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インターネットは本当に「豊かなつながり」を殺したか?

  • 文・りょかち
  • 2018年6月5日

 

「最近は、新年も寂しいものになりましたね」

年明けに、とある人がTVでそう話していた。私は経験したことがないのだが、なんでも昔は近所の人が家に新年のあいさつにやって来てくれて、久しぶりに会う人もいて楽しかったそうだ。そのほかにも、疎遠になった人からふと年賀状が来ることもあって、「豊かなつながり」があったという。

現代はその頃と比べて、メールで新年のあいさつが完結したり、年賀状を出す人も減ったりで、人との触れ合いにあふれていた新年も、随分と味気ないものになってしまった、とその人は続ける。

「ああ、めんどくさい話だ」

大きな声では言えないが、私はこういうとき、こっそりそう思うタイプだ。そういう、形式に乗っかったコミュニケーションを重視する文化にあまり意味を感じない。確か年賀状も、大学受験で忙しい高校生だった2008年ごろから一切出していなかったように思う。

  

こういう話をするとだいたい、「最近の若者は冷めている」だとか「つながりの希薄化だ!」みたいなことを言われる。最近の若者は、周りの人とのコミュニケーションが乏しいらしい。私自身も母親や年上の人たちから、いわゆる「コミュ障」扱いされて、人とつながるのが苦手な“新人類”扱いされてきたように思う。

形式がないコミュニケーションには、ごまかしがきかない

「最近は、誰かを思いやるフリをするのも大変な時代になりましたからね」

ところが、その話題をとある編集者さんに話していたとき、彼は私にそう言ってくれた。

「昔は、新年にあいさつに行っていれば、新年に年賀状を送っていれば、『最近ぜんぜん連絡はしていませんけど、私はあなたを大事に思っていますよ』ってフリができましたからねえ。今はそういう、形式上のあいさつがないでしょう。だから大事にしたい“つながり“は自分で考えて連絡をとらなきゃいけなかったりする。よっぽど今を生きる人たちのほうが、誰かとのつながりに敏感だと思いますね」

私はその言葉で、自分の消極的なコミュニケーションを肯定された気持ちになった。

新年のあいさつにも行かず、一通も年賀状を出さなかったお正月の裏にある本音も、新年くらいしか実家でゆっくり過ごせない中で、家族とのコミュニケーションを何よりも大切にしたかっただけなのだ。近所へのあいさつとか、年賀状の準備に時間を割くよりも、大事な人との大事な時間を優先したかった。そして自分がそうだから、誰かの家に新年からお邪魔するのもはばかられるのである。

誰かに対して冷たいわけでも、つながりを大事にしていないわけでもなくて、あまりにも簡単にすべてにつながれる私たちの生活の中で、精いっぱい相手を思いやり、自分の大事なものに時間を注いだ結果なのである。

  

時代によって変わる「思いやり」をアップデートする必要性

忙しい毎日の中で、誰かの家を訪ねる時間や、大量のはがきを書き続ける時間を自分で慈しみたいだけのやりとりを「豊かなつながり」と呼ぶならば、私はそれこそ「怠惰なコミュニケーション」と呼びたい。

今時、家を訪ねられるのも怖いし、はがきにわざわざ書くメッセージを考えるのも大変だ。とにかく毎日の情報量も、コミュニケーション量も膨れ上がった現代では、相手の可処分時間や状況にまで思いをはせるコミュニケーションこそ「思いやり」にあふれ、その上でゆるやかに継続する関係こそ「豊かなつながり」ではないだろうか。

そして、それは新年のあいさつだけでなく、無意味に丁寧すぎる電話やメール、手紙のやりとりも同じだ。私たちは、「礼儀」や「思いやり」の定義を、時代に合わせて変えていくべきなのだ。慣習という枠にとらわれて、誰かの日常を気遣う思考を停止して、むやみにそれを正とするならば、それは自分の好意の押しつけでしかなくなってしまう。

「豊かなつながり」はSNS時代の私たちの中にも生き続ける

いつだってすぐに誰かとつながることもできれば、無限に無味乾燥な暇つぶしを繰り返すこともできるし、だから無限に日々の余暇を細切れにして寂しさを紛らわすことだってできる。そんな時代に私たちは、大事な人に、「あなたはわたしの大事な人です」と伝えるために何ができるだろうか。

それは、深夜に投稿されたツイートへの「いいね」かもしれない。何でもない日のLINEのメッセージかもしれない。あるいは、エレベーターで出会ったときの短い雑談かもしれない。

誰かとの気軽なコミュニケーションに忙殺される日々の中で、それでも特別な誰かに何かを伝えたいという思いが積み重なるならば、それこそが「豊かなつながり」に違いない。変わってしまった現代人の生活スタイルを受け入れて、あの人からのメッセージに素直に心を踊らせ、返信を打ち込んでから、既読にならない時間すらも心地よく感じられたなら、私たちはもっとこの世界の人間関係を愛せるはずである。

  

筆者プロフィール

りょかち

りょかち

1992年生まれ。京都府出身。神戸大学卒。学生時代より、ライターとして各種ウェブメディアで執筆。「自撮ラー」を名乗り、話題になる。新卒で某IT企業に入社し、アプリやWEBサービスの企画開発に従事。現在では、若者やインターネット文化について幅広く執筆するほか、若年層に向けた企業のマーケティング支援も行う。著書に『インカメ越しのネット世界』(幻冬舎)。
Twitterは@ryokachii

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