ありのままの20代

『野ブタ。をプロデュース』の大ヒットがもたらした栄光と苦悩

  • 文・白岩玄
  • 2018年3月2日

 『野ブタ。をプロデュース』という作品は知っていても、白岩玄という作家を知らない人は多い。20代のあいだ、ぼくはそれがコンプレックスだった。特に20代の前半は、自分の人気をいつも気にしていて、ネットで自分の名前や、本の感想を検索しては一喜一憂していた。なんというか、ちょっとバカみたいな言い方になってしまうが、ぼくは人気者になりたかったのだ。ちやほやされたかったし、承認欲求を満たしたかった。

 21歳で作家デビューしたとき、ぼくは自分が同年代の人たちよりも一歩抜きんでた存在になれたような気がしていた。周りが大学生ばかりで将来もまだ明確に見えていない中、文章を書くという自分の得意とすることで、社会的に認められたのがうれしかった。

 あとは、自分自身が注目されるようになったことにも幸せを感じていた。初めて書店のあいさつ周りに行ったときのことを今でもよく覚えている。入ってすぐのところに自分の本がずらりと並んでいて(地元の京都だったこともあり、強力にプッシュしてくれていたのだ)、その棚の前では、すぐ側に著者本人がいることを知らない、若い女性客がぼくの本を立ち読みしていた。その光景を見たときは、今までに感じたことのない喜びがあふれてきたし、気恥ずかしかったけれど、しばらくのあいだ、にやにやが止まらなかった。

 ただ一方で、作家になったことには戸惑いも感じていた。小説の新人賞に応募したのはまぎれもなく自分なのだけど、当時のぼくは受賞後のことを何も考えていなかった。自分が作家になるなんて思ってもみなかったし、文芸の世界に特に興味があったわけでもなかったから、この先ずっとこの仕事を続けていく覚悟ができていなかったのだ。

 だから編集者と初めて会ったときも、「2作目は書いていますか?」と聞かれて言葉に詰まった。書いていないどころか、書かなければいけないということすら頭になかったからだ。

テレビドラマ化を望んだ偽らざる本音

 芥川賞の候補になったときも、同様の喜びと戸惑いがあった。あれは事前に候補にしてもいいかを確認されるのだけど、ぼくはその連絡が来たときに、すぐにでも「よろしくお願いします」と言いたかった。でも、どこかで、それがあまり褒められたものではない食いつき方であるとも感じていた。

 たしかにぼくは、綿矢りささんと金原ひとみさんの芥川賞のニュースを見て、うらやましさを感じた人間だけど、別に作家としてやっていくことを目指していたわけではない。

 おまけに、ぼくは文学というものにかんして、まったくと言っていいほど知識がなかった。候補作になった自分の小説を書いているときだって、文学のことなんか1ミリも考えていなかった。そんな人間が仮にも日本で一番有名ともいえる文学賞の候補になるのは、なんだかすごく間違ったことであるように思えたのだ。

  

 それでも、ぼくは候補にしてもらうことを選んだ。芥川賞の候補になれば、今よりも注目されるのは明らかだった。本はもっと売れるだろうし、「すごいね」と言ってくれる人も増える。だから周りには「その方が出版社の人も喜ぶから」ともっともらしい言い訳をして、候補になることを承諾した。

 結局のところ、当時21歳だったぼくの関心は、自分がどれくらい人気を得られるかにしかなかったのだと思う。2005年に著作がドラマ化されたときもそうだった。映像化の依頼があった際、ぼくは、映画化やテレビドラマ化など、複数あった選択肢の中からテレビでの連続ドラマ化を希望した。

 ドラマ化を望んだ理由は二つあった。ひとつは、話題性を維持するためには、できるだけ早く映像化される必要があると思ったから(映画化だと少なくとも1年以上先になる)で、もうひとつは、オファーがあった時点で、主演をジャニーズの子たちが務めることがほぼ決まっていたからだった。情けない話だが、作品にとって映像化がいいか悪いかなどという大人な考えはできなかった。

 そして結果から言えば、ドラマ化は大正解だった。ドラマの制作者たちが愛情をかけて作ってくれたこともあり、13年経った今でも「あれはいいドラマだった」と言ってもらえる、本当に魅力のある作品ができあがった。本の売り上げは何倍にもなったし、主題歌の『青春アミーゴ』はミリオンセラーを達成した。

ドラマ化成功も“副作用”に苦しむ日々

 ただ、ぼく個人のことで言えば、自分の虚栄心がおおもとにあったために、副作用のようなものに苦しむことになった。ドラマ化によって有名になったのは、『野ブタ。をプロデュース』という作品名であって、ぼく自身ではなかったのだ。

 会う人会う人から、「ドラマ見ました!」と目を輝かせて言われる。そういう人は、たいがいぼくが書いた原作の小説を読んでいない人たちで、そのたびに、ぼくは他人に贈られるべき賛辞を、自分が浴びているような気持ちになった。

 でも、それにもかかわらず、ぼくはそのドラマの知名度を、さも自分のものであるかのように考えてしまっていた。いや、正確には、自分の功績ではないとわかっていたのだが、自分のメンツをたもつためにも、ドラマの人気は自分とイコールなんだと思いたかったのだ。

 そしてその埋めがたい人気の差を縮めるために、「自分の書いた原作がなければ、このドラマは生まれなかったんだ」と女々しいことを思っていた。

  

 なぜそこまで人気にこだわっていたのか。それはたぶん、自分に自信がなかったからだ。ぼくは文章を書くことに自信はあったけれど、自分が満足できるような自己肯定感を得るためには、他人からの称賛が必要だった。

 でも、そんなもので自分を肯定したところで、幸せになれるわけじゃない。むしろますます孤独になって、自信を失っていくことになる。そのことに気づいたのは、ドラマが放送されてから一年以上も経ったあとのことだった。ぼくはなんでも気づくのが遅いのだ。(次回へ続く)

連載第1回「無知の強さ」はこちら

[PR]

この記事を気に入ったら
「いいね!」しよう

今、あなたにオススメ

Pickup!