小川フミオのモーターカー

記憶に強く刻まれた“家族の車”「マツダ・ファミリアAP」

  • 世界の名車<第211回>
  • 2018年5月14日

時代の移り変わりにあわせ、新しい感覚、多用途性、経済性、高品質の四つをテーマに開発した、とマツダは説明する

モデルはなくなっても名前は残る。マツダ・ファミリアはそんなクルマだ。ぼくたちの記憶に強く刻まれている。

それには、ここでとりあげる1977年のファミリアAPと、続く80年のFFファミリアの貢献が大きい。

後席ドアを備えたハッチバックは国産初だった

カローラやサニーを抑えてベストセラーとなった5代目ファミリアは、9代続いたファミリアのなかでも際だった存在だ。

4代目のファミリアAPも忘れてはならないクルマである。マツダが日欧のコンパクトハッチバック市場で一角を占めるきっかけを作った、歴史的なモデルなのだ。

機能美のあるダッシュボードはファミリアAPの特長

ファミリアは、そもそも「家族がそろってドライブに行くという思いを込めた」命名だったとマツダ(当時は東洋工業)は説明する。

初代が登場した1963年は戦後の高度成長期にあたり、乗用車についても個人所有台数の伸びがうなぎのぼりだった。

マツダの資料によると1961年は個人所有の比率が12パーセントだったのが、64年には22パーセントに。その間、乗用車の保有台数は61年の6万5506台から、64年には15万8326台へと伸びている。

ホイールベースは3代目の2260ミリから2315ミリに延ばされ室内スペースも拡大

初代ファミリアはかっこよくいえばステーションワゴン型。しかし正直いって、商業バンとしても兼用できる車型だった。

モデルチェンジを繰り返すなかで、ファミリアが提供してくれる世界は広がった。まずセダンやクーペが登場。

やがて台頭する若者市場を背景に、欧州でのハッチバック人気を参考に、躍動感のあるスタイルを持ったのがファミリアAPである。

当初は1.3リッター、途中で1.4リッターが加わった

それまでのファミリアは、10年以上生産されていたとはいえ、高級感をかもしだしたいためのセダン車型という、ありがちなコンセプトだった。それに対して、APはターゲットをはっきり見据えたモデルなのだ。

ファミリアAPは、日本車として初の4枚ドアを備えたハッチバックという点でも自動車史に残る。スタイリングも品がよく、いい意味で個性があった。

4ドアでも4ライト(リアクオーターピラーにウィンドーをもたない)とは、VWゴルフを参考にしたのかもしれないけれど、ドライバーズカーの“文法”に忠実なのだ。そこもぼくが、ファミリアAPを気に入っている点だ。

ナンバープレートの数字は4代目ファミリアの社内開発コード(つまりこれは試作車)

自動車史のなかでやや軽視されがちなのは、しかたなく後輪駆動だった、というパッケージゆえだ。開発コストなどの問題だろう。ハッチバックは前輪駆動という世界の潮流に乗り切れていなかった。

その証拠に、というべきか、メーカーは3年でモデルチェンジを敢行し、FFファミリアが登場したのである。

車体色が豊富だったのも新しい時代の到来を感じさせた

たしかにパッケージングを考えると、プロペラシャフトがないぶん、前輪駆動のほうがスペース効率がいいし、コストも抑えられる。

いっぽうで後輪駆動には操縦性のよさなどメリットがある。ファミリアAPとFFファミリアを直接比較して乗ったことはないけれど、ファミリアAPが操縦する楽しさを持っていたのは事実だ。

欧州ではマツダ323(2004年まで生産された9代目までこの名称が使われた)、米国ではマツダGLCの名前で販売された。

傑作なのはGLCの意味である。「グレートリトルカー」の頭文字だったそうだ。メーカーの思いが込められている。ぼくたちもそう感じていた。

※画像提供はいずれもマツダ

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PROFILE

小川フミオ(おがわ・ふみお)

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クルマ雑誌の編集長を経て、フリーランスとして活躍中。新車の試乗記をはじめ、クルマの世界をいろいろな角度から取り上げた記事を、専門誌、一般誌、そしてウェブに寄稿中。趣味としては、どちらかというとクラシックなクルマが好み。1年に1台買い替えても、生きている間に好きなクルマすべてに乗れない……のが悩み(笑)。

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