私の一枚

歩けないからこそ今の私がいる。運命っておもしろい パラリンピック金メダリスト・村岡桃佳

  • 2018年5月28日

突然歩けなくなった4歳の村岡桃佳さん(村岡さん提供)

4歳の真夏のある日、突然歩けなくなりました。

家から歩いて5分もかからないところにスーパーがあって、その日たまたま遊びに来ていた祖母と兄と私の3人で買い物に行くことになったんですが、出発して半分もしないところで急に足が重たくなって。

足が地面に貼りついて動かないというか、何か重たいものに足が引っ張られている感じ。足を前に踏み出すことができなくなって、行きも帰りも兄におぶってもらいました。

夜になり、これはさすがにおかしいと、父の帰宅後、近くのお医者さんに連れて行ってもらいましたが、そこでは原因がわからず、いくつもの病院を転々としました。結局、別の病気で兄が通院していた病院でようやく「横断性脊髄炎」という病気だとわかりました。

これは歩けなくなって間もない頃の写真ですが、正直、歩けなくなった瞬間のこと以外、当時のことはあんまり覚えていません。

パラスポーツとしてはもともと陸上の短距離競技をやっていて、スキーは趣味程度でした。自由に楽しく滑っていました。競技スキーは自由なところがまったくないと感じていて、正直に言うと最初はぜんぜん楽しくなかった。「なんでコース通りに滑らないといけないの?」と思ってしまって。

ですが、練習を始めてちょっとずつ上達して、難しいターンをうまく滑れるようになったとか、タイムが早くなったとか、成長が実感できるようになってから、ようやく楽しいと思うようになりました。

平昌パラリンピックでの村岡桃佳選手の滑り=加藤諒撮影

そもそも負けず嫌いな性格ですが、そうした思いを言葉に出さないというか、出せないタイプです。でも、ソチ・パラリンピックの前のシーズンに初めて海外遠征に行かせてもらって惨敗した時、一度だけその悔しさを言葉にしたことがあります。

海外の選手との差をまざまざと見せつけられて、一緒に行っていた先輩に、「私、頑張る」って。

本当に言ったのか覚えていないぐらい、正確には思わずもれでた言葉というか(笑)。そして、帰国後は、めちゃくちゃ練習しました。当時は高校生で平日と土曜の午前中は授業があったので、土曜の授業が終わると長野に行って練習して、日曜の夜に帰ってきて、月曜の朝からまた学校に行って。

合間を見て平日にナイター練習に行くこともありました。絶対にソチに行きたいという思いもありましたし、やらずにはいられなかったですね。

そして、惨敗した海外遠征から数カ月後のジャパンパラ競技大会。国内で一番大きい障がい者スポーツ大会ですが、先輩たちが私の滑りを見て「どうしたの? すごくうまくなったね!」って言ってくれました。「あの時の桃佳の言葉と数カ月での成長が忘れられない」って今でも言われますね。

チェアスキーがあったからこそ今の私があるので、こんなことを言ったことはありませんが、本音は私、歩けないことを受け入れられたのかって聞かれたら、たぶん今も受け入れられてはいないんです。

障がいがあったり、車いす生活になったりして、それをきちんと受け入れられる人って本当にいるのかなって。やっぱり、歩けるのであれば歩きたい。「階段しかないからここは無理だね」と行きたい場所をあきらめたりすることがすごく嫌だし、我慢しなきゃいけないことがやっぱり多いです。

街なかでも「あ、あの人、車いすなんだ」って目が向くじゃないですか。普通に歩いていたらこんなに見られることもないのに、とも思います。

平昌パラリンピック表彰式での村岡さん=竹谷俊之撮影

だから、もし普通に歩けていたら何をしていただろうなって、以前はよく考えていました。通う小学校や中学校や高校もすべて違っていたと思いますし、大学には行かずに普通に就職していたかな。

ぜんぜん違う友達に囲まれて、今まわりにいる誰とも出会ってなかったと思います。そういう自分も見てみたかったけれど、健常者のままの私だったらできなかった、素晴らしい経験をたくさんさせていただいています。そうした経験のおかげで、これが私の人生なんだなと前向きに思えるようになりました。

歩きたいのに、歩けなくなったからこそ今の私がいる。なんだか運命っておもしろいなって思います。そういう人生を、受け入れられてはいないけれど、受け止められるようになったのかな。

    ◇

むらおか・ももか 1997年、埼玉県深谷市生まれ。中学から本格的に競技スキーを始める。2014年、高校2年生の時にソチ・パラリンピックに出場。大回転で5位入賞、回転9位。2016年、パラスポーツ選手として初めて「トップアスリート入試」に合格し早稲田大学スポーツ科学部に入学。2018年の平昌パラリンピックでは日本選手団の旗手を務め、競技では大回転で金メダルを獲得した他、銀メダル2個、銅メダル2個と、出場したすべての種目でメダルを獲得した。同年春の褒章で紫綬褒章を受章。深谷市親善大使。

(聞き手・髙橋晃浩)

「次は4年後の北京。平昌より多くの金メダルを持って帰ってきたいと思っています」と語る村岡桃佳選手。写真は平昌パラリンピック表彰式での笑顔=加藤諒撮影

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