伝統織物「カゼンティーノ・ウール」にイタリア式サステイナビリティーの源流を見た

【TOP写真:ピッティ・イマージネ・ウオモの会場で撮影した筆者のフォトアーカイブから。ファッション・インフルエンサーのジョルジョ・ジャンジューリオ氏が纏(まと)うのは、カゼンティーノ・ウールのチェストコート。生地の表面に独特な起毛加工が施されている】

鮮やかなコート、君の名は

世界最大級のメンズファッションの祭典である「ピッティ・イマージネ・ウオモ(以下ピッティ)」。2021年1月に催された2021-22秋冬コレクションは新型コロナウイルス感染防止対策で初のオンライン形式となったが、通常はフィレンツェのバッソ城塞(じょうさい)で催されてきた。そのリアル会場では毎回、各国の目利きバイヤーやファッションブロガー、ショップのオーナーなどが、業界人らしく来季のトレンドを意識した装いで集うのが通例である。

毎年、ひときわ人目を引くカラフルな紳士たちがいる。彼らが羽織っているのは「カゼンティーノ・ウール」のコートだ。鮮やかな色彩とともに、表面にはナッピングウールと呼ばれる独特の起毛加工が施されている。毛玉のようにも見えるヴィンテージ感は、たとえ堅い印象のスーツの上に着ていても、たちまち全体の雰囲気をソフトにする。

筆者のフォトアーカイブから。ある年ピッティ会場で見かけた紳士。二人とも色を抑えたセットアップに、カゼンティーノ・ウールの華やかなコートを合わせている

筆者のフォトアーカイブから。ある年ピッティ会場で見かけた紳士。二人とも色を抑えたセットアップに、カゼンティーノ・ウールの華やかなコートを合わせている【もっと写真を見る】

左の男性が着ているコートのカラーが、カゼンティーノ・ウールの代名詞とされるオレンジ色。その誕生には思いがけないストーリーが

左の男性が着ているコートのカラーが、カゼンティーノ・ウールの代名詞とされるオレンジ色。その誕生には思いがけないストーリーが【もっと写真を見る】

作業着にも重宝された頑丈さ

伊達(だて)男たちを魅了するウールの里、カゼンティーノ地方はトスカーナ州アレッツォ県の北部にある。フィレンツェからは東へ50kmほどの距離だ。自転車ロードレース「ジーロ・ディ・イタリア」のコースにもなる標高1000m級のコンスーマ峠を越えること車で約1時間半。目的の村プラトヴェッキオ・スティアは周囲を山々に囲まれた、人口約5600人の穏やかな村である。ここから、いかにして世界にその名を知られるウール生地が生まれたのだろうか。

アレッツォ県北部カゼンティーノ地方の小さな集落。かつて羊毛加工で栄えたスティア(今日のプラトヴェッキオ・スティア)を望む

アレッツォ県北部カゼンティーノ地方の小さな集落。かつて羊毛加工で栄えたスティア(今日のプラトヴェッキオ・スティア)を望む【もっと写真を見る】

旧・羊毛加工場の建屋を改装して開館した毛織物工芸博物館。手前のガラスの中にあるのは、脇に流れる川を使った水力発電のタービン。かつて織機の動力に用いられていた

旧・羊毛加工場の建屋を改装して開館した毛織物工芸博物館。手前のガラスの中にあるのは、脇に流れる川を使った水力発電のタービン。かつて織機の動力に用いられていた【もっと写真を見る】

町にある「毛織物工芸博物館」を訪ねると、館長のアンドレア・ゴーリ氏が自ら案内役を買って出てくれた。一帯では古代エトルリア時代から羊の飼育が始められ、羊毛加工も13世紀末から14世紀には、すでに開始されていたという。

「フィレンツェ中心部を流れる、あのアルノ川の源流を辿(たど)ると、ここカゼンティーノに至ります。羊毛、そして豊富な水源に恵まれた土地に毛織物文化が根付いたのは自然なことだったのです」

カゼンティーノ産の毛織物は防水・防寒性に優れ、かつ頑丈なことから、地元の林業労働者、馬車の御者、さらには厳寒の山間部で行に励む修道士にまで重宝された。中世の封建制度下では、領主への物納品としてもさかんに用いられた。

やがてその評判は、15世紀初頭から一帯を治めていたメディチ家にも伝わる。ただしフィレンツェ共和国の毛織物産業は地元組合が支配していた。外国産の羊毛を使用し、市場で高価格を維持していた彼らにとって、カゼンティーノの安価かつ良質な毛織物は脅威だった。彼らが共和国に働きかけたことで、カゼンティーノの業者は仕事着以外の製品を作ることを禁じられた。

そうした不利な状況が好転したのはメディチ家による支配が終わったあとだった。1738年、ハプスブルク=ロートリンゲン家出身による初のトスカーナ大公は、産業振興を図るため毛織物流通の自由化を決めた。以来カゼンティーノの職人たちも産品をフィレンツェに出荷できるようになったのだ。

プッチーニの伊達も支えた風合い

プラトヴェッキオ・スティアに話を戻そう。かつてスティアと呼ばれた村には1852年、羊毛加工場が設立される。それまで村内のさまざまな場所で、工程ごとに職工たちが行っていた作業場を集約したものだった。場内には外国製織機も導入された。

ゴーリ館長の解説は続いた。「19世紀中盤のことです。赤い染料を製造中に配合ミスが発生しました。ただしその不良品は目を奪われるほど鮮やかな色だったのです」

それこそ、のちにカゼンティーノ・ウールの代名詞となるオレンジ色だった。「偶然にして幸運の産物でした」

表面を石で擦(こす)って起毛させる技法が定着したのは19世紀後半である。その起源には「自然な摩擦で生まれる毛玉にヒントを得た」「17世紀に存在した技法を発展させた」など諸説ある。いずれにせよ毛玉が空気を含んで外気を遮断するため、従来のウールよりも保温性が高められるという、うれしい効果があった。

カゼンティーノ・ウールの特徴のひとつである起毛加工を施す工程。機械で摩擦を加えてできた毛玉は、空気を含んで高い保温性をもたらす

カゼンティーノ・ウールの特徴のひとつである起毛加工を施す工程。機械で摩擦を加えてできた毛玉は、空気を含んで高い保温性をもたらす【もっと写真を見る】

上質な着心地と古着風の見た目というカゼンティーノ・ウールの不思議な風合いは、新しい潮流に好奇心を隠さぬ上流階級たちや文化人に注目された。いずれもオペラ作曲家であるジュゼッペ・ヴェルディやジャコモ・プッチーニにも愛された。とくに、人一倍ダンディーな装いにこだわっていたプッチーニが、カゼンティーノのコートを羽織り、町を闊歩(かっぽ)していた姿は容易に想像できる。

スティア村における織物産業は20世紀に入っても発展を続けた。第1次世界大戦末期には約500人が加工場で働き、136台もの織機が轟音(ごうおん)を上げていたという。

第1次世界大戦末期の羊毛加工場で働く人々(写真提供 / Museo dell’Arte della Lana)

第1次世界大戦末期の羊毛加工場で働く人々(写真提供 / Museo dell’Arte della Lana)【もっと写真を見る】

順路の途中でゴーリ館長が指さした先を目で追うと、一着のコートが飾られていた。1961年のアメリカ映画『ティファニーで朝食を』でオードリー・ヘプバーンが着用したコートと同じスタイルだ。カゼンティーノ・ウールは不朽の名作で名女優と“共演”していたのだ。

オードリー・ヘプバーン主演の映画『ティファニーで朝食を』で彼女が着用したのは、カゼンティーノ・ウールで仕立てたコートだった

オードリー・ヘプバーン主演の映画『ティファニーで朝食を』で彼女が着用したのは、カゼンティーノ・ウールで仕立てたコートだった【もっと写真を見る】

その伝統は、古くて新しい

こうしてイタリア屈指のウールの町となったスティアだが、1960年代後半から始まったイタリア経済の停滞はその成長に暗い影を落とし始めた。やがて1985年に加工場は倒産。博物館は旧加工場棟を用いたものだ。

幸い伝統的技法は、今日も数軒の地元生産者が「カゼンティーノ・ウール生産者ネットワーク」を組織し継承している。冒頭のピッティ紳士たちが着用しているコートの生地も彼らによるものだ。

ここに紹介する「タックス(T.A.C.S.)」は、前述の加工場で働いていた元・職工が創業した毛織物工房だ。併設された直営店には、先述のオレンジと並ぶ伝統色とされるグリーンのコートも置かれていた。20世紀初頭イタリアを代表する詩人ガブリエーレ・ダヌンツィオは、その2色を「“夕日の炎”と“アレッツォの森の緑”」と例えている。それぞれ裏生地に反対色を合わせるのが伝統だ。

プラトヴェッキオ・スティアのタックス社にて。「この2色が伝統的カラー。かつては男性がオレンジ、女性はグリーンを着る風習がありました」とスタッフのパオロさん

プラトヴェッキオ・スティアのタックス社にて。「この2色が伝統的カラー。かつては男性がオレンジ、女性はグリーンを着る風習がありました」とスタッフのパオロさん【もっと写真を見る】

彼らは世界の著名ファッション・ブランドのために、生地の状態でも供給を行っている。いにしえの技法を守りつつも、伝統に甘んじないものづくりに挑んでいるのだ。たとえばカラー・バリエーションは40色以上におよぶ。ストックルームには世界各地への出荷を待つ、おびただしい色数のロールが並んでいた。

タックス社のストックルームにて。おびただしい数のカゼンティーノ・ウール

タックス社のストックルームにて。おびただしい数のカゼンティーノ・ウール【もっと写真を見る】

スタッフによれば、直営店の得意客のなかには、買い求めたコートを何世代にもわたって着続けている家族がいるという。手入れをしながら使い続け、次世代へと残すイタリアの伝統的モノ文化を象徴する話だ。

実際、ピッティ会場でも「コートとジャケットは祖父から譲り受けたもの。カーゴパンツだけが今年の新作です」といったファッショニスタにたびたび出会う。おしゃれ上級者になるほど全身を最新アイテムだけで揃(そろ)えず、絶妙なミックスを楽しんでいるのだ。

2021年1月のオンライン版ピッティでは、多くのブランドが前時代的マテリアルの消費から脱却して、サステイナブルなプロダクトへとシフトしていることが明らかになった。上質で耐久性に優れ、かつタイムレスな美しさを兼ね備えたカゼンティーノ・ウールは、そうしたムーブメントの源流といえよう。

(写真/Mari OYA)

    ◇

Museo dell’Arte della Lana:www.museodellalana.it
T.A.C.S : www.tacs.it

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PROFILE

大矢麻里 Mari OYA

イタリアコラムニスト。幼稚園教諭、大手商社勤務を経て1996年からシエナ在住。現地料理学校でのアシスタント経験をもとに執筆を開始。NHKテキスト『まいにちイタリア語』など連載多数。NHKラジオリポーターも務める。著書に『イタリアの小さな工房めぐり』(新潮社)、『ガイドブックでは分からない 現地発!イタリア「街グルメ」美味しい話』(世界文化社)などがある。

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