十手十色

世界でたった一つの時計を1年かけて手作りする 菊野昌宏

  • 文・加藤千絵 写真・小林浩志
  • 2017年5月30日

腕時計の小さな空間にいかにうまく必要な部品を詰め込めるかを考えるのがおもしろい、と菊野さん

  • 2015年に発表した「和時計改」に金細工をほどこした特別な1本は、時計コレクターからの注文を受けて制作。値段は2000万円を超える

  • 木の板の上での細かい作業は、江戸時代から変わらないスタイルだという

  • 手先は器用。幼いころからプラモデルやレゴブロック、ミニ四駆などが大好きだった

  • いつかこうした旋盤すら使わず、江戸時代のように糸鋸(のこぎり)とやすりだけで時計を作ってみたい、と菊野さん

  • 金属を煮込んでさまざまな色を表現するなど、素材まで神経を行き渡らせている

  • 今年3月に開かれた時計と宝飾品の見本市「バーゼルワールド」で発表した新作「朔望(さくぼう)」。非常に高い精度で月の月齢を表示するメカニズムを搭載

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 家を建てるのも車をつくるのも、人の手で、まして一人の手で完成させるのはむずかしい。小さな腕時計だってそうだ。コンピューター制御の機械で精緻(せいち)な部品を作り、それを分業化、専業化した人が組み立てていく。でも、世界にはほんの少しだけ、どのメーカーにも属さず個人で時計を手作りしている「独立時計師」と呼ばれる人がいる。菊野昌宏さんが励まされたのは、まさにそんな人たちの存在だった。

機械式時計はなぜ存在するのか

 最初から時計に興味があったわけではない。ただ器用な手先を生かして、「レゴブロックを好きに組み立てるように」アイデアから完成までを一人でできるような、ものづくりの仕事がしたかった。とはいえ具体的なイメージはなく、高校卒業後は自衛隊に入り、銃の整備に携わった。そんな時、ふと上司がしていた機械式時計が目に留まる。「その頃、僕の時計といえば自衛隊の売店に売っていた千円くらいのデジタル時計で。機械式時計というものを初めて知って、なんでこんなに(値段が)高いんだろう、っていうのが疑問でしたね」

 ただ正確な時間を知るだけだったら、クオーツ時計で十分だ。究極的な精度を求めるなら、電波時計だって原子時計だってある。ならばなぜ、機械式時計が存在するのか。「やっぱり精度以上に魅力を感じる部分があるからですよね。機械やメカニズムの美しさもあると思うんですけど、僕自身は実際に使ってみて、職人が時間をかけて部品を丁寧に磨き上げるような、“人”が見えるところに魅力を感じたんです。そこに機械式時計の存在意義があるんじゃないかと。だから自分も時計のできるだけ全部を作って、作り手の思いを込めたい。ひとりの人間がここまで作り上げることができるんだぞ、っていうことを時計で表現したいなって思ったんです」

時計職人になるために専門学校へ

 自衛隊をやめて地元の北海道を離れ、時計の専門学校に入学するために上京。しかしそこで教えられたのは時計の修理の仕方だった。そもそも「個人で時計を一から作る」という発想が突拍子もないために、作り方を教えてくれる学校がなかった。それでも菊野さんはイギリスの独立時計師が書いた「ウオッチメイキング」という本にしがみつき、独学で技術を身につける。できあがった作品は、とあるスイスの時計職人に注目され、それをきっかけに世界で数十人しかいない独立時計師の仲間入りを果たした。

 菊野さんが主に手掛ける時計は、日本独自の和時計をモチーフにしたものだ。1日を昼と夜に分けてそれぞれを6分割する「不定時法」を採り入れたもので、季節によって変化する昼と夜の長さを自動で調整するという複雑な仕組みを、腕時計という小さな空間に閉じ込めている。その仕組みを考えて設計図を引き、どんな素材の、どんな部品がいくつ必要かを計算し、顕微鏡をのぞいて小さな歯車やネジの1本まで手作りし完成させるまで、もちろん自分ひとりの作業だ。

 「僕の仕事は非効率なので作れる数が非常に少ないですし、もうかりもしないです」と菊野さんは笑う。いま注文を受けて取り組んでいる時計など、1年かけて1本しか作れない。でも1人の人間が1年という時間を注いで作る時計の価値を見いだしてくれる人と、世界でたった一つのものを作ることができる。ものづくりの効率化が進みゆく時代、大量消費社会の果てに人が求めるのは、もしかしたらこんな地道な手仕事なのかもしれない。「非常にエコロジーですよ。無駄もないです」

    ◇

きくの・まさひろ 1983年生まれ。高校卒業後、自衛隊に入隊するが機械式時計の魅力を知り、時計づくりの道を志す。専門学校に在籍中に和時計をモチーフにした最初の腕時計を作るとスイスの独立時計師の目に留まり、それをきっかけに時計師として自立する。これまで手掛けてきた時計の詳細、注文などの詳細はホームページで。

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PROFILE

加藤千絵(かとう・ちえ)ライター

東京外国語大学スペイン語学科卒業。約9年間、朝日新聞の夕刊や別刷りに執筆し、2012年以降は&Mの「ブラボー★NIPPON」をはじめウェブや雑誌、書籍などで活動する。週末はもっぱらサッカー観戦。趣味の俳句は今年で句歴10年を迎える(が上達にはほど遠く)。岐阜県出身。

小林浩志(こばやし・ひろし)写真家

株式会社新建築社で編集部、写真部を経て独立。建築写真、デザイン、出版を主とした株式会社スパイラル(http://photo-spiral.co.jp/)を設立。以降、黒川紀章をはじめ、日本を代表する建築家の作品写真や書籍のデザイン、編集など精力的に活動している。

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