大御所シェフのいつものごはん

「外食の鬼」がほれ込んだ! 百年愛される“元祖”かつカレー

  • 文・畑中三応子、撮影・森カズシゲ
  • 2018年5月14日

  

「世界一グルメな国」とも呼ばれるようになった日本。このまれにみる豊かな外食文化を支えてきたベテラン料理人は普段、どんなお店でどんな食事を楽しんでいるのだろうか。卓越した技術・味覚・知識を持つプロフェッショナルが「日常食」を紹介する。

今回の大御所シェフ

斎藤元志郞さん

斎藤元志郞さん
静岡市と東京・目白にある「旬香亭」、神田小川町「ポンチ軒」のオーナーシェフ。「三井倶楽部」で7年、フランス各地の三つ星店と有名菓子店で4年修業し、伝説的なフランス料理店、四谷「ブリクール」と熱海「ラ・ルーヌ」のシェフとして活躍後、フレンチに洋食や懐石料理を融合した創作料理に転身。和洋中エスニックすべての技術に通じ、日本の洋食史にも飛び抜けてくわしい。この6月、かつカレーの店を虎ノ門に開店する予定。(写真提供:家庭画報/撮影:大山裕平)

大御所・斎藤元志郎シェフが推薦 カツカレー元祖の店「河金」

浅草駅から15分ほど歩いた閑静な住宅街にある「河金 千束店」

斎藤さんは「外食の鬼」である。店の賄い時間にはひとり外出し、必ずどこかに食べに行く。毎食が真剣勝負。気になる店があれば、どこにでも飛んでいく。

私の知るかぎり、ジャンル横断で日本各地の飲食店にこれほど詳しいシェフはいない。その知識と実践、たしかな味覚で、「斎藤版ひとりミシュラン」を書いてほしいぐらいだ。

その原点になったのが、かつカレー。生まれ故郷の静岡は洋食屋が豊富な土地で、はやくも小学生のとき「自分にもっとも合ったおいしい食べ物」だと認識した記念すべき料理だった。

「河金」は、かつカレーを生み出した元祖の店。いまはなき浅草の本店(1987年に後継者問題で閉店)、のれん分けであるこの千束店と入谷店の3軒には、いったい何十回通ったかわからないそう。斎藤さんいわく“ザ・ベスト・コラボレーション”、かつとカレーのバランスがさすがなのだという。

初代のやり方をそのままに 百年変わらぬスタイル

かつカレー誕生は、いまからちょうど百年前、1918年(大正7)のこと。初代の河野金太郎が、名前から屋号を「河金」とし、浅草で日本最初の洋食屋台を出した年、「カツレツにカレーをかけてくれ」という客の注文にこたえて創案したのが始まりだった。

洋皿ではなく、丼に盛ったご飯にカツレツをのせ、カレーをかけたこの料理は「河金丼」と名づけられ、評判になった。大正時代の三大洋食といわれるのが、カツレツ、ライスカレー、コロッケ。「河金」でも当然、この3種が看板メニューで、それぞれ10銭だったのに対し、河金丼は20銭。大ごちそうだったのである。 

当時の浅草は、東京の最先端をいく繁華街。浅草グランドオペラ華やかなりし頃で、街に集まる新しもの好きの心をとらえたのが洋食、なかでも最高にモダンな味だったのが河金丼だったというわけだ。

百年前の先端的な味は、いまでは昔懐かしい味となった。「河金」は家族でのれん分けをして、親から子に味を伝えてきた。4世代目になる千束店の河野貴和さんは、とんかつもカレーも、初代のやり方をそのまま受け継ぎ、少しも変えずに守っている。

「河金 千束店」店主・河野貴和(よしかず)さん

百年の歴史を誇る「河金」。店内にはのれん分けや親戚の店、取引業者など、関係者の名を刻した板が飾られている

この事実を洋食史から見てみると、とんかつの肉が現在のような厚切りに変わり、衣のパン粉が大粒になったのは昭和前期だから、「河金」はそうなる前のスタイルがわかる、貴重な歴史証人でもある。

大正時代の流儀で肉を調理

またとない機会だから、作るプロセスを見せてもらった。

河金丼用には脂身が少なめのもも肉を使い、注文が入ってから切り出して、肉たたきでバンバンたたいて薄くする。ここが現代のとんかつと決定的に違う。

塩、こしょうはせず、粉、溶き卵、パン粉をまぶす。パン粉は湿りけのある生パン粉で、粒が細かいのが特徴。揚げ油に投入されるまで40秒とかからない。揚げるのは、ラード100%だ。

  

とんかつのルーツは、フランス料理の「コートレット」。薄くたたきのばした肉に微粒子状のパン粉をつけ、少量の油で揚げ焼きする料理である。

天ぷらの製法と合体してたっぷりの油で揚げる方法が採用され、カツレツと呼ばれるようになったのが明治の後期。そして昭和に入り、肉はたたかずに厚手、パン粉は大粒、呼び名は「とんかつ」が主流になった。

肉が薄くパン粉が細かいのは、まだコートレット時代の面影を残した大正時代の流儀なのだ。

落ち着きのある大人の風味 百年前に生まれた「かつカレー」

  

丼にご飯をよそい、キャベツのせん切りを広げて上に切り分けた肉をのせ、カレーをかけて完成。

たたいて繊維を断ちきった肉は、スプーンで切れるほど柔らかく、驚くほどあっさり。そこに辛みは控えめで、ほんのりスパイシーなカレーがまろやかにからむ。キャベツはいわば「刺し身のつま」で、食感とみずみずしさで口中をさっぱりさせる不可欠な相棒だ。

カレーは、小麦粉をラードで炒めたルーを、豚肉の端切れとタマネギを煮込んだスープでのばし、カレー粉としょうゆなどで味を調えたシンプルなもの。子ども向きの甘いカレーとはまた違う、落ち着きのある大人の風味だ。

河金丼を表現するなら、「やさしさを感じる味」になるだろう。肉もカレーも、強く主張せず、丼のなかでおだやかに調和し、どこか懐かしくてほっとする。これが大正時代のモダニストたちに支持されていた味だと思うと、感慨深い。みそ汁と漬物と違和感のない、見事に日本化した洋食の完成形がここにある。

素晴らしくジューシーな味わい 巨大なとんかつ

  

肉は70年のつきあい「肉のふくや」から仕入れる茨城・常陽牧場産「SPF麦豚」。脂の甘さもピカイチ

もうひとつの看板メニューが、「100匁(もんめ)とんかつ」だ。匁は尺貫法の重量単位で、1匁は3.75グラムだから、375グラムもある巨大とんかつである。

屋台だった「河金」は1929年(昭和4)に店舗となり、戦後もいち早く復活。しかし、豚肉が手に入らず、馬肉で代用していた時期に、2代目が出入りの肉屋が進駐軍納入用の大きな豚肉のかたまりを持っていたのを見て、「栄養不足の日本人にも大きなとんかつを食べてもらいたい」と、強い思いを抱いたことで生まれた。いわば戦後復興の味なのである。

貴和さんがロース肉を分厚く切って計ると、ぴったり375グラム。力強くたたくと25×18センチくらい、迫力のサイズに広がる。品書きでは150匁(560グラム)までだが、注文があれば200匁(750グラム)も可能だそうだ。

かたまりで揚げるメリットは、肉汁がより多く内側にとどめおかれること。ラードで揚げるので油切れがよく、細かいパン粉がほどよくラードのコクを受けとめている。やわらかく、素晴らしくジューシーな、いままで体験したことのないとんかつだ。

揚げたての巨大とんかつ。大人の手2つ分くらいの大きさ

「小さい頃から父に習ったことを、そのまま繰り返しているだけです。その父も、そのまた父から教わって百年が経った。これが浅草の老舗の当たり前なんですね」と、さらりと語る貴和さん。

しかし、「河金」の百年は、その時代ごとに日本人を元気づけてきた洋食の歩みとしっかり交差している。外食の求道者である斎藤さんを引きつけるのも、きっと背後にある長い物語も一緒に味わえるところなのだ。

   ◇  ◇  ◇

■店舗情報
河金 千束店
東京都台東区浅草5-16-11
TX「浅草」駅徒歩8分
東京メトロ日比谷線「三ノ輪」駅徒歩13分
東武伊勢崎線・東京メトロ銀座線「浅草」駅徒歩14分 ほか
03-3872-0794
営業時間:12:00-20:00
定休日:土曜

■大御所シェフの店
目白 旬香亭
http://www.shunkoutei.com/mejiro/
東京都豊島区目白2-39-1 トラッド目白2階
JR「目白」駅徒歩4分
03-5927-1606
ランチ11:00~14:00(L.O)、ディナー17:00~22:00(L.O)
定休日:月曜日(但し、祝日の場合は営業)

静岡 旬香亭
http://www.shunkoutei.com/shunkoutei/
静岡県静岡市葵区駿河町4-8 駿河町森下ビル
JR「静岡」駅徒歩12分
054-272-3066
営業形態は完全予約制、不定休

□PROFILE
畑中三応子(はたなか・みおこ)
編集者、ライター、フードジャーナリスト。『シェフ・シリーズ』『暮しの設計』(ともに中央公論社)の元編集長。料理本を幅広く手がけるかたわら、流行食関連の研究や執筆も行う。著書に『ファッションフード、あります。』(紀伊國屋書店/ちくま文庫)、『カリスマフード 肉・乳・米と日本人』(春秋社)など。

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