インタビュー

「傲慢さに絶望しながら、それでも人間を信じている」 マヒトゥ・ザ・ピーポー、怒りと光の相克

その男はいつも通り全身真っ赤なファッションに身を包んで現れた。パンクバンド「GEZAN」のフロントマン、マヒトゥ・ザ・ピーポー。2010年代の日本の音楽シーンで頭角を現し、小説家としても注目を集める多才な表現者だ。

昨秋、エッセー集「ひかりぼっち」を出版。「いつ、どの部分を遺書として切り取ってくれても構わない」と言い切るほど自身の内面と正面から向き合った本書には、彼の社会に対するいらだちや大切な人への思いが心のままにつづられている。

迫り来る絶望に飲み込まれず、怒りを「光」に変えて生きていく。そう誓う彼の目に、今の世の中はどう映っているのか。

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誰もがひとり それを認めた先にしか社会はない

――タイトルの「ひかりぼっち」にはどんな意味があるんですか?

マヒトゥ・ザ・ピーポー(以下、マヒト) 正直に言うと明確な意味はないです(笑)。ただ一般的に「ひとりぼっち」はさびしい言葉というか、ネガティブに認識されている。でも俺はそう思わない。だって人間は誰しも裸でひとりで生まれてくる。人生という旅の過程でたくさんの「初めまして」があって、同じ数だけ「さよなら」する。友達や恋人はもちろん、肩書も財産もお墓の中には持っていけない。生まれた時と同じように、裸でひとりで帰っていく。つまり人間はどこまでいっても「ひとりぼっち」。人生ってそれを受け入れることから始まると思うんですよ。「ひかりぼっち」は「ひとりぼっち」を肯定する言葉、さびしげなニュアンスをアップデートできたらと思って作った言葉なんです。

「傲慢さに絶望しながら、それでも人間を信じている」 マヒトゥ・ザ・ピーポー、怒りと光の相克

 

――“人間はどこまでいってもひとりぼっち”と感じるようになったのは、なぜですか?

マヒト というより「みんな」に対する漠然とした違和感が子供の頃からずっとありました。小学生の時、グラウンドで背の低い順から並んで「前へ倣え」をさせられることや、サッカー日本代表の試合で全員が日本を応援しなきゃいけない空気感とか。俺は昔から赤が好きだったから、赤いユニホームの中国や韓国を応援していた(笑)。そういう些細(ささい)な違和感が積み重なった結果、自分は「みんな」の中に入っている気がしないな、と感じるようになっていた。結局「みんな」「日本人」「渋谷区民」「男性」「女性」……そういうのって、世の中の整理をするための記号でしかない。

――実際にはそれぞれが「ひとり」である、ということですね。

マヒト うん。そこを認めた先にしか、社会なんてない。

――本書の中で特に印象的だったのは、マヒトさんがGEZANのアメリカ西海岸ツアーで目のあたりにした差別でした。ネイティブアメリカン、黒人、白人。「正義がたくさんあって困る。やさしさに種類があって困る。好きな人がいっぱいで悲しくなる」という文章にその複雑さが集約されているように感じました。

マヒト 最近、「線」がもたらす分断についてすごく考えていて。国境、白と黒、右と左、その他もろもろ。今、世界を取り巻くあらゆるものが記号で暴力的に区切られ分断されている。そんな時、オノ・ヨーコさんの作品を知りました。白い紙に一本の線が引かれていて、その下に「This line is a part of a very large circle.(この線はとても大きな円の一部です)」と書かれている。まっすぐに見える線も実はちょっとだけゆがんでいて、視点を地球レベル、宇宙レベルに引いていくと円になる。つまり俺らがいる世界には何かを隔てる直線なんてない。生と死すらね。すごく感動して希望を持つことができた。

「傲慢さに絶望しながら、それでも人間を信じている」 マヒトゥ・ザ・ピーポー、怒りと光の相克

――アプローチは違いますが、その感覚はGEZANのアルバム「狂(KLUE)」の収録曲「赤曜日」で歌われている「imaginationだけの連帯」という言葉にも通じると思います。音楽や芸術に触れて感動が湧き上がる瞬間をその場にいる人たちと共有し、そこに生じる共感に希望を見出す姿勢というか。

マヒト なるほど。さらに言えば俺が主催している「投げ銭」システムのフェス「全感覚祭」(*)にも通じています。このフェスの会場には入り口も出口もないんですよ。お金が有る無しにかかわらず、誰でも自由に出入りできる。あったかいご飯もある。経験上、そういう空間は楽しい空気に包まれていて友達を作りやすい。バカっぽいけど(笑)。

良い気が流れている場所でいろんな考えのいろんな人とつながると、世の中の出来事の捉え方が変わってきます。何か問題が起きた時、その物事を概念ではなく当事者として考えることができるようになる。「全感覚祭」のような場を作ることは、誰もがそういう感覚を獲得するための近道だと思っているんですよ。

GEZANの自主レーベル「十三月」が2014年から開催している音楽イベント。入場料は無料で、飲食店からもフードが無料で提供される。イベントの運営費は、事前の募金、クラウドファンディング、来場者からの「投げ銭」で賄われている。

――どういうことでしょうか?

マヒト 例えば、俺は在日・韓国朝鮮人に対するヘイトスピーチを耳にするとはらわたが煮えくり返る気持ちになる。あれを素通りできる人とできない人の違いは、実際に思い浮かぶ顔があるかどうかってことだと思う。ブラック・ライブズ・マターも同じ。海の向こう側で起きている「人種差別への抗議運動」という概念として聞くか、差別されている友達の顔が浮かぶのかで捉え方が変わってくる。俺は音楽を作って演奏しているから、その中でできることは「場」を作ることなのかなって思う。もちろんそれだけが目的ではないけど。ただ、いろんな考えの人が一つの空間にいて、同じ月を見ていることの持つ力に可能性を感じているんです。

 

「傲慢さに絶望しながら、それでも人間を信じている」 マヒトゥ・ザ・ピーポー、怒りと光の相克

――マヒトさんは「わかりあえない人と人/でも同じ月を見てるんだろう?」と歌っていますよね(アルバム「狂(KLUE)」の最終曲「I」)。多様な人が集まる空間はわかり合えない人との遭遇が付きものですが、マヒトさんはわかりあえない相手との間に線を引くのではなく、そういう相手が自分と同じ空間にいることも受け入れている。でも、人と人がわかり合えないことも認めている。

マヒト うん。ひとりぼっちを受け入れるってそういうことだから。でも孤独は決してただ寂しいものではない。俺は友達にも恋人にも変な意味ではなく期待してない。離れていくなら離れていく。ただそう見てる。

でも、結局のところ、一度出会っちゃった人とはずっと生きていくことになる。もちろん離れることはある。それに近くにいるから一緒に生きているってわけではない。一般的に「一緒に生きている」というと、目と目が合っている絵を想像しがちだけど、お互いが逆側を向いていても同じ世界を生きていることに変わりはない。「出会い」の強度には勝てない。オノ・ヨーコさんの話じゃないけど、一度出会ってしまった人とは、大きな円の回転の中でまた目が合ったりして、引力が再びお互いを近づけるかもしれない。離れたままの人も、その構図の中にいる。

迫り来る絶望 怒りを「光」に変えて行動する

「傲慢さに絶望しながら、それでも人間を信じている」 マヒトゥ・ザ・ピーポー、怒りと光の相克

――繊細な感性で世の中と対峙(たいじ)していて、気持ちが破綻(はたん)してしまうことはないですか?

マヒト 俺が好きなアーティスト、例えば鈴木ヒラクくんは「人間は今の環境を作っているのも壊しているのも自分たちだと思っている。その傲慢(ごうまん)さに嫌気がさす。もはや鳥たちに絵を見てもらいたい」と言っていました(笑)。同様の違和感や怒りは自分にもある。だけど、俺もヒラクくんもパーセンテージの大小はあるにせよ、どこかで人間を信じて、期待している。

だから今の社会に対して絶望することがあっても、怒りに任せて行動するのではなく、怒りを「光」に置き換えてコミュニケーションするんです。それはうそというか、ファンタジーではあるんだけど、うそをつくくらい、人間に対して諦めてないんです。ただ、俺にも「もののけ姫」に出てくるタタリ神のように怒りを原動力にしかねない可能性はある。そうなりたくない。光にしがみついている状態ですね。

――それは本書の最後に書かれていた「決して怒りに取り込まれないで。戦う時は光で武装するんだよ」というテキストにつながることですね。同時に「絶望はやたら足が速い。追いつかれないでほしい。仮に追いつかれても一休みしたらまた走らなくてはならない」という文章に優しさと強さを感じました。

マヒト 俺だって普通に気持ちのアップダウンはありますよ。休憩もしますし。昨日なんて風強くて、気圧低くて、「世の中なんて消えて無くなれ」って思っていました(笑)。誰かを傷つけるのはだめだけど、俺は揺れや混乱も含めて人間の姿だと思っている。世の中への違和感や正しさを潔癖症的に突き詰めていくと、究極的には神様かAIにしかたどり着けない世界になっていく。そんな全く血が通っていない世界になるのはどうかと思う。俺は自分なりに誠実に生きていくことだけを考えていますね。

「傲慢さに絶望しながら、それでも人間を信じている」 マヒトゥ・ザ・ピーポー、怒りと光の相克

――確かに常に人間が清廉潔白でいることはまず不可能ですからね。

マヒト そうそう。渋谷の宮下公園がMIYASHITA PARKになっていく過程で、そこにいたホームレスが追い出されてしまいましたよね? 俺はそれを批判的に捉えていたけど、ある友達は「何も言えない」と言うんです。話を聞いてみると、渋谷区の再開発で失業中だったその人のお父さんに仕事が与えられたらしくて。同じことは原発の作業員にも言えるし、俺が経験した差別の現場にも通じるけど、物事にはいろんな側面がある。一つの側面からすべてを語ることはできない。だからいろんな人と出会うことには強い意味があるし、毎回その場所に立って、考えて、自分にとっての正しさを1回ずつ考える。役割とか概念みたいな記号に左右されるんじゃなくて。すべての言葉に体温があるほうがいいなって思います。

(文=宮崎敬太、撮影=南阿沙美)


マヒトゥ・ザ・ピーポー

1989年生まれ。2009年に大阪で結成されたバンドGEZANのフロントマンとして音楽活動を開始。14年、青葉市子とのユニットNUUAMMを結成。また同年から完全手作りの野外フェス「全感覚祭」を主催。18年、GEZANのアメリカツアーを敢行し、スティーヴ・アルビニをレコーディング・エンジニアに迎えたアルバム「Silence Will Speak」を発表。19年5月に初の小説『銀河で一番静かな革命』(幻冬舎)を刊行、6月にはGEZANのドキュメンタリー映画「Tribe Called Discord」がSPACE SHOWER FILM配給で全国上映。バンドとしてはFUJI ROCK FESTIVALのWHITE STAGEに出演。20年1月、5th ALBUM「狂(KLUE)」をリリース。豊田利晃監督の劇映画「破壊の日」に出演した。

 

書籍情報

ひかりぼっち
マヒトゥ・ザ・ピーポー 著、佐内正史 写真/イースト・プレス/1650円(税込み)

「傲慢さに絶望しながら、それでも人間を信じている」 マヒトゥ・ザ・ピーポー、怒りと光の相克

あなたがあなた自身である限り、誰にも負けることはない。GEZANマヒト、時代のフロントマン。眩しいだけじゃない光の記録。

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