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今読むべきは進化心理学ベースのビジネス書 人間の本質を描いた2冊の名著(柳瀬博一×水代優)

玉石混交と言われる「ビジネス書」の世界。良書を探す手がかりとして、著名なビジネス書の編集者に「同業者として嫉妬した本」を教えてもらいます。

今回のゲストは東京工業大学で教壇に立つ柳瀬博一さん。前職の日経BP時代に『小倉昌男 経営学』『社長失格』などのロングセラーを世に送り出した編集者としても知られています。

今回柳瀬さんが紹介するのは、言わずと知れた大ヒット作と知る人ぞ知る名著。一見無関係に思えるその2冊に、ビジネスの本質を突くある共通点があるとか。ブックカフェ「Hama House」を経営する水代優さんが柳瀬さんの選書の真意に迫ります。

 

プロフィール

今読むべきは進化心理学ベースのビジネス書 人間の本質を描いた2冊の名著(柳瀬博一×水代優)

柳瀬博一さん(やなせ・ひろいち)
東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。新卒で日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社し、出版局にて『小倉昌男 経営学』『アー・ユー・ハッピー?』『養老孟司のデジタル昆虫図鑑』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。2020年11月に初めての自著『 国道16号線 「日本」を創った道』(新潮社)を刊行。

 

嫉妬した本

今読むべきは進化心理学ベースのビジネス書 人間の本質を描いた2冊の名著(柳瀬博一×水代優) 

〈1〉『FACTFULNESS 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』
ハンス・ロスリングほか著、上杉周作・関美和訳/日経BP/2019年

〈2〉『友達の数は何人? ダンバー数とつながりの進化心理学』
ロビン・ダンバー著/インターシフト/2011年

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水代 柳瀬さんとは日経BPにいらした頃からかれこれ10年来のお付き合いになりますが、今回は柳瀬さんのほうから“逆オファー”をいただきまして。「『ビジネス書編集者が同業者として嫉妬した本』という企画なら僕を呼んでよ!」って(笑)。

柳瀬 そうそう(笑)。だから、今日はこのテーマで水代さんと対談できるのを心待ちにしていましたよ。

水代 そんな柳瀬さんが選定されたビジネス書が『FACTFULNESS』と『友達の数は何人?』。前者は「ビジネス書大賞2020」を受賞したミリオンセラーですね。対する後者は、恥ずかしながら柳瀬さんからご紹介いただくまでは知りませんでした。

柳瀬 ダンバーの本は日本ではそれほど知られていませんが、本当に素晴らしい内容です。それぞれの本の魅力を説明する前に、まずは僕がビジネス書に携わるようになった経緯からお話しさせてください。選書の理由にもつながっているので。

僕が日経BPで書籍編集者になったのは1996年のことです。実は当時、「ビジネス書」には現在ほどスポットライトが当たっていませんでした。いまやあらゆる出版社がビジネス書市場に進出し、新書の多くもビジネス分野がメインターゲットですが、当時はまだまだ本といえば文芸という時代でした。幸か不幸か、書籍編集の経験がなく、先入観のなかった当時の僕には、「ビジネス分野の書籍マーケットがどうやら空いてるぞ」と見えたんですね。

今読むべきは進化心理学ベースのビジネス書 人間の本質を描いた2冊の名著(柳瀬博一×水代優)

水代 1990年代半ばの出版業界では、ビジネス書は今のようなレッド・オーシャンではなかったと。

柳瀬 そうなんです。日経BPは経営と技術の専門雑誌を手がけているので、書籍においてもビジネスのジャンルならば、書籍編集の素人の僕でも何かできるんじゃないか、と思いました。ただ、実はすぐに役立つ実用書のようなビジネス書には興味がなかったんです。では、どんなビジネス書なら、自分が読んでおもしろいと思えるだろうと考えました。

そこで思いついたのが「小説や本格的なノンフィクションのように読み物として、エンターテインメントとしてまずは楽しめるビジネス書をつくってみる」。ビジネスの世界で繰り広げられる知的な実践や生きたストーリーを、そのまま小説のように、本格ノンフィクションのように読ませることができればヒットするのではないかと思ったわけです。

水代 柳瀬さんが手がけられた『小倉昌男 経営学』(小倉昌男)などはまさにそれに当たりますね。

柳瀬 はい。板倉雄一郎さんの『社長失格』もそうでした。逆のパターンもあります。たとえば、個人的に大ファンの三浦しをんさんの小説は、国語辞典の編さん者の世界を書いた『舟を編む』、植物学者の研究ぶりをつづった『愛なき世界』など「仕事」がテーマになっているものがいくつもあります。三浦さんの小説は、ある意味で文学の世界からそれぞれの「仕事=ビジネス」の面白さ、かけがえのなさを描いている。

水代 小説のように物語が入り口だと、ストレートにビジネスを語るよりも読者は感情移入しやすいかもしれません。

柳瀬 そうなんです。本筋のテーマに対して、異なる角度から入り口を設ける。糸井重里さんと一緒に編集させていただいた矢沢永吉さんの自伝『アー・ユー・ハッピー?』もある意味でビジネス書です。

前置きが長くなりましたが、今回取り上げたうちの1冊目『FACTFULNESS』。ミリオンセラーのこの本を選んだ理由のひとつは、まさに入り口の作り方、切り口の鮮やかさにあります。

今読むべきは進化心理学ベースのビジネス書 人間の本質を描いた2冊の名著(柳瀬博一×水代優)

 

ファクトフルネスとは データや事実にもとづき、世界を読み解く習慣。賢い人ほどとらわれる10の思い込みから解放されれば、癒され、世界を正しく見るスキルが身につく。世界を正しく見る、誰もが身につけておくべき習慣でありスキル、「ファクトフルネス」を解説しよう。( 日経BPブックナビより引用)

柳瀬 この本はビジネス書として売れましたが、メイン著者であるハンス・ロスリングは公衆衛生学者であり、スウェーデンの「国境なき医師団」を設立した人物としても知られています。

彼がこの本で扱っているのは、ずばり「進化心理学」であり「行動経済学」です。人間の文明は確実に進歩していて、戦争の犠牲者も貧困も減っている。教育レベルも上がっている。にもかかわらず私たちはなぜかその進歩に目を向けず「世界は実際より怖く、暴力的で、残酷だ」(本書より)と思い込んでしまう。

それは、人間の脳が、少人数の狩猟採集時代からあまり変わっていないためなんです。原始時代に最適化された本能がもたらす認知が、巨大文明がもたらした現在の「ファクト」とミスマッチを起こしている。

本書では、私たちの「本能」を10に分類し、それぞれどんな認知のズレを起こしているのか、とてもわかりやすく、でも、ちゃんと進化心理学、行動経済学に基づいて、解説しています。

水代 「世界は分断されている」と思い込んでしまう「分断本能」、危険でないことを恐ろしいと思い込んでしまう「恐怖本能」……どれも自分に心当たりがあるからグサーっとくるんですよね。「あ~、あるある」と(笑)。

今読むべきは進化心理学ベースのビジネス書 人間の本質を描いた2冊の名著(柳瀬博一×水代優)

柳瀬 でもこの本の内容を、人間の認知と現実との間のズレについてのストレートな学術書にしたら、ここまで売れなかったでしょう。「10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」というサブタイトルがメインテーマへの関心を引き寄せる鋭角な切り口になり、進化心理学、行動経済学の学術書になってもおかしくない内容をミリオンセラーに変身させたのだと思います。

水代 「マインドフルネス」をもじったタイトルや、冒頭で「世界の事実」に関するクイズをたくさん出して、我々がいかに“思い込み”に支配されているかを突きつける演出も効いていますよね。「世界の人口のうち、極度の貧困にある人の割合は、過去20年でどう変わったでしょう?」といった質問を解かせながら読者を徐々に引き込んでいく。

柳瀬 僕にはこのような鮮やかな切り口は出せなかったなぁ。その意味で、こんな本を作りたかったと嫉妬しましたね。

ビジネスは人間の本質を理解することから始まる

柳瀬 実は『FACTFULNESS』を選んだ理由がもう一つあって、それは「人間とはどういう生き物か?」という本質をテーマにしているからです。

ビジネスとは、突き詰めれば貨幣交換を伴う人間と人間とのやりとりです。これが権力を伴うと政治となり、武力を伴うと戦争になる。でも根源的には、人間と人間との営みを延々と行っている。ビジネスを語るうえでも、人間という生き物の感情の持ち方、気持ちの動き方をとらえることが重要になる。それがマーケットの根底にあるからです。

今読むべきは進化心理学ベースのビジネス書 人間の本質を描いた2冊の名著(柳瀬博一×水代優)

水代 確かに『FACTFULNESS』からは、ロジックだけでなく人間の本能を理解することの重要性が見えてきますね。正しいし、理屈も通っているのにうまくワークしない、ということはビジネスの世界でも日常でもよく起こります。その理由を誰でもアクセスできるデータを用いて鮮やかに示してくれる。こんな本はなかなかありませんよね。日本での出版権を取り付けた編集者は相当な目利きですよ。

柳瀬 『FACTFULNESS』を編集した中川ヒロミさんは、 僕の日経BP時代の書籍部門の同僚です。彼女はTEDでのロスリングのプレゼンテーションを聴いて感銘を受け、翻訳権が売り出されたとき、日本では無名の著者だったにもかかわらず、契約しているんです。それが出版の3年前くらいのこと。その鮮やかな仕事ぶりにも嫉妬しましたね(笑)。

水代 それはすごい! 100万部は売れるべくして売れたということなのかもしれません。

数字で「人間」をあぶり出す名著

今読むべきは進化心理学ベースのビジネス書 人間の本質を描いた2冊の名著(柳瀬博一×水代優)

「友達や上手くいく仲間の数は150人まで」「ネットワークは3の倍数で増える」「集団で笑うのはヒトだけ。その理由は……」「キスには進化からみた効用がある」つながりは<脳×進化>で見えてくる。ダンバー教授の超面白・進化心理学。(インターシフトHPより紹介文を要約)

水代 さて、続いて『友達の数は何人?』にいきましょうか。

柳瀬 この本も『FACTFULNESS』同様、「人間とはどういう生き物か?」という本質に迫った名著です。

水代 私も柳瀬さんから紹介されて読みました。人間がお互いに顔がわかって、社会的なネットワークを築ける人数には上限があって、著者の推定で150人だと。

柳瀬 著者のロビン・ダンバーは進化生物学の分野では高名な学者です。ダンバーはさまざまな事例を挙げながら、チームを組むのに適したサイズの正当性を3の倍数、最大150の「ダンバー数」 に見出しています。

このダンバー数、身近な組織にいっぱい見られるんです。たとえば、昔の集落と学校の規模はだいたい似ているんですね。一緒に暮らす家族が5人くらいだとすると、学校のクラスの「班」も4人か5人。

狩猟採集のチームの人数も、スポーツの団体競技の人数も10〜15人程度と同じくらい。そして一つの集落が30〜50人程度ですが、小学校のクラスも同規模です。そして三つの集落が集まると一つの村になります。それが上限150人程度。小学校3クラスで大体同じ規模ですよね。

で、150人くらいまでだと、私たちは無理せずに、全員の顔と名前と性格を覚えられて、一緒にやっていけるんです。つまり、私たちの脳というハードディスクの容量が「150人」なんですね。

今読むべきは進化心理学ベースのビジネス書 人間の本質を描いた2冊の名著(柳瀬博一×水代優)

水代 様々な集団の規模の違いをみると、最も小さな集団から、おおむね×3で徐々に規模が大きくなっていくという話ですよね。ビジネスの組織、古代ローマ軍の基本部隊、新石器時代の集落 ……この本で挙げられているさまざまな集団サイズの事例は、不思議なことに、ことごとく3の倍数に当てはまる。僕の会社の社員数もちょうど15人なので、ダンバーの考え方がよりリアルに実感できます。

柳瀬 人間を含む霊長類、要するに猿の仲間のほとんどは、1匹ではなく集団で暮らすことでサバイバルした種です。集団内でのコミュニケーション力が上がることが生き残りにつながるので結果として大脳が発達する進化を遂げた「集団で暮らす生き物」です。

私たち人間も例外ではありません。1匹狼(オオカミ)に見えるゴルゴ13ですら、銃製造のプロや情報屋など、さまざまな「仲間」がいますよね。私たちはひとりでは生きていけないのです。

でも、大脳という“ハードディスク”の容量とスペックは決まっている。処理できる情報量、つまり仲間の人数には上限があります。その上限値をダンバーは「150人」である、と研究成果からはじき出しました。

「集団の生き物」である人間の特性を、これほど明確にとらえた本はそうはありません。ちなみに、軍事組織の運営から、SNSのマーケティングに至るまで、ダンバー数の概念はさまざまなシーンですでに応用されています。この本の内容もまた、100万部売れる価値がある、と思います。

水代 なぜ、そこまで広がらなかったと思いますか?

柳瀬 先ほどの話にあえて絡めれば、『FACTFULNESS』に比べると、切り口が一般読者にはわかりにくかったかもしれません。「友達の数」というのはいいのですが、サブタイトルには「ダンバー数とつながりの進化心理学」とあって、全体的に学術書に見えてしまう。実はあらゆる人に関係する話が載っているのですが、読者に「私には関係ない」と思われると、マーケットが狭まってしまう。

水代 なかなか難しい問題ですね。

柳瀬 本の中身はまったく変えずに「150」という数字、そして「ダンバー数」というキャッチコピーをタイトルでドーンと目立たせたほうがいいかもしれません。サブタイトルを「人を動かすマジックナンバー」とするとか。

僕のタイトル案の良しあしはさておき、部外者の僕がどうしたらもっと多くの人に届くかをあれこれ考えてしまうくらい素晴らしい本です。『FACTFULNESS』にも見劣りしません。この記事をきっかけに、一人でも多くの人に読んでもらえたらうれしいです。

(構成=堀尾大悟 撮影=小島マサヒロ)

     ◆◇◆

★徳川家康、松任谷由実、ブックオフの共通点とは……? 次回記事では柳瀬博一さんの単著『国道16号線 「日本」を創った道』についてお二人が対談します。記事はこちら

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PROFILE

水代 優

1978年生まれ。愛媛県出身。2002年より株式会社イデーにてカフェやライフスタイルショップの新規出店を数多く手掛ける。2012年にgood mornings株式会社を設立。東京・丸の内や神田、日本橋浜町を始め、全国各地で「場づくり」を行い、地域の課題解決や付加価値を高めるプロジェクトを数多く仕掛ける。

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