頼朝、家康、ユーミン、軍事基地、ブックオフを包括する「国道16号線」 表向きは「郊外」の象徴、実際は首都圏の要衝?

ショッピングモールと田んぼと自動車ディーラーが並ぶ没個性的な道――そんなネガティブなイメージで語られることも少なくない環状道路「国道16号線」。
千葉、横浜、さいたま、相模原の四つの政令指定都市を貫く一方、東京市部をはじめ、都心から離れたエリアを通ることから「郊外」の象徴として見られがちです。
そんな16号線を「ポップカルチャー」「軍」「地形」などのキーワードから読み解き、このエリアの多面性をあぶり出したのが、昨年11月に出版された『国道16号線 「日本」を創った道』。
筆者は東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授の柳瀬博一さん。「小網代の森」(三浦半島)の保全活動を通じて深めた「地形」の知識、前職の「日経ビジネス」記者時代に取材してきた郊外の経済事情、趣味で探求してきたポップカルチャーのルーツ――別々の活動を通じて得たこれらの要素が「16号線」と深く結びついていることを知り、このテーマを掘り下げるようになったとか。
「『日本』を創った道」。タイトルでそう力強く打ち出された国道16号線の多面性とはどんなものなのか。本書を「最近おすすめの一冊」と話すブック・ディレクターの水代優さんが柳瀬さんと語り合います。
プロフィール
柳瀬博一(やなせ・ひろいち)さん
東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。新卒で日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社し、出版局にて『小倉昌男 経営学』『アー・ユー・ハッピー?』『養老孟司のデジタル昆虫図鑑』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。2020年11月に初めての単独自著『 国道16号線 「日本」を創った道』(新潮社)を刊行。
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戦後日本のポップカルチャーは16号線から生まれた
水代 僕と柳瀬さんは10年ほどのお付き合いになりますが、柳瀬さんは出会った当時から「国道16号線」の熱さを語っていた記憶があります(笑)。
柳瀬 そうでしたか(笑)。
水代 ただ、まさか一冊の本になるとは思いませんでした。それほど話題が豊富だったとは思わず。
柳瀬 国道16号線には、多くの日本人にあまり知られていない「ファクト」がたくさん眠っているんですよ。
あらためて説明すると、国道16号線というのは東京の中心部からほぼ30キロの外縁、東京湾をぐるっと取り囲んだ「ほぼ環状道路」です。
神奈川県の三浦半島の走水からはじまり、横須賀、横浜、町田、相模原、八王子、川越、さいたま、春日部、野田、柏、千葉、木更津を経由して、房総半島の富津に到着します(*法律上の起点・終点は横浜市西区)。実延長326.2キロ(総延長348.4キロ)。東京から名古屋くらいまでの距離ですね。
水代 地名を聞く限りでは、横浜などの政令指定都市は別にして、16号線イコール「郊外」というイメージがどうしてもありますね。
柳瀬 これまでメディアでも郊外文化の象徴として語られることが多かったですね。イオンやブックオフ、ディスカウントストアなどロードサイド経済が発展したのも16号線エリア。一昔前は「暴走族」、近年では「マイルドヤンキー」のイメージが強かったりしました。でも、その16号線、たとえば戦後日本のポップカルチャーとりわけ「音楽」の発信源だったんです。
水代 ポップカルチャーの発信源といえば、東京なら渋谷や原宿を思い浮かべがちですよね。本書を読むまで、なぜ16号線エリアに?という感じでした。
柳瀬 16号線沿いの横須賀、横浜、相模原、立川、福生、入間、柏などにあった日本軍の軍事施設は戦後、進駐軍に接収され、大半が米軍基地や米軍施設になりました。そして米軍施設の近くには、米軍人向けにお酒を供し、ジャズやカントリーなどの音楽が楽しめる「進駐軍クラブ」はじめ「音楽の場」ができます。
こうしたクラブやキャンプに出入りするようになったのが日本人のミュージシャンたちでした。その中から、北村英治、ジョージ川口ら日本を代表するジャズミュージシャン、ペギー葉山や伊藤ゆかりなど歌謡曲の人気歌手、ハナ肇とクレージーキャッツといったテレビスターらが数多く表舞台に羽ばたいていきました。
進駐軍クラブの日本人ミュージシャンの中には、演奏する側から次第にバンドマンの派遣ビジネスに軸足を移す人も出てきて、そこから渡辺プロダクション、ホリプロ、サンミュージックなどの芸能プロダクションが誕生しました。ビートルズを日本に呼んだことで知られるキョードー東京の永島達司も、入間のジョンソン基地の将校クラブの支配人を務め、ミュージシャンのあっせん業を行ううちに、外国人タレントの招聘(しょうへい)ビジネスを学んだといいます。
水代 そういう時代を経て、今の我々にとっても身近なミュージシャンたちが16号線エリアから登場するわけですね。
柳瀬 戦後生まれで16号線エリアを舞台に羽ばたいたミュージシャンは枚挙にいとまがありません。大瀧詠一、細野晴臣からEXILEまで。矢沢永吉もそうです。彼の生き様は自伝『成りあがり』に詳しいですが、ビートルズのようなスターを目指し広島から東京に向かった矢沢は、横浜で途中下車します。横浜にビートルズを育んだリバプールの匂いを感じたから、といいます。
京浜急行と16号線が走る町に暮らし、米兵相手のバーなどで歌って力をつけ、後に「キャロル」のメンバーとしてデビューします。彼の代表曲の一つ「レイニー・ウェイ」には、「本牧」「横須賀」「国道」といった下積み時代を過ごした16号線エリアのキーワードがちりばめられています。
松任谷由実(当時は荒井由実)。彼女は早い時期から音楽に目覚め、中学生のころからジャズ喫茶などを徘徊(はいかい)し、ミュージシャンらと交流を重ねていたそうですが、彼女は自著『ルージュの伝言』で自身の文化的ルーツの一つとして米軍基地の存在を挙げています。八王子出身の彼女にとって立川や横田の米軍基地は身近な存在。基地内のお店に出入りして、英米ロックのアルバムを購入し、最先端の音楽を浴びます。
彼女が2006年に発表したアルバムに「哀しみのルート16」という曲がありますが、ルート16とは国道16号線のこと。地元にいたとき、身近な存在であった米軍とこの道から感じ取ったことを歌に織り込んでいるそうです。
矢沢永吉にとってもユーミンにとっても、16号線は単なる道路以上の存在であったのかもしれません。だから歌に昇華した。
水代 戦後日本のポップカルチャーの多くは、16号線エリアの米軍基地から産声を上げたことはわかりましたが、なぜ16号線沿いに米軍基地が集中していたのでしょうか?
柳瀬 旧日本軍の軍事拠点があったんです。それが終戦後、進駐軍に接収されてその大半が米軍基地へと変わっていきました。
水代 後に16号線となるエリアに旧日本軍の基地があった? それはまたなぜ?
柳瀬 カギは「地形」にあります。16号線エリアは、軍事拠点として優れた地形なんです。
三浦半島から横浜にかけてはリアス式海岸で、浚渫(しゅんせつ:水底をさらって土砂などを取り除くこと)しなくても大きな軍艦を停泊できる、“天然の軍港”ともいえる湾があります。首都東京にも近い。かくして三浦半島の横須賀には、明治時代に海軍鎮守府(1876年に横浜に設置され、84年に横須賀に移転)と横須賀造船所(のちの横須賀海軍工廠〈こうしょう〉)が置かれ、日本の海軍の中心拠点になりました。
また、東京を取り囲む16号線エリアは多くの台地が並んでいます。日本最初の飛行場は武蔵野台地の16号線沿いの内側、所沢にできました。その後、旧日本軍により、三浦半島の台地には長井飛行場が、相模原台地には厚木飛行場、武蔵野台地には立川飛行場、横田飛行場、入間飛行場、下総台地には柏飛行場が置かれました。標高があり、真っ平らな台地の地形は、飛行場をつくるのに最適でした。しかも横須賀の軍港同様、首都東京からも近い。

横田飛行場=1966年12月3日、朝日新聞社機から撮影
柳瀬 歴史をさらにさかのぼると、関東一帯がもともと軍事にすぐれた地形だったということがわかります。
平安時代に台頭した武士の武器は「馬」です。馬や騎乗文化は4、5世紀に朝鮮半島から日本に伝来したと言われ、続日本紀(しょくにほんぎ)によれば、6世紀には諸国に馬や牛を育てる「牧」が設けられていたようです。
馬の放牧に適した台地や丘陵地の多い関東は、早くから馬の産地となり、のちに馬術に長(た)けた武士が多く生まれ、強力な武士団が形成されます。その中心が関東に土着した平氏です。
源頼朝は、16号線エリアに点在する関東の平氏たちをまとめあげました。北条氏も三浦氏も平氏です。豊かな台地を背景に馬術を鍛錬したのが関東武士団でした。
三浦氏は、傾斜の険しい山谷が続く三浦半島で馬術を磨き、強力な水軍を擁していました。鎌倉幕府成立に至る源平合戦で無類の強さを誇ったのは、こうした16号線エリアの武士たちでした。
「家康以前の関東はド田舎」という“誤解”
水代 歴史の話で言うと、本書の中で徳川家康について書かれているくだりも面白いですね。後北条氏の滅亡後、秀吉から関東への「転勤」を命ぜられた家康が、自らのカリスマ性を演出するべく、「寂れた江戸をイチから文化的都市に発展させていった」というストーリーを意識的に作り上げた可能性があると。大河ドラマ「真田丸」などでも江戸に入る前の関東が寂れた土地として描かれているけれど、実際は家康が江戸城に入る前から関東南部は十分に文化的だったと考えられるという。
柳瀬 室町時代、太田道灌が江戸城を築城したのは1457年です。目の前の江戸湊は栄え、全国から物資が集まっていたといいます。
水代 江戸時代がはじまる150年近く前からにぎわっていたわけですか。

皇居東御苑内にある江戸城の天守台=東京都千代田区千代田(2011年3月6日、斉藤勝寿撮影)
柳瀬 道灌は現在の首都圏のかたちをつくったと言っても過言ではありません。このエリアの地理的条件を深く理解し、権力と経済の仕組みを具現化するかのごとく、江戸を軸に、それを取り囲む16号線エリアに城を構えていきます。
入間川(現・荒川)沿いに河越城(埼玉県川越市)、旧・荒川(現・元荒川)沿いに岩槻城(埼玉県さいたま市岩槻区/注:1478年成田氏による築城説あり)、入間川と荒川(現・元荒川)と利根川とが合流して注いでいた江戸湾に突き出した岬に築城した江戸城(東京都千代田区)。
他にも、道灌がこの時代に攻め入った城には、鴨居、佐倉など16号線エリアの城がありました。ちなみに、中世の城がある場所には共通する地理的な特徴があります。山・谷・湿原・水辺がセットになった「小流域地形」。この地形は築城にはうってつけなんです。そして同時に、アフリカ大陸で人類が誕生して以来、人間が暮らすのにもっとも適した場所でした。
小流域のてっぺんは見晴らしがよく、洪水に流される心配がない。住居にしろ城にしろ、住まうのにうってつけです。谷の源流はきれいな水が手に入る。谷底の湿原は動物が集まるから狩りをするのに適している。田んぼをつくるのにも最適です。そして流れ出た川は海や大河につながる。船を使えば、他の地域と交易ができます。
16号線エリアは、三浦半島から数々の台地、そして房総半島に至るまで、「小流域地形」がジグソーパズルのように並んでいます。旧石器時代から、縄文時代、弥生時代、古墳時代、そして武士の台頭の時代に至るまで16号線には数多くの人々の暮らしが、遺跡や貝塚、城のかたちで残っていますが、それはこのエリアが「住みやすい」ところだったからですね。
太田道灌は、あまりの才を恐れた主君扇谷定正に謀殺されるのですが、その後に道灌の仕事ぶりをまんまといただいて、関東最大の勢力を築いたのが小田原の北条早雲を始祖とする後北条氏。そして、後北条氏が滅し、首都圏のインフラをすべて手にしたのが、江戸幕府を開いた徳川家康という流れになります。
「鉄道資本主義」によって16号線=郊外のイメージが定着
水代 江戸の街の隆盛は言うに及ばず、明治に入ってからは、富岡製糸場で大量生産された生糸が横浜の港から輸出され、当時の日本のGDPの大半を稼ぐなど、16号線エリアが時代とともに発展していく様子が本書には書かれています。その後、軍事的な拠点となったり、戦後にポップカルチャーを生み出したり、という流れは前半にお聞きしましたが、時代ごとにある種の中心的な存在感を放っていた16号線エリアが、どんな経緯で今の「郊外」のイメージになっていったのでしょうか?
柳瀬 家康が江戸を中心に街をつくり、明治維新が江戸の街の構造をそのまま東京の街づくりに生かしたことで、江戸以前はむしろ現在の東京より栄えた街が多かった16号線エリアは「郊外」に降格しました。さらに大正時代から昭和にかけて発展した鉄道の影響が大きいと思います。
関西の阪急電鉄の小林一三にならって、渋沢栄一と五島慶太(東急)、根津嘉一郎(東武)、堤康次郎(西武)らが首都圏で東京都心からの鉄道の大規模開発を行いました。新宿、渋谷、池袋などの都心にオフィスや商業施設が集積し、そこから16号線エリアに向かって放射状に延びる鉄道網が首都圏一帯に発展していきました。
世界有数の鉄道網を有するようになった首都圏は、オフィスが集中する東京都心に通う会社員がたくさん住む場所となりました。どこに住むか、を考えるとき、第一条件は通勤時間となり、首都圏では給料の額と通勤時間が相関する「鉄道至上主義」に従って、人々は自分の暮らす場所を決めました。都心に近いほど地価が高く、郊外に行くほど安い。つまらないくらいきれいな同心円状に、値段が決まっている。都心から30キロ離れた16号線エリアの街は、通勤に1時間以上かかる「郊外」となり、そこに住む人の多くは毎日満員電車に揺られて都心のオフィスに通うことになりました。
水代 僕たちの世代は生まれたときから現在の鉄道網がほぼ出来上がっていたから、「オフィスは都心、住むのは郊外」ということを、どこかごく当たり前のこととして受け入れていますよね。
柳瀬 戦後の高度経済成長期には16号線エリアでニュータウンの開発が相次いだこともあり、<郊外=ベッドタウン>のイメージを決定づけました。
が、1990年代ころからニュータウンの住民が高齢化して、2000年代に入ると「人口減少」や「孤独死」といった問題が浮上します。一方で、都心の地価下落と規制緩和もあって、湾岸エリアや武蔵小杉などの超高層マンション群に象徴される巨大住宅街が都心にでき、かつて郊外に広がっていた首都圏の人口が、都心へ移動するようになりました。
この表をみてください。昨今の都心回帰は数字にも表れています。
水代 人口が増えたエリアに東京の区が七つも入っていますね。一方で16号線エリアは軒並み減っている。東京でワーストランキングに入っているのは新宿だけですね。
柳瀬 この数字だけみると、16号線エリアを典型とする首都圏郊外は将来的に高齢化と人口減少と共に衰退する一方ではないかと思いますよね。ところが、まったく別の動きがあるんです。
0~14歳の子どもの増減にしぼると、実は近年、東京23区よりも16号線エリアの人口が増えているんです(下図参照)。
水代 千葉県流山市、柏市、印西市、東京都町田市、小平市、八王子市……確かに16号線エリアやその周辺の自治体ばかりランクインしていますね。
柳瀬 この数字は、子育てしやすい環境と東京の便利な環境の両方を求める子育て世帯が、2010年代半ばから16号線エリアを志向していたことを示す「ファクト」です。
そして2020年の新型コロナウイルス感染拡大に伴い、首都圏のより都心に近いエリアから16号線エリアに住もうという人が増えています。
ZOOMをはじめとするリモート会議システムという新しいコミュニケーションツールが普及し、オフィスに毎日通勤する必要が必ずしもない仕事が多いことに、多くの人も企業も気づいてしまいました。つまり「鉄道至上主義」を捨てて、自分が暮らしやすい、と思う場所に住まいを探す人たちが出てきたのです。そんな人たちのなかに16号線エリアの街を選ぶ層が少なくない、というわけですね。
水代 人生の選択基準が「経済」から「ライフスタイル」へとシフトしている流れは、なんとなく感じていました。でも実はコロナ以前から、子育て世帯を中心に16号線エリアの価値が見直され始めていたことが、データからもわかりますね。
柳瀬 1990年『漫画アクション』で連載が始まった埼玉県春日部市が舞台の「クレヨンしんちゃん」で描かれる世界は、16号線エリアの住民の「モデル」かもしれません。当時5歳だった主人公の野原しんのすけは、もしリアルに時間が過ぎていれば2021年の今36歳です。しんちゃんはおそらく地元が大好きだから、大学卒業後に都心の会社で働いて、いったんは春日部を出ても、結婚して子供ができたころだから、きっとふたたび16号線エリアの春日部のどこかに新居を構えているはずです(笑)。
(構成=堀尾大悟 撮影=小島マサヒロ)
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