天才人語

真の天才は「〇〇力」を備えている! nendo佐藤オオキ、変化の時代の天才像を語る

  • 2018年4月26日

  

 建築やインテリア、プロダクト、グラフィックなど、多岐にわたるジャンルでデザインを手がけ、数々の世界的なデザイン賞を受賞。Newsweek誌「世界が尊敬する100人」に選出された経験も持つ。デザインオフィス「nendo」を率いるデザイナー、佐藤オオキ氏だ。

 自身が影響を受けた天才は? そう尋ねると、ファッションブランド「ISSEY MIYAKE」の三宅一生氏の名前が返ってきた。

 希代のファッションデザイナーに宿る天才性とは――。佐藤氏が独自の視点で語る。

三宅一生

70年に三宅デザイン事務所を設立し、翌年にブランド「ISSEY MIYAKE(イッセイ ミヤケ) 」としてニューヨークにて初のショーを行う。73年以降はパリを拠点に毎シーズンのコレクション発表をスタートさせた。当初から現在に至るまで『一枚の布」という発想を基軸に、一本の糸からオリジナルの素材を開発しながら独自の衣服を提案し続けている。2010年に文化勲章、2016年フランス・レジオンドヌール勲章最高位コマンドールを受章。

ゴールはひとつではないと気づかせてくれた人

——佐藤さんの考える天才について事前にお尋ねしたところ、三宅一生さんのお名前が挙がりました。お二人の関係を振り返ると、三宅さんがディレクションを務めた、2008年〈21_21 DESIGN SIGHT〉(編注:東京ミッドタウン内のデザイン専門施設)の1周年記念展「XXIc. -21世紀人」で、佐藤さんが「cabbage chair」という椅子をデザイン、出品されていますね。

佐藤オオキ(以下、佐藤) 展示の4、5年前、一度パーティーでお目にかかってごあいさつしたことがあったんです。そうしたら2007年に突然、携帯へ電話がかかってきて、「『PLEATS PLEASE』(編注:ISSEY MIYAKEの独自製法による素材およびシリーズ)のアイテムにプリーツ加工を施す過程で、大量に紙を廃棄してしまっているのが悲しい。その紙を使って椅子を作れないだろうか?」と。その翌日には事務所にお伺いしてプロジェクトが始まりました。

  

——いきなり三宅さんのペースに巻き込まれたんですね。

佐藤 まさに。なぜ携帯の番号をご存じだったのかは今もってわかりません(笑)。「PLEATS PLEASE」の製造工程では、布に熱い蒸気をあててプリーツ加工を施しますが、このときに直接熱があたると布が傷むので、両サイドから薄い紙で挟みます。

 一生さんがもったいないとおっしゃっていたのはこの紙のことで、捨ててしまう物にもう一度命を与えてほしいというリクエストでした。そこから、アイデアを持って行ってはプレゼンし、持ち帰り……というやりとりを経て、「cabbage chair」に至りました。とはいいつつも、実際にはデザインらしきことは何もしていない。工場から捨てられた状態のロールをただ、座れるような形にむいただけですから。

「cabbage chair」(写真:林雅之)

  

大量に束ねた紙をロール状にして、それを一枚一枚むいていくことで出来上がる造形が美しい(写真:林雅之)

「cabbage chair」のカラーのバリエーション(写真:林雅之)

——これが椅子!? という意外性と、ひと目見たら忘れないインパクトがあります。デザインのプロセスはどんなものでしたか?

佐藤 僕らが案をプレゼンしては、一生さんが「うーん、なんか違うな……」というような感じで、行きつ戻りつやりとりを重ねました。そうしていろんな案を経由して「cabbage chair」にたどり着いたときには、「うん、これだ!」と。そこで突然完結したのですが、それは僕にとってはかなり衝撃的な経験でした。

 僕は建築設計を学び、デザイナーとして仕事をしていますが、どちらも基本的にはまずゴールありきの考え方なんです。目指すものがあって、そこから逆算するような感じで模型を作ったり、CGを作ったりしていく。最短ルートでゴールへたどり着くことが大切だし、それがプロのクリエーターだという教育を受け、実践してきた。

 ところが一生さんがやっていることは全くの逆です。ゴールなど設定せずにとにかく走り出して、「できた!」と感じたらそこで終了する。それまで僕は、ゴールは一つだと信じてきたけれど、実は一つではなくて、いろんなゴールがあるのかもしれない。たとえば何か問題があって予定通りの道筋がたどれなくても、新たに通ることになった道に違う面白いゴールがあるんじゃないか……。そうだとするならば、デザインって本当に面白いな、と。なんだかふっと肩の荷が下りるような気がしたのをよく覚えています。とても貴重な体験でした。

——三宅さんは、ゴールを目指すのではなく、プロセスそのものを楽しむ方なんですね。

佐藤 幾度ものミーティングを通じて本当に印象的なのが、一生さんがとても楽しそうにしていらしたこと。一生さんの会社には、もちろん優秀なスタッフが大勢いらっしゃるけど、一生さんがその場にいる誰よりも生き生きとしているようにお見受けしたんです。エネルギーに満ちて、物作りに夢中な子供のようで……。こんなに楽しそうにされたら、僕は負けてしまうなあ、自分ももっと楽しまなくちゃいけないなと打ちのめされました。

“天才風”と“真の天才”を分けるもの

——並ならぬ功績あってなお、全力で楽しんでいる、と。

佐藤 そうなんですよ。もちろん、デザイン界、ファッション界における大きな功績にも打ちのめされますが(笑)、この方はどれだけ長い間、このテンションを保ち続けているのだろうかと考えると鳥肌が立ちます。天才と凡人の分かれ目って、この“夢中力”みたいなものなのかもしれませんね。

  

佐藤オオキ(さとう・おおき)

1977年、カナダ生まれ。2000年、早稲田大学理工学部建築学科首席卒業。02年、同大学大学院修了後、デザインオフィスnendoを設立。建築、インテリア、プロダクトをはじめ、ジャンルを横断しながら広くデザインを手がけ、世界的なデザイン賞を数多く受賞。作品はニューヨーク近代美術館、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館など、世界各国の著名な美術館に収蔵されている。

 一般的には「天才」というと、何の努力もせずいきなりできてしまう人や、とてつもなくセンスのある人のことを指すのかもしれないけれど、僕は少し違うように感じています。99%は確かに抜きん出て優れている、天才かのように見える人。常人では考えられないほどに努力や勉強をコツコツと積み重ねて、99%の天才“風”まで行った方も大勢いると思う。

 ところが、そういった天才“風”、天才“的”な人と、さらに残りのもう1%を手にした“真の天才”との差は、本当に大きいと感じます。ほとんどの人が99%までは行けても、最後の1%の階段を上ることはできない。この1%に必須なのが、夢中であり続ける才能あるいは能力なのではないかと思うんです。

——とりかかっている仕事が心底大好きで、没頭できるというようなことですかね?

佐藤 ええ。一生さんのような方は、何もしなくてもずっと好きでいることができるんだと思います。でも、たとえば僕なんかは、天才“風”になりたい凡才なので、デザインが嫌いになったらどうしようという不安が常につきまといます(笑)。

 だから「これ以上悩んだらデザインが嫌いになりそうだな」と思ったら考えるのをやめるようにしているし、仕事をお受けするときにも、スケジュールやギャランティーとかではなく、「この仕事を最後まで楽しんで出来るかどうか」ということも一つの基準になっています。僕のような者にとっては、デザインが嫌いだと思ってしまったら致命傷ですから。その気持ちはモノ作りに必ず出てしまうし、そこでデザイナーとしては終わりでしょうね。

——そういう“嫌いになりそうな罠(わな)”は、どんな仕事であれ、たくさん出会うものではないですか?

佐藤 ええ、もうトラップまみれですよ(笑)。だから僕はそれをいかに回避するかということに細心の注意を払いますが、最後の1%を持っている“本当の天才”たちは、おそらくどんな問題があっても最終的には楽しめるように見える。

 僕、音楽プロデューサーの亀田誠治さん、小説家の朝井リョウさん、漫画家の松井優征さん、アーティストの小谷元彦さんは、定期的に食事をさせてもらっている友人なのですが、そのメンバーは“自分は本当の天才じゃない”という自覚を大前提として持っている。皆自分の仕事をどう嫌いにならないか、どういう風に”好き”を保ち続けるか、を意識的に模索していて、だからこそ友人でいられるんでしょうね。そういう意味では、一生さんは大先輩というのはさておき、友人にはなれそうもない! 「50年間一度もデザイン嫌いになったことないよ〜!」ってことなら、ぐうの音も出なくて、話すことがありませんから(笑)。

  

——“天才”と“天才風”には、取り払えない壁がある、と。

佐藤 そもそもの視点の置きどころからして、まるで違うように思います。僕がデザインするときは、定番だとか、一般に見慣れているものの境界をちょっとだけ広げることを意識するんです。安心感のある常識の領域から半歩ずつ飛び出し続け、いつのまにか常識の枠組みを広げたい、と。100年、200年のスパンでほんの少し変われば、それは進化と呼べるんじゃないでしょうか。

 ところが一生さんのような方々は、とんでもないところにポーンとボールを放って、一気に100年進めちゃおう!……といった意識をお持ちなのではないかと思います。つまり目線が全く違っていて、だからこそ、周囲が理解しづらい面もあるかもしれません。それこそスティーブ・ジョブズなんかも、さまざまなエピソードを聞く限り、その典型ですよね。

求められる新しい天才像

——確かに、周囲が到底理解できないような発想を具現化しては、世界の常識を一気に塗り替えてきた人物です。

佐藤 ただ、現代はそういうタイプの天才が登場しづらい世の中になってきたのかなとも思うんです。そういう”天才”は、常人には理解できなさすぎて孤立してしまうような一面もあるかもしれないけれど、彼らしか持ち得ないカリスマ性に心酔する人も多い。一人で世界を変えるんですから、そりゃあ魅力的です。でも現代の世の中は、価値観の多様化に伴い、人々の生活を取り巻く物事がどんどん増え、複雑に絡み合ってきているから、一人の才能だけで変化を巻き起こせる領域が限定されてきている気がする。

  

——違うタイプの“天才”が求められている?

佐藤 ひょっとしてそうかもしれないな、と。“巻き込み力”とでもいうのか、チームとして力を発揮しながら、変化を引き起こしていくような……。人々の共感を呼べる力が必須になってきている。今は天才像の過渡期かもしれませんね。

——夢中力、視点の持ち方の違い、共感力……。天才を形作るキーワードがいくつも出てきました。

佐藤 最初の二つは絶対条件だと思います。夢中で誰にも理解できないことをやっていて、それが結果的に大絶賛を受けたり、世の中の仕組み自体を変えたりするのだから、まあ孤独な面もあるでしょうし、大半の人にとっては変人のように見えそうですが(笑)。

——佐藤さんはご自身をどう見ていますか? 決まった同じ服を毎日着たり、夕食は同じそば屋の同じそばと決まっていたり……といった、ちょっと聞いただけでは理解しづらいルーチンをお持ちなんですよね? 失礼ながら変人的というか……。

佐藤 いやいや、僕がやってることなんて、大したことではないですよ! さっきお話ししたように僕は天才ではないから、仕事を嫌いにならないよう、テンションを中庸に保っておきたいんです。そのために日々をフラットにしようと、ルーチンを作っているだけ。ルーチンそのものには大したこだわりはないですからね。同じ靴下が手に入らなくなったら、一瞬やだなあとは思うけれど、すぐに別の適当な靴下でよくなるタイプ。ジョブズはそんなこと、きっと絶対許容できませんよ(笑)! 

  

 でも真面目な話、“これじゃなきゃ絶対にダメだ”というような考え方やモノづくりは、少し俯瞰(ふかん)の視点で見ると、自分たちの首を絞めることもありうる気がします。これからのモノづくりは、それでは立ち行かなくなる局面が多くなっていくのではないか、と。新しい時代には、ある程度のおおらかさのようなものが必要になっていくはず。そうなると、天才にもニュータイプが現れるのかもしれませんね。巻き込み力、共感力……。その辺りが次なるキーワードなのかもしれません。

(文・ライター 阿久根佐和子、撮影 野呂美帆)

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