賞受賞。2011年『ピアノはともだち 奇跡のピアニスト辻井伸行の秘密』(講談社青い鳥文庫)が全国読書感想文コンクール課題図書選定。14年「佐村河内事件報道」により第45回大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)、雑誌ジャーナリズム賞大賞。「異文化」「表現者」「アウトロー」をテーマに様々なジャンルの主人公を追い続ける。近著に『知られざる北斎』(幻冬舎)。主な著書に『もう恥をかかない文章術』(ポプラ社)『成功する里山ビジネス~ダウンシフトという選択』(角川新書)『ペテン師と天才~佐村河内事件の全貌』(文藝春秋)等。

下り列車の先の未来見据えローカルスペシャリストを養成 「いなフリ」地域マネージャー奈良美緒

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